Chapter04 変異体

 いつものように、携帯のアラームによって叩き起こされた。

 半分寝ぼけたまま携帯を手に取り、アラームを停止させるのもいつも通り。

 ただし、意識が覚醒していくにつれて状況がいつも通りではないことを再確認することとなる。

 天井も床も、カーテンの隙間から見える外の景色も。

 俺が普段寝起きしている自宅の自室とは、遠くかけ離れたものだった。

「……あー、そういやここ、異世界だっけ」

 おはよう異世界。

 つーかアラームだったらBCのアプリにあるじゃん。どうしてわざわざスマホの方を使ったんだろう。

 いつもの癖か。生活習慣は一日そこらで変わるものではないらしい。

 アプリの方が確実に起きれそうだし、そっちに移行するべきか。

 とは言え通信会社もWi-Fiもないこの都市じゃ、我が二年来の相棒も本来の使命は果たせまい。ならせめて目覚まし代わりに使ってやろうではないか。

 まあそれも、充電が切れるまでの命だ。

 この部屋コンセントないし。

「――っ、起きるか」

 春先の布団に長期間滞在するのは非常に危険だ。主に二度寝的な意味で。

 再び迫り来る睡魔軍に対抗すべく大きく伸びをして、俺はすこぶる快適なベッドから戦略的撤退をした。


 シアの眠る一室でルナリアにこってり絞られ、宿舎の俺に割り当てられた部屋に着いた頃には夜の八時を回っていた。

 宿舎とか言うもんだからてっきり学生寮風のワンルームを予想していたのだが、実物を見たら完全にただのマンションだ。もっともディティールは未来チックなんだけども。

 部屋は一人暮らしの学生では絶対に持て余す1LDK。内装も小奇麗な感じで、風呂付きな上にトイレ別。これが家賃ゼロとか嘘でしょう奥さん。

 ルナリアの叱咤激励+αである程度盛り返した俺は修学旅行みたいなウキウキ気分だったのだが、広いリビングで待ち構えていたのはB-8で買いに買った追加の家具や消耗品の山だった。

 それらの片づけを終え、家具を適切な位置に配置し終わったのが九時過ぎ。そこから風呂に入ってパジャマに着替え、BCのマニュアルを読みふけっていたら一一時。最後にフューリーから貰った≪タグ≫の中身を改め、それらの仕様についてあれこれ弄りながら確かめてたら日付が変わっていた。


 二〇一四年、四月二三日、午前零時。

 暦も時間も全く同じなのに、世界はこんなにも変わる物なのだろうか。

 というか、物凄い濃い一日だった。

 精神的疲労は言うまでもなく、結構歩き回ったので肉体的にも疲労は溜まっていた。

 そんな訳で昨日は――正確には今日なのだが――さっさと寝ることにした。

 昨日までの学生時代だったら平気で二時過ぎまで夜更かししていたが、今の俺は社会人。戦闘職である以上は体が資本になるのだから、規則正しい生活を送るのも大切な仕事である。

 ただ、いくら異世界で社会人とは言え、朝のルーチンに大きな変化があるかと言われればそうでもない。

 まずは朝食の準備。

 キッチンがあったのは僥倖だった。これでも料理スキルは人並み以上にある。

 何せ、中学に上がるくらいまで母さんの料理はクソ不味かったのだ。俺が先に料理を覚えて、母さんに教えるという逆説的な解決法をもってメシマズからくる家庭崩壊は回避された。ていうかよく父さんは結婚したな。

 お陰で家庭料理レベルならば一通りこなせた。

 と言っても今朝はそれほど凝ることもなく、簡素にベーコンエッグにトーストといった洋風な組み合わせ。明日は和食の予定だ。

 使用した料理器具を食洗器に放り込み、テレビでニュース番組を見つつリビングで朝食を頂く。

 元の世界にいたころはニュースなんて毛ほども興味はなかったが、こっちの世界のニュースは色々と新鮮な気分になれて面白い。

「東京で対変異体の新型兵器を発表ねぇ……何これかっこいい。ロボット? いや、どちらかと言うとモビルなスーツに近いのか? 都市では導入しないのかな……」

 妙に偏った知識をつけつつ朝食を終え、食器も食洗器にポイしたら次は風呂場の横の洗面所へ向かう。

 ラッドにお勧めされた超振動歯ブラシは丁寧に固辞し、普通の歯ブラシを購入した。あいつ目が笑っていやがったし、言われるままに買ったら絶対ろくなことにならなかったと思う。

 寝ぐせは軽く整え、顔を洗った頃にはすっかり目が覚めた。

 いつもならここで制服に着替えるが、管理局は……と言うか、ガーディアンは私服OKな職場である。

 ファッションセンスなんて持ち合わせていない俺は他のメンバーに勧められるままに購入した服の中から、なるたけ自然な組み合わせを選んで着用した。学生服より目立つということはないだろう。

 左腕にリンカーを装着し、寝る前に装備類をまとめて収納した≪タグ≫を持っていることを確認し、準備完了。

「よし、行くか!」

 昨日は見苦しい所を見せてしまったが、今度こそ心機一転。

 この世界に来てから二日目の生活を始めるべく、俺は扉を開いた――


「み、水……」

「えぇ……」


 開いた扉を全力で閉めたくなった。

 何でこんな未来都市に行き倒れが。全力で見なかったフリをしたい。

 でも世話になった手前事情を聞かない訳にもいかず、どこぞの世紀末漂流者が如く行き倒れていたフィーダに声をかける。

「おい、どうしたフィーダ。何でお前が俺んちの前で寝てるんだよ」

「あ、ハルさん……いきなりで大変申し訳ないんですが、水を一杯ほどくれると……」

「ホントいきなりだな……ちょっと待ってろ」

 今にも力尽きそうな姿が哀愁を誘い、俺は一度引き返してまだ使ってないコップを水で満たし、再び玄関へ戻る。

 無言でコップをフィーダの前に置くと、震える手でそれを掴んだかと思えば一気にその中身を呷った。

 中々いい飲みっぷりだ。

「んくっプハァ! あー、生き返りました……」

「そりゃ良かった。で、行き倒れた理由を聞いてもいいか?」

「あ、はい。それがですね」

 フィーダは俺やルナリアと別れた後、ノインと共に工房へ戻った。今日使った装備のメンテナンスを済ませるためだ。

 ノインの方はすぐに終わったらしいのだが、一度に大量の武装を使うスタイルらしいフィーダの整備は夜が更けても終わらず、結局終わったのは日が昇ってきた後だったそうだ。

 もはや宿舎の端にある自分の部屋に戻る体力すら残っておらず、一か八かエレベーターから近い俺の部屋の前で待機して、今に至るという。

「インターホン鳴らしてくれれば出たのに」

「いやあ、もう体を起こすこともままならなかったもので……ハルさんはこれから管理局ですか?」

「フューリー室長に呼ばれててな」

「朝からお疲れ様です。わたしは午後まで暇ですから、昼くらいまで寝ます」

 やはり徹夜明けで辛いのか、小さくあくびをするフィーダ。

「適当だな……ガーディアンってシフトとか無いのか?」

「フューリーさんの実験か、変異体の襲撃がない限りは暇ですし。それにどれだけ眠りが深くても、召集がかかればBCの機能で強制的に起こされますから」

「そんな機能もあるのかよこれ!?」

「目覚めは最悪ですけどね」

 まさかの強制目覚まし機能である。しかも評価は最悪と来た。

 こういうことは普通「えいっ」ってぶち込む前に説明することじゃないのかよ室長さんよぉ!

 しかもフィーダの言葉はやけに実感が籠っている。恐らく既に一度被害に遭っているのだろう。

 出来ることなら変異体の皆さんにも、夜間の襲撃は控えていただきたいものだ。

「まあいいや。それじゃ、俺は行くから」

「はい、いってらっしゃいです……あ、それと」


「今日は、元気そうで良かったです」

「……お陰様でな」

 寝ぼけ眼でそう言ってくるフィーダに、俺はただ小さく笑って背を向けた。


 ◇


「昨日の朝以来、頭痛や吐き気は?」

「無いな」

「ふむ。では自分の体について何か変わったと思うことは?」

「体の方だと、特には」

「ふむふむ、そうかそうか」

 それほど広くない部屋の中で、正面に座るフューリーと短い問答を繰り返す。

 管理局本棟の一室で待っていた彼女から言い渡されたのは、転移者である俺の体調に関する問診だった。

 世界移動を経て生き残る人間は非常に稀有であるという話は初日に聞いたが、それでも高次元を通過する際に多少の影響を受けている可能性があるらしい。

 前例が殆ど無いのでデータも皆無。確実な検証方法はないと言っていい。

 よって完全な手探り状態であり、まずは本人に自覚症状レベルで影響が出ているかを確かめたいというのがフューリーの言い分だった。

 俺が質問に答えるたびに、フューリーは手に持ったボードへボールペンを素早く走らせている。

 ハイテクを駆使する科学者がどうしてそんなアナログな方法を取るのかと問えば、

「手を動かせば脳が活性化されて、思考もシャープになるのさ。科学者たる者、ハイテクを使いこそすれハイテクに使われているようではいけないのだよ」

 などと、途中からよくわからないことを供述しており。

 とにかく、この方法がフューリーに最適だってことは理解できた。

「しかし『体の方は』と言うことは、心理的な不調はあったのかね?」

「不調っていうか、何だろうな。昨日はどうも情緒不安定だった気がする」

「はて、私にはそうは見えなかったが」

「あんたと顔を合わせてた時や、ラッドたちと局や都市を見回ってた時は普通だったんだけどさ。あの子の……シアのいる部屋に入った途端、どうにも弱い部分が露呈したっていうか」

「成程。条件に不明瞭な点が多く、それを世界移動の影響とするには尚早だと思うが、一応留意しておくことにしよう……もっとも、君の置かれた状況を考えれば情緒不安定になっても仕方がないと思うがね」

 新たにボードへ項目を追加して、いつの間にか文字で埋め尽くされていたA4紙を一つ下のものと入れ替えながらフューリーはふと意地の悪い笑みを浮かべる。

「ホームシックは別に恥ずかしいことではないぞ?」

「茶化すのは止めてくれ。今はもう何ともないから」

 きっとまだ完全に割り切れた訳ではないかもしれないが、少なくとも昨日のような醜態を晒さない自信はある。

 あの一件は今思えば黒歴史でしかないから、わざわざ言う気も無いが――


「だろうね。これも全て、ルナリア君の愛の叱咤の賜物かな」


 ピキリと、全身が凍り付く音が聞こえた。

 何故知ってる。

 いやそれ以前に、何処まで知っている――!?

