第43話『吹っ切れた想い』
七回裏の劇的な攻防の後、八回はどちらも点数が動かず、古賀学園が一点リードしたまま迎えた最終回、ワンナウト走者一塁で打席に立った惣丞は堪らず武者震いをする。
やっべぇな……ここでホームラン打ったら、俺マジ英雄じゃね?
実際、三回表にはツーランホームランを放ち先制点をあげている。その時と同じく嶋谷が出塁している事もあり、逆転のチャンスに気持ちが最高潮に高まる。
しかし、ここで古賀学園のバッテリーが選んだのは敬遠策だった。
「勝負しろバッキャロー!」と惣丞の遠吠えを聞きながら、続く四番の大貫が打席へ向かう。……今試合、ヒットが一つもない。
キャプテンでありながら、四番でありながら、ピッチャーを一番近くで支える女房役でありながら……。
不甲斐ない結果でチームを敗北させる事など、北条、いや己の信念の下で絶対にあってはならない。大貫の気迫は十二分だった。(後に、殺されるかと思ったと古賀学園のピッチャーは語っている)
それで圧倒されたわけではないだろうが、アウトコースを狙って投げられたボールが甘く入った。
大貫は、見逃さなかった。
バットの芯で捉えた打球は、執念を見せつけるかのように放物線を描き、青空のよく映える外野スタンドに入っていく。
「ス、スリーランホームラン!!」
球場内がこの日最大のボルテージで湧き上がる。
北条は土壇場で三点を追加し、結局これが決勝点となり、五-三で古賀学園を下した。
九回裏に最後のアウトを取った瞬間、桜は嬉しさのあまり涙が出そうになった。だが、決勝戦で勝つまでは泣かないと決めていたのでそれは先の機会まで取っておこうと堪え、代わりにベンチへ戻ってきた選手達と笑顔でハイタッチを交わしていく。すると最後に戻ってきた翔斗を見るなり、条件反射で桜はピタッと手を止める。あ……どうしよう。
翔斗は無表情で自ら掌を寄せると、一瞬だけ触れるタッチをした。およそハイタッチらしくない、壊れ物に触れるような優しい手つきに、桜は想いが込み上がりそうになりサッと手を引っ込める。それを見て翔斗は眉を寄せた。
「あ、ごめ……違──」
桜は弁解しようとすると、
「オイそこの二人! さっさと支度しろ! 置いてくぞ!」
と声が掛かったので、その機会を失ってしまった。
「次の試合は六日後かー。待ち遠しいな、シマ!」
「毅、最後敬遠されてたもんなぁ」
「俺の見せ場を潰された恨みは、次で晴らしまくってやる!」
「ははっ、頼むぜ」
「そういや岩鞍の奴、一週間は安静にしなきゃいけないんだろ? 大丈夫なのか?」
「捻挫の一種だってな、本人は笑ってたけど……となると、今度の登板は宮辺か」
「打線で後押ししてやんねぇとなー」
「そうだな。今日の投球内容なら問題なさそうだけど、あいつ最近機嫌悪いから」
「ホントだよ、近寄るのこえーもん」
惣丞と嶋谷は談笑しながら制服に着替え終えると、部室から出た。ちょうどそこへ──、
「あ、お疲れ様です!」
桜が通りかかる。
「よぉー、桜っちもお疲れ」
「早乙女まだ残ってたのか?」
「はい! でも後は着替えて帰るだけなので」
ニコッと微笑む。惣丞もつられて笑い、
「そっか。もう誰もいなかったから部室で着替えて平気だぞ」
「気を付けて帰れよ」
優しい表情で嶋谷は手を挙げる。
ありがとうございます、と二人を見送り踵を返すと、桜は驚きすぎて心臓が止まるかと思った。
どこから現れたのか、翔斗が立っていたのだ。ユニフォーム姿という出で立ちで、両腕を組み壁に凭れ掛かっている。
「翔斗くん……まだ、帰ってなかったの?」
心なしか声が震える。
「外周走ってて」
と、凭れた体を離し、
「少し話したいんだけど、良い?」
「は、話……?」
「最近俺の事避けてんじゃん」
翔斗は歩み寄る。
「ダ、ダメ……」
桜の声にピタリと立ち止まる。
「なんで?」
だってそんなの、言えるわけないよ……。
今が夜で良かったと桜は思った。昼間の明るさだったら、自分が如何に真っ赤な顔をしてるかバレてしまうから。
だがそんな事を露も知らない翔斗は、ハァーッと長い溜息を吐き、
「まさかここまで、嫌われたなんてな……」
ポツリと溢れた声が力なく聞こえた。
もういいわ、と言うと翔斗は着替える為に部室へ向かう。
あっ。私、なんて事を……桜は一気に後悔した。
翔斗くんを傷付けてた事に気付かないなんて、私最低じゃない。
もう既に、自分本位な事をしていた。
桜は「待って!」と駆け出した。──が、焦っていて足元をよく見ていなかった為、段差に躓き、あろう事か翔斗の背中に思いっきりダイブしてしまう。
「……大丈夫か?」
「ご、ごめんなさい!」
桜はすぐに背中から離れるが、しばらく考えた後、頭をコツンと再びくっ付ける。
翔斗は息を詰め、「桜?」と少し困惑する。「ごめんなさい……」と言う桜の声が、後ろから微かに聞こえてきた。
「ごめんね、本当にごめんなさい。ごめん……ごめんなさい」
何度も謝っているのが、背中にぶつかった事ではないと、翔斗は察した。
「もう、分かったから」と宥めようとするが桜はかぶりを振って、
「違うの。ちょっと頭の中混乱しちゃってて……誤解させてごめん。嫌いなわけ、ないよ……」
むしろ好きだよ、と心の中で呟く。翔斗は静かに息を吸い、
「うん……俺もこないだはキツイ言い方して、悪かった」
「それは私の態度が良くなかったから──」
「桜、俺汗臭いからできれば離れて欲しいんだけど」
「あ! ごめんね!」
素早く離れ、でも翔斗くん全然臭くないよ! と念の為付け足す。
翔斗は振り返ると、間髪入れずに桜の頭を両手で挟み顔を上に向けさせた。
「?!」声なき声を、桜は上げる。
「久しぶり」
「へ?」
「こうして顔合わせて話すの、久しぶりじゃん」
外灯が薄明るく翔斗を照らす。はにかんだような表情に、桜の顔の熱は益々高まる。
「応援して欲しいとか言ってたクセに、軽薄な真似して混乱させて、本当にスマンかった」
あまりにも真剣な眼差しなので、目を逸らせなくなった。
あぁ……やっぱり翔斗くんは、野球に一生懸命で、そして誠実な人……。
桜は何とも言えない気持ちになり、曖昧に笑う。何かが、吹っ切れた気がした。
「私ね、信じてるよ。翔斗くんが甲子園行くの、ちゃんと見届けるから! だから……」
「好き」を向けるのは難しくても、純粋に応援する事はできる。いや、それぐらいしか今はできないのかもしれない。だったらせめて──。
「これからも側で、応援しても良いかな?」
──せめて、せめて側で、アナタを支えたい。
翔斗は何度も目を瞬かせるとフッと笑い、
「当たり前だろ! てか見届けるなよ、一緒に来い」
嬉しそうに、両手で掴んでいた桜の頭を、わしゃわしゃと撫でくり回した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます