番外編『選手の休息』

 春の地区大会が終わり、翌日北条野球部は久しぶりの練習休みとなった。この日は休日で学校もない。

 早乙女家では、いつもより少しだけ遅い時間に朝御飯を食べている。(と言っても、まだ七時半なのだが)

「佐久間くん、今日は何するの?」

 茜がニコニコしながら聞いた。

「あ、いや……。もちろん自主トレです」

 むしろそれ以外の答えは、監督である早乙女に何と言われるか分からない。

「あらー、せっかくの練習休みなのにね……」

 少し気の毒そうに、茜は夫の顔を見ようとすると、

「佐久間」

 早乙女が口を開いた。「はい」と翔斗は返事をする。

「今日は自主トレするな。体を休めろ」

 意外な鬼監督の言葉に翔斗は驚く。

「……わかりました」

「練習のしすぎはかえって能率が下がるからな。休める時には休め」

 何か新しい指導方法でも試しているのだろうか。翔斗は鬼監督の神発言に只々困惑した……。


「昨日の練習中にはそんな事言ってなかったのに、突然どうしちゃったんだろうね」

 桜も父の発言には驚かされたようで、朝御飯後、翔斗の部屋に入るなり言った。

「だよな……」と戸惑いを隠しきれない。

「もしかしたら、翔斗くんで新しい指導方法を実験してたりして!」

 桜は冗談混じりに言って笑う。

 やっぱり? と言いながら翔斗も笑った。

「でもさ、練習やるなって言われても何したら良いか分かんねぇよな」

 監督のいる家で、ぐうたらするのも気が引ける。(かと言って勉強する気にもならない)

「じゃあ……」

 桜が何かを思い付き、

「ちょっと私に付き合って?」


「あら、二人でお出掛け?」

 茜は玄関で見掛けて、微笑ましそうに言った。

「うん、夜御飯までには帰ってくるね」

 桜はおろしたての靴を履く。

「デート、楽しんできてね♡」

 そういう風に言われると桜は急に恥ずかしくなる。

「あ、じゃあ……行ってきます」

 空気を読んで翔斗が言った。


「なぁ、どこ行くんだよ?」

 翔斗は歩きながら聞いた。学校とは反対の道を通っていて、そういえばこっち側は来た事ないな、と思った。

「まぁまぁ、ついてきて。翔斗くん、ここに来てから練習漬けで、あんまりこの辺りの事知らないでしょ?」

 フフっと笑う。確かにそうだ。

 十分程歩くと、なにやら賑わってくる。

「すげ……」

 角を曲がると、大きなビルがいくつも並んでいた。百貨店や商業施設なんかもある。桜って都会っ子だったのか、と思った。

「俺んとこの田舎とはやっぱ全然違うなー」

 翔斗は感嘆な声を出すと、

「山ではできない遊び方、教えてあげる!」

 桜は翔斗の腕を取り、にこやかに言った。


 今話題だという映画を見たり、雑貨店に入ったり、翔斗にとってどれも新鮮で面白い。都会の高校生は普段こんなに楽しい事しているのか、と少し羨ましくも思える。そういえばクラスメイトの奴等も、放課後にどこどこ寄ろうとかよく言ってるな……そんな事を考えていると、

「翔斗くん、こっちこっち!」

 桜が手招いている。いつの間にか、あんな所にいた。おぅ、と翔斗は歩を進めようとすると、

「あの子可愛くね? 俺、結構タイプ」

「あー、髪の長い子だろ? 天使って感じだよなー」

 同じ高校生ぐらいの男子が、明らかに桜を見て話しているのが聞こえてきた。

 天使、ねぇ……翔斗は少し笑った。

 まぁ確かに、その通りだよな。


「わー、やっぱり休日だから混んでるねぇ」

 商業施設に入っているフードコートで、少し遅めの昼御飯を取ろうとするがどこも席がいっぱいだ。

 んーどこか空いてないかな、と桜は見渡していると、突然翔斗が桜の腕を掴み自分の方へと引き寄せた。

 えっ……? と驚くと、あやうく人とぶつかる所だったようだ。

「桜、あぶない」

 ちょうど耳元の位置で言われたので、声がこだまし、ドキッとして頬を赤くする。ありがとう、と言うのが精一杯だ。

「あ、ここ空いたぜ」

 翔斗がニッと笑う。


「ちょっと買いたい物があるから」と桜は翔斗をショップの外で待たせて、会計が終わり戻ってみると、見知らぬ女子達に翔斗が話し掛けられていた。一人ですか? イケメンですねー! 体締まってる! 何かスポーツしてるんですか? 一緒にお茶とかどうです? という声が聞こえてくる。