「いやはや、同情の余地はあるとは言え君の彼女に対する発言の失礼さも然ることながら、あんな恥ずかしいお仕置きを――」

「うわァヤメロォー!!」

 あまりに必死過ぎて声が裏返ってしまった。

 何処までだって?

 全部じゃねーか!

「見てたのか、全部見てたのか!?」

「治療を施した者として、シア君の様子は二四時間体制で責任をもって見守っているからね。想定外に面白い絵が見れて私はとても満足している」

「畜生、こんな時に限って真面目に働きやがって!」

 一体どうやって覗き見していたんだ。

 あの部屋に監視カメラらしきものはなかったはずなんだが。

 これもまた、次元技術のトンデモ効果だったりするのだろうか。

 BCの強制目覚ましといい、フューリーがその気になればこの都市はディストピア待った無しだな……。

「安心したまえ。私の口は堅い。うっかり滑らせることはあるかもしれないが、君が協力的な内は大丈夫だと思われる」

「結局脅しに使うんじゃねえか!」

 全く持って安心できない。

 人の弱みに付け込むとは正しくこのことだ。

 そんなんだから久道さんに汚い大人呼ばわりされるんだ。

「ともあれ、君の意見は貴重なデータだ。参考にさせてもらうとしよう」

「そりゃよござんした……今日の用事はこれで終わりか?」

「そうだな……」

 フューリーは短く思案した後、

「ちなみに、この後の予定は?」

「誰かしら捕まえて、装備の詳しい使い方でも教えてもらおうと思ってたんだけどさ。誰に頼めばいいのかなって」

 言われるがままホイホイガーディアンになってしまった俺だが、その実態はろくに喧嘩もしたことがない元高校生である。

 戦闘経験なんて皆無だし、このまま戦場に放り出されても囮が務まれば万々歳と言った所か。後は俺を喰った変異体が腹でも下してくれれば大金星。

 無論死ぬのは嫌なので、ここは真っ当な戦力として活躍したい。そのためには訓練が必要だし、フューリーから貰った装備を使いこなさなければならない。

 彼女に使い方を聞いてもいいのだが、実際に使用して戦っている先達に教えを乞う方がより実践的で良いと素人なりに考えてはいる。

 しかし実際誰に依頼するのかと聞かれると、どうしようかなと。

 何しろ、俺は仲間たちの戦闘スタイルを殆ど知らない。俺自身のポジションも定まっていなこともあり、今もなお迷っている最中のだ。

「ああ、それなら丁度良い」

 俺の説明を聞き終えたフューリーは、我が意を得たりとばかりに手を叩き。


「秀一君が、君をご指名だよ」


 ◇


 場所は本棟から移って、管理局敷地内の訓練場。

 敷地内と言っても、位置的には都市中央から北西に離れたD区の辺りである。工房や実験棟では行えないレベルの稼働試験や都市の防衛に関わる局員たちの訓練が出来るように、D区は丸ごと局の管理下にあった。

 フューリー経由でお呼び出しを貰った俺が指定された場所へ向かうと、フェンスで四方を囲まれた、サッカー場くらいの平地が広がっていた。客席部分が存在していない分、単純な面積はより広い。

 久道さんはその外側で待っていた。

「事前の連絡も無しにすまんな」

「い、いえ。俺としてもどうしたもんか迷ってたんで」

 相変わらず殊勝な態度の久道さんに対し、俺はあくまで下手に出る。

 誰に訓練を見てもらうか散々選びかねていた所への呼び出しは渡りに船だった。最初は一番経験の豊富そうな彼に頼むのが最善だとも思っていたが、初めて会った時から忙しいオーラが全開だったので頼みにくかったのだ。

「友柄は新人なのだから、変な気を使う必要はないぞ。存分に胸を借りると良い。それより、何故お前までいる」

 微笑んでいた久道さんが一転、胡乱気な視線を向けた先にいるのはニヤニヤしながら俺に引っ付いて来たフューリーである。

「おやおや、秀一君は私がいたら困るようなことを春近君にする気かね?」

「……ほぅ」

「ほら訓練とはいえ春近君の初戦闘だからさ。念のため取れるデータは取っておこうと思ったのだよ。つまり仕事。真面目な理由。これでいいかい?」

 一瞬、直接向けられてすらいないのに死を覚悟するレベルの殺意が放たれ、珍しくフューリーが慌てた様子で弁明していた。

 今気のせいじゃなきゃ、遠くの方にいた鳥も飛んで逃げてったぞ……久道さんだけは絶対に怒らせないようにしよう。

「それなら止める理由もない。好きに見ていけ」

 一応それで納得したらしい久道さんは、先に訓練場へと入っていった。

「ふぅ、危うくお爺様と再会する所だった」

「そんな慌てるくらいなら煽らきゃいいのに」

「馬鹿を言うな。秀一君をおちょくるのは私の権利にして最大の楽しみの一つだ」

「んなこと言って、ストレスで久道さんが禿げたらどう責任とるんだよ」

「大丈夫。彼の毛根は恐らく通常の人間より強いから」

「どういう理屈だそれ!?」

 まるで訳がわからんぞ!

 いくら久道さんの戦闘力が高くても毛根は人並みだろうに。

「まあ彼の毛の話は置いておくとして。何か浮かない顔をしているようだが?」

「……別に、俺の訓練なんか見てて面白くないと思うんだけど」

 フューリーは俺の戦闘データをご所望らしい。

 期待して貰ってるとこ悪いが、俺は戦いに関してはマジでズブの素人だ。

 こっちの世界で俺と同年代の少年少女がどれほどの戦闘力を持っているかは知らんが、少なくともラッドたちは随分とこなれた様子だった。俺と一か月差であるフィーダですら、前線へ出ていたそうだし。

 平和な世界……悪く言えば温室育ちの俺じゃなぁ。

 俺の心情を察してか、フューリーは神妙な顔で頷き。

「何だそんなことで悩んでたのか。予め明らかにしておくが、私は君の戦闘力に関しては全く期待していない」

「わかってたけど改めて言われると傷つくなおい」

「現状に関して言えばだ。これから先には大変期待しているし、私が見たいものはそことは別にある」

「はぁ? 何だそれ」

 要領を得ない解答に訝しむ目を向けるが、フューリーはなおもはぐらかす様に笑う。

「考えるよりも動いた方が早い時もあるさ。さぁ、秀一君が待っているぞ」

「あ、あぁそうだった」

 どうやら今すぐ答える気はないようだ。

 それに折角稽古をつけてもらえるというのにフューリーとお喋りしているばかりでは作ってもらった時間がもったいない。

 妖しく微笑むフューリーの姿に何となく不安を覚えつつも、言われるがままに俺は開いたままの入り口から訓練場へと進入した。


 入り口周りのフェンスから数十メートル離れた位置に待機していた久道さんと合流し、まずは主要装備の細かな仕様について簡単に教示してもらうことになった。

「装備は持ってきているか? なければ俺の物を使って説明するが」

「はい、あります――連結開始リンク・オン

 俺はポケットから≪タグ≫取り出し、中身を足元にぶちまける。

 すると久道さんは三つの内から二つを手に取り、俺の目の前まで持ち上げて見せた。

 確か右のバッジみたいなのが≪アブゾーバー≫で、左のリストバンドみたいなのが≪アクセラレータ―≫だったかな。

 一見するとただのアクセサリーにしか見えないが、れっきとした機械らしい。

「≪アブゾーバー≫は都市の保護に使われているものを個人携行用に小型化したものだ。対象を覆うようにフィールドを展開し、外部からのエネルギー入力を減衰させて無効化する」

「うーん、防弾チョッキみたいなもんですか?」

「近いが少々異なるな。物理的な衝撃のみならず、炎などによる熱も防げる。ただし減衰が間に合わない速度や威力の攻撃、薬品による化学反応は防御できないから留意するように」

 つまり、過信は出来ないということか。

 前回はたまたま物理のみの変異体に遭遇したが、毒ガスを吐いてくるタイプがいないとも限らない。充分に気を付けておくとしよう。

「≪アクセラレータ―≫は名が示す通り加速装置だ。これは対象の運動速度を直接書き換える。常人を超えた戦闘行動を可能にするが、肉体への負荷も大きい」

「なるほど。やっぱ生身じゃ、黄色いマフラーのサイボーグみたいにはいかないんですね」

「例えが随分と古いな……ともかく、こいつは緊急回避や戦闘の要所で使用するものと心得ておけ。長時間の連続使用は経戦時間を著しく損なうぞ」

 加速装置もリスクありと。

 こうやって話を聞いていると、やっぱ万能な兵器っていうのは存在しないんだな。つーかそんなもんが出来てたら今頃この世界も平和になってるだろうし。

「下に放置されてるのはいいんですか?」

 片耳用のイヤホンっぽいそれは、≪サードアイ≫用の受信機だったかな。

「それを使うのは一部のガーディアンだけだな。俺の場合は≪ブリンカー≫を使う際の座標指定に、クラッツァの場合は狙撃時の索敵に利用している」

 言われてみると、久道さんの右耳には俺が支給されたのと同じものが装着されている。

 耳につけているからと言って、音が聞こえなくなるとかそんなことはないようだ。

「今後使うにしても、視点が複数になる感覚は慣れが必要だ。最初の内は無理に使用する必要もないだろう」

「なるほど。じゃあこれは仕舞っておきますね」

「これらも返しておこう」

 俺は久道さんから装備を受け取って装備してから、受信機を拾い上げてひとまずポケットにつっこんでおいた。

 収納する時は他の装備と一緒にと思ったが、よくよく考えてみれば他の二つにしたって相当ウェアラブルだ。

 折角貰った≪タグ≫は有効活用したいし、緊急時にすぐ動けるよう装着したままにした方がいいかもしれない。

 当面用のない受信機くんは家の棚にでも仕舞っておこう。

「そろそろ訓練へと移ろう。初めに言っておくが、俺は近接戦闘専門のガーディアンだ。今日の所は俺のやり方でやらせてもらうが、気に食わなければ他の人間に師事すると良い」

