第25話『たった一人のマネージャー』

「へぇ! あの森が方向オンチとはね」

 練習終わりに、桜の作ったはちみつレモンを口にしながら宮辺は言った。

「あいつ一直線にしか走れないんだよ、きっと」

 と、武下も便乗してはちみつレモンを摘む。

 桜は側で洗濯物を取り込みながら、クスリと笑う。

「なるほど、だから盗塁が得意なんだ!」

 宮辺は自分で言っておきながら落ち込んだ。

「でもほら、岩鞍先輩も今日盗塁されちゃったし……」

 フォローのつもりで武下は言った。

「ふふ、そうだね。あの人も森の盗塁は抑えられなかったようだからね……」

 何やら不敵に笑みが溢れている。

 宮辺くん顔が怪しいなぁ……桜は苦笑いする。

「桜、後片付けしといたから」

 翔斗がやって来て声を掛けた。

「え?! あ、ごめんね! 洗濯物回収してから片付けようと思ってたの……。やらせちゃってごめんなさい!」

 少し驚きながらも、申し訳なさそうに謝る。

「いや良いよ。一人で色々やるのは大変だろ」

 翔斗は優しく微笑む。

 桜は「ありがとう」と言いつつも、戸惑った。

 な、なんか翔斗くんが優しい……。

 こう思ったのは桜だけではないようだ。

「ねぇ佐久間どうしたの? 今までそんな事したことないのに」

 宮辺が武下にコソッと話す。

「知らないけど……気味悪っ」

 武下は鳥肌が立って仕方がない。


「あの、今日はありがとう。色々手伝って貰って……」

 一緒に帰路に着きながら、桜は翔斗に言った。

「お礼なんて良いよ。むしろ今までが何もしなさすぎだったから」

「そんな事、ないのに……」

「実は三葉にさ、言われたんだ」

「え?」桜はドキッとする。

「たった一人のマネージャーで、しかも初心者なのにあれこれやるのは大変だから、サポートしろって」

 ニッと翔斗は笑った。

「でもサポートなんてして貰ったら、私足手まといだよ……」

 と、俯く。

「違うだろ?」声のトーンを変えると、

「サポートし合うのがチームだろ?」

 桜は翔斗の顔を見た。

「俺や皆だって桜に支えてもらってる。だから桜を支えるのは俺達の役目なんだよ」

 翔斗の目があまりに澄んでいて、桜は心が揺れた。

「マネージャーが何人もいる環境に慣れてたから、桜が大変なのに気付かなくて、ゴメン」

『桜は、うちの大事なマネージャーだ』

 自分でも無意識に、涙が溢れた。翔斗は、それを見ると笑った。


 桜はひとしきり泣くと、「ごめんね」と涙を拭う。

「いいよ」と翔斗は桜の頭をポンッと撫でる。そして顔を覗くと、プッと吹き出した。

「いかにも〝泣きました〟って顔してる!」

「え、嘘! 本当に?!」

 翔斗はクツクツと笑い、

「可愛い顔が台無しだな」

 と思わず言ってしまった。

「え……」

 桜はビックリして耳まで赤くする。

「あ、いやそういう意味じゃ……」

 翔斗は言葉に詰まり、二人の間に気まずい空気が流れる。

「あ……葵さんって良い人だね!」

 桜が空気を変えようと話題を戻した。

「えっ?」

「部員からは『鬼』呼ばわりされてるって笑ってたけど、率先して準備手伝ってくれたり、気さくだし、あんなに良い人いないよ……」

 って私、何言ってるんだろう。

「うん。知ってる……怒るとおっかないけど、根は優しい奴だから」

 翔斗くん、本当は今も想ってるのかな……。

 そう考えると胸がキュッと苦しくなる気がした。

「あの」と桜は意を決して、

「あのね! 葵さんには、内緒にしてって言われてたんだけど……」

 ごめんね、葵さん。私やっぱり黙っておけない。


 それは四月、桜が初めて三葉と会話した時のこと──。

「私ね、この高校に来る事にした時に決めたの」

 三葉はそう言ってフッと笑うと、「〝翔斗を諦める〟って……」

「え? どうして?」

 桜は尋ねた。

「私、甲子園に憧れてたの。だから絶対、野球部のマネージャーにはなりたくて。でも他校の部員を応援しながら自校を応援するなんて、できないでしょ?」

 その笑顔はどこか哀しみも混じってるように見えた。

「葵さん……」

「お互い部活を引退した時にまだ好きなら、その時付き合えば良いかなとか、都合の良い事考えてたんだけど……本人には言えなかった」

 三葉は視線を落とすと、

「そんな事言って、翔斗の負担になりたくなかったから」

 桜は何も言えずに、ただ三葉を見つめる。

「そんな顔しないで。私は翔斗を傷付けたんだから」

「いつか、ホントの気持ち言えると良いね」

「ありがと。どちらにしても傷付けた事は謝りたいと思ってるわ。……翔斗には、この事言わないでおいてくれる?」

 三葉は人差し指を口に当て微笑んだ──。


「ずっと黙ってて、本当にごめんなさい」

 桜は心から謝る。

「桜……」

 翔斗は息をつくと、「ほんっと、あいつらしいよ!」と笑う。

「翔斗くん……」

「ごめんな、黙ってるのもつらかったよな」

「そんな、謝らないで……もっと早く言うべきだったのに……」

 と、哀しそうな顔をする。翔斗はそんな桜を見て、

「本当は、さっき三葉から言われたんだ」

「えっ?」

「嘘ついてごめんって。それから、今も好きだって」

「そう、だったんだ……良かったね」

 言葉とは裏腹に、胸がザワつく。

 そっか。葵さん、ちゃんと自分の気持ち伝えたんだ……。

 翔斗は立ち止まると、

「あのさ、前に俺が言ったこと覚えてる?」

 桜は顔を向け、目を瞬かせた。

「俺が今、一番の目標に掲げてるのは甲子園だから。それまでは、他の事に心取られるつもりはないよ」

 そう話す翔斗のまっすぐな眼差しに、桜は思わず微笑みを溢した。

「そうだったね……」

「約束する。だから、心配すんな」

 と言って、翔斗は左手の小指を差し出す。

 桜ははにかむように笑い、「うん」と自分の小指を絡ませた。

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