第52話『宣戦布告カルテット』
翔斗が惣丞達と合流する前、こんな事があった──。
「そういえば、ホームランボールはどうするの? やっぱり、自分で持っておくの?」
北条メンバーが集まっている広場まで、球場の周りを一緒に歩く桜が、興味津々に尋ねた。
「んー、たぶん。何せ高校生活初のホームランボールだからなー」
少し誇らしげな表情で、翔斗は答える。
「ふふ、特別な記念だもんね。あっ、なんならウチの居間に当分飾っとく?」
「いや、何もそこまでは。監督だって許可しないだろ」
「えー、大丈夫だと思うんだけどなぁ」
なんてやり取りをしていると、
「それだったら、私に頂戴よ」
と、後ろから声がした。何が『それだったら』なのかよく分からないが、とにかく二人は振り向くと、声の主は案の定、三葉だった。
「葵さん……」
「オマエ、観に来てたのか?」
「大活躍だったじゃない。おめでとう翔斗」
「サンキュ……って、でもまだ優勝したわけじゃないし──」
「明後日きっと、輝にぃに会えるわよ」
「えっ?」
翔斗が目を見開いたのを、桜はチラリと見上げた。
「やっぱりまだ知らなかったのね。輝にぃね、今箕曽園のコーチしてるの。その箕曽園も、別の球場でさっき勝ったみたい」
「マジかよ……」
興奮したような上擦った声を上げて、
「そうかもしんねぇとは思ってたけど、まさか本当に箕曽園にいたなんて」
翔斗くん、会いたいって言ってたもんね……。
良かったね、と桜は微笑ましく思う。
「せいぜい、気を付ける事ね。恐らく北条は初戦からマークされてるはずだから」
あれ??
「あぁ……、昔っから輝にぃは大人気なく容赦なかったな。相手の弱点を目敏く見付けて徹底的に突くのは天才的だったよ」
え、そういう人なの? と桜は解釈違いを起こす。
「翔斗、アナタの事もきっとリサーチ済みよ」
「だろうな」
ニッと笑みを浮かべると、
「〝岡田
もう既に、闘志に燃えたギラついた目つきをしている。三葉はそれを見ると微笑んで、
「楽しみにしてるわ」
それじゃあね、と立ち去ろうとするのを翔斗は呼び止めた。
「三葉! ありがとな」
「お礼なんて、別にいらないわ」
なんとなく、本当になんとなくだが、この二人の間には立ち入れない物がある──。そう感じてしまった桜は、一歩後ろに後退んだ。
それは私が知り得ない、幼い頃からの絆なんだろうな。
物凄く羨ましく思えるが、この春に出会ったばかりの桜にはどうする事もできない。少し沈んだ気持ちでいた為か、背後から近づく何者かに気付かなかった。
「会いたかったー♡ さーくらー♡」
と、後ろから抱き締められる。こんな事をする
「ヒ、ヒロちゃんっ?!」
「なかなか会えなくて寂しかったー! 桜携帯持ってねぇんだもん、やっと会えたー」
はぁ、幸せー♡ と言わんばかりに極楽に浸る千宏を、そうは問屋が卸さない。
「森ぃ!」と三葉の怒号がしたかと思うと、合気道よろしく、千宏は首根っこを掴まれ翔斗に取り押さえられていた。
「いってぇ……! テメー、試合出場停止にすっぞ!」
「暴力行為はしてない、二度目の現行犯を確保しただけだ」
「しょ、翔斗くん私は大丈夫だから……」
現行犯を確保って……。
「甘やかしちゃダメよ。さっ、アナタはここから離れて」
と、ボディガードのように三葉が桜の腕を取り遠ざける。
あぁっ、桜ー!! と千宏が喚くのを気の毒に思いながら、
「あの、葵さんありがとう。でも本当に平気だよ……」
「子供の頃からあんなヤツに付き纏われて、アナタも大変ね」