「いやいや教えてもらう分際で気に食わないとかそんな」

「銃撃の適性があるのであればそれこそクラッツァやカミカワに教わればいいだけのこと。俺は剣を振るしか能がないのでな」

 そう言って久道さんは苦笑し、毎度お馴染み≪タグ≫を取り出して、

「連結開始」

 ≪リンカー≫の起動と同時に、展開。

 空中に吐き出され、乾いた音を立てながら地面に落ちた二本のそれは、

「……竹刀?」

 もはや見間違えようのない、剣道で使われているような。

 この都市では浮いているにも程がある武器だった。

「真剣で斬り合う訳にもいかんだろう」

 久道さんは何でもないように言って、竹刀を二本とも拾い上げると片方を俺に放って寄越した。

 反射的にキャッチするが、やはり普通の竹刀だ。合金製で滅茶苦茶重かったりしなければ、持ち手にあるスイッチを押すとたちまちビームサーベルになる未来兵器だったりはしないようである。

 期待していた訳ではないのだが、やはり拍子抜けではあった。

 次の久道さんの言葉を聞くまでは。


「では始めるか」

「え、何を?」

「好きな様に打ってくるがいい。基本先手は譲るが、俺も適当に打ち返す」

「いやそうじゃなくて、防具とか着けないんですか? それとも≪アブゾーバー≫使うんですか?」

「そんなものはいらん」

「ファ!?」

 ――防具は装備しないと意味がないよ!

 ふと、そんな幻聴が聞こえた気がした。

 現実は「装備するな」だけど。

 っていやいやちょっと!

「装備を活かすも、根本的な体捌きがあってこそだ。同様の理由で≪アクセラレータ―≫の使用も禁ずる。それに、多少痛みを伴った方が覚えが良い」

「怪我しますよ!? 俺が!!」

「跡が残らないように加減する。安心しろ、友柄は加減などせず全力で打ち込んで構わんからな」

「全く安心できないんですけどぉおお!?」

 こういう、たまに人の話を聞かなくなるのは一体誰に似たのだろうか。

 離れた場所からこっちの様子を見ているフューリーの、にやけ顔が目に浮かぶようだった。



 あれから何度打ち込んだだろうか。

「もう限界か?」

「ま、まだ、いけます」

 体の至る所が痛みを発する中、俺はもう意地だけで返事を返していた。

 剣道なら中学の体育でやったことがあるからワンチャンあると思ったが、昨日食べたソーダうどんやコーラカリーよりもゲロ甘い幻想だった。

 うろ覚えで振った竹刀は久道さんにかすりもせず、カウンターで放たれた竹刀は吸い込まれるように直撃してくる。

 何がおかしいって、殆ど目で追えない。最初の内は空振ったと思った次の瞬間には剣先を叩きこまれていた。今でこそギリギリ認識出来ているが、避けて反撃なんて到底不可能である。

 しかもあの速度で振っておきながら、先の予告通り俺の体には痣一つなかった。それでもかなり痛いのに変わりはないのだが。

 これが意味しているのはあれだけのスピードで振り回している竹刀を、俺に当てる寸前で急減速しているということに他ならない。しかもずっと片手で。

 どんだけ馬鹿げた筋力があればそんな真似が出来るのか。

 悠然と佇む久道さんは良くも悪くも日本人らしい体格の域を出ていないが、その身に秘めた力は明らかに常人の域を超えている。これで装備によるアシストがないと言うのだから末恐ろしい。

 既に一五分もの時間が経過しているが、これだけやっても久道さんに一発かますビジョンが見えなかった。

 俺だってずっと考え無しに打ち込んでいる訳ではないのだ。

 一矢報いたい気持ちから相手の動きを素人なりに先読みしたり、フェイントを混ぜたりもしている。

 加えてぶっ叩かれすぎたお陰か、空振りの直後にどこを攻撃されるかが何となく察せるようにすらなってきた。今なら一発貰う前に覚悟する猶予がある。全然嬉しくないことに。

 確かに久道さんの言う通り、痛みを伴う訓練は効果的かもしれない。

 直接打ち込まれるから嫌でも体で覚えるし、何より痛い思いをしたくないからこちらとしても必死で相手の動きを見定めようとする。ぬるま湯でふやけ切った一般人の闘争本能を引き出すには最適かもしれない。


 ただ、痛い。

 物凄く痛い!

 詳しい終了条件は最初に定めていなかったが、これはもう完全に俺が有効打を入れるまで解散できない流れになっている。

 既に体力は何百メートルも走らされた後みたいに限界ギリギリだ。骨の内側から滲んでくるような痛みを必死に噛み潰し、どうにか立っている状況である。

 久道さんは涼しい顔をしているが、相対する俺は汗だくだった。こうなるとわかっていればもうちょい動きやすい格好で来たものを……。

 肩で息をしながら、下がっていた竹刀の切っ先を意地と根性で久道さんへと向ける。それに対し久道さんは今までと同じように、力むことなく若干低めの構えを取っていた。

 あの状態から上下左右、全方向から打ち込んでくる。視線はどこか一点を定めているのではなく、俺の全身の動きを隈なく追い続けている。

 にらみ合っている時間が長引くだけ、体力的にも力量的にも不利。

 ならば。

「っぉぉおおおお!!」

 両の脚に最後の気力を込めて、二メートル程の間合いを一気に詰めた。

 踏み込みの直前、脇を締めて竹刀を体の内側へ引き込むように構える。

 俺が最後の攻撃に選んだのは突き。

 狙いは最も面積が広い胸のど真ん中。正中線をそのままぶち抜くイメージで、駆け込んだ勢いを利用し切っ先を突き入れる――


 ――と、見せかけて。


「っ――!!」

 ギリッと奥歯を噛みしめ、腕を伸ばし切る寸前で上段へと振り上げる。

 直前まで竹刀を真っすぐ向けていた分の間合いを更に一歩分踏み込み、肉薄。

 突きを警戒させた上で振り下ろしへと切り替え、同時に間合いを変えることで回避のタイミングをずらす。

 今の俺が出来うる限りの、二重のフェイントからなる乾坤一擲の一撃だった。

「当たれぇぇぇぇええええええ!!」

 半ばヤケクソに近い叫び声を上げながら、全力で振り下ろす。


「その意気や良し。だが、まだまだ未熟」


 声は、横合いから聞こえて来た。

 竹刀を振り下ろすさ中、俺は偶然にも捉えていた。

 全てのフェイントを瞬時に看破した久道さんが身を低くして、迫る切っ先を掠めるように俺の脇をすり抜けていったのを。

 構えから攻撃に移るコンマ以下で見極め、最も相手が無防備を晒した位置へと体をねじ込んだのだ。

 今までの軽く体を逸らすような回避とは物が違う。

 それは回避と呼ぶには、あまりにも攻撃的すぎる進攻だった。

 恐らく、これが久道さんの本来のスタイル。

 最後の最後に見せてくれたのであろう、相手の脇腹を真正面から食い破るような飢狼の如き剣戟。

 ――一体、何年やればここまで辿り着けるんですかね?

 永遠にも感じる刹那の間、ぼんやりとそんなことを思いながら俺は竹刀が叩き込まれる瞬間を待った。


 ……。

 …………。

 ………………?

 あれ?

 数秒間の沈黙を経て、俺は未だに打撃を食らっていないことに気づいた。

 おかしいな。さっきまでの調子でいったら今頃強かに打ちのめされているはずなんだが。

 しかし待てども暮らせども、新たな痛みはやってこない。

 一体どうなっているんだ。もしかして勝負が確定したから攻撃を中止したとか?

 訳もわからず俺は、視線だけを横に回り込んできた久道さんへ向ける。

 ――ばっちり攻撃中ですやん。

 久道さんは右肩へ担ぎ込むようにして振りかぶった竹刀を、そのまま俺を袈裟に斬り捨てるようにして振り抜こうとしていた。

 否、している。

 彼が放った、竹刀でありながらもはや斬撃と言っても過言ではない鋭さの攻撃は、今まさに俺をぶちのめさんと迫ってきている。


 ただし。

 ものすごーく、ゆっくりと。


 ハイスピードカメラで撮影した映像を再生しているかのように、俺の目には久道さんの動きがスローモーションで見えているのだ。

 何これ。急な展開過ぎるんですが。

 もしかしてそういうパフォーマンス?

 或いはフューリーの悪戯か何かか?

 そう思って今度は後ろにいるフューリーの方を見ようとしたが、何故か体がうまく動かなかった。

 と言うよりか、少しずつ、ゆっくりとしか動かせない。

 ええっと、何だ?

 これは俺の意識だけが通常速度での運行で、それ以外はみんなスローになってるってことなのか?

 ますます訳がわからない。

 あー、でもなんかどっかで聞いたことがあるな。

 車に轢かれる寸前とかで死を間際に感じた人間の脳は生存能力を高めるため、意識だけを急激に加速させる。そのせいで視界内の景色がスローモーションに見えるとか何とか。

 なるほど、俺の脳みそは久道さんの殺意剥きだしなムーブに対して死の危険を感じたということなのか。

 確かにこのスピードなら余裕で回避できそうだが、現実は非常である。

 俺も動けないんじゃどうしようもないよ。寧ろゆっくりぶっ叩かれる分長引いて損なんじゃね?

