番外編『ラブソングが見当たらない』

「カラオケなんて久々だなー!」

 受付で渡された、部屋番号の書かれたバインダーをヒラヒラさせながら武下は言った。

「僕もだよ。いつぶりか覚えてないや」

 と答えるのは、その横を歩く宮辺。武下は後ろを振り向いて、

「てか佐久間は人生初なんじゃね? 地元にカラオケなんかないだろ」

「バカにすんな、普通にあるし」

 翔斗は少しムッとしたような声を出す。確かに地元には数軒、カラオケが設置されたスナックはある……。つまるところ、片手で足りる数しかこれまでの人生で行った事がない。

「そういや、桜はよく行くとか言ってたな?」

 少し斜め後ろを付いていく桜は目線を上げて、

「うーん、でも高校入ってからは全然だよー。中学の頃は結構まりりと来てたけど」

 アコースティックギターを密かな趣味に持つ為か、唄う事は好きだ。たまに自室でかき鳴らし、翔斗に聴かれてしまう事もある。

「まぁ、野球部のマネしてるとなかなか遊べないよねー」

 と、武下が相槌を打つと、

「おっ、ココじゃん」

 案内された部屋番号に辿り着き、ゾロゾロと中へ入る。ドアの正面にソファーが向かい合わさっていて、モニターを横に見る配置だ。先に入った武下と宮辺がそれぞれのソファーの奥に座ると、翔斗と桜がその隣へと腰を下ろす。

「あ。わりぃ佐久間、トイレ行かせてくれ」

 武下がすかさず立ち上がる。ソファーの横側がピッタリ壁にくっ付いているので、隣に座る人を退かして反対側から出るしかない。

「ったく、座る前に行っとけよな」

 文句を溢しつつも素直に退いてあげる。「悪い悪い」と調子の良い様子で武下が退室していくと、翔斗は奥へズレて座り直す。

 ところで、何故この四人でカラオケに来ているのか。気になる所だろうが、ここは敢えて説明を割愛しよう。

「ねぇ、二人は普段どんな曲聴くの?」

 タッチパネル式の電子目次本、所謂デンモクを操作しながら宮辺が尋ねる。翔斗はもう一方のデンモクを弄りながら、

「ラルックとかかなー、歌えるかどうかは別として」

「ラルックか、良いね。早乙女は?」

 モニター下に設置されてある二つのマイクをテーブルに置き準備して、

「えっと、Lingoだよ」

「へぇ、少し意外! でも聴きたいな、早乙女の唄うLingo」

「あんまり期待しないでね。そう言う宮辺くんは?」

「僕はね……──」

 すると、スピーカーから軽快なイントロダクションが流れてくる。宮辺はマイクを掴む。ちょうどタイミング良く武下が戻ってきて、

「あー! もう始めてんじゃん! はえーよ王子。てか佐久間も何シレッと奥に座ってんだよ」

「即行で席立ったのテメーだろ」

「ほら退けよっ」

「嫌だし。めんどくさい」

「ちょっと、今から唄うんですけど」

 こういう時は何も口を挟まないに限る。男子三人のやり取りに、一人苦笑いを浮かべる桜であった。


 さすがと言うべきかやはりと言うべきか、マイクを握り締めたマネージャーの艶のある唄声に、三人の部員は口をポカンとさせる。曲を終え、その気配に気付いた桜はおずおずと、

