第49話『思惑』

 前回、不甲斐ない形で降板した北条のエースは、その失態を挽回するかの如く、聖南打線に被安打一の無失点で五回表を終わらせた。

「強打! 強打のチームだって言ってんのにエグイっすよ岩鞍先輩!」

「さすが熟練サウスポー! やっぱオマエがいなきゃダメだ、岩鞍!」

「この顔面男前! もう一生ついてく!」

 ベンチからの黄色い声援に、苦笑いを浮かべ「サンキュ」と返す。すると、こちらを見つめてくる視線に気付いた。

「何か言いたい事がありそうだな、伝説の男?」

 と、爽やかに声を掛ける。宮辺はムカッとして、

「そのネタいつまで引きずってんですか!」

「自分でネタって言っちゃうのか」

 思わずツッコむ。

「ていうか、そんなに飛ばして大丈夫ですか? 後半満塁になっても知りませんからね!」

 もちろん嫌味だ。

「ハハッ、宮辺は本当優しいなー」

 と笑顔で返すと、

「心配すんな。今日はオマエに代わらせやしないさ、絶対に」

 いつになく真剣な眼差しでマウンドを眺める岩鞍に、宮辺はいつもの減らず口が叩けず、息を呑んだ。

 この人がこんな表情を見せるのはいつぶりだろうか。

 なんだか急にやるせない気持ちになり、唇をギュッと噛んで試合に目を向ける。裏の攻撃に入ったバッターボックスには、一昨日うっかり自らの恋情を吐露してしまった(尤も特に隠していたわけではないが)が立っていた。

 宮辺は、ベンチでスコアブックを付けている恋慕の相手を見やる。鉛筆を握り締めながら、バッターボックスに向かってこれでもかという程の声量で喝を入れる彼女に、また声枯らしても知らないよ……と、ほろ苦そうに片眉を下げた。


「だっせ、フライアウトしてやんの。打ち上げちゃダメだよ、打ち上げちゃ」

 相変わらずスタンドで観戦を続けていた千宏は、北条の攻撃を一人冷やかす。

「せっかく桜が大声援送ってくれてるのに、無駄にするとはバカだねー。あのショート」

 カカカッと愉快そうに笑っていると、

「アンタも、一人で野次ってバカみたいよ」

 突然通路側から声が聞こえ、「あん?」とその人物を確認すると、千宏は思いっきり顔を強張らせる。

「あら、まるで鬼と遭遇したみたいな表情をしてるけど……どうしたの?」

 と、わざとらしく美しく微笑むのは三葉だ。

「鬼……出た、目の前に……」

 何故か片言になる千宏に、

「シメられたいの?」

 三葉はゆっくりと鋭い目を向けた。

 ヒッと短い悲鳴を上げ、

「──って、何しに来たんだよ葵!」

「なに? オフの日に近所こっちの球場でやってる試合を観に来ちゃいけないルールでもあるのかしら?」

 千宏から少し間を空けて腰を下ろすと、澄まして言った。

 何故ここに座る……と思いながら、

「へー。てっきり目当てかと思った」

 と、顔をグラウンドに向けたまま前のめりになって頬杖をつく。三葉はジロリと睨み、

「……秋大は負けられないから、偵察よ、偵察。翔斗は今後もキーマンになるだろうし」

 偵察、ねぇ……。

 フンッと鼻で笑う千宏を横目に、

「そういうアナタこそ、自主練もしないでこんな所で油売って。よっぽど打撃に自信があるようね?」

 痛いところを突かれて思いっきり顔を顰める。

「うっせ。その言葉、今に後悔させてやんよ」

 もちろん強がりである。

「ふーん? それは楽しみだわ」

 余裕たっぷりに微笑みを返す三葉に、このアマ……いつか絶対ギャフンと言わせてやるっ、と堅く決心した。

「てかオマエ、ここじゃなくて別のトコで観ろよ」

 休日にまで嫌味を言われるのは不本意だ。

「まぁ拗ねないでよ。これでも結構、森くんの事は買ってるんだから」

「えっ」

 まさかの言葉に千宏は面食らった。

「部の中でも足の速さはダントツだし、盗塁のセンスも良い。守備の動きだって悪くないと思うの」

 これは本当にあの鬼マネージャーか? と一瞬疑う。そんな評価をされていたとは思いもよらなかった。

「打撃を伸ばせば、間違いなく主力になれるはずよ」

「葵……」

 しばし見つめ合いが続き、二人の間に何かが芽生えそうな雰囲気だ。やがて千宏が口を開き、

「悪い。どんなに持ち上げても俺は桜みたいな可愛い系がタイプ──」

「光栄だわ。私も森くんは全く好みじゃないの」

 やはり何も芽生えなかった。


 どちらもノースコアで前半戦が終わり、聖南の四番を務める打者が、ベンチに戻ってくるなり溜息混じりに言った。

「くっそ、やっぱ北条の絶対的エースと言われてるだけあるな……なんなんだよあの球」

 それを聞いた三番打者は相槌を打ち、

「あそこまでキレのあるスライダー投げられちゃ、捉えらんねぇな」

「岩鞍攻略法を持ってしても一安打がやっととは。誰だよ、あいつ調子崩してるとか分析した奴?」

 四番打者が恨めしそうに睨むと、

「……俺ですが何か?」

 三番打者は少し気まずそうに、だが負けじと睨み返す。

 ここで争っていても仕方がない。

「まぁいいや」

 軽く肩をすくめると、

「俺達で先陣切ってチームに勢いつけようぜ。岩鞍さえ引っ込ませちまえば控えは一年だ、こてんぱんに打ちのめしてやる」

「オマエ……今最大級に悪い顔になってるぞ」

 フヒヒ、と不敵な笑みを溢す四番打者を見て、三番打者は引き気味に言った。


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