球児、天使の覚悟を見る。
第26話『抽選の日』
「翔斗、これやるよ」
その人物は、小学生の翔斗にグローブを渡す。
「え? いいの?」
目を輝かせながら翔斗は受け取った。
「オマエ、野球部入りたいって言ってたろ? 俺のお古でよければ使えよ」
高校の制服を着たその男は優しく笑い、そう言った。
「ありがとう〝輝にぃ〟! 大事に使うよ!」
嬉しそうにグローブを眺める翔斗に、
「いっぱい練習して、うんと強くなれ。それで高校に入ったら甲子園目指せよ」
と、翔斗の頭をポンポンッと撫でる。
「うん、絶対強くなる! 俺も〝輝にぃ〟みたいに甲子園行くんだ!」
無邪気に答えるのを、男は目を細めて微笑んだ。
*****
翔斗はハッと目を開ける。
部屋に太陽の光が射し込んでいた。朝だ。ゆっくりと体を起こすと、「夢か」と呟く。
なんだかやけに懐かしい夢を見たな……。
そんな事をボンヤリ考えていると、
「翔斗くん? 起きてる?」
ドアをコンコンとノックする音と、自分を呼ぶ声が、扉の向こうから聞こえてきた。
「あぁ。起きてるよ」
と、まだ半分はっきりしない頭で返事をした。
「良かった。もう五時過ぎてるよー」
桜の言葉に時計を見ると、五時十分を指している。とっくに起きて朝御飯を食べている時間だ。
「やばっ!」翔斗は慌てて支度を始めた……。
「今日の抽選会、岩鞍先輩が行くらしいぜ」
部室でユニフォームに着替えながら武下が言った。
「マジ? 大貫先輩まだ熱があるのか……」
翔斗は「気の毒に」というような表情をした。
高校野球選手権県大会を十日後に控え、今日は対戦校を決める抽選会が行われる。毎年、各チームのキャプテンがクジを引くのだが、北条の主将である大貫は、奇しくも二日前から高熱を出していた。
使命感の強い大貫なだけに、果たしてどうなるのだろうかと部員達は静かに見守っていたが、結局、副将の岩鞍に託される事となったようだ。
「こりゃーキャプテン、完治したら荒れるな」
ボソッと武下が呟くのを、翔斗は「確かに……」と心の中で同意した。大貫とは、それほど使命感に燃えた熱い男なのである。
「佐久間」
一限目が終わり、翔斗は購買に向かう途中で、後ろから誰かに声を掛けられる。
「岩鞍先輩」
「オマエも購買?」
相変わらず画に描いたようなイケメンだ。
「はい、パン買いに。先輩もです?」
「あぁ。出発前に腹ごしらえしとかないとな」
と、一緒に歩き出す。
「抽選会、何時からでしたっけ?」
「十一時。県民ホールだから、もう少ししたら出るよ。顧問が車出してくれるみたいでさ、助かったよ」
北条高校から県民ホールまでは、電車を何回も乗り換えなくてはいけない。
「良かったですね。頑張ってきてください」
と言った後で、「……って言うのも変ですね。クジなのに」翔斗は苦笑いをする。
「アハハ。まぁ初戦で強豪校と当たらないように頑張るよ」
と、岩鞍は微笑んだ。
いや、北条はシード校なのだが……。
「そういえば、大貫先輩は大丈夫なんですか?」
翔斗はふと気になって尋ねる。
「あぁ大貫なー。試合前に高熱出すなんて、まるで幼稚園児みたいだよな?」
岩鞍は全く心配していない様子でハハッと笑うと、
「大丈夫だろ。あいつの事だ、試合までには完治するさ」
一年生の秋から大貫とバッテリーを組んできた岩鞍である。相手の事を絶大に信頼しているからこそ、こういう時でもどっしりと構えていられる。そんな二人の関係性を、翔斗は心から尊敬していた。
購買に入ると、
「やぁ、佐久間」
宮辺がパンを選んでいるところに出くわした。
「よぉ宮辺!」と、すかさず翔斗の後から岩鞍が顔を出す。
「あぁ、アナタもいたんですか。センパイ」
どことなく言い方がトゲトゲしい。
「おいおい、随分だな」
岩鞍は苦笑いすると、
「オマエ、パンじゃなくて米食わないと背伸びないぞ?」
と、涼しい笑みを浮かべる。
「余計なお世話ですよ。今にアナタよりデッカくなるんで覚悟しといてください」
負けじと言い返し、宮辺は軽く睨んだ。
ケンカするほど仲が良いってか……?