「あの……何か変だった?」

 すると武下が首を左右に振り、

「ううん、良い……凄く良い」

「早乙女、『期待しないで』なんてとんでもないよ」

「鼻唄ですら上手いと思ってたけど、まさかここまでとは……」

 一斉に褒め言葉を掛けてくるものだから、桜はすっかり照れてしまう。

 と、武下の携帯電話が通知音を短く鳴らした。

「お、万理ちゃんからだ。もう少ししたら来るってさ!」

「え? まりりも呼んでたの?」

「まぁね!」

 冗談めかしくウィンクをしてみせる。

「他に一体、誰呼んだんだ?」

「あとはベッキーぐらいだけど、あいつは来れるか微妙っぽかった」

「むさ苦しい輩は来なくて良いよ。ただでさえ部屋狭いんだし」

 宮辺の言う通り、あまり広くない空間で身を寄せ合うのはかなり窮屈だ。

 そんな話をしていると次の曲が始まり、複雑なギターコードが特徴的なロック調の音楽が流れる。

「ラルックじゃん! 誰入れた?」

「俺」

 と、翔斗がマイクを掴む。

「ラルック唄えんのオマエ?」

「曲にもよるけど、これはたぶんイケる」

 そういえば翔斗くんが唄うところ初めて見るかも……と桜は静かに鼓動が高鳴る。

 結論から言うと完全にノットアウトされた。ロックにありがちな寄せた唄い方ではなく自然体でいて何より声質が良い。高域で少し声が掠れ気味になるのもグッとくる。(以上、桜談)途中、際どい歌詞を武下に野次られ足蹴りする一幕もあったが、それに気付かないぐらい桜は聴き惚れていた。なんなら、今度エレキにも挑戦してみたいな……などと思うのだった。

「はい、早乙女」

 と、宮辺がデンモクを渡す。

「あっ、ありがとう」

 桜はハッとなり、受け取る。

「次アレ唄ってよ、Lingoがナース服着てるやつ!」

「うん、いいよー」

 その曲といえば世間一般ではかなり攻めた内容の歌詞で有名だが、Lingoをこよなく愛し聴き込んでいる者にとっては認識が違う。何の躊躇もなく、桜はリクエストに応じる。武下が密かに、ナイスチョイスと宮辺に親指を立てている事も知らずに……。


「おっまたせー! ……って、あれ?」

 万理は部屋に入るなり、武下と宮辺が脛を抑えて蹲っている様を見て首を傾げた。

「どったの二人とも?」

「ま、万理ちゃん……」

 武下は少し顔を上げると声を絞り出して、

「刺客……刺客が現れたんだ」

「刺客?」

「それが、私が唄ってたら何故か二人とも蹲り出して……」

 桜が心配そうな面持ちで口元に手を当てる。宮辺に至っては言葉を発せない程らしい。万理の目が、一人涼しそうな男の顔を映した。

 ひょっとして……。

 まさかのたったこれだけで大方検討がついたらしい。「ちょっと詰めて」と武下の隣に腰を下ろすと、

「さくタン、久々に一緒に唄おー♪」

 何事も無かったかのような口振りに、

「えっ、う、うん……」

 桜は戸惑いが隠せず、困惑気味な表情を浮かべた。

「佐久間……、なんか恨みでもあんのか」

 相変わらず脛を抑えながら武下が小声で訴える。

「このセクハラ野郎共」

 翔斗が冷たく言い放つ。

「何をっ、唄聴いてただけじゃんか……」

「目がヤラシかった」

「うっ……、だからって本気で蹴るこたないだろ。宮辺なんか可哀想に、真正面から食らって再起不能だぞ。まさかオマエ──」

 言い終わらない内に、ジャズのようなオーケストラのような、リズミカルなメロディーラインが鼓膜を轟かす。

「ほらほら! ウチらの十八番披露したげるから、武っちも宮辺王子もいつまでも蹲ってないで元気出して!」

 マイク越しに万理が盛り立てる。単純な男子二人は、一瞬にして痛みが吹っ飛んだという。


 桜も然る事乍ら、小柳万理の圧倒的歌唱力の高さに度肝を抜かれスタンディングオベーションが発生したり、何故か翔斗と武下が某ロックバンドを二人で唄う事になり、これが意外とハマってライブ会場さながらの大盛り上がりとなったり、昨夏の選手権大会でテーマソングとなった曲をボルテージ最高潮に全員で大熱唱したり、遊び盛りの高校生らしい時間を存分に満喫していた。

「ねぇねぇ武っち、次これ一緒に唄わない?」

「うん、もちろん良いよ!」

 キャッキャッウフフと楽しそうにデュエットする武下と万理を見て、桜は目を細める。

 いいなぁ……。私も一緒に唄いたいけど、そんな事してくれるタイプじゃないもんねぇ。

 すると斜め前から腕が伸びてきて、テーブルをトントンと指で叩くのが視界に入る。桜が目を向けると、翔斗がデンモクに表示された曲目を見せ、自らと桜を指差した。その曲は二人が共通で好きな唄でもある。

 これって、つまり……。

 翔斗のジェスチャーを訳すると、「一緒に唄おう」という事だ。まさかの出来事に目を疑うが、嬉しさが込み上がり「うん!」と力いっぱい肯いた。(宮辺がトイレで席を離れていなければ、きっと阻止されていた事だろう……)

