第34話『憧れの存在』
「やぁ、おはよう早乙女!」
朝練の準備をしていたところに、いつにも増して爽やかさを纏った部員から声を掛けられ、桜は思わず微笑んだ。
「おはよう、宮辺くん。今朝は早いんだね」
「明後日二回戦だからね。使って貰えるように調整しとかないと!」
明後日の先発は明日発表される。
「私も、宮辺くんが公式戦のマウンドで投げる姿を早く見たいな」
まるで天使のような笑顔で言うので、宮辺はドキッとしてしまう。
まったく、この子は素で男を勘違いさせるんだから……そう思いながら苦笑いすると、
「ねぇ早乙女、ちょっとキャッチボール付き合ってよ」
「えっ! で、でも私……本当に投げるの下手だよ?」
謙遜しているわけではない。部の間でも桜の大暴投癖は有名で、野手陣なんかは捕球の練習で使ったりもする。(ただし遊びで)
「いいよ。受けられさえすれば」
と言って、グローブを桜に投げ渡した。
「い、いくよー」
桜は声を掛けると、「まっすぐ飛びますようにまっすぐ飛びますように……」と呪文のように心の中で念じながらボールを投げる。まっすぐ、とはいかないが取るに難しくない方向に飛び「今日は調子がいいかも」と桜はホッと胸を撫で下ろした。
女子相手なのでもちろん手加減はしているのだろうが、それでも、宮辺の投球をキャッチする度にビリビリと手が痺れて、さすがピッチャーだなぁと妙な感心を抱いていると、
「早乙女、一つ聞いても良い?」
ボールを投げながら宮辺が尋ねた。
「うん?」と返球が逸れてしまい、桜は「ごめん!」と慌てて謝る。明後日の方向に転がったボールを宮辺は拾い上げると「ワイルドピッチ!」と冗談混じりに笑い、
「あのさ……キミは佐久間の事どう思ってるの?」
急に真面目な顔を見せた。
「え……」
思いがけない質問に面食らい、「どうして?」
「なんとなく。前から聞きたくて」
ボールは握り締めたままだ。
どう答えて良いものか少し迷うが、自分をまっすぐに見る宮辺の目が真剣に思えて、桜は切り出した。
「私ね……中学の頃は放送部で、それまでアナウンスに全てを掛けてたの」
グローブにキュッと力を入れる。
「でもあの日……中体連の野球大会決勝戦、放送席から見た試合風景があまりにも印象的で、忘れられなくて。大袈裟だけど、その人は私の人生を大きく変えたんだぁ!」
フフッと柔らかく微笑む。
「それって、若鷹中が優勝したあの試合?」
「そう。接戦が繰り広げられるなか、特にその人の守備は目を惹いて、〝どんな打球も絶対にアウトにしてみせる〟と言わんばかりに捕球する姿は、本当に圧巻だった……」
宮辺は黙って桜の話に耳を傾ける。
「なんて凄い人なんだろうって心が震えたの。たぶん、一目プレーを見た瞬間から……私は〝この人を応援したい〟って思うようになったのかもしれないね」
「その人が、佐久間だったんだ?」
「……うん!」
今まで見た事もないようなとびっきりな笑顔に、宮辺は見とれてしまう。
「だからね、翔斗くんを側で応援できて今はとっても嬉しいんだぁ」
「そっか……」
桜の穏やかな表情に、つられて微笑むと、
「早乙女にとって、佐久間は憧れの存在なんだね」
「そうハッキリ言葉にされると、恥ずかしいけど……」
「という事は、僕にもまだチャンスはあるって事かな」
宮辺がポツリと呟く。
「え?」
「ううん、何でもない」
ニコッと笑いかけ、
「話してくれてありがとう。さ、キャッチボールの続きしよ!」
「よっ、佐久間」と後ろから肩をポンと叩かれ、振り返ると、
「田城先輩。おはようございます!」
「おはよ」
優しい表情で微笑み、翔斗と肩を並べて校門をくぐる。
「二回戦の相手は窪川だなー」
「初戦、延長をサヨナラ勝ちしてましたよね」
「粘れる打線は侮れないよ。こっちも気を引き締めて挑まないと」
「はい!」
翔斗の頼もしい返事に笑みを浮かべながら、
「そういや、今日は白付と箕曽園の試合か。注目の一戦だな」
「そうですね……」
少し考えるような仕草に田城は首を傾げ、
「どうかしたか?」
「あ、いえっ。なんもないです!」
取り繕うように笑ってみせる。
そう? と特に気にするでもなく、話題は明後日のスタメン予想へと変わった……。
ったく、森のヤツどこに行ったのかしら!
もうすぐ試合が始まるというのに、三葉は球場内を走り回る羽目になっていた。
というのも、応援要員である千宏がスタンドからいつの間にかいなくなり、周りにいた部員によるとトイレに行ったとの事だが、一向に戻って来ないので「サボっているな」と踏んだ三葉はこうして連れ戻しに奔走しているというわけだ。
あんの野郎、見つけたらタダじゃおかないんだから。ペナルティ10倍にしてやる! と、少々口が悪くなってしまう。
角に差し掛かって、人が来ている事に気付かずスピードそのままに駆けていた三葉は勢い良くぶつかり、尻餅をつく。
「きゃっ!」
「ごめん! 大丈夫?」
男が手を差し出すと、三葉はその手に掴まり、「ごめんなさい、走ってた私が悪いんです」と立ち上がる。
「ケガはない?」
「はい。本当に、すみませんでした」
申し訳なく思い、頭を下げる。
「元気があるのは良い事だよ、三葉」
男はクスッと笑いサングラスを取った。
「──え?」男の顔をバッと見ると、
「輝にぃ……!」
いつもポーカーフェイスな三葉の表情が、崩れた。
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