第55話『負の連鎖』
「万理ちゃん万理ちゃん! 前の方が見やすいよ。こっちにおいでよ」
「万理ちゃん、暑くない? かち割りあるからいつでも言ってね!」
「小柳さん、これ凍らせたスポドリ。まだ未開封だから良かったら飲んで」
少し遅れてスタンドにやって来た万理を、部員達は待ってましたとばかりに持て囃す。……すっかりスタンドメンバーのアイドルのような存在になっていた。
「ど、どうも……」
困惑気味に辺りを見渡すが、いつもの人物が見当たらない。
「武下なら今日は通路側じゃねぇよ、あっちのド真ん中に追いやられてる」
と、声を掛けてきたのは、自身はちゃっかり通路側に座っている長谷部だ。
「あらベッキー」と、言葉通りの方向に目を向けると、武下の周りを熱苦しい部員達(上級生だと思われる)が完全包囲していた。あれでは近寄る事はおろか、気軽に声を掛ける事すらできない。
「えっ、何アレ?」
若干引いている。
「小柳と隔離させる為だろ? オマエを悪の手から引き離せー、って連中躍起だったもん」
「『悪の手』って……」
なんじゃそりゃ。
尚も、「万理ちゃんこっちこっちー」と嬉しそうに呼び掛け続ける部員達に呆れて、万理は長谷部の隣に無理矢理腰を掛ける。
オマッ、やめろ。ココに座るな……! と青ざめる長谷部を無視し、
「バッカみたい。別にそんなんじゃ……ないんだから」
少し不機嫌そうに、独りごちた。
さて、話を戦況に戻そう。
一年生ピッチャーが無安打で抑えた一回の表──その裏の攻撃は粘りを見せたが三者凡退に倒れ、続く二回、どちらも点を許さずこのまま拮抗状態になるかと思われた。だが三回表、北条の守備でそれは起きた。
ノーアウト、走者もいない場面で、打者は左打席でバントの構えをする。
……揺さぶってるつもりか?
それだったらこちらは外すのみ、と大貫はサインを出す。マウンド上の宮辺は要求通りに低めに投げて外した──にも関わらず、打者は上手くバットに当て、ライン際に転がす。ほんの一瞬、大貫はフェアかファウルかの判断に迷った。その為、ボールを掴み、ファーストに送球するのが少し遅れた。加えて打者の足が予想以上に速い。遅れを取り戻すかのように、肩の強さに甘えて送球を急いだのがいけなかった。
ファーストは、自分の所に送られてきた送球があまりにも高く、ジャンプしてキャッチせざるを得ず、ベースから足を離した。瞬間、走者は一塁ベースを踏む。
わぁっ! と球場内から歓声が沸き起こった。
「珍しいな、北条のキャッチャーがあんなミスするなんて」
「にしても今のバッターもよく当てたよ!」
「こりゃあ、面白くなってきたんじゃねーの!」
「良いね良いね、下克上見たいよ!」
観客というのは調子の良い事を言うものである。
たかだかノーアウト走者一塁、しかし内容が内容だ。大貫はきっと、これで点を取られたら腹を切りかねない。ここはダブルプレーで以て絶対に抑えなくてはならない。キャプテンのミスは自分達でカバーするんだ! そんな気迫が、内野手達に漲る。
……これこそが却って、負の連鎖を生み出す事も知らずに。
次の打者もバントの構えか……。
惣丞は一塁寄りに動きながら翔斗が二塁カバーに入るのを見る。
よし、まずは確実にランナーを刺す……。ついでにバッターもアウトにできりゃ上出来だ。
舌舐めずりをして投球の行方に目を向ける、すると打者が投球に合わせバットを引いた。
!! ヒッティングかよっ!
コンパクトに打ち抜いたボールは、無情にもピッチャーと前進していたファーストの間をすり抜ける。通常ならセカンドゴロにできる当たりだが、そのセカンドは一塁寄りにいて空いていた。しかし──、
北条の守備ナメんな……! 普通に想定内だ、バッキャロー!
少しの強がりと共に、惣丞は腕を伸ばして飛び付く。なんとか打球がグローブに収まったのを見ると、まだ走者が二塁に到達していない事を確認する。
間に合う──。
すぐに体勢を起こし翔斗に放り投げる。投げてから、「しまった」と思った。
送球が、逸れた。
体の前でグローブを構えていた翔斗は、咄嗟に目一杯外野側にグローブを持っていき、顔を歪ませながらそれを捕る。足は決してベースから離さない。二塁塁審の「アウト!」のコールが掛かるや否や、バランスを崩しつつも、そのままの反動で半回転し、一塁カバーに入った嶋谷に立ち膝でボールを送る。スローイングに定評のある翔斗と、これまた俊足の走者と、良い勝負だ。しかし嶋谷は焦った。
どこに投げてんだ……!
勢いが良過ぎる程の送球は、嶋谷の横を猛然と通り過ぎていき、自陣の、一塁側ベンチに入ってしまった。審判はコールする。
「ボールデッド!!」
まさかの大暴投に、北条側は誰もが唖然とした。誰よりも、一番愕然としているのは投げた張本人だ。信じられない、とばかりに両膝に手を置きガックリと首を垂れる。
嘘だろ……なんで。
ここまでのエラーはほとんどした事がない。ギリッと歯の奥を噛むと、翔斗は悔しそうに膝を叩いた。
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