第16話 信じる者は救われる

「え?……あっ!」


 あわてて頭を触る。指の間を、髪の毛がさらさら通り抜けていった。


「はあー、フードかぶってらっしゃるから、全然気づかなかったよ……こう、ちゃんとした武器とか防具とかつけると、一気にそれらしくなるもんだねえ」

「あ、いや、その……はは……」


 もう出るところだったのに、最後の最後にやってしまった。振り返っても、仲間たちは自業自得だ、とあきれた顔ばかりで、助けは望めそうにない。いや、ジゼル以外は、一応心配そうな様子も見せてくれているんだけど。無遠慮に顔を近づけてくる女将の勢いに、入る間を見失っている、という感じか。


「それにしても、まさか勇者様だったなんて……知っていたら、もっと丁寧にしたのに、とんだ失礼を……それにしても、うちに勇者様が泊まってくださったなんて、ああ、ありがたや、ありがたや」

「あ、いや、気にしないで……」


 こうやって、急に自分が『勇者』になる瞬間が苦手だ。別に特別扱いなんて求めていない。値段相応の、印象に残らない接客でいいのに。


 僕はため息をなんとか呑みこんで、女将に笑顔を向けた。悪意がないのはわかっているからだ。だが、それに気をよくしたらしい。女将は部屋の中へ、つまりは僕のほうへ、一歩踏み出してきた。


「ところで、……ジークベルト様が行方不明だって言うのは本当なのかい?勇者様たち、それでジーク様を探すために旅をしているって噂で聞いたけど」


「え、それ、どこで――「私たちも気になって、それでこの国に来たの。でも、国王陛下が違うっておっしゃっていたわ」


「おやまあ、そうなの?」


 一瞬、僕のほうを見たジゼルの碧い目は、「ばかなことをばか相手に言うな」とばかりに細められる。……確かに、ここで変に深追いするのは、事実だと言っているようなものだ。


「うん。今も兵士として、鍛錬に励んでいるって」


「ああ、そうだったの……私ねえ、てっきり、ジーク様は魔王を倒しに行って、負けちゃったんじゃないかって。町の人たちもそう言うもんだから」


「女将さん、誰から聞いたの、そんなこと」


 ルドはどうやら、その話は耳にしたことがないようだった。


「さあてねえ、前からみんな気にはしていたんだよ、ジーク様がいないの……でも、言いだしたのは誰だったか……つい最近だとは思うんだけどねえ」


 女将の説明に、ルドは余計に顔をしかめたが、彼女はさして気にも留めていないようだった。


「あれ、でも、ジーク様を探しに行くんじゃなかったら、どうしてわざわざ、装備をそろえたりしているんだい」

「あ、これは単に見栄張りって言うか……勇者なのに、帰るときに平服っていうのも、クレテールの印象が悪くなりそうだと思って。それで、用意してもらったんだ」

「はあ、そういうこと」


 嘘には自信がない。心配になってジゼルを振り返ると、彼女はあきれ顔を浮かべながら、あごで女将をさした。女将は納得したらしい顔で、しきりにうなずいている。


「勇者様はお若いのにしっかりしてるわねえ。うちのが恥ずかしいわ。そりゃあ、ジークベルト様だって、お国のためにがんばってくださっているのは分かるけど……やっぱり、世界を救った勇者様と比べると、見劣りっていうか。軍事大国とか言って、高い税金を取って、貴重な男手を徴兵してるのに、この国ってなんなのかしら、と思っちゃうわねえ」


「……そんなこと、ないと思うけど……」


 女将の言い分では、勇者はやはり、世界のための機関に過ぎないらしいから、僕だってもはや用なしということになる。彼女は僕をほめたつもりらしいが、僕にとっては侮辱だ。

 だが、女将はやはり、なにも気づかない様子だった。


「ああ、そうだ、魔法馬なら外に届いてるよ。これを伝えに来たんだった。次はどこに行くんだい?おまえが案内するんだろう、ルド」

「ジークさまの無事も確認できて、もう目的は済んだからね。この魔法屋の子が遺跡を見てみたいって言うから、西のほうへ行こうかと思っているんだ」

「ああ、城塞跡だね」

「あそこの土砂崩れはどうなってるんだい?最近行ってないから分からなくて」

「ああ、あれなら――」


 女将さんと鷹揚に話しながら、ルドがひとつ目くばせを送ってきた。うまく撒いておいてくれるらしい。僕たちは各自の部屋に戻って、そそくさと荷物をまとめ、宿をあとにした。


