第62話『空き地の少年』

「マジかよ……あいつらが全滅なんて」

「一周回って一人もヒットなしとか、バケモンか? あのピッチャー……」

「これ、勝ち越してなかったらヤバかったんじゃね?」

 気合いの入った応援も虚しく、落胆の面持ちでスタンドメンバーはその場に腰を下ろす。上級生達の会話を聞きながら、武下は眉間に皺を寄せ、一人押し黙る。

 抑えろよ……絶対。

 試合は最終回を迎えようとしている。箕曽園が点をあげる事ができなければ、北条の決勝戦進出が決まるのだ。少しのミスが命運を左右する。

 勝利を目前に何がなんでも守り切りたい一方と、何としてでも打ち崩したいもう一方、ここ一番の大勝負にどちらも円陣を組んで異様な程の意気込みを見せる。

 観客の拍手が鳴り止まないなか、ナインは雄叫びを上げると、気迫充分にグラウンドへ散っていった。



 輝人がその少年と出会ったのは、中学二年生になったばかりの頃だった。

 地元中学校の野球部に所属していたが残念な程に弱小なチームで、練習は週に二、三回と、当時から強打を誇る輝人にとっては物足りなさを感じていた事をよく覚えている。その為、前の年に更地と化した近所の空き地に、足繁く通っては自主練習をしていた。

 あの日も輝人はバットを片手に空き地へ足を踏み入れると──、

「あっ! オマエ、フリョーだな?!」

 先客の幼稚園児に突然指をさされ、面食らう。なんだこのガキ? と眉を寄せて、

「誰が不良だ?」

 と、幼稚園児相手に本気で凄む中二の図。だがそれに全く怯む様子もなく、

「だってそれ、だろ? そういうの持ってるのはフリョーだって、父サンが言ってた」

 武器とは金属バットの事らしい。

「……オマエ、野球のバット見た事ないのか?」

「やきゅう?」

 と、少年はキョトンとした顔をしている。すると輝人は足元に転がっていた誰かの忘れ物らしいスーパーボールを掴み、少年に手渡す。

「これ、俺に目掛けて投げてみろ」

「え? にぃちゃんに?」

「あぁ。ちょっと待ってな」

 輝人はニッと笑い掛け、少しだけ距離を取る。幼稚園児に、コントロールや球威など微塵も期待していない。

「よし、投げていいぞ!」

 と、声を掛けバットを立てる。この空き地の周りに民家がないのは、とうの昔から知っている事だ。

 少年は何が始まるのかよく分からない様子で、左手でボールを持ち、オーバースロー気味に投げた。子供にしては意外と肩が強くて、輝人は正直驚いた。軽く振るつもりが、気付いたら大人気なく思いっきりスイングしていて、スーパーボールは雑木林の遥か彼方へと消えて行く。

 その光景が衝撃的すぎたのか、口をポカンと開け目をまん丸と見開く少年に、フッと笑って言った。

「これが、このバットの使い方だよ」

 次の瞬間、少年は頬を上気させながら、

「すっっっげぇ!! なんだ今の! あっちまでボールが飛んでった! にぃちゃん、オレにもやらせて!」

 と、すっかり興奮しきっている。

「ハハッ、良いぞ。オマエ素質ありそうだし」

 すると、

「なーによ、偉そうに。子供相手にムキになっちゃって」

 声のした方へ目を向けると、同じ中学校の制服を着た女子が、両腕を組み仁王立ちしていた。

「ゲッ、和葉かずは……」

 輝人の顔が引きつる。

「あ! 和ねぇ」

「あら、どこのガキンチョかと思えば翔ちゃんじゃない」

「えっ、オマエら知り合いなの?」

 目をパチクリさせて輝人が尋ねると、「三葉のねぇちゃん!」と少年が和葉と呼ばれた女子を指さす。

「ウチの妹と幼稚園が一緒なのよ」

 よく遊んでくれてるのよねー? と頭を撫でる。

「へぇ。てか、オマエこんな所で何してんだ? 家の方向違うだろ」

「何よ、可愛い彼女が会いに来ちゃいけない理由でもあるの?」

「……いや、別に」

「なんちゃって♡ これから合気道の稽古に行くとこ! 実はこの子のお母さんから習ってるんだー」

 この子も稽古の時間だからついでに回収していくね、と少年の手を引く。

「えーヤダよ、合気道よりこっちのがイイ!」

「ダメよ翔ちゃん、野球なんてしたらあいつみたいに頭が野球バカになる」

 やめときなさい、と諭そうとしている。酷い言われ様だな……と思った矢先、輝人は肝心な事を思い出した。

「おいボウズ! オマエの名前、まだ聞いてなかったな?」

 少年はゆっくり振り返ると、

「しょーと。佐久間、翔斗」

「よし、翔斗。明日もこの時間に来るから、今度は一緒にキャッチボールしよう!」

 この言葉に目をキラキラと輝かせて、

「する! キャッチボール、一緒にする!」

 やったー! と大はしゃぎしながら空き地から連れて行かれる姿を、輝人は目を細めて眺めた。


 あれから、毎日のようにオマエとキャッチボールやバッティング練習したり、時には「野球の真似事させるな!」って親父さんに怒鳴られた事もあったけど、わずかでも野球を教えられて本当に良かったと、心から思っているよ。

 空き地で遊んでいた少年と、グラウンドに立つ十一年後の少年の姿を重ね合わせて、輝人はひっそりと思い出に浸る。

 ここでこうして、あの悪ガキの成長が見られるなんて、こんな贅沢な事はないだろ? 対戦相手ながら活躍して欲しいだなんて、とんだ矛盾だけど……。

 でも、と片眉を下げる。

「すまんが俺にも、どうしても負けるわけにいかない理由があるんだ。勝たせてもらうぞ、翔斗」

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