 考え事している内にほぼ目の前まで竹刀迫ってきてるし。これ脳天コースか。今まで頭は狙われてなかったから新しいパターンだ。食らったら多分気絶するな。

 はぁ、せめて通常の二分の一の速度でいいから体が動いてくれれば――

 

 ――ん? 待てよ。

 俺さっき目を動かして久道さんの方を見たよな?

 試しにまた正面へ視線を……戻せた。

 再び久道さんの方へ目を向けることにも成功。

 体がゆっくりで目だけが正常に動く? そんな絶妙な例外があってたまるか。

 意識はいつも通りに働き、目も普通に動かせる。

 なら、体だって頑張れば動かせるんじゃないか?


 その考えに至った途端、根拠のない自信が全身に満ちていくのを感じた。

 頭の天辺からつま先まで力が漲り、己の全てを掌握したかのような感覚。

 今なら、いける!

 確信と共に、俺は脚に力を込めた。

「――――っ!」

 果たして、通常速とは言わないまでも俺の体は。

 低速で動く久道さんを遥かに凌駕する速度で行動を開始した。

 ほぼ触れるか触れないかの所まで接近してきていた竹刀を、潜り抜けるようにして回避。腕が伸びて無防備になった右側面の領域へと侵入し、両腕を思い切り振り上げる。


 直後、俺は全ての速度が元に戻ったことをはっきりと認識した。

 間を空けずして頭の奥に鋭い痛みが走った。

 だがその痛みはすぐに引いていき、激しい状況の推移に飲まれて消える。


「何!?」

 久道さんの驚愕したような声が上がる。

 当然だ。確実に叩き込めた一撃がいつの間にか回避されたどころか、回り込んだ俺が既に攻撃体勢に入っているのだから。

 無論、俺にだって何が起きたのかさっぱりわかっていない。これは意識が加速云々をとっくに通り越した謎現象だ。


 ただし、今の俺の頭の中を圧倒的に占めているのは。

 今この瞬間が、久道さんに一発叩き込む最大のチャンスであるということ!

「おりゃぁぁぁぁぁああああああ!!」

 もはや技術もへったくれもない。

 全身の力をフルに使って棒を地面へ叩きつけるような、単純な速度で言えば最高速の一撃が久道さんへと襲い掛かった。

 ――あ、加減。

 頭かち割れよとばかりに竹刀を振り下ろしてから、これこのまま当たったら流石にやばいんじゃと心配したが既に遅――


 パァン!! と。

 大量の風船をまとめて割ったかのような破裂音と共に、両手を強烈な痺れが襲った。

「ぐっ……!?」

 手先から肩までを貫く衝撃に、堪らず得物を取り落とす。

 金属タイルで舗装された地面に落ちた竹刀はカランカランと乾いた音を立て、コロコロと転がっていく。

 思わずそれを目で追うと、


 竹刀の刀身が、根元から消失していた。


「え?」

 見間違いかなと思い二度見するが、丁度そのタイミングで無くなっていた刀身がクルクル回転しながら柄のすぐ側に落下してきた。

「ええ?」

 何かの間違いだと信じたい一心で、久道さんの方を見る。

 久道さんは、

「少々。いや、かなり驚いたな、今のは」

 などと言いながら斜め上に振り上げた竹刀を降ろし、佇まいを直していた。

 ちょっと待って欲しい。

 俺の竹刀が無残な姿になる直前――つまり俺が竹刀を振り下ろさんとしたその瞬間、彼は言っちゃ悪いが盛大に攻撃を空振りしていたはずだ。

 あの体勢から無理やり体を捻るように使って竹刀を逆袈裟に振り上げた……まあ、それくらいならまだ許容できる。久道さんレベルの達人なら可能かもしれない。

 でもそれって、あの竹刀で俺の竹刀を迎撃したってことだよな?

 つまり、あの竹刀で俺の竹刀を根元からぶった切ったってこと、だよな?

「……っえええええええ!?」

 あり得ないだろ!?

 いくら竹刀に「刀」って漢字が含まれてるにしたって無理だって!

 かなり驚いた?

 驚いたのはこっちの方だよ!!


「おいおい秀一君」

 混乱の極みにいる中、フェンスに寄りかかって傍観者に徹していたフューリーがこちらへと近づいて来た。

 その顔には「心底面白おかしくて堪らない」と書いてあるようだった。

 もうこの時点でね、嫌な予感しかしないんですよ。

「あれだけ装備は使うなと言っておきながら、君が≪アクセラレータ―≫を使ってまで防御するのは少々大人気なさすぎるのではないかね?」

「……あまりにも常軌を逸した動きをされて、驚愕と焦りから反射的に手が動いてしまった。お前も見ていたならわかるだろ」

「それに関しては心中お察しする。目の前であの動きをされたらさぞ焦るだろうよ」

 指摘された久道さんは、驚くべきことにバケツ一杯の苦渋を飲み下したような表情で言い訳をした。フューリーも追撃を行うことなく、珍しく久道さんに対し同情的である。

 常軌を逸した動きって何だ。

 久道さんから見て、俺は一体どんな動きをしてたんだ。

「春近君は、自分がどれだけとんでもないことをしでかしたのか自覚がないと見える」

「な、何だよ。俺そんなにヤバい動きしてたのかよ?」

「ヤバさで言えば激ヤバだね」

「激ヤバ!?」

「まあこれを見たまえよ」

 フューリーは藪から棒に俺へ映像データを送信してきた。

 恐る恐る再生してみると、場面は丁度俺が久道さんに対し迫真のフェイントを仕掛ける直前だった。

 こうして俯瞰的に見てみると、疲労とダメージを差し引いても俺の動きが素人丸出し過ぎて涙が出そうになる。久道さん完全に見切ってるわこれ。

 既に知っていることではあったが、動画でも久道さんは華麗に回避。ここから彼がすぐさま攻撃へと転じてくるのだが。

 ふむふむ。

 へー、なるほど。

 ははは、何これ。

 ……うわぁ。

「フューリー室長」

「何かね?」

 動画を最後まで視聴した後、俺は念のため確認を取る。

「これ、編集してないよな?」

「無編集だし無修正だよ。おっと、後者の表現は少しいかがわしいね」

 言わなきゃ気にしねえことを敢えて口にするなよ。保健体育の授業中に特定の単語で一々盛り上がる中学生か。

 って今はそんなことどうでもいいわ!

「じゃあ、これってガチなのか?」

「ガチだとも。で、自分の動きを外側から見た感想は?」

「……」

 俺は無言のまま、もう一度動画ファイルを再生する。

 またもや久道さんに攻撃を避けられた俺。

 回避行動をそのまま攻撃行動へと繋げた久道さんの鋭い一撃が、絶賛空振り中の俺へと迫る。


 竹刀が当たるか当たらないかの瀬戸際。

 問題のシーンは、そこから一秒にも満たない短時間であり。

 故にこそ異常性が明確に表れている、その場面。

 一人だけビデオの早回しのような挙動で、久道さんの側面を奪った俺に対して抱ける感想なんて、


「超絶気持ち悪!?」

 気持ち悪い以外にあるだろうか?


「え、何これマジで気持ち悪いんですけど! 何で俺だけ倍速で動いてんの!? もしかして無意識のうちに加速装置起動してた!?」

 それはむしろそうあって欲しいという願望に近かったのだが、久道さんとフューリーはすぐさま否定した。

「いや、友柄の≪アクセラレータ―≫の起動は確認できなかった。仮に起動していたとしても、速度相応の慣性を伴わないあの動きは不自然すぎる」

「それにあんな速度で動けばソニックブームが発生する。君も秀一君が竹刀を振った時に聞いただろう?」

「あの音って衝撃波だったのか……いや、てことは」

「君の倍速移動は≪アクセラレータ≫に由来しない、全く違う要因があるということだ」

 俺の言葉を引き継ぐように言ったフューリーが、新たなデータを寄越してきた。

 これは、折れ線グラフか?

 途中までは殆ど数値が変わっていないが、ある時点でのみ目盛の最大値を振り切るように山が突き上がっている。

 ただ、一見しただけでは何のグラフかはさっぱりだ。

「今送ったのは、君自身を対象に計測した次元エネルギーの時間変化だ」

 丁度いいタイミングで、フューリーによる補足が入った。

「あまねく存在は情報量に応じた次元エネルギーを持ち、グラフが平行になっている所は人間一人当たりの総エネルギー量と一致している」

「へぇ。でも一か所、画面を突き抜けてるとこがあるんだけど」

「問題はそこなのさ。君はその時点……より具体的に言うならば秀一君のカウンターを食らいかけたその瞬間、次元エネルギーを爆発的に上昇させたのだよ」

 曰く、次元エネルギーを計測するための計測器が振り切れるなんて現象は本来あり得ないとのこと。

 何故なら、計測器は現在都市の技術で干渉可能な、三次元上に存在する情報を全て計測可能なように設計されているからだそうだ。

「やれやれ。まさかたった二日の間に二度も、自分の正気を疑うことになるとは思わなかった」

「えーっと、つまり?」

「君が行ったのは、三次元では本来干渉しえない情報への干渉――」

 満を持して、フューリーはその事実を告げる。


「四次元の最大情報。すなわち『時間』の操作だ」


「時間、操作?」

 いつになく真面目な表情で嘯かれ、つい復唱してしまう。

 俺の察しが悪すぎるのか、ただ単に言われたことのスケールのデカさに理解が追い付いていないのか。

 どちらにせよ、ザ・一般人である俺には似合わなすぎる語句であった。

「何かの間違いじゃないのか? 俺にそんな大それたこと出来ないって」

「間違いなものか。現に春近君はたった今、我々の目の前で自らの固有時間を引き延ばして見せたじゃないか」

「な、なんだって?」

「我々の一秒が、君にとっては何十秒もの時間になっていたということだ。君自身に高速移動したという自覚がないのであれば、加速よりも時間拡張という表現が相応しい」

 どうやらあの早送りは時間拡張と名づけられたらしい。

 いや名前とかは良いんだよ。

 実際俺に早く動いた自覚なんてなかったけど、そもそも時間を操ったなんて自覚もないんだってば。

「それに私の推測が正しければ、君が時間操作を行使したのは今回が初めてではない」

「えぇっ、いつだよそれ!? 身に覚えがないぞ!」

「昨日、春近君がシア君の救助に勤しんでいた時だよ。ちなみにこれが、ルナリア君たちが君たちを発見した際のシア君のカルテだ」

 本日で三度目となる、データの受信。

 展開すると、シアの顔写真が添えられたテキストが表示される。

 患者シア・フリーゼ。

 ルナリア・カミカワによる発見の時点で軽傷……?

