球児、天使に避けられる。

第36話『可哀想なおむすび』

「なぁ、オマエ桜ちゃんに何かしたの?」

 なかなか鋭い発言をする武下に、翔斗は一瞬言葉に詰まる。

「別に? なんもねぇよ」

 と平静を装ってみせるが、

「嘘つけ! 朝から桜ちゃんの様子が変だぞ。なーんか佐久間にだけ余所余所しいじゃん」

 ジロリと睨みつけてくる。

「だからなんもねぇって……」

 言葉とは裏腹に、翔斗は昨日の事を思い浮かべた。

 結局の誤解が未だに解けないままだ。一応釈明はしたのだが、「そうなんだ」という空返事が返ってきただけで、納得しているようには見えない。

 いや、ていうか桜にどう思われようと関係ないけどなっ。

 そう自分に言い聞かせるものの、桜の態度がつい気になってしまう……。

「まぁ俺としては、このままでいてくれる方が好都合だけど?」

 武下はニッカリと笑う。

 時々こいつの勘働きが恐ろしい……。

 翔斗は横目で見ながら、「しつこい」と言ってやるのが精一杯だった。


「では明日のスタメンを発表する」

 午後練が始まると、早乙女は開口一番に言った。

「先発は宮辺」

 言われた瞬間、喜びの余り宮辺は小さくガッツポーズをする。

「一番ライト嶋谷、二番セカンド惣丞、三番───七番ショート佐久間、」

 翔斗は目を見張る。前回の打順は八番だったので昇格という事だ。

「──九番ピッチャー宮辺。尚、岩鞍にはどこかのタイミングで継投に入って貰うから準備しておくように。以上!」


「良かったな、先発じゃん」

 岩鞍が肩をポンッと叩いてきた。嫌味などではなく、心からそう言ってくるエースに宮辺は苦い表情をする。

「なんて顔してんだよ、オマエ」

「いや、ライバル相手によく喜べますね」

 僕だったら絶対できない……したくもない!

 岩鞍は少し笑って、

「後ろには俺がいるから、思いっきり投げてこいよ。頑張れ」

「──はぃ」

 宮辺が素直に返事するのは珍しい。明日は雪でも降るかも? と冗談で思った。


 喜ぶ者もいれば哀しむ者もいる。

「嘘だろ、クリーンナップから外されたんだけど……!」

「毅、どーんまいっ」

 嶋谷が愉快そうに惣丞の肩をポンと叩く。

「ちくしょー、おい翔斗! オマエの打順が上がったせいだコノヤロー!」

「え、俺のせいですか?」

 まさかの矛先に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。

「大丈夫だよ佐久間、こいつ冗談で言ってるから」

「バッキャロー! 翔斗、ぜってぇ凡退で終わるなよ。その時はどうなるか分かってるだろうなー」

 惣丞なりの励ましである。翔斗は思わず笑って、

「はい、もちろん! 惣丞さんもホームラン期待してます!」

 と言ってやった。


 大会期間中は午後練で夜食を出す事になっている。この日も桜は大量のおむすびをやっとの思いで作り、コンテナボックスに入れ、グラウンドへ運んでいると、

「持とうか?」

 と、後ろから部員の声が掛かる。

 二つ重ねているので、普通の女子ならきっと持てない程相当重い。半分持って貰えるだけでも正直物凄く助かる。

「ありがとうございます……」

 と振り返ると、「翔斗くん」と小さく呟いた。

 翔斗は何も言わず、ボックス二つを桜の手から軽々掴み持つ。

「いいよ、自分で持てるから」と手を伸ばすが、

「遠慮するなよ。後ろから見てフラフラだったぞ」

 桜はグウの音も出ない。

「ありがとう」とだけ言うと、二人の間に微妙な空気が流れる。

「なぁ……」歩きながら翔斗は切り出した。

「まだ誤解してんの? 昨日の事」

 ピクリ、と桜の肩が動いた。

「…………」

「だから言ってんじゃん、あれは──」

「別に、どう思おうと私の勝手じゃない」

 翔斗は珍しくカチンときて、

「そりゃ勝手だけどなぁ、ずっとそんな態度されると良い気分しねぇよ」

「私だって良い気分してないもん。目の前で、あんなの見せられて」

「はぁ? 見せたくて見せたわけじゃねぇし、それになんで桜がそこまで怒るんだよ!」

「お、怒ってなんかないよ! そっちこそ誤解しないで」

 ああ言えばこう言う、とはこの事だろうか。

「怒ってんじゃん。何が気に入らないわけ?」

「そんなのっ……もう、いい」

 グッと唇を噛む。

「マジで意味分かんねぇ」

 はぁ、と翔斗は溜息を付くと、

「分かって貰おうなんて、思ってないよ……」

 桜はポツリと言った。

「何だよそれ?」

「ちょっと、どうしたんだよ二人とも! グラウンドまで聞こえてんぜ?」

 慌てた様子で武下がやって来た。

「なんでもねぇよ」

 と、翔斗が少しイラついている。

「なんでもないったって……」

 武下はチラッと桜を見ると、

「運んでくれて、ありがとう」

 そう呟きながら、翔斗が持っているボックス二つを取り上げる。翔斗は返す言葉が出てこない。

「え、え、持つよ?」

 オタオタする武下に、「ううん、大丈夫」とその場を後にした。

「ったく、なに珍しく感情的になってんだよオマエ」

 呆れた口調で問い掛ける。

「俺だってよく分かんねぇし」

「明日試合だぞ、俺的に不本意だけど早く仲直りしろよ。このままじゃ周りにも影響出ちまう」

 翔斗はしばらく黙ると、「あの頑固者……」と桜の後ろ姿を見つめる。

 当の本人は大重量を持って相変わらず危なっかしい足取りだ。次の瞬間、見事にずっ転けておむすびが無惨な状態になった。

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