第2話『早乙女家の娘』

 早乙女忍。

 名前こそ優しい雰囲気だが、北条高校野球部の監督として就任し八年の間に、夏の甲子園を五回出場させ、内一回は全国制覇一歩手前まで導いた名物監督である。

 よくテレビ中継で抜かれていたその姿は、腕を組み口を真一文字に結び無言の圧を発していた。エラーをしようものなら命を取り兼ねないような様から、鬼監督と異名が付いたのである。

 そんな鬼監督の元で、翔斗は今日から下宿する事となった。翔斗としては、毎日山を登り降りして通学しなくて済むという点で大助かりだ。


 早乙女家の玄関のチャイムを押すと、「はーい」と言う声が聞こえ、少しすると扉が開いた。

「今日からお世話になる、佐久間翔斗です。よろしくお願いします!!」

 出迎えた人物を確認するよりも早く翔斗は部活張りの挨拶をし、お辞儀する。

「ふふ。噂通りの、熱血野球マンだね」

 予想に反して可愛らしい声が聞こえ、翔斗は頭を上げた。

 フワリと揺れる長い髪、垂れ気味の大きな目と黒目がちの瞳、形の良い凛とした唇、天使のような純真無垢な顔立ちに反比例して、低くはない背と発育の良さが見た目年齢をあやふやにさせる。つまりそこには、同い年ぐらいの女の子が立っていた。

「……キミは?」

「私ここの娘で、早乙女桜って言います」

 と、ニッコリ微笑む。

 笑うと覗く、えくぼが印象的だ。

「桜さん……」

「あ、桜で良いよ。同い年なんだし。高校も一緒なんだよー! よろしくね」

〝鬼監督〟の娘にしては人当たりが良い。

「そうなんだ! よろしく」

「さっ、外で立ち話もなんだから中に入って!」

「失礼します」

 と言うと、翔斗は軽く一礼してから家の中に入った。


 桜はお茶を出しながら、

「佐久間くんって礼儀正しい人なんだね」

 と、えくぼを見せる。

「ありがとう。あの、監督さんは?」

 居間に通され、翔斗は尋ねた。

「そうそう、お父さん今出掛けてるの。もう少ししたら戻ってくると思うんだけど……ごめんね」

「いや、挨拶しようと思っただけだから良いよ」

 と、翔斗はかしこまりながらお茶を啜った。

「それにしても私、嬉しいんだ。あの佐久間くんがお父さんの所に来てくれて!」

「え、俺のこと知ってるの?」

「知ってるも何も! 中体連で大活躍だったじゃない」

 そういえばさっきも似たような事を言ってた奴がいたな、と翔斗は思い返した。

「ポジションもショートで名前も翔斗でしょう? すっごく印象的だったの」

 頬を赤らめ桜は微笑んだ。

「あぁ……。俺、本当は最初ピッチャーやってたんだ」

 と、翔斗は懐かしむように言った。

「え?」

「野球を始めた小学生の頃、肩の強さを買われてずっとピッチャーやってたんだけど、中学に上がってその時の監督に『おまえはショート向きだ』と言われてさ。最初は名前に絡めたギャグかと思ったんだ。でも、やってみるとスゲー難しいのに、これが妙に楽しいんだよ」

 桜はイキイキと話す翔斗を見つめると、

「翔斗くんにとって合ってたんだね、ショートのポジション」

「桜……それダジャレ?」

「もぅ、違うよー!」

 桜は必死に否定する。

 この子とはうまくやっていけそうだな、そう思うと翔斗は心のどこかでホッとした。

 すると、ガチャ──と誰かが居間に入ってきた。

「あ! 監督さん、お世話になります──」

 翔斗が言い終わらない内に、

「佐久間、こんな所で娘とのんびり茶を飲む暇があるとは随分余裕だな」

 物凄い威圧感を醸し出し翔斗をジロリと見ながら、早乙女は低い声で言った。

「ちょっと! 違うのよ、お父さん。私が勝手に出したの!」

 桜の声を無視して、

「素振り二百だ!! 庭でやってこい! それまで家に入れさせん」

「はい!!!」

 翔斗は慌てて返事をし、バットを掴み庭に向かった。

 家に来たばかりで素振り二百とは……なかなか噂通りの名物鬼監督だ、と翔斗は内心思うのだった。

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