第60話『お尋ね者のスラッガー』

 岩鞍の力投で打者を瞬殺し、同点止まりでピンチを切り抜けるも、裏の攻撃ではあえなく凡退となり、五回の攻防が終わる。

 着替える為にベンチでアンダーシャツを脱ぐ翔斗に、誰かが近付いてきた。

「違ってたらゴメン」

 と、声を掛けられ顔を向けると、少し言いにくい様子で、

「もしかして……一塁に投げるの、怖かったりする?」

 的を射た事を突然言われ、翔斗は返答に迷いながら替えのアンダーを身につける。

「……てか、いつから男の着替え堂々と見るようになったんだよ」

「え、あ、ゴメンね! そんなつもりじゃ……。でもその、さすがに見慣れちゃったというか」

 と、慌てて弁明するのは桜だ。

 こいつ、こないだまで恥ずかしがってたクセに……。

 眉根を寄せつつ、翔斗はユニフォームに袖を通しボタンを留める。

「このドスケベ」

「スケ……」

 桜には少し刺激が強かったのか、口をパクパクさせている。どうでも良いが、聞きようによっては誤解を招きかねない会話だ。

「……って翔斗くん、はぐらかさないでっ!」

 頬を赤らめながら桜がムキになる。翔斗はベルトを締め終えて、

「別に、はぐらかしてるつもりないけど」

 とは言うものの、ニヤリと悪戯っ子のような表情を見せる。

「もうっ! だって、心配なんだもん……」

「しなくて良いよ」

 翔斗は桜の被る帽子のツバをグイッと下に向けさせ、

「桜が心配する必要なんて、ないから」

「……信じて、良いの?」

「あぁ」とだけ反応が返ってきた後に翔斗の気配がしなくなったので、桜は帽子のツバを元に上げると、視界が開ける。

 私の気のせい、なのかなぁ……。

 惣丞と共にグラウンドへ出る翔斗の背中を、心配そうな面持ちで眺めた。


「万理ちゃん、やっぱり来てたんだ?」

 ほんの束の間、上級生から解放され席を抜け出した武下は、万理の姿を通路側で見掛ける。

「ん、ダメだった?」

 拗ねたような口調につい笑みを溢しながら、

「そんなわけないじゃん」

「そう……」

 なんとなく会話が途切れ、沈黙になる。

「ねぇ」と万理が口を開く。

「隣、来てよ。武っちがいないと面白くない」

 トイレに立った長谷部が聞いたら「失礼なっ!」と怒るだろう。

「ハハッ、そうしたいのは山々だけど……」

 タテ社会だからねぇ、と苦笑いする。

「だよね」

 言い方は明るいが、明らかにシュンとしている。武下は周りの部員の様子を伺うと、

「少しだけ、一緒に涼みに行く?」

 コソッと耳打ちする。万理は嬉しそうに、「行く!」と微笑んだ。

 ……そしてこの後、「武下はどこ行ったぁ!」と上級生が探し回り拘束されるのだった。


「大変申し訳ございません。本日は既に満員でして、お入り頂けないんです……」

 球場の門で、スタッフが申し訳なさそうに頭を下げる。

 パンツスーツに身を包んだ美女は「そうですか」と少し考え込むと、徐にスーツの胸ポケットから何かを取り出した。

「実はこういう者なんですが、ご協力をお願いしたいんです」

 提示されたに、スタッフは「えっ?」と一瞬目を見張る。

「この球場内に、我々が追っている人物がいるとの情報提供がありました。事を荒立てない為にも極秘で捜索したいのですが、中に入れて頂けないでしょうか?」

 美女は慣れた口調で穏やかに説明する。

「そ、そういう事でしたら……! ど、どうぞ!」

 スタッフは慌てて中へ通す。

「ご協力、感謝します」

 緩やかに微笑するとペコリと頭を下げ、門を潜る。その様子に、「なんて美人な刑事なんだ……」とスタッフはすっかり見惚れた。

 美女はコツコツと音を鳴らし、髪を靡かせて足早に進む。

 逃さないわよ、岡田輝人……!


「あれ? アンタもしかして、岡田輝人じゃないか?」

 スタンドで通りすがった観客に声を掛けられ、輝人は一瞬外していたサングラスを素早くかけ直す。

「違いますけど、誰ですか、それ?」

 堂々としらばくれる。

「似てるんだけどな……空似か。ていうかアンタ、昔甲子園を一世風靡した箕曽園の名スラッガーを知らないのか?」

「自分、甲子園には興味がないんで」

 これは少々苦しい言い訳だったか?

「珍しい人だな。なのに試合観に来てるのか」

「まぁ野球観るのは、好きですから……」

 苦し紛れな返答をする。だがそんな事を気にも留めず、

「凄かったんだぜ、岡田って奴は。三年間ずっと夏の甲子園に出場して、毎年何かしらの記録を残してた。卒業してからも同じ聖地で頑張っててさ」

 輝人は罰が悪そうに目線を逸らした。

「数年前にケガで引退したらしいけど、惜しい選手だよ。俺は結構ファンだったんだけどな。ま、今も元気でやってるなら、それで良いけど」

 その言葉に輝人は下を向いて、

「岡田輝人は、きっとアナタのようなファンがいてくれて、幸せだったでしょうね……」

「欲を言えば、プロじゃなくても良いから、またプレーしてるとこ観たいよ。……おっと、話が過ぎちまった」

 後半戦が始まろうとしている。

「席に戻んねぇと。俺の話に付き合わせて悪かったな」

「いえ……」

 輝人が会釈をすると観客は立ち去っていった。なんだか少し居た堪れない気持ちになって、空を見上げる。

〝また観たい〟か……。

 太陽があまりにも眩しい気がして、輝人は瞼を閉じた。

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