 背部に刺突によるものと思われる傷が見られたが生命を脅かす危険性は無し。出血量も安全圏内である――って嘘つけぇ!

「俺が保護した時点で傷は腹まで貫通しかけてたし血もドバドバ流れてたぞ!?」

「私も映像を確認したが、シア君は確かに致命傷だったよ。だが君が気を失った後に回収された時には命に別状がない所まで持ち直していたし、傷も塞がりかけていた」

「ナノマシンで治したんじゃなかったのかよ」

「傷跡を残すのも忍びないし使ったには使ったさ。ただあの程度の傷なら、普通に手術をしても一時間程度だったろうね」

「んな馬鹿な……」

 てっきり魔法のナノマシンで重篤状態から脱したのだと勘違いしていただけに、開いた口が塞がらない。

「私はあれも、君の力によるものだと考えている。精密検査をかけた結果、傷口周辺には細胞分裂の痕跡がなかった。再生と言うより、肉体の状態を巻き戻したかのような治り方だ」

「俺が、時間を戻したとでも?」

「あの状況でシア君に接触していたのは君しかいないからね」

「むむむ……」

 ここまで状況証拠が揃っていると、もはや認めざるを得ないのだろうか。

 俺ってば、いつの間にそんな超能力者になっちゃった訳?

「でもどのタイミングで使ったとか、そういう確信的なのはないんだが」

「何か思い出せることはないかい? あの時と今回とで、何か共通して起きたことは?」

「共通、したことか」

 フューリーに問われ、俺はおずおずと記憶を探る。

 パッと思いついたのは、あの時も今も、俺が追い詰められていた状況だった。

 危機に瀕したことで眠っていた力が目覚めた……なんてことはあり得るのだろうか。昨日ならともかく、今日のはただの訓練だぞ。

 あと他にあったことと言えば……頭痛?

 そういえばルナリアに助けられた直後、滅茶苦茶激しい頭痛に苛まれて気絶したんだった。さっきも時間感覚が元に戻ってから少しの間、頭が痛かった。

 あと共通点ではないが、気絶する直前にシアの記憶らしきものを見たような気がするのだ。あれももしかして関係したりするんだろうか?

 念ためそのことを説明すると、フューリーは興味深そうに頷き。

「頭痛か。効果が効果だけに、脳へ負担がかかっているのかもしれないな。症状の差も、干渉の深度による差だろう」

「能力を強く使うほど反動も大きくなるってことか?」

「恐らくね。それと記憶に関してだが、これも『過去』という、時間に関係する情報と言えなくもない。傷を治すためにシア君へ深く干渉する過程において、一部の記憶が逆流してきたとも考えられるな」

「何にせよ、好き放題に使うにはリスクが高そうだな……」

 上手く使いこなせるようになれば、戦闘の補助として非常に役立つと思ったんだが。

 一々使うたびに頭痛が発生したり、よしんば仲間を治療しようとした時に記憶が逆流なんてしてたら戦いどころじゃなくなる

「――いや。逆に言うならば、適切に使用できればこの上なく強力な武器となる」

 だが、久道さんはそう思っていないようだ。

「あの状態から攻撃を完全に回避した上で反撃に移るなど、初心者では早々不可能な芸当だった。それを可能にする力となれば、伸ばす価値は充分にある」

「そ、そうですか?」

「知覚の加速は≪アクセラレータ―≫でも不可能だ。もしこれから戦闘技術と共に時間操作の技術も向上させていけば、すぐにでも俺を超えるかもしれん」

 そこまで言うか。

 俺としては、≪アクセラレータ―≫を使ったとはいえあの状態から竹刀を竹刀でぶった切ってきた久道さんを超えられるビジョンが全く見えない。

 しかし変なスイッチが入っているのか、時間操作によって広がる戦術の多様性を語る久道さんの目はなんか輝いてる気がする。

「先程は他の者に師事することも考えろと言ったが、お前はやはり近接戦闘向きだ。友柄が良ければ、これからも指導を続けていきたいのだが」

「は、はい! それに関してはこちらからもお願いします」

 久道さんの訓練は滅茶苦茶スパルタだったが、ただキツいだけではなく得た物もたくさんあった。

 向こうからお墨付きを頂けるのであれば、こちらとしては全力で着いていく所存だ。

「なら、春近君の武器は秀一君と同じ刀にするべきかな。その方が訓練と実践での違いも出にくいだろう」

「俺の武器も造ってくれるのか?」

 割とそっちの方もどうしようかと考えていたので、フューリーの提案はありがたかった。

 ……のだが。

「丸腰で戦えと言うほど私も鬼じゃないさ。丁度、今研究中の技術を組み込んだ一品を作りたいと思っていたからね。いやー、被験者を探す手間が省けたよ」

「え」


「喜べ。君は最新の次元兵器を扱う、記念すべき第一号だ」

「……ア、ハイ」

 実験台一号の間違いでは?

 満面の笑みで肩を叩いてくるフューリーを前に、そういえばこういう職場だったなぁと今更ながら雇用条件を振り返り黄昏るのだった。


 ◇


 初日を含めて、都市に来てから五日経った。

 この五日の内に俺の生活リズムはほぼ確定したと言っていい。我ながら、一週間足らずで随分と馴染んだと思う。

 午前中は実験棟でフューリーと時間操作に関する検査や実験。頭にシールみたいな電極を貼った状態で力を使い、脳や空間にどのような作用がなされているかを調べているらしい。

 今までは無意識下で行っていたため、最初の内は自分の意思で発動することは全然出来なかったが、何度も試している内に少しずつ感覚のようなものが掴めてきた。極度な意識の集中が必要な上に頭痛も洒落にならないので、実験自体はそこまで長時間にならない。

 実験の後の少し余った時間には開発中の武器について話をしたりもする。細かいデザイン面の希望や機能にどれだけオプションをつけるかなどを聞かれるのだが、正直何をどうすればいいかはわからないのでシェフのお任せにしている。

 昼前には訓練場で久道さんと剣術の稽古。訓練初日のような試合形式の時もあれば、余計な力を使わない刀の振り方や歩法といった細かい技術の指導をする時もあるようだ。

 昨日は軽く≪アクセラレータ―≫を使った動きの練習をしたりもした。使ってみて初めてわかったことだが、加速度を上げるとそれだけ凄まじいGがかかる。試しに限界ギリギリまで上げてた時は、もう意識を保つので精いっぱいだった。

 俺が久道さんに弟子入りしたことは周知の事実であり、ラッドやルナリアといったいつものメンバーや、たまにそこへ瑞葉さんやミハイルさんが加わって観戦している。フューリーは開発で忙しいのか、最初以降は来ていないようだった。

 昼食は局内の食堂を利用し、午後は基本的にフリーな時間である。

 部屋でネットサーフィンをしてこの都市や世界に関する知識を深めたり、ノインやルナリアの訓練に付き合ったり、フィーダのマシン談義で体力とSAN値を削られたり、ラッドと秘密の本屋へ出かけたりなど色々だ。

 そして六日目である今日の午後は――


「ようこそいらっしゃいました、友柄様」

「ど、どうも」

「では、こちらへ」

 今日も今日とて完璧なお辞儀を決めて来たミハイルさんに釣られて、俺もつい畏まってしまう。

 そんな俺の様子にミハイルさんは微笑むと、巨大な門の内側へと先導していった。

 瑞葉さんから前に言っていたお茶会のお誘いを受けて、ホイホイ俺が来てしまったのはA区の中でもいわゆる高級住宅地に相当する場所だった。

 家主である個々人の趣味が反映されているのか、ラインに沿って並ぶ家は他のコピペしたみたいな建物とは違って細かいデザインなどが千差万別。外から見て回るだけでも結構楽しそうだ。

 俺がミハイルさんのお辞儀を受けたのは、その中にあって更に個性を主張している邸宅の前だった。敷地面積は他の家の優に三倍はあり、建物も西洋的な建築を踏襲している。

 しかし、馬鹿のように広い中庭は日本庭園だった。

 もう一度言う。日本庭園だ。

 石畳の敷かれた道の周りは砂利が敷き詰められ、東屋の近くには錦鯉の泳ぐ池まである。他にも苔むした岩が生えてたり、灯には灯篭が採用されてたり、まさかとは思い探してみたら盆栽まであった。

 この都市に来て、またもや異世界に迷い込んだ気分になるとは。

 ミハイルさんが英国風の執事として完成しているだけに、彼ががっつり和風な庭をよどみなく突き進む姿は何ともちぐはぐと言うか、シュールな絵面である。

 通された屋敷の中は流石に普通だった。

 普通と言っても滅茶苦茶広く、小市民からすればこっちも充分に異世界なんだが。

 田舎者みたいにキョロキョロあちこちへ視線を泳がせながらミハイルさんについていき、通された部屋におっかなびっくり入っていくと。


「よく来てくれた。急な申し出で悪かったな」

「いえいえ。俺も割と楽しみにしてたんで」

「なら良かった。ほら、家の中なのだから立っていないで座って話そう」

「あ、はい。失礼します」

 出迎えてくれた瑞葉さんに促されるまま、俺は一言断りを入れてからテーブルを挟んで反対側のソファに身を沈める。

 間髪入れず、ミハイルさんが音も無く二人分の紅茶のカップとクッキーが入った皿を置いていった。

 いつ用意したんだ? あの人なんも持ってなかったし、俺とほぼ同時に入ってきたはずだよな?

