第59話『鉛筆の悲鳴』

 たくっ! 打たせた当たりだったのに、無駄に出塁させてどうすんだよ。

 宮辺は少しイラつきながら、先程から何度も(しつこいぐらい)一塁走者に牽制球を送っていた。が、俊敏に帰塁され焦りが募るばかりだ。

 やだなー、このランナー絶対また盗塁狙ってるよ……。

 気にするな、と言われても俊足走者相手に気にならない方が難しい。仕方ない、とセットポジションに入ると、今度は打者に投球する。

 しかし、よりにもよってここでフォアボールを出し走者を一二塁に溜めてしまう。一筋の汗を流しながら、宮辺は続く打者と対立した。


「ま、満塁……」

 桜はスコアブックを付ける指を止めて、その光景に目を瞬かせた。……まさかのワイルドピッチで打者に振り逃げされ、今まさに大貫が、マウンドに駆け寄り当人に声を掛けている。

「あーあ、またやっちゃったか」

 ハハッと岩鞍が苦笑いをする。四回戦の八畑農業戦以来、今大会二度目のワイルドピッチである。

「あいつの悪い所、出てきちゃいましたね」

 と、側で見守る田城が、眉を寄せて言った。

「気持ちが乱れるとすぐ投球に現れる……自信家な割にデリケートなんだよなー」

「気に入らないと態度に出ますしね。もう少しメンタル安定して欲しいですよ」

「そうそう! あいつ中学の時それでよく脱走してたもん。尻拭いするこっちの身にもなって欲しいよ」

 お二人とも結構言うなぁ……と、桜はそっと心の中でツッコむ。それだけ愛されキャラなのだという事にしておこう。

 でも、それよりも……。

 桜は宮辺のメンタルよりも気掛かりな事があり、目を向けた。

 翔斗くん……もしかして、送球


 何て事はない、ワンナウト満塁なだけだ。それのどこに問題があるのか?

 宮辺はある意味では冷静だった。

 打ち取れば良い……打ち取れば良いんだ。

 何かに取り憑かれたようにブツブツと呟く宮辺の様子に、だから落ち着けッ! と大貫がテレパシーを送る。だが悲しいかな、ミット目掛けて投げた変化球を、打者のバットが打ち抜いた。

 打球は、三遊間を抜けると思われた。それを翔斗が飛び付いて阻止し、素早く身を起こす。同時に、スムーズな動きで本塁へ送球する。ほんの一瞬、北条の誰もがヒヤリとした。

 佐久間、頼む……!

 今度こそ仕事してくれ……!

 ここでエラーはいらんからな……! 振りでもなんでもねーぞ!

 仲間の祈り(?)が届いたのか、送球は難なく大貫の元に届き、ツーアウト。一同はホッと胸を撫で下ろす。その直後、大貫はダブルプレーを狙って一塁に送るが、僅かな差でセーフにされてしまう。

 得点を与えなかったのは良かった。だが、いまだ満塁という状況は変わらない。宮辺はクツクツと不適な笑みを漏らす。

 良いねぇ……ピンチの場面って萌えるよ。だってここで抑えられるのが、エースたる証拠だからさ!

 マウンドから漂うカオスな空気に、大貫は嫌な予感がしてならなかった……。


「そんな……押し出し」

 桜の力強く握り締めた鉛筆が、悲鳴を上げている。だが桜にとってはそれどころではない。

 再びのフォアボールにより、箕曽園に押し出しの一点が与えられた。そして尚も続く満塁──。

 桜は縋る想いで両手を組む。結果、鉛筆にヒビが入った。


 そんな細やかな犠牲でこの場を凌げるなら、何本でも鉛筆を折るだろう。

 同点に追い付かれたあげく、逆転のピンチが宮辺にプレッシャーを掛ける。すると、恐れていた光景が目に入る。

 岩鞍が、どう見てもグローブを持ってグラウンドに入ってきたのだ。

 うっそだろ……。まだ同点なんだけど。監督厳しくない?

 顔を戦慄かせる宮辺に、岩鞍はマウンドに辿り着くと慈愛に満ちた表情をした。

「やってくれたな。〝どうしてくれるんだよ、この満塁〟」

 うっ……と何も言えずに声を詰まらせる。

「なんてな。エラーも絡んでるなか、ここまでよく投げたよ」

 岩鞍はポンッと宮辺の頭に手を乗せる。

「この先は任せろ、オマエを負け投手にはさせない」

 宮辺は唇を噛み締めて、グッと握り締めていたボールを、やんわりと岩鞍に渡す。

「この状況でバトンタッチさせて、すみません。あとは……、お願いします」

 岩鞍の目をしっかりと見て、そう言葉を残すと、宮辺は名残惜しそうにマウンドを後にした。

 オマエ、なんて泣きそうな顔してんだよ。

 その後ろ姿を眺めて、岩鞍は憂いを帯びた笑みを溢す。

 待ってろ。その悔しさ、必ず晴らす機会やるから。

 インプレーになり岩鞍の目つきが変わる。重みのある一投に、打者は戦慄した。

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