第29話『桜の意地』

「なぁ、桜ちゃんは?」

 グラウンドを見渡していた武下は、その場にやってきた翔斗に尋ねる。

「そういや見ないな。先に教室出たんだけど」

「おっかしいな……部室の中の道具も出てなかったから、俺と宮辺で出しといたんだよ」

「マジで?」

 あと十分足らずで午後練が始まる。マネージャーがまだ来ていない、という状況はあまり褒められたものではない。

「どうしちゃったんだろ。キャプテンに見つかるとうるさいからなぁ」

「そうだな……」

 翔斗も少し心配になってくる。

 と、そこへ制服姿の桜が走ってくるのが見えた。部室の前で足を止めると、息が乱れてるのか呼吸を整えている様子だ。

 翔斗と武下も駆け寄る。

「どうしたの桜ちゃん。遅かったね!」

「先輩にはフォロー入れとくから、早く着替えろ」

「ん……ごめんね」

 と、少し振り向く桜の表情が、青ざめているように思えた。

「桜……?」

「早乙女!!」

 突然の怒鳴り声に三人ともビクッとし恐る恐る振り返る……。

 案の定、声の主は大貫であった。強面の顔がよりいっそう怖い。

「重役出勤とは良いご身分だな。監督の娘だからって調子乗ってんじゃないのか?」

 あんまりな物言いに、翔斗は言葉を挟もうとするが、

「遅くなってすみませんでした!」

 桜が勢いよく頭を下げてそれを阻む。大貫はまだ怒りが収まらない様子で、

「前から思ってたが、マネージャーとしての自覚に欠けてるぞ。やる気がないんだったらさっさと辞めろ!」

 辺りはシーンとし、誰もが息を飲んで見ている。桜は頭を下げたまま、じっと動かない。

「まぁ、それくらいにしといてあげたら?」

 と、岩鞍が割って入ってきた。

「岩鞍、甘やかすつもりか?」

 鋭い目つきの大貫に肩をすくめ、

「もうすぐ練習時間だ、監督も来る。その前に着替えさせないとマズイんじゃないのか?」

「………」少しの間があり、

「次はないからなっ」

 吐き捨てるように言って大貫はその場を後にした。

「すみません、でした……」

 桜はまだ頭を下げたままで、声を絞り出す。

「桜ちゃんほら、早いとこ着替えよ」

 武下が桜の肩を叩くとようやく頭を上げた。

「早乙女、悪いな。どうも大貫は思い込みが激しくて。オマエがよくやってる事は皆が知ってる、気にするな」

 岩鞍が優しく言葉を掛けるが、

「いえ……」

 桜は俯いて肩を震わせている。「着替えます」と部室に入ろうとしたところで、桜の顔色が目に入り、翔斗はとっさに腕を掴んで引き留めた。

「へっ? 何してんだよ佐久間?」

 訝しげに言う武下を無視し、翔斗の手は桜のおでこに当てられる。

 熱い……。

 掌に伝わる温度から、高熱が出ている事が感じ取れる。桜の表情をよく見ると、頬は蒸気し目は虚ろ、顔周りが汗ばんでいる。

「何考えてんだ。こんな状態じゃ、何もできないだろ?」

「できるよ……。私にも、意地があるもん」

 さっきの大貫の言葉を思い出しているのであろう。

「なになに? 桜ちゃんどうしたの?」

 武下の問い掛けをまたもや無視し、

「岩鞍先輩。こいつ、凄い熱なんで帰した方が良いと思います」

「なんだって?」岩鞍が桜の顔を見ると、

「うん……顔色悪いな。すまん、気付かなかった」

「えー! 桜ちゃん大丈夫?!」

 オタオタとする武下。

「佐久間、悪いけど保健室に連れていってくれないか。これじゃ家まで持たんだろう。監督と大貫には俺から言っとくから」

 はい、と翔斗が返事をすると桜が、

「わ……私は大丈夫、です」

 強がっているものの、かなり辛そうだ。岩鞍は桜の肩に手を乗せて、

「早乙女、オマエの気持ちは分かる。だが今無茶したらそれこそ大会に響くぞ。それに他の部員だって気を遣う。今はゆっくり休む事に専念しろ」

 桜は岩鞍の顔をしばらく見つめて、

「……はい。ご迷惑、おかけします」


「あら、やっぱり来たのね早乙女さん」

 保険医が桜の顔を見るなり言った。

『やっぱり来た』? 翔斗はキョトンとする。

「あぁ。この子さっき解熱剤貰いにきたの。でも保健室に薬は置いてなくてね。それで熱を測ってみたら三十八度超えてて……休んでいきなさいって言っても部活に行くんだって聞かなくて、もう大変だったわ」

 お喋り好きなのか、楽しそうに翔斗に話す。

 こいつ、本当に何してんだ……?

 桜をジト目で見る翔斗。恥ずかしさでソッポを向く桜。

「まぁ私はまたここに戻ってくると思ってたけど……」

 保険医はベッドのカーテンを開け、そこで寝るよう促す。横になる桜に、

「さっき来るのが遅くなった理由って、ここに寄ってたからなのか……」

 はぁーっと翔斗は溜息をつく。

「ごめんなさい……」

 眉毛をハの字にし掛け布団で顔半分を隠す。

「大貫先輩は、桜の何を見てるんだろな」

 翔斗はポツリと溢した。

「え?」

「いや、何でもない。もう無茶すんなよ。あとでまた様子見に来るから」

 と言って、桜のおでこに手を当てた。

「うん……ありがとう」

 おでこに置かれた手の温もりが心地良くて、桜はそっと目を閉じた。

「あら、もう行くの?」

 氷枕を手に保険医が翔斗に話し掛ける。

「あっ、練習あるんで。あいつの事お願いします。またあとで来ます!」

 翔斗は颯爽と保健室を後にする。それを見て、保険医は顎に手をやり、

「ふふーん、部員とマネージャーのラブ♡ 的な?」

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