 完全に食われ気味の翔斗に、

「お待たせ。ごめんね、待った?」

 と、桜は救いの手を差し伸べた。なんだ彼女連れかーと、いともあっさり女子軍団が引き下がっていく。すると翔斗は、

「都会の女ってこぇー。とって食われるかと思った……」

 すっかり参っている様子だ。

 大丈夫? と桜は少し心配すると、

「でも、物凄く分かる」

 と言いながら翔斗の顔をまじまじと見た。

「翔斗くんって、野球してる時もカッコいいけど、普段でもドキッとする程カッコいいんだもん」

 桜の屈託のない笑顔が、嘘偽りのない言葉だと物語る。

 こいつ、そんな事よくサラッと言えるよな……。

「も、桜そういう事あんま人に言うな。特に、男には」

 赤くなった顔を逸らしながら、翔斗は言った。


「あ、佐久間じゃん」

 店を冷やかしていると、突然声を掛けられた。

 見つかっちゃいけない奴に見つかったような気がする。

「武下……なんでこんな所に」

 翔斗は気まずそうにする。

「なんでって、家近くなんだよ──って、ええ?!」

 桜の姿に気付いて、ボリュームのある声を出す。

「ささささ桜ちゃん……なんで佐久間と一緒に??」

「えっと、お買い物に来てるの」

 まさかデートなんて言えない。

「佐久間テメェ! 抜け駆けしやがって!!」

 武下は怒りを露にする。桜ちゃんを独り占めしやがって! ちくしょー私服も可愛いじゃないか、という声が聞こえそうだ。

「あーもう、面倒くさい奴に出くわした」

 げんなりした様子で翔斗は言うと、「行こうぜ、桜」

 と桜の手を掴み、無視するように立ち去る。

「え、えぇ?!」

 桜は掴まれた手に驚くと、「あ、じゃあ武下くん。また明日ねー」と挨拶を忘れずに通りすがる。

 一人ポツンと取り残された武下は、

「くっそー、あいつ明日覚えてろよ」

 メラメラとさせながら呟いた……。


「はー、びっくりした!」

 ようやく急ぎ足が止まると、桜は胸をドキドキさせる。

「まさかあいつがここにいるとは思わなかった」

 絶対明日なんか言われるな、と思うと、それはそれで鬱陶しい。

 ふと、翔斗は手に何かを持っている感覚に気付く。目をやると、桜の手を握ったままだった。

「うわぁ! ごめんっ!」

 慌てて手を離す。

 桜は、いいよ、と照れた様子で笑った。

「じゃあ……帰るか」

「うん」

 あ、そうだと言うと、

「はい、プレゼント」

 桜は先程買った物を翔斗に渡した。

「え?」

「今日、翔斗くんのお誕生日なんでしょ?」

 ニッコリとえくぼを覗かせる。

「あ、知ってたんだ……」

 自分から誕生日の話をした覚えはない。

 桜は心を込めて、

「お誕生日、おめでとう」

 そうか、だから……。

 翔斗はプレゼントを受けとると、

「ありがとう」

 と、少しはにかんだ。そして、

「桜、今日ありがとな。すげー楽しかった!」

 フフッと笑うと、

「私も楽しかったよ」

「ほんと、良い誕生日になったよ。桜のおかげ」

 そう言われると桜はなんだか嬉しくて泣きそうになる。

「また、遊びに来よ? 一緒に……」

 瞳を潤ませているのが可愛らしく思えて、桜の頭をポンポンと撫でた。


 早乙女家に帰ると、サプライズでご馳走が用意されていた。どれも茜の手作りばかりで、翔斗は只々感動した。

「あ、でもね。このチーズケーキは桜が作ったのよ」

「えっ、いつの間に」

 桜を見ると、エヘッと照れながら、「今朝早く起きて作ったんだぁ」

「裁縫は全然だけど、桜のチーズケーキは絶品だよー」

 と、茜はウィンクをする。

 翔斗は素直に嬉しかった。この家庭に迎えて貰えて本当に良かったな、と心から感謝したのだった……。


 翌日──。

「おい佐久間! オマエ昨日桜ちゃんと手繋いでデートしたんだって?!」

 翔斗は野球部の練習場に着くと、先輩部員に詰め寄られる。

 武下の野郎、先輩達にも言いふらしやがったのか……。

「違いますよ、買い物に行ってただけで……」

「嘘つけぇ!! ただの買い物で手なんか繋ぐかっ! オマエ、今日は俺がノック打ってやる!」

 目がこぇーよ! と翔斗の顔がひきつった。


 余談だが、監督がこの日以来、練習休みを一日増やしたのは実験結果によるものなのか、誰も知る由もない……。

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