第30話『覚悟の表明』

 県大会が四日後に迫ったこの日の練習終わり、監督の早乙女が部員一人一人の顔をしっかり見ながら口を開く。

「明日の午後練にベンチ入りメンバーを発表する。これが最終決定だ」

 部員達の顔に緊張が走ったのが分かる。

「はっきり言って、今回は決めるのが非常に難しかった。背番号を貰えない者も胸を張って欲しい。以上!」

 ありがとうございました! と野球部員の挨拶がグラウンドに響き渡るが、しばらくその場から誰も動けずにいた──。


 お風呂上がりの翔斗が脱衣所から出ると、ちょうど茜がお盆を持って通りかかった。

「お風呂頂きました。あの、それ桜に?」

 お盆の上には何錠かの薬と水が乗っていた。

「えぇ、そうよ」

「……自分が持って行っても良いですか? 様子、見たいんで」

 茜はほんの数秒翔斗を見つめ、

「じゃあ、お願いしよっかな」

 と、微笑んだ。


 コンコン──。

 桜の部屋のドアをノックし「薬持って来たぞー」と声を掛ける。中から何の反応もないので、「入るぞ?」と言ってドアを開けた。

「あ、ごめんね……」

 桜が身を起こし、ベッドから降りようとしているのを見て、

「いいよ、そのまま座ってろ」

 翔斗は部屋に入りベッドの側まで来ると、お盆を床に置いて腰を下ろす。

「風邪……移っちゃうよ?」

 翔斗は笑って、

「今まで移った事ないよ。手、出して」

 言われた通りに桜は手の平を差し出す。その上に、翔斗は一つ一つ包装シートから錠剤を押し出して乗せていく。

「じ、自分でできるよ……」

 桜は恥ずかしさから言うが、

「こんな時ぐらい遠慮すんなって」

 そういう事じゃ、ないんだけどな……。

「ほら、飲んで」

 翔斗は水を渡した。

「ありがとう……」

 手の平の薬を一気に飲み干し、ふぅっと息をつく。

「顔色、良くなってきたな」

「うん。もう熱も下がってきたし、平気だよ。明日の午後練には行けそう」

「そうか。けど無理すんなよ」

「ありがと。あの、練習はどう……?」

 数日間休んでいるので一番の気掛かりだ。

「あぁ、今日ノック地獄で皆死んでた」

 言葉とは裏腹に、ハハハッと笑っている。桜は「そうなんだ」と気の毒そうに苦笑いする。

「明日、午後練でメンバー発表だって」

「そっか……」

 このメンバーに入る為に、部員達がこれまでどれ程頑張ってきたかを桜は知っている。

 どうせなら皆が試合に出られたら良いのに……とは常々思うが、高野連のルールがそうさせない。

「じゃ、ちゃんと寝とけよ」

 翔斗はお盆を持って立ち上がった。

「うん。……ねぇ、翔斗くん」

 翔斗がドアノブに手を掛けようとしたところで呼び止める。

「メンバー入り、すると良いね……」

 翔斗は桜の顔をしばらく見ると、

「あぁ! サンキュ」

 ニッと笑い、部屋を後にしたのだった。


「っあー、俺今日めーっちゃ緊張するわ」

 朝練の前にトンボをかけてグラウンド整備しながら、武下が楽しそうに口を開いた。

「そうは見えないけど?」

 冷静に翔斗がツッコむ。

「僕も緊張してる。今までの大会でもこんなに緊張しなかったのに」

 と、宮辺は笑う。

「こういう時に桜ちゃんがいてくれたら癒されるんだけどなぁ……」

「早乙女と言えば、体調はどうなの?」

「昨日の夜に様子見た感じじゃ、熱も下がったし大分良いよ。今日の午後練には出てこられるって」

「それは良かった」

 宮辺はホッと安堵している様子だ。

「はー、しばらく桜ちゃんに会えてないからすげぇ淋しいわ……」

「ホントそれ。早く顔が見たいよ」

「ったく、オマエら大袈裟だな」

 翔斗は一人手を休める事なく、もくもくとトンボをかけている。

「こいつ、桜ちゃんといつでも顔合わせられるからって超ムカツクんですけどー」

「妬ましい奴。独り占めなんて反対!」

 二人からの非難に、こいつら監督も住んでる事忘れてないか……? と翔斗は内心思った。


 桜はフッと目を覚ます。体を起こすが怠さもなく、すこぶる調子が良い。思いっきり伸びをし、体をほぐしていく。

 時計に目をやるとお昼を過ぎた頃だ。ここずっとお粥しか口にしていなかったからか、なんだか妙にお腹が空いている。桜はカーテンと窓を開け、爽やかな空気を体いっぱいに吸い込む。