ここなら大丈夫だろうと、三葉は手を放す。桜は苦笑いして、
「ううん。確かに度が過ぎてる時もあるけど、良い所もあるんだよ」
野良犬やイジメっ子から守ってくれた事もあるし。桜は懐かしんで微笑む。三葉はジッと眺めると、
「まさか好きなの? 森くんの事」
「ええっ?! 違うよ! 全然そんな風に思った事ないよ!?」
千宏が聞いたらきっと悲しむだろう。三葉は少しだけ哀れむ。
「それに……」
桜は意を決したように口にした。
「それに私……翔斗くんが好きだから」
二人の真剣な眼差しがしばらく交わった。このまま女の戦いが巻き起こるかと思いきや、フッと三葉が笑う。
「今更? でしょうね、そんな気がしてたわ」
「ごめんなさい……」
「なんで謝るのよ。これでお互い宣戦布告って事で良いかしら。……桜ちゃん」
桜は目を丸くして一瞬言葉を失う。三葉に初めて名前を呼ばれた破壊力と言ったら! やがて頬を紅潮させると、
「受けて立つよ、三葉ちゃん!」
と、えくぼを覗かせて力強く言った。
「オマエさ、なんで邪魔ばっかするわけ」
千宏が恨み節のように声を漏らす。翔斗はようやく手を解いて、
「あのな、〝人に嫌がる事をするな〟って教わらなかったのか?」
呆れ気味に目を向ける。
「嫌がってねーし、桜は全然嫌がってねーし。俺らガキの頃からそういう仲だし」
絶対違う。
「ふーん?」
だが翔斗の片眉がピクリと動く。
「オマエ一緒に住んでるとか言ってたけど、俺は桜と一緒に風呂入った事も、一緒に寝た事もあんだからなっ」
「……それで?」
千宏は謎にドヤ顔をしながら、
「知ってるか? 桜には小さいハート型のホクロがあるんだぜ。まぁ体のどことは教えてやらんけどな」
「右胸だろ?」
翔斗はシレッと答えた。
「……へっ?」
「右胸のここら辺だろ」
と、自らの身体でその場所を指し示してみせた。
「オマ、嘘だろ……?!」
みるみると千宏の顔から血の気が失せる。どうやら正解らしい。今度はワナワナと肩を震わせ、
「よくも桜に……手、出しやがって……!」
次の瞬間、千宏は翔斗に殴り掛かった。──が、スルリと躱され未遂に終わる。
「オマエこそ、秋大 出場停止になるぞ」
「テッメー……!」
「こらっ森!!」
焦った三葉が走って駆け付けると、
「何してんのよ! 本気で秋も春もスタンドで過ごしたいわけ?!」
「ヒロちゃん……」
ハァハァと息を切らし、桜も駆けてきて、
「翔斗くんが──ウチの部員が何かしたなら、ごめんね……」
申し訳なさそうに謝られてしまい、千宏はギュッと口を噛み締めた。
「ほら、周りの人達もこっち見てる。騒ぎになる前に行くわよ」
三葉は千宏の腕を取り、連行して行く。すると急に足を止め、千宏は振り返った。
「おい、ショート!」
「ちょっと……」と制止しようとする三葉を無視し、
「宣戦布告だ。テメーは絶対許さねぇ、秋は覚えとけよ!」
それだけ言うと、三葉の手を振り切ってズカズカと歩いて行った。その様子を黙って見ている翔斗に、
「ねぇ、ホントに何があったの? ヒロちゃん凄く怒ってるみたいだけど……」
桜が心配そうに尋ねる。翔斗はポリポリと頬を掻くと、
「いや、何もしてないのに何かとんでもない勘違いをされたらしい」
「えぇっ?!」
と驚く桜をチラリと見やり、
「……まぁでも、とりあえず桜には謝っとくわ」
この言葉の真意が分からず、ますます困惑した。
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