             


「やはり、話が広まりすぎている。どう考えても、火が立ってからの煙にしては早い」


 魔法馬に荷物を積みながら、ヴェンはあたりを睨みつけた。


「しかも、アウローラに批判的だ」

「平和になると、軍備費に文句が出るようになるのは、社会学的には当然だけれど……」

「そのやり玉にジークがあげられてるの、なんだかなあ」


 ぽつりと落ちた僕のつぶやきに、みんなが深くうなずいた。


「……とにかく、早く神国に行かなくちゃ。あいつなら、なにか知っているはずだ」


 世界は、自分は関係ない、むしろ怪しいのは神のほうだと言っていた。それに、神は世界と違って、本気で人間に興味も親切心も持っていない。本当に癇に障るやつだが、そういう面があるからこそ、ひとに対して冷淡で、そして客観的でいられるし、やつにしか見えないものというのがあるのだ。


 ジークが道中消えた可能性を探るのはもちろんだが、それ以上に、今は怪しいうわさの出どころや、人々の間で何が起こっているのかを知る必要がある。これ以上広がる前に、なるべく早く。勇者なんて嫌だといくら言っていても、自分の救った人たちを不安にさせたくはないし、自分にこそできることがあるのなら、それは力を尽くしたい。


 支度をしながら決意を新たにするうちに、ルドもようやくやってきた。


「あ、そうだ。会計、ちゃんとしておいたから、安心してね」

「あら、現金まだ残ってなかったかしら?女王陛下にいただいた小切手、出立の前に五分の一くらい崩しておいたと思ったけど」

「え?……あっ」


 なんとかあの場から離れたい、という気持ちが強くて、財布を渡すのも忘れていた。


「悪いよ、払う」

「大丈夫だよ、男のひとり暮らしはお金が貯まっちゃうんだ。勇者とカッツェちゃんに、なにか旅の途中でおもしろいものがあったら買ってあげようと思って、多めに持ってきていてよかった。……もうすぐ四十路のおじさんからのお小遣いだと思ってさ、受け取ってくれないかな」

「……そこまで言うなら……」

「ありがとう」


 なにがうれしいのか、ルドはにっこり笑った。この男はいつもこうだ。なにかと僕の世話を焼きたがるというか、困らされると喜ぶというか……同じ年上でも、そういうところはヴェンとは違う。彼のほうは、静かにただ見ていて、僕が顔を上げるときには、もうどこかへ行っている。

 父とはルドのようなもので、兄はヴェンに似ているかもしれない。記憶の断片、顔も知らない親に抱かれた腕のあたたかさは、ふたりといるとき、こうして鮮烈によみがえることがある。


「勇者?」


 はっと顔を上げる。いつのまにか、ルドが身をかがめて、僕の顔を心配そうにのぞきこんでいた。


「……ごめん、なんでもない。馬、大丈夫そうか?」

「ああ、問題ないよ、きれいなものだ」


 アウローラ育ちのルドが一番乗り慣れているため、点検はいつも彼の仕事だ。アウローラの仕事は基本的に雑で、早くて安いというのはもちろん魅力なのだが、それ相応の結果しかでない。手綱が切れかけていようと、病持ちの馬をつかまされようと、見抜けなかったほうの負けだ。だが、今日は運がよかったらしい。


「あたし、魔法馬に乗るのは初めて!つくったことはあるけど」


 魔法馬と聞くと、つい、魔装具のように『魔法で強化された馬』を想像しがちだが、さすがに魔法使いは知っていたらしい。魔法馬は魔法で作る、馬の姿かたちをしながら、その数百倍もの体力と忠誠心を持たされた、自然界に存在しない動物の一種である。『靴』でなお遠いような土地への移動に使われ、山間部の行商のほか、特に移動魔法で向かうことのできない神国への巡礼に使われる。僕も乗るのは久しぶりだ。


 関門まで、そもそも乗馬経験の浅いらしいカッツェにスピードを合わせて、ゆっくりと進む。


「うう、ごめんね、あたしが遅いせいで……どう考えても歩いたほうが早い……」


「いや、むしろ、遅くなる口実があったほうがいいから」


「え?どういうこと?」


「勇者の出立って、移動魔法でならともかく、たいてい軍の要人なんかがわざわざ見送るような、大事なイベントなんだ。おれたちが出立するのに気づいた兵士が隊長を呼んで、それで隊長が来るまで、となると、けっこうかかるからね。向こうの顔をたてるためにも、こういