第9話『葵 三葉』

 交流試合は、白幡大学付属高校──通称・白付しらふと行われる。

 北条高校はビジター戦である。選手にとってはホーム以外でのプレーは多少のハンディになってしまう上に、ホーム側と比べると応援が少なくアウェイ感が高まるので、プレッシャーをより感じやすい……桜は内心それを懸念していた。

「すげっ、グラウンドどんだけあんだよー!」

 白付に到着しバスから降りると、武下は感嘆な声を出した。

「さっすが私立だよなー。公立より断然金持ってるぜ」

 チームメイトが溜息混じりに言う。

 大学野球と言えば白幡大学の名前が出てくる程の強豪校を母体に持つ付属高校は、近年こちらも野球部に力を入れ始めた。

 県を北部と南部のブロックに予め分けてトーナメントする県大会では、「北の北条、南の白付」と称される事もあり、事実、昨秋は決勝戦で北条を打ち負かし、今春は一歩及ばず準優勝となった。

 北条に負けず劣らずな実力を持つ事ができたのは、私立ならではの引き抜きが盛んに行われたからだ。県外から引き入れられた球児も少なくない。

 実は翔斗もスカウトされた一人であった。

「おい佐久間」

 少し考え事をしていると、翔斗は武下に声を掛けられた。

「今日のグラウンドこっちだとよ」

 気付けばゾロゾロと大移動が始まっていた。


 北条側のベンチに入り、各自ウォーミングアップに取り掛かる。

「あれ、翔斗くんは?」

 桜は翔斗が見当たらない事に気が付いて、その場にいた武下に尋ねる。

「あぁ、トイレに行くって言ってたぜ」

「え! もうすぐシートノック始まるのに」

 武下に「ありがとう」と言うと、桜は走り出した。


「やばっ、シートノック始まるかも」

 トイレから出てくると翔斗は呟いた。

 グラウンドからこの校舎まで少し距離があった。走って戻れば間に合うだろう、そう思い、駆け出そうとしたその時だった。

 目の前に、女子生徒が立っていた。

 彼女は制服の上にジャンパーを羽織っており、こちらをじっと見ていた。制服から白付の生徒だと分かる。

 翔斗は、身動きできなくなった。


「んー……もぅ、トイレってどこにあるんだろう」

 桜は翔斗を呼びに、近くの校舎へ入り(とは言っても少し距離があったが)探し回っていた。

 困ったなぁ、こう広いんじゃスレ違ってても気付かないかも……。

 そんな不安がよぎっていると、あ! 翔斗くん、いたいた!

 角を曲がったところで、廊下にいるのを発見した。

 翔斗は一人ではなかった。なにやら白付の女子生徒と向かい合っている。

 あの人誰だろう? と思いながら、桜は声を掛けるのをためらっている自分に気付く。

「久しぶりね、翔斗」

 女子生徒が口を開いた。

 桜のいる方からは、翔斗の表情が見えない。

 ? 知り合いかなのなぁ、と桜は思った。すると、

三葉みつは……」

 翔斗の掠れるような低い声が聞こえた。

 桜が初めて聞くような、切なそうな声だった。

「まさかこんな所で翔斗と会うなんて、思ってもなかったわ」

 三葉と呼ばれた女子生徒が、フッと笑った。

 キレイな人だな……笑うと可愛いし憧れちゃう、なんて桜は思ってしまっていた。

「交流試合で来てて……。オマエこそ、なんで?」

 翔斗がいつになく男のような声をしていると、桜は感じた。男だから当たり前なのだが、いつもの球児っぽさがないというか、普通の男子のような……。

 そっか、もしかして──。


「私もその交流試合で来てるのよ。ここの野球部のマネージャーなの」

 そう言って、三葉はジャンパーをくいっと上げて見せる。

 よく見ると「白幡大学付属高校野球部」というロゴが入っている。

「そっか。またマネージャーやってるんだ……」

 翔斗は懐かしむような目をすると、「できたマネージャーだからな、三葉は」

「そんな事──」

 ない、と言おうとしたところで、ジャージを着たロングヘアーの可愛らしい女子が、こちらへ向かって来るのを見た。

くん!!」

 よく通る声が廊下に響いた。

 翔斗が驚いて振り返ると、間髪入れずに、

「シートノック! 始まっちゃう!」

「あ……わるい!」

 そうだったと思い、翔斗は駆け出していった。


 ちょっと悪い事しちゃったかな、と桜は思った。

 もしかするとやっと会えた人なのかもしれない。

 しかし、シートノックが間もなく始まるのは事実であるので、仕方がない……。

 桜がその場に立ちすくんでいると、三葉に声を掛けられた。

「あの……」

「あ、ごめんなさい! お話中のところ、邪魔しちゃって……」

 自分でも何故だか分からないけれど、桜はズキリと胸が痛む。

「いえ、こちらが悪いんです。引き留めてごめんなさい」

 申し訳なさそうにする三葉を見て、やっぱり美人さんだなと思った。セミロングのワンレングスが目鼻立ちの良さを引き立てている。

「北条高校のマネージャーさんですか?」

 見とれていると、三葉が尋ねてきた。

「あ、はい! 一年の早乙女桜と言います。今日は、よろしくお願いします」

 と、挨拶をした。

あおい三葉です。私も一年生なの」

 髪を耳にかけニコッと笑うと、

「こんなに可愛い子が野球部のマネージャーなんて、ビックリしちゃった」

 いやいやいや、あなたのようなお美しい人に言われても……と心の中で突っ込む。

「翔斗く、佐久間くんとは知り合いなんだね」

 えくぼを見せながら、桜は聞く。

「翔斗とはね、幼なじみなの」

「え、そうなんだ」

 なんだ、そうだったんだ!

「ただ……」

 三葉は目を伏せると、

「事実上、付き合ってたんだけどね」

 なんて長い睫毛なんだろう、と呑気に思ってる場合じゃなかった。

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