第27話『雨やどり』

「まいったな、こんなに降ってくるとは……」

 翔斗は軒下で恨めしそうに天を見上げた。

 野球部の練習が終わり、桜と帰路に着く途中で突然のゲリラ豪雨に見舞われ、ちょうどシャッターの下りた店舗があったので、二人でそこへ逃げ込んできた。

 こういう時は折り畳み傘が何の役にも立たない。

「梅雨だもん、仕方ないよ。はいタオル」

 桜は自分のバッグから取り出すと、翔斗に渡した。ほんの一時しか雨には当たってないが、二人とも随分濡れてしまっている。

「え、いいよあるから……」

「汗吸ったタオルでしょ? これ、使ってないから」

 確かにその通りだ。水分を取るだけだから汗臭いタオルでも良いかと思ったが、思い直して甘える事にした。

「サンキュ」

 桜からタオルを受け取り、手早く腕や頭を拭く。

「早く止まないかなぁ、雨」

 長い髪をまとめて掴み、ハンカチで水気を取る桜の仕草を見て、翔斗はドキッとして目を反らす。

「梅雨だから、なぁ」

「ふふ、そうだったね」

 翔斗はもう一度、隣をチラリと見やる。頬のえくぼに雨滴が流れ留まり、また少しするとつたっていく。

「……? どうかした?」

 自分に向けられた視線に気付き、桜は尋ねた。

「いや、別に」

 恥ずかしさから、少し罰が悪そうに顔をしかめてみせる。桜はキョトンとするものの、特に気にする風でもなく今度は制服を軽く拭っていく。するとふと何かを思い出し、

「そういえば! 私ね、翔斗くんに前から聞きたかった事があるの!」

「な、なんだよ急に……」

 空模様のように突然変わる桜のテンションに、翔斗はたじろいでしまう。

「野球、翔斗くんが始めたキッカケって何?」

「なんだ、そんな事か」

 翔斗は拍子抜けした。

「前から聞こう聞こうと思ってたんだけど、すっかり聞きそびれてて……」

 と、照れたように微笑む。

 雨脚はまだ弱まらない。地面に激しく打ち付けて、その反動で二人の足元を濡らしていく。翔斗はその不快感に、早く靴を脱ぎたいなと思った。

「近所にさ」

 おもむろに口を開く。

「野球がすげぇ上手い兄ちゃんがいて、九歳上だったかな? 小さい頃よく遊んでもらってたのな。キャッチボールとか教えてくれたのも兄ちゃんで、俺にとってはヒーローみたいな存在だった」

 思い出すと自然と笑みが溢れてくる。

「高校生の時に三年連続で甲子園出てて、俺いつもテレビにかじり付いて見てたの。ほんっとカッコ良くて、俺も〝輝にぃ〟みたいに甲子園行きたいと思ったのが、始めたキッカケかな」

 桜はその様子を想像し、なんだか可愛いなぁとクスリと笑う。

「へぇー、その人が翔斗くんを野球の道に進ませてくれたんだね」

「あぁ。俺の憧れ!」

 ニッと笑顔を向けられ、桜は頬を染める。

「でもすごいよね……三年連続で甲子園なんて。ひょっとして、今はプロ入りしてるんじゃない?」

 何の気なしにそう言うと、翔斗の顔が一瞬強ばった気がした。

「いや、今は……」

 明らかに言い淀んでる様子で、桜は何かマズイ事でも言ったかなと首を傾げた。

「あ、小降りになってきた 」

 翔斗の言葉に顔を向けると、さっきまで激しく降りそそいでいたのが嘘のようにパッタリと威力が弱まっている。

「ほんとだ、良かったぁ」

「またドシャ降りになる前に帰るか」

 翔斗はショルダーバッグを背負い直す。

「うん」と、桜は折り畳み傘を開いた。

 一本しかない傘を、二人濡れないように差す桜の手からもらい受けて、ポツリと言った。

「……輝にぃさ、確かにプロ入りしたんだけど、入団三年目で肩を故障して、それが原因で結局引退したんだ」

「え、そうだったの……」

「これからっていう時につれぇよな。それ以来会えてないから詳しくは知らないけど、しばらく沈んでたって」

「そう……だよね」

 その人の無念さはどれ程だろう。考えただけで胸が締め付けられる。翔斗はそんな桜の横顔を見て、

「でも、風の噂じゃ今はどこかの学校で野球部のコーチしてるらしいぜ」

 と、フォローを入れておく。

「え、本当? それ聞いて少し安心した……」

 途端に表情が明るくなる桜に、自分の知り合いでもないのによく感情移入できるなぁと、半ば感心しつつ翔斗はフッと笑った。

「雨、上がったな」

 そう言うと傘を閉じる。

「わぁ見て! 星がキレイに見えるよ」

 雨上がりの夜空を指差し、桜が嬉しそうにはしゃぐ。

「ほんとだ」

 翔斗は目を細めながらじっと星空を見つめた。

 輝にぃ、会いたいな──

 そう思ったのが表情に出ていたのか、

「いつか、会えると良いね。そのお兄さんに……」

 と、桜が優しく微笑みかける。

 なんだか頭の中を覗かれたようで少し照れ臭くなるが、「あぁ」と返すと、ついその笑顔に見とれてしまう。──が、

「くしゅんっ!」

 良い雰囲気は脆くも、桜の盛大なクシャミによって壊されるのだった……。

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