21.負の感情

「セリちゃん! 今日はノアちゃんを休ませて下さい、絶対無理してます!」

「リリアナは過保護すぎだ、私は本当に大丈夫だと……」

 何で、私はまたベッドで寝かされているのだろう。隣では仁王立ちするリリアナと、楽しそうに笑うセリカがいる。当然、私の体はもう完全に治っているため治癒術の効果は無い。そんな様子を見ても、リリアナは私の元を離れようとしない。

「きっと精神の病気! ノアちゃんは精神的な病に……」

「そんなことはない……だからもう、普通に仕事をさせてくれ。お前の仕事を増やしたくな……」

「またそれ! ノアちゃん、私はあなたがここに来るまで一人でやって来たんだよ。だから、これが普通なの。今までが楽すぎただけなんだから!! もう慣れっこなの」

「だからって……」

 すると、コンコンッとノック音がする。

「ノア、入っても大丈夫か?」

「あ、あぁ。大丈夫だ」

 そう言って入って来たのは、銀髪の執事ギルバート。熱があるわけでもないのに、私の枕元には濡れタオルと桶が用意されており、ベッドで眠る私をセリカとリリアナが見守っている光景。確実に、私が熱を出して倒れたような光景だ。それを見て、ギルバートはさすがに驚いた表情を見せる。

「リアが休ませたと聞いてはいたが……本当に熱でも出したのか?」

「そんなはずないだろう。彼女が過保護なだけだ、熱も無いし体も健康体だ」

「……まぁ、体は大切にしろよ。病み上がりなんだから……すまないが、セリカに用があって来た。大丈夫だろうか?」

「えぇ、治癒は必要ないもの。良いわよ、後はリアの気が済むまでノアを診てれば良い」

 そう言ってセリカは、気を遣うギルバートの後に続き部屋を後にした。部屋には私とリリアナが残る。彼女は、じっと私から目を離さずにいる。

「……そんなに真剣に監視しなくても、逃げないから大丈夫だ」

「だめ。そう言ってノアちゃんは、何度も私の目を盗んで仕事をしてた」

「…………」

 当然、私にそんな記憶は無い。そもそも私はこの家に来てから寝込んだことなど、あの霧に侵されたことを除いては無いのだから。過剰なほど私に気を遣うリリアナの表情は、どこか不自然で私を純粋に心配しているようではなかった。その表情は……何故か、悔しそうに歪んでいた。

「……なんで、お前が辛そうな顔をする」

「……そんな顔、してないよ」

「お前でも……いつも笑顔のお前でもこんな表情するんだな」

 そう私が言うと、更にリリアナは顔を顰めながら目を逸らす。しばらく、沈黙が続いたがそんな中、重い口を開いたのは彼女の方だった。

「私本当は、後輩なんて欲しくなかった。私よりも優秀な人が来ちゃったら、用無しになっちゃうんじゃないかって思ってたから。最初は良い先輩を装って、無理にでもノアちゃんを休ませてたんだよ……そうでもすれば、私の仕事が増えて役に立てることを証明できるって思っていたから……」

「今回も、そのつもりだったのか」

「そうだよ。仕事が出来る後輩の、穴を埋める優しい先輩を装って……」

「っ……ははっ」

「な、何がおかしいの! 何でここで笑えるの!!」

 思わず吹き出してしまった。いつも優しい面を見せていた、リリアナの本性を知った上目的まで知ってしまったから。正直な顔を見たから、私は嬉しいのかいつも笑ってしまう。

「いや、ここまでリリアナがブラックな人間だとは思っていなかったから」

「そ、それのどこがおかしいの! 普通なら傷付いたり、裏切られた……とか思うものじゃない」

「ここの屋敷に、普通の考えを持つ人間がどこにいる? お前も含め、誰もいないだろう」

「……そうだよ。ここの住人は皆狂ってる、私もあなたも皆……」

 …………死を恐れない、狂人なんだよ!!

 彼女は、そう声を荒げながら言うと私の目を覗きこんできた。その瞳からは大粒の涙が溢れており、その数粒は私の頬にも垂れてくる。よく見ると、いつもの紫色の瞳は右目だけ彼女の髪と同じ桃色をしていた。

「ノアちゃんは、紫に染まっていない……だから少しだけ期待してたの。この狂った住人を変えてくれるんじゃないかって……でも、違ったのよ。あなたも、狂人だった」

「……そんなに嫌なら逃げれば良かったじゃないか。それが無理なら、セリカにでも告げれば良かったのに」

 そう言って私は、体を起こした。黙って部屋を出て行こうとする私を、リリアナは私の手を引っ張り引きとめる。

「お願い、セリちゃんには言わないで……彼女の悩みの種にはなりたくない……」

「……そんな下らないこと、報告なんてしない。その代わり……」

 ……自分で、この屋敷を変えるんだな。

 私はそう言って、リリアナの顔を見た。そして、無言で彼女の瞳を指差す。

「……自分でも気づいてないかもしれないが、右目は紫色じゃないんだ。それは、自分の意志を持ち始めている証拠じゃないか? だって、その色はセリカの領域に支配されている証拠なんだろう?」

「……!!」

 ……リリアナは、住人について悩みを持っていた。これは私が初めて知った情報だ……そして、彼女は知らぬ間に自分もそんな狂人に染まりかけていた。この屋敷は狂っている、そんなの当の昔から気付いていたはずなのに……どこかおかしいと気づいていたのに。いつからその事実から目を逸らしていたのだろうか。

「……『霧の洋館』の真実を知る前に、私はこの屋敷の真実を知らなければならない」

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