 うん、もう大丈夫だ。


「あら、お腹空いたんでしょ?」

 台所に入ってきた桜を見て茜が言った。

「うん。ペコペコ」

 見透かされている事に少し照れる。

「待ってて。栄養たっぷりのもの、すぐ作るから」

「ありがとう。あとね……」

 桜は手持ち無沙汰に髪の毛を弄って、

「ご飯食べた後、ちょっとお願いがあるの」

 茜はキョトンとした顔で娘を見た。


 放課後、練習場へ向かった翔斗は部室の前で佇んでいる武下に声を掛ける。

「なにしてんだ? こんな所に突っ立って」

 武下はゆっくりと翔斗の方を向いて、

「なぁ。今練習場で準備してる女子、誰?」

「はぁ? 誰って……桜だろ」と眉を寄せる。

 何を当たり前のこと聞いてんだ?

「でもよ、髪がボブだぜ?」

 武下が指差す方向を見て、本当だ、と思う。遠目からなので顔は見えないが、桜にしては髪の長さが足りない。

 じゃあ、誰だ?

 その女子が、翔斗達に気付いて近寄ってきた。

「……え?」

 翔斗と武下は目を丸くする。

「お休み中は、ご迷惑おかけしました!」

 ペコリと頭を下げるこの女子こそ……、

「桜?」

「桜ちゃん?」

 と、二人同時にハモる。

「はい、桜です」

 顎ラインで切り揃えられた髪を靡かせて、少し照れたように、えくぼを覗かせる。

「え、ちょ、ちょっと。えっと……」

 動揺して、しどろもどろの武下を尻目に、

「その髪、どうしたんだ?」

 翔斗が唖然とした表情で聞いた。

「あっ、お母さんに切って貰ったの」

 上手でしょ? と自慢気に微笑む。

「いやそうじゃなくて、なんで……」

 んー、と桜はしばらく考えて、

「覚悟の表明、かな」

「覚悟?」

「ふふ、ううん! 暑いから切っちゃった」

「そ、そうか……」

「いやー似合ってるよ桜ちゃん! 短いヘアスタイルも凄く可愛い!」

 動揺から立ち直った武下が、今度は調子良く誉めちぎる。

「ホントに? ありがとう」

 ふんわりと、優しい表情を浮かべた。


「なんだ? ボブ髪の女子がグラウンド整備してっけど、新しいマネージャーか?」

 二年生が、部室に入るなり言ってきた。武下は着替えながら、

「いえ、桜ちゃんっす。髪切ったみたいで」

「な! なんだと……!」

「冗談だろ?!」

「天使の髪の毛がー!!」

 口々に頭を抱え衝撃を受けている光景が、なんだか愉快だ……。


 大貫の姿を見付けて、桜は駆け寄った。

「あぁ誰かと思ったら、早乙女か」

「先日の件と、この数日間休んでしまい申し訳ありませんでした」

 と言って頭を下げた。大貫は一瞥して、

「風邪、もう良いのか?」

「はい大丈夫です。大事な時期にすみませんでした……」

「俺も熱でこないだ休んだし、お互い様だ」

 桜の方をまっすぐ向くと、

「こないだは、すまなかった」

「え……」と桜は戸惑う。

「佐久間から聞いた。俺の思い込みで酷い事言って、悪かった」

 と、軽く頭を下げてくる。

「そんなっ……私は酷い事とは思ってません。むしろ、物凄く気合いが入りました!」

 大貫は、頼もしい発言に目頭が熱くなり、

「分かってくれるか、早乙女! よーし、一緒に甲子園いくぞ!」

 はい! と桜が元気良く返事した。周りにいた部員が、なに二人でスポ根やってんだ……? と思ったのは言うまでもない。


 練習時間が始まり、早乙女がグラウンドに入ってきた。ウォーミングアップをしていた部員達は駆け足で集合し、素早く並ぶ。その空気は重々しく、何も知らない人から見れば異様な雰囲気だ。

 早乙女監督は、威厳を感じさせる口調で話し始めた。

「それでは、メンバーを発表する──」

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