 この世界では一流の執事ともなれば、無から紅茶と茶菓子を用意できるのか?

 疑問は絶えなかったが、瑞葉さんの方から話しかけて来た。

「庭を見て驚いていたようだな。あれは父の趣味なんだ。春近は東京の出と聞いていたが、向こうではあれが標準なのか?」

「いえ、流石にあそこまでの庭は一般家庭には無いと思います」

「成程、そちらでもスタンダードとはならないか」

 すると瑞葉んさんは少し思考するような素振りを見せてから、藪から棒に。


「ところで、にはもう慣れたか?」


「……と、都市での生活にはだいぶ慣れました。瑞葉さんを含めて、みんな良くしてくれてるので」

 唐突に妙な聞き方をされて一瞬ドキリとしたが、どうにか当たり障りのない返事をすることが出来た。

 にしても、『都市』ではなく『世界』と来たか。

 一応俺はフューリーの工作で東京出身――この世界の住民ということになっているはずだ。お陰で過度な詮索はされないが、自分が転移者であることがバレないよう彼女に厳命されているので、割と自分の出自に関しては慎重に言葉を選んでいる。

 まさか感づかれているなんてことは……。

 後ろめたさからカップの中身を見つめていると、不意に瑞葉さんが小さく吹き出す。

「ふふっ、そう警戒するな」

「けけ警戒だなんてそそそんな!?」

「動揺しすぎだ。ははは、全く」

 遂に耐え切れなくなったのか、瑞葉さんは大きく肩を揺らして笑い始めた。

 美人に笑われているという構図が何だか物凄く恥ずかしくなってきて、ソファに座ったまま縮こまってしまう。

 それを尻目に未だに笑い続けている瑞葉さんを、そのすぐ後ろに控えていたミハイルさんが窘めた。

「お嬢様、あまり笑われると友柄様に失礼ですよ」

「あ、ああ。そうだな、すまない。あーおかしかった。こんなに笑ったのは久々な気がする」

「お嬢様?」

 笑顔のまま、ミハイルさんは再度短く忠告する。

 怒っている人の笑顔は、恐い。

「わ、わかっている……すまないな春近、お前があまりに素直な反応をするものだから、ついからかってしまった」

「え、えーっと?」

 状況が飲み込めず疑問符を浮かべていると、瑞葉さんがとんでもないことを口走った。


「春近が転移者であることは既に知っている」


「……えぇぇぇえ!?」

 何で!? という質問が俺の顔に書いてあったのか、彼女は聞かれるまでもなく俺の疑問に答える。

「お前がガーディアンに配属された日、私たちは秀一殿に呼ばれて席を外しただろう? その時の話というのが、春近の出自に関する情報の扱い方についての話だったんだ」

「言われてみれば……でもどうして久道さんは瑞葉さんたちにだけ?」

 あの久道さんが、彼女らの口が特別固いからという理由だけで重大な機密を明かすとは思えないのだが。

「私はガーディアンとしての身分を持つが、それ以前にベイカー家の長女でもある」

「は、はぁ」

「お前が知らないのは無理も無いが、ベイカー家はこの都市において特別なポストにある。だから春近のような存在についても認知しておく必要があったんだ」

 そう言って、瑞葉さんは自分の家に関して簡単な説明をしてくれた。

 都市の前身となった研究施設の設立や、建設地となった太平洋沖に存在する無人島の開拓等、あらゆる面で人材の手配や出資を行い都市の創立に寄与したのが、世に名だたる大富豪であったベイカー家。

 瑞葉さんは現当主である父と東京生まれの母との間に生まれた一人娘だそうだ。

「なら、瑞葉さんは滅茶苦茶お嬢様ってことじゃ」

「名目上はな。祖父は現役で管理局の重鎮だし、父と母も研究室でフューリー殿までとはいかなくともそれなりの立場を得ている」

「……どうして瑞葉さんはガーディアンを?」

 話を聞いた限りだと、瑞葉さんは本来守られるべきポジションだと思うんだが。

 やむを得ない事情とかもなさそうだし、どうしてわざわざ危険な前線へと出てくるのだろう。

「言いたいことはわかる。自分で言うのも何だが、私は家名によるものとは言えそれなりの地位を持つからな」


「だが、なればこそ私には都市で暮らす市民を守る義務がある」

 そう語る瑞葉さんの瞳には、未だ湯気のたつ紅茶よりも熱い光が灯っている。

 見ているこちらが火傷しそうだ。

「都市を創立から支えて来た家の者として、私は戦う道を選んだ。ミハイルまで一緒にガーディアンになってしまったのは誤算だったがな」

「ベイカー家に仕える者として、お嬢様だけを矢面に立たせる訳にはいきません」

 困ったように笑う瑞葉さんに対し、ミハイルさんはさも当然といった態度で対応していた。


 なし崩し的にガーディアンとなった俺と違って、瑞葉さんたちは高い志を持って戦いに身を投じているらしい。

 ……俺も、見習うべきなのかな。

「何か、迷っていることでもあるのか?」

 どうにも俺は心の変化が表面に出やすいらしく、正面にいた瑞葉さんからはお見通しのようだった。

 良い機会だし、正直に白状してみる。

「いやその。俺って割と自分勝手な理由でガーディアンやろうとしてるから、なんか瑞葉さんが眩しくて」

「別に私の戦う理由に対して恐縮する必要はない。ガーディアンはあくまでこの都市における職業の一つだ。大多数は生活のためだろうし、フィーダなんか趣味のためだぞ」

「それは、そうなんですけど……」

「お前は、男の割に随分とナイーブなんだな。ラッドとは大違いだ」

 自然な流れでラッドがディスられた。

 確かにあいつKYな所あるけど、根は悪くないんですよ?

 場をわきまえず不適切な話題を振ってきて返答に困らせてくることもあるけど、基本的には良い奴なんですよ?

 あれ、あいつの良い所が具体的に浮かばない。

 ごめん、これ以上の弁護は無理だ。

「お前は一度全部失っているんだ。多少は好き勝手に生きてもバチは当たらないんじゃないか?」

「まあ、その通りと言えばその通りなんですけど……」

 世界移動の発生により、俺は元いた世界から姿を消した。

 俺は今までの繋がりを全て断たれ、この世界に放り出された。

 この世界に、友柄春近という人間は存在していなかった。

 なら、今ここにいる俺は一体何者なのだろう。

 何の意味があって、今生きているのだろう。

 そんな不安から自暴自棄になり取り乱したのが、初日の夜の顛末だ。

 失うものがなにもない、空っぽな自分。


 ――今もまだ、そう言えるだろうか。


「とは言え、お前はもう手ぶらではないか」

 先の言葉は、瑞葉さんによって告げられた。

「失った分に釣りあうだけとはいかずとも、それでもこの世界で得られたものはあったのだろう? 初日と比べてお前は随分と穏やかな顔をするようになった」

 そうだろうか。

 鏡は毎朝見ているが、自分では細かい変化なんて気づくことは出来なかった。

 だが客観的に見て変わっているということは、つまりはそう言うことなのだろう。

 ……少しは、ルナリアの言いつけを守れているのかな。

 嬉しさ半分恥ずかしさ半分の微妙な感情がむず痒く、瑞葉さんへ控えめに問いかけた。

「そ、そんなに変わりましたかね?」

「見違えるようにな。今日もそうだが、露骨に考えていることが表情に出るようになったぞ」

「それって褒めてるんですか!?」

「勿論!」

 力強い返事だった。

 でも心の中がスケスケと言われたって全く嬉しくないんですが。

 しかも今ミハイルさんも少し笑いおったぞ。さりげなく口元隠してるけど見てたからな。

 くそー、いじけてやる。

 クッキー食ってやる。

 美味しい。

 俺の機嫌は直った。

「このクッキーはミハイルさんが?」

「はい。この屋敷における炊事全般は全て私が承っていますので」

「へぇ、やっぱ出来る人は違うなぁ。そう言えば瑞葉さんは料理とかするんですか?」

 ――それは、全くの興味本位で言った質問だったのだが。


「…………ふっ」

 あれ?

 何で俺今、鼻で笑われたの?

 理由を問う前に、瑞葉さんが口火を切る。

「ところでお前の周りは結構な美少女揃いな訳だが、誰が好みなんだ?」

「急に何を言い出すんですか!?」

 突然、ギャルゲーの主人公の友達みたいなことを言い始めた瑞葉さん。

 もしかして話題逸らせようとしてる?

 にしても下手くそすぎだろ! 何で急に料理の話題から女子の好みの話題に移り変わっちゃうんだよ!

「一番話をしているのはルナリアのようだが、やはりそういうことなのか? でもフィーダやノインとは同じ宿舎に暮らしているんだから何かしらイベントはあっても……だがノインはまだ一四歳だ。手を出すのは駄目だぞ?」

「しかも必死か!」

 必死に話を逸らそうとするあまり、どんどん話題が飛躍していく。

 実際ルナリアとはよく話すけど、それは戦術とか連携について教えてもらっているのであって。

 宿舎でイベントはあったけど、家の前で行き倒れていたフィーダのどこにラブコメを予感しろと。

 つーかノインに手を出したら犯罪だろ!

「もういいですから! もう聞きませんから!」

「そう言うな。皆には内緒にしておくから、ここは一つ年長者の私に思いの丈を打ち明けるが良い」

 駄目だ、この人俺の話を全く聞く気がない。

 このままだと俺の中で形成されつつあった、瑞葉さんの出来るお姉さんなイメージが粉微塵に砕ける。

 どうしてこの都市の人たちは誰もかれも最低一癖あるんだよ!

 縋るような視線をミハイルさんに向けるも、「お手上げ」のジェスチャー。

 あんたが匙を投げたら止める人間がいなくなるでしょー!?