冷静にそう思う翔斗であった。
「そろそろ決まる頃かなぁ」
桜は頬に手を当てて言った。
「何が?」とは小柳万理。桜の教室に来て一緒にお昼御飯を食べている。
「抽選会。もう対戦校決まったかなぁと思って」
と、紙パックのコーヒー牛乳をチューッと飲む。
「この時間ならもう決まったんじゃねぇの?」
隣の席で弁当を食べる翔斗が口を開いた。
「やっぱりそう思う? あぁーどうなったんだろう……」
桜はソワソワと落ち着かない。万理は呆れて、
「少しは落ち着いたら? さくタンが緊張してても仕方ないじゃん。試合出るわけでもないし」
「それはそうだけど……」
すると突然、
「おい佐久間!!」
武下が教室に入ってきた。
「なんだよ騒がしいな」
と、翔斗は眉をひそめる。
「呑気にメシなんか食ってる場合じゃねぇよ! あ、桜ちゃん万理ちゃん。ゴハン中ごめんねぇ」
女子二人を見るなり態度がコロリと変わる。
「どうしたの? 武下くん」
「それがさ、抽選会の結果が分かったんだ! うちは春日丘と対戦するみたい。しかも初日の第二試合!」
武下は興奮から早口に言った。
「春日丘高校か……張り合えそうだな」
翔斗はニッと笑い腕を組む。
「初日、それも第二試合……」
桜はポツリと呟く。
「それにしてもオマエ、どこからそんな情報仕入れたんだ?」
片眉を寄せながら翔斗が聞いた。
「だから、情報通の俺を嘗めるなよ」
武下はドヤ顔をする。
聞いた俺が迂闊だった……と思いながら、あぁそうかい、と翔斗は薄い反応を返す。
「ねぇ、試合ってどこでやるの? 暇だったら観に行こうかな」
さして野球に興味のない万理が、珍しく興味を示した。
「嬉しい事言ってくれるねー。すぐ近くの球場でやるんだ! 万理ちゃんが来てくれるなら俺、俄然張り切っちゃうなー!」
調子の良い事を言う武下に、その前にベンチ入り頑張れよ……と翔斗は内心ツッコむのであった。
「はい、分かりました……。お疲れ様でした」
三葉は携帯電話の通話を切ると、ふぅっと一呼吸して髪を耳にかける。
北条と当たるのは当分先になりそうだけど、まさか初戦で……。
少し考え事をしてしまい、後ろからコッソリと近付いてくる輩に気付かない。
「よぉー葵! なにこんな所で突っ立てんだよ!」
背中をドンッと叩かれて、三葉は危うく持っていた携帯電話を落としそうになる。
「なにすんのよ?! 痛いじゃない!」
キッと睨みながら振り返る。こんな幼稚な事をするのは一人しか思い当たらない。
案の定、そこにいたのは森千宏だった。いたずらっ子のような笑顔で「よっ」と片手を上げている。
「アンタねぇー! 小学生じゃないんだから普通に声掛けれないわけ?!」
片手を腰にやり、目を吊り上げる。
「わりぃわりぃ。いつも練習で怒鳴られてるから、つい仕返ししたくなるんだよ」
悪びれた様子もなく言うと、「ケンカ売ってるの?」とガンつけられる。
「冗談だよ、冗談」
これ以上、怒らせると後の練習に響くと察し、千宏は両手を上げ降参のポーズを取った。三葉もそこまで鬼ではない。
「今ね、井田先輩から抽選結果の連絡が来たの」
許しの印として、仕入れたばかりの情報を話す。
「井田マネから? なんて?」
「三日目の第一試合で決まったそうよ。対戦校は
「みそぞのー? なんだ、盛り上がりに欠けるな」
千宏は「ちぇっ」とばかりに両手を頭の後ろで組む。それを三葉は横目で見つつ、
「ばかね。箕曽園はシードを逃してはいるけど秋季大会で県ベスト8、守備打撃ともに力を伸ばしてきてるのよ。うかうかできないわ」
「へーそんなに伸びてんだ? 昔は甲子園常連校だったけど、ここ数年はイマイチだよなぁ……」
「とにかく、こんな所で油を売る暇があったら素振りの一つぐらいしておく事ね。アナタ、打撃が今一つなんだから」
と言い残すと、スタスタとその場を後にした。
「あのアマ……」
一言余計だよっと思いながら、本人に聞こえないようにボソッと呟く千宏であった。
少し言い方キツかったかしら?
自分でも驚くほど無意識に反応してしまった。
箕曽園か……。
三葉はふと立ち止まり、携帯電話を胸元でギュッと握り締める。
「〝輝にぃ〟……」
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