「あれま、珍しい光景」

 次の曲が始まり、マイクを取ったのが意外な二人で、万理は思わず口にした。普段だったら文句をつけそうな武下も、万理とデュエットしたのが満足だったのか上機嫌だ。そして友人も、今日一番の良い表情で唄っている。

 あらあら、そんなに嬉しそうにしちゃって……。

「それにしても、曲のチョイスがちょっと暗いわね」

 ラブソングのラの字も見当たらない。


 ちょうど唄い終えた頃、宮辺が戻ってきた。

「遅かったな、王子。そろそろ時間だってよ」

 と、武下が声を掛ける。

「それがさ──」

「おい武下! オマエ酷い奴だな!」

 凄い剣幕で後ろからやってきたのは長谷部だ。

「ベ、ベッキー?」

 何故ここに?

「何度も連絡したのに無視とはどういうこった! 誘ったのテメーだろ!」

「あ、わりぃ。電源落ちてたわ。てか来られないんじゃなかったのか?」

「『あ、わりぃ。電源落ちてたわ』じゃねぇ! 来られるようになったから場所聞こうと思ったのに、佐久間に連絡しても返事ねーし」

「携帯ずっとバッグの中だから気付かなかったな。すまん」

「僕も連絡来てた事、さっきようやく気付いて……」

「宮辺と連絡取れてホントに良かったぜ」

「にしてもエラく早く着いたな? さっき連絡取れたんだろ?」

 訝しげに武下が言う。

「どうせこの辺のカラオケ店だろうと思って、片っ端から探してたからな」

 と、少しドヤ顔をしている。一同は一瞬黙り込んだ。

「ベッキー、アンタちょっと気持ち悪いわね……。ストーカー予備軍になりそうよ」

 ドン引きの万理。

「あんだと小柳ぃ!?」

「ま、まぁまぁ。長谷部くんもそれぐらい楽しみにしてたんだよ、きっと」

「早乙女、分かってくれるのはオマエだけだ……」

 いや、だからと言って同じ事をするかというと絶対にしない。桜は返答に困る。

「だが残念だったなベッキー、もうお開きの時間だ」

 別に武下も意地悪で言っているわけではない。今日は休日。店側としてもこれ以上の延長ができないのもまた事実なのである。

「オマエら、俺の事が嫌いなのか……?」

 それは被害妄想というものだ。

「あーもう、めんどくさっ。じゃあもう一軒いけば良いだろ」

 翔斗よ、それではまるで「居酒屋もう一軒」の言い方だ。

「あっ、それ良いねぇ」

 指をパチンと鳴らして宮辺が乗っかる。

「しゃーねぇなぁ、どっか空いてるかな」

「ていうか、そもそもオマエが発端だかんな」

 翔斗がジト目で睨む。

「なになに? 武っち行くなら私も行くよ♪」

「オ、オマエら……」

 長谷部は感動でそっと涙を呑む。そんな様子を見て、桜はクスッと微笑んだ。

「あっ、桜ちゃん時間大丈夫? あんまり遅くなると監督に怒られるかな?」

「ううん。翔斗くんと一緒なら遅くなっても大丈夫だよ!」

 本人に他意はないが、笑顔でサラリと言うものだから、

 ん? それはどういう……?

 野郎と遅くまで一緒で大丈夫とは??

 監督からの佐久間の信頼、絶大だな……。

 佐久間くんはさくタンの保護者か何かなの?

 四人の心情が巡り巡る。少し居た堪れなくなったのかコホン、と翔斗は咳払いすると、

「さっさと行こうぜ。どこもいっぱいだったら嫌だし」

 と、腰を上げる。それを合図に、それもそうだなと各々支度をして部屋を後にする。

 一番最後に部屋を出た桜は、前を歩く翔斗の背中を見つめながらやっぱり、と思った。

 皆も私も楽しんでたけど、やっぱり翔斗くんが一番楽しそう! こんなにはしゃいでるの初めて見たかも。(ちょっと分かりにくいけど)

 新たな発見に一人喜びを噛み締める。ふと、前から鼻唄が微かに聴こえてきた。数時間前にが唄っていたロックバンドの曲だ。桜はこっそりとそのメロディーをなぞって、ハミングした。

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