 誰でも、いや何でもいい。

 この状況を打開する切っ掛けを――


『緊急招集発令。都市常駐のガーディアンは直ちに集合せよ』


 耳障りな警告音と共に、真っ赤なアラートが視界一杯に表示される。

 これがフィーダの言っていた緊急招集!?

 何でもいいとは言ったけど、よりによって変異体かよ!

「全く、時をわきまえない無粋な連中だ。もう外壁まで近づいて来たのか」

 半透明の表示枠の向こう側で、瑞葉さんがため息交じりに吐き捨てながら立ち上がる。

 先ほどまでの頓珍漢な雰囲気はなく、全身から研ぎ澄まされた刃のような闘志が滲み出ていた。

「しかし丁度良い機会でもあるか。春近」

「は、はい!」

 慌てて返事をして立つと、彼女は強気な笑みをこちらへ向けて。

「一緒に迎撃へ向かうぞ。お前も、そろそろ実践を経験しておくべきだろう」


 ◇


 防衛戦と迎撃戦の違いとは何か。

 防衛戦とは読んで字の如く、変異体から都市を守る際の戦闘である。

 より具体的に言うならば、都市を囲っている外壁の内側に出現した変異体を即時殲滅し、その後に外壁付近の個体も一掃する。月に一度程度と類推されている出現周期に合わせて、突発的に発生する戦闘だ。

 

 対する迎撃戦もまた、読んで字の如く。

 都市が存在する島は外壁より外側にも土地が広がっていて、そこに出現した変異体は各々が好き勝手なタイミングで都市の外壁へと接近してくる。

 それを索敵を主な任とする外回りのガーディアンが発見し次第フューリーへと報告し、戦闘を専門とする都市常駐のガーディアンへと討伐指令が下るという流れだ。

 基本的に都市外部には守るべき市民がいないため、敵の数にもよるが迎撃戦は防衛戦よりも難易度が低いと言われている。

 つまり、新人である俺が実戦経験を積むには持って来いと言う訳だ。


「敵の数は二〇。対象は殆ど一塊となってここ、外壁の南部へと接近してきている。お前たちの任務はその迎撃だ」

 鋼鉄の外壁の外側。

 過去に行われた実験の爪痕だとか何だで一面荒れ地のような景色が広がっているのをバックにして、俺たちは久道さんの前に並ばされていた。

 今回の出撃メンバーは、俺とフィーダと瑞葉さんの三人。残りのメンバーは基本的に見学のようだが、万が一の時に備えて待機している。

 ノインの姿だけが見えないのは、迎撃戦において狙撃手である彼女は一人外壁の上部からスコープと≪サードアイ≫を用いた索敵と戦況の把握を担っているからだ。

「友柄は初の実戦だ。敵を倒すことよりも、まずは死なない立ち回りを覚えろ。レティエは既に何度か経験しているだろうが、油断はしないように。ベイカーは二人のフォローを積極的に行え。現場の指揮は任せる」

 久道さんは一人一人の顔を見て指示を与えていく。

 本来ならフューリーの仕事らしいのだが、直接戦闘に関わる事柄に関しては全て彼に丸投げしているらしい。

 まああの人が戦闘の指揮を執っている姿は想像できないし、久道さんも文句は言いつつ采配自体に不満は無さそうだった。

『こちらノイン・クラッツァ。約五キロ前方に敵の一団を発見。密集して外壁へ接近中』

 短い通信の後、中継映像が映し出される。

 自動車と殆ど変わりない速度で荒野を進む異形の集団。映像越しとは言え実際に動いているのを見るのは初日以来だが、相変わらずの外見だ。一体として同じ姿の個体は存在しないが、精神衛生上問題のある見た目であるのは共通していた。

「あの数に集られるのは面倒だな。フィーダ」

「……やっちゃっていいんですか?」

「いいぞ、ぶっ放せ。適当に散らしてくれれば、私たちで各個撃破する。そっちに抜けて来た分は好きにしろ」

 瑞葉さんからそう告げられ、当初戸惑う素振りを見せていたフィーダは、


「了――解ですッ!!」

 嬉々とした表情を顔に張り付け、ポケットに手を突っ込んだ。

 じゃらりと金属の擦れ合う音を立てて取り出されたのは、本来なら鍵をまとめて管理するのに使うキーリング。

 ただしそこにぶら下がっているのは、一〇を軽く超える数の≪タグストレージ≫だった。

 フィーダはそこから一つを固定用のクリップごと取り外し、

連結開始リンク・オン!」

 展開する。

 入れ替わるようにして彼女の右手に現れたのは、文明レベルの違う世界から来た俺でも一目で兵器とわかる代物だった。

 四角い角柱にグリップを取り付けたような武骨なフォルム。個人的なこだわりらしい迷彩のペイントが施されたそれを、フィーダは重量を感じさせない動きで軽々と担ぐ。

 ゲームにでも出てきそうな、四連装ミサイルランチャー。

 都市で開発された次元兵器とは趣が全く異なる実弾兵器が、西に傾きかけた陽光を鈍く反射した。

「目標、敵集団の中心――発射ファイア!!」

 高らかな発声と共に引き金が引かれ、先端に開いた四つの穴から漆黒の弾頭が噴煙を伴って射出される。

 ゆったりとした速度で数メートル程飛行したミサイルは突如として急加速。点火されたブースターが唸りを上げながら、一秒と経たず目視が困難な距離まで飛翔し――


「弾ちゃーく――今ッ!」

 着弾した。

 地平線付近で光が瞬き、遅れて爆音が轟く。

 これだけ距離が離れているにもかかわらず、遠方から吹いた爆風が周囲の砂塵を巻き上げ、衝撃が体を震わせた。

 たった四発。

 それも人間がギリギリ携行可能なサイズのミサイルからは到底想像しえないサイズの爆炎が柱となって吹き上がっている。

 大地が噴火したかのようなその有様に、フィーダを除いた誰もが一瞬言葉を失った。

「うーんこの大威力! 奮発して四発使った甲斐があったもんです」

「……何だ、あれは」

 最速で再起動した久道さんが、感極まったような声を上げるフィーダに問う。

「合衆国で開発された最新の準指向性反応弾頭です! 防衛戦じゃ≪アブゾーバー≫ぶち抜いちゃうんで使用許可下りませんけど、外なら打ち放題ですからね!」

「……敵側の残存戦力は?」

『映像に乱れ有り……復旧。半数は消滅。残り十体の内、六体は行動不可能。四体は爆風により分散』

 ノインのいつもは淡々としている声も、どこか引きつっているようだった。

 そりゃそうだろう。

 フィーダが挨拶代わりとばかりにぶっ放した最初の一撃で、敵集団がほぼ壊滅してしまったのだ。

 もう全部この子だけでいいんじゃないか?

 相手は人殺しの化け物だが、これには流石に同情を禁じえなかった。

「……何にせよ、敵を散らすという目的は達成できたな。残りは私たちが引き受けよう」

 しばらくして、気を取り直すように瑞葉さんが告げた。

「行く必要あります?」

「想定とは少し違うが、前向きに見ればより安全に実戦経験を積めるな。少々ぬる過ぎる感も否めないが」

「俺としてはありがたいんですけどね」

 笑っては見せるが、内心は不安だらけだった。

 久道さんに五日間みっちり絞られたとは言え、実戦で通じるかと聞かれれば微妙な所だ。

 実際に相手取るのは人間とは大きく体格が異なるし、急所の位置も見た目通りとはいかない可能性だってある。

 だからこそ、戦ってみなければ何もわからない。

 少なくともここで足踏みをしているだけでは、何も。

 ……腹を決めるか。

 俺は出撃の前にフューリーから受け取った、完成したばかりの専用装備が収納された≪タグ≫を握りしめる。

 すると冷たい金属が余分な熱を吸いだすかのように、心が落ち着いていくのを感じた。

「覚悟は良いか?」

「はいっ」

「では、行くぞ――」


「「連結開始リンク・オン!」」


 ≪リンカー≫の起動と同時に、俺と瑞葉さんは駆け出した。

「ぐっ――!」

 一歩目の踏み込みで音速に到達。

 加速器という名前に反し、加速という過程は存在しない。

 ≪アクセラレータ―≫は運動速度の情報へ数値を直接加算し、対象を設定した最高速度まで瞬時に引き上げる。

 当然、肉体へかかる負荷も相当な物だ。

 同時起動した≪アブゾーバー≫によって軽減しきれなかったGに身体と意識を持っていかれそうになるのを、歯を食いしばって耐えた。

 並走する瑞葉さんが涼しい顔をしているのは、経験の差なのだろうか。こちとら三日前から本格的な加速訓練を初めて、直線移動だけなら気絶しないようになったのが昨日という体たらく。

 恐らく……いや、ほぼ確実に本格的な戦闘では加速を使いこなせない。

 だが、他に手立てはある。

 勝算がゼロじゃないからこそ、今回の迎撃戦に参加したのだ。

 風景が高速で流れていくさ中、態勢を立て直した一部の変異体が俺たちの接近に気づいた。

 比較的近い場所にいた二体が、耳障りな鳴き声を発しながらこちらへ向かってくる。

 知性の欠片も感じない突進だが、五メートル近い巨体が生み出す破壊力は相対速度も鑑みて計り知れない。

「あのデカブツ共はまだ荷が重いか……私が先行して片づける。春近には周囲の警戒を頼んだ」

「了解です!」

 大型相手はまだ早いと判断され、俺は更に加速度を上げて弾丸のように飛び出していく瑞葉さんを見送った。

 若干速度を落としつつ、BCの視覚補正を使って周囲の索敵を行った。

 戦闘継続が可能とされている残りの二体はそれぞれ反対側に一キロほど離れて落着しており、まだこちらへ向かってくる素振りはない。他には肉体の半分以上を吹き飛ばされてなお生存している個体がまばらに存在しているが、復活して襲い掛かってくることもなさそうだ。

 一見して瑞葉さんの戦闘に横やりが入る心配はなさそうだが、それでも警戒はしておく。過去に現れた変異体には、時間経過で損傷を再生するタイプがいたという話をルナリアから聞いていた。

