第41話『捨て身の攻撃』

 六回表──スコアボードにはどちらも二点が表示されている。

 七番バッターの選球眼の良さでフォアボールを選び一塁に進塁、ワンナウト走者一塁という場面で翔斗はバッターボックスに入る。ベンチの監督のサインを確認し、翔斗はそっと頷いた。


「あれ?」と呟く武下の声を、隣で観戦する万理はしっかりと聴いた。

「どうしたの武っち?」

「あ、いや……あいつがバントの構えするなんて珍しいなと思って」

 と、打席に立つ翔斗を見る。

「ふーん。ていうか、バントって何のためにするの? あんなの、すぐアウトになっちゃうじゃない」

 野球に興味がないので当然セオリーも知らない。

「あぁ。今みたいな場合、ランナーを次の塁に進めさせるためだよ。もっとも、打者はアウトになる確率が高いからツーアウトだと使えないけどね」

「ほぅ……」

「でも送りバントを成功させるのって実は簡単な事じゃなくて……まぁ俺レベルになるとワケないけど。佐久間は確か苦手だったはずなんだよなー」

「ほほぉ……?」

「いや武下、小柳こいつ全然分かってねぇから」

 すかさず長谷部が横からツッコんだ。

 こういった場面でバントをされるのは相手チームも想定内だ。それならば守備位置を調整すれば良い。

 あわよくばゲッツーでスリーアウトチェンジ♪

 そんな心の声がマウンドから聞こえてきそうである。

 翔斗は静かに息を吐く。ピッチャーが投球すると同時に寝かせたバットを後ろに引く。タイミングを合わせ、来たボールをスイングして叩きつけた。

「バ、バスター !」

 そっか、これなら有効だと武下は思った。

 バスターとは……? 万理の疑問がまた一つ増える。

 作戦は良かった。だが無情にも、勢いがついた打球は三遊間へ向かって抜けようとして──セカンド寄りにいたはずのショートが、決死のダイビングでキャッチしたのだ。球場内は響めいた。

「ショートライナー!」

「嘘だろ、今の止めるかよ……」

「しっかしショートの好プレーに阻まれるなんて、佐久間も皮肉なもんだな」

「ははっ、だな……」

 武下と長谷部の言う事に、やはりちんぷんかんぷんな万理だった。


 走者は一塁から動けず、結果アウトを一つ増やしただけとなり、翔斗は悔しい想いでベンチに戻る。正直、監督の顔を見るのが恐ろしいところだが、

「結果が残せずすみません」

 と、ここは素直に謝る。

「……相手の守備が良かった、それだけの話だ。オマエが悪かったわけじゃない」

 と言いながらも、周りがビクビクする程監督の威圧感が凄い。

「はい……」その空気をもろともせず、翔斗は平然と水分を補給する。

 こいつ、心臓に毛が生えてるのか?!

 監督の威圧を前に鉄壁の精神力……!

 俺こないだ目で責められた時一イニングは動けなかったぞ……

 さすが監督ん家に住んでるだけの事はある。よっ! メンタルゴリラ!

 部員達が心の中で拍手喝采を送るなか、宮辺は相変わらずぶっきらぼうに翔斗を眺める。

 その脳裏に、桜の言葉を浮かべた──。

『あぁ私、好きなんだ……と思ったら翔斗くんにどう接したら良いのか分からなくなっちゃって……』

 夕陽を背に、続ける。

『だって、甲子園目指してひたむきに頑張ってる人に恋だの何だのって……そんな自分本意な気持ち、向けられるわけないよ』

 だからね、これは隠し通さなきゃ──。

 その時、桜の顔はよく見えなかったがきっと切ない表情をしていたんだろう。宮辺は尚も翔斗に視線を送る。

 ったく、こんなメンタルゴリラのどこが良いんだか。早乙女も変に頑固だよ、好きな気持ちを抑えるなんて自分がツライだけじゃん。僕なら──。

「僕なら、キミを受け止める事ができるのに」

「……はぁ?」

 つい溢れてしまった声を横にいた田城が拾った。訝しみながら、

「オマエな、さっきから何熱心に佐久間の事見つめてんだよ」

「いや誤解ですし!」

「キャッチャーに転向するのは結構だけど、先発ピッチャーが粘ってんだからそっちをちゃんと見ろよ」

「だから違いますって……えっ、あの人まだやってるの?」

 思わず敬語が抜けた事に気が付かないまま、打席に目をやった。


 宮辺が物想いに耽っている間に、走者は二塁を盗む事に成功する。九番バッターで出陣した岩鞍はフルカウントまで持っていき、際どい球は全てカットしてファウルボールにする。

「おい、岩鞍あんなに食らいついて大丈夫か?」

「ツーアウトで無理するのも分からんでもないけど、まだ四イニング投げるだろあいつ……」

「まさか、捨て身の覚悟じゃないよな……」

 ベンチでそんな声が上がっている事も知らず、岩鞍はバットを振り抜いた。打球は、一二塁間を転がっていく。

 勝てば甲子園に近付けるが、負けたらここで引退──俺達三年に次なんてない。後悔してからじゃ遅いって事を大会中に何度も痛感させられた。ましてや自分はピッチャー、チームの命運を握っていると言っても過言ではない。与えてしまった得点は自らが奪いに行かないと、きっと後悔する。

 ヘッドスライディングなんてほとんどした事がない。というより、手にケガをしたら大変だから普通ピッチャーはしない。それでも頭で理解している事と行動は違う。

 気が付けば、岩鞍は地面を蹴り一塁目掛けて腕を伸ばしていた。

 一塁審が「アウト」とコールする前から間に合わない事は分かっていたはずなのに。

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