 油断した所を死角からグサリ――なんて間抜けな最期は勘弁したい。

 もっとも、ノインが≪サードアイ≫で俯瞰的な索敵を行っている時点で死角なんか無いようなもんなのだが。

『気を抜くなトモノエ・ハルチカ。小官が居眠りをしないとも限らない』

「わ、わかってるって」

 心を読んだかのようなゾッとしない冗談に、自然と背筋が伸びた。

 改めて周囲の安全を確認しつつ、俺は瑞葉さんの様子を伺う。


 最初の突進を軽々とやり過した瑞葉さんは、二体の敵に張り付くような動きで相手を翻弄していた。

 右の変異体が繰り出した丸太のような腕による一撃を跳躍で回避。空中に躍り出た彼女を更に左の変異体が禍々しい爪を振るって迎撃する。

 しかし、瑞葉さんは空中で再び跳ねた。

 アクションゲームではお馴染みの空中ジャンプじみた動き。

 身近に見る機会はあっても決して現実には起きえないそれは一回だけに留まらず、彼女は見えない壁を連続で蹴るようにして稲妻のような軌道を描きながら宙を疾走する。

 巨体故に動きが鈍重な変異体たちに対応できるはずもなく、がむしゃらに振り回される凶器は彼女に掠る気配もない。

 その一方で、瑞葉さんから攻撃を仕掛けている様子も見られなかった。序盤は回避に専念して敵が疲労するのを待っているのだろうか。

 相手の様子を見るが、あれだけ滅茶苦茶な動きをしていながらその動きは一切衰えていない。

 あの人の持久力がどれだけあるかは未知数だが、このままではじり貧なんじゃ……ん?

 気のせいだろうか。

 俺は強化された視力で辛うじて捉えたそれに目を凝らした。

 瑞葉さんが通過した後に、限りなく細い何かが漂っているように見える。

 あれは……糸?

 朧気ながらその正体に気づいた、次の瞬間――

「ギッ!?」

「ゴガ!?」

 地上に降り立った瑞葉さんが腕を一振りした途端、あれだけ好き放題暴れまわっていた二体が突然動きを止めた。

 引き付けをを起こしたかのような挙動は止めたと言うより、強引に止められたと言った方が正しいのだろう。

 現に変異体たちは必死に瑞葉さんに襲い掛かろうとしているが、もがけばもがくほど全身に細い線が刻まれ血を流し出す始末。


 分厚い肉を裂きながら食い込んでいくそれは――ワイヤー。

 肉眼では目視すら怪しい細さの鋼線が、二体の変異体を縛り付けているのだ。

 一体どれだけの丈夫さがあれば、あの巨体を完全に束縛可能なのか。

 そもそも、設置物の一切ない平地でどうやって空中にワイヤーを張り巡らせているのか。


 疑問は尽きないが、ハッキリしていることは一つ。

 もう、勝負は決まっていた。


「――沈め」

 囁くような声が聞こえた直後。

 極限まで張り詰めた糸が切れたような音が響き渡り、二体の変異体は全く同時に全身を切り刻まれて地に伏した。

 拘束対象を失ったワイヤーは、血の雫を払いながら瑞葉さんの手元へと回収されていく。

 銀の輝きが幾重にたなびくその光景は残酷でありながら幻想的で、戦場でありながら俺は一瞬心を奪われた。


『ボーっとするなトモノエ・ハルチカ』

「す、すんません」

 また怒られてしまった。

 でも仕方ないじゃないか。

 瑞葉さんの戦闘にはそれだけ人の目を惹きつける美しさがあったのだから。

 ノインからすれば知ったことではないようで、呆れた様子を隠しもせずため息交じりに戦況の変化を告げる。

『残る中型二体の内、一体がそちらへ接近中。もう一体に動きはなし』

「奇妙だな。後者はこちらに気づいていないのか?」

 ワイヤーの回収を終えた瑞葉さんが、俺の側まで戻りながら問いかける。

『爆風に吹き飛ばされて以降、棒立ちしている。索敵をする素振りも見せない』

「被害状況は?」

『爆心地から最も離れた位置にいたためか、極めて軽微。あと、これは小官の主観でしかないが、何と表現したものか……』

 珍しいことがあるものだ。

 普段から物事をキッパリハッキリ言うノインが言葉を選びかねている。

 無線越しにも伝わってくる戸惑いを瑞葉さんも感じたのか、怪訝そうに眉根を寄せていた。

 

 たっぷり二秒。

 彼女にしては長すぎる逡巡を経て。 


『あの変異体には、他の変異体に見られる狂気を感じない。何か、明確な意思を持ってそこに立っているような……気がした』


 報告までともいかないノインの所感を聞いた瑞葉さんは暫し黙した後、小さく笑い。

「ノインからそんな曖昧な言葉を聞けるとはな。春も半ばだが、明日は雪が降るかもしれん」

『……気の迷いだった。忘れて欲しい』

「そう不貞腐れるな。お前がそこまで気にするとなれば、充分に留意すべき事柄だ。あのまま放置しておくのも危険だろう」

 あからさまにムッとした様子のノインへ取りなすように言ってから、瑞葉さんは表情をスッと引き締めた。

「その個体は私が叩く。春近には向かってくる奴の相手を任せた。不測の事態に備えてミハイルと、念のため秀一殿は私の方へフォローに来てくれ。残るメンバーは死に損ないを狩りつつ春近のバックアップを」

『承知した。各員、ベイカーの指示通りに行動を開始せよ』

『『了解!』』

 久道さんの鶴の一声により、こちらの状況も一気に動き始めた。

「エンゲージまで残り三〇秒といった所か。今の内に武器を出して体勢を整えておけ」

「はい!」

「私は先に行く。無茶だけはするなよ!」

 返事を聞いてすぐ、瑞葉さんは≪アクセラレータ―≫を起動して棒立ちしている変異体の方へと向かっていった。

 俺も指示された通り、ずっと握りしめたままだった≪タグ≫を展開する。

 三次元から排除されていた質量と体積が復元され、存在情報に基づく構造へと再構築。手のひらに収まるサイズだったそれは手全体に馴染む形状の持ち手に変化し、そこから緩やかな反りを持った刀身が伸びている。

 外観や基本性能は久道さんの持つ刀型の次元兵器と似ているが、抜刀術を扱う彼と違って俺の刀には鞘がない。代わりに刃は長く厚めに造られていて、フューリーが開発したばかりという最新の機能が組み込まれている。どうやら初日から行っていた実験はその機能に関するものだったようだ。

 鍔元に銃のようなトリガーが存在し、これを引くことで起動するらしい。簡単な説明しか受けていないので詳しい原理とかはわからないが、とにかく威力が凄いとのこと。その分消耗も激しいらしいので、使うとすれば本当にやばい時になるだろう。

 ちなみにこの武器には『正宗』と名付けた。刀と言えばこれだろう。今日手に入れたばかりなのに、名前を付けた途端愛着が湧くんだから不思議だよな。

『こちらルナリア。今ラッドと一緒に向かってるから、先走って仕掛けないでね!』

「わかってる! フィーダはどうした?」

『残念ながら定員オーバーだ。あいつ重量過多な上に≪アクセラレータ―≫使うの下手くそだからだいぶ遅れてるぜ』

『お、重いのは装備ですから! わたしは重くないですから!!』

『敵は典型的な中型。危険と判断した場合は小官らで即時排除する。油断はせずとも気負いすぎないように』

「了解!」

 仲間たちからの忠告やらなにやらを受けて、俺は手にした正宗を正眼に構える。実際の戦闘ではどうなるかは別として、姿勢や型通りの動きなら久道さんのスパルタ――もとい熱心な指導と自主練のお陰である程度様にはなっている。

 既に変異体は、補正を使わなくても姿形が確認できる距離まで近づいてきていた。

 例に漏れず醜悪で、見ているだけで不安を駆り立てる外見。しかしそれが迫ってきている事実に対し焦りと恐怖は皆無で、心は凪いでいる。

 ついこの間までなら違和感があったが、今はそうでもない。

 訓練は短かったが、実のある物だった。終ぞ久道さんから一本取ることは出来なかったが、自分が成長したという実感はあった。

 先の瑞葉さんの戦闘で見た変異体と今接近してきているそれとに、大きさ以外の差異はないと思える。ただ本能に任せて、獲物に飛び掛かるだけの獣。

「やれないことは、無いはずだ」

 自分へ言い聞かせるようにして、敵を真っすぐに睨む。


 ――接敵まで残り二〇メートル。

 まずはこちらからは仕掛けず、回避に専念する。≪アクセラレータ―≫を使えば難しいことではない。最悪の場合は時間操作もあるし、数秒程度の意識加速なら大した頭痛にもならないとわかっている。


 ――接敵まで残り一〇メートル。

 本格的に攻め込むのは、ルナリアたちがここに到着してからだ。無茶をするつもりはサラサラないが、万が一に備えて待つべきだろう。ゆくゆくは一人で戦う力もつけなければならないだろうが、それは今日でなくてもいい。


 ――接敵まで残り五メートル。

 こちらの存在を認めた変異体が、殺意をむき出しにして俺目がけ突進を敢行してきた。直線的な動作は能力を使うまでもなく見抜け、余裕で回避が間に合う。ギリギリまで引き付けて、一太刀くらいなら浴びせられるか。

 

 接敵まで残り――

 残り――

 残――




 ――――――何だ、これは。


『消えた、だと!? 奴はどこだ!』

『瞬間移動……ですがそのような素振りはなにも!?』

『総員警戒態勢! 敵の反応をロストした!!』

『馬鹿な……その場から即時離脱しろトモノエ・ハルチカ! ハルチカ!!』

『ちょっとノイン、何が起きてるの!? 春近、聞こえてる? ねぇったら!?』


 何もかもが遠い。

 脳内で響く無線の騒乱も。

 目の前で解体された変異体の亡骸も。


 ただ俺の目の前には。

 闇よりも深い絶望と、『黒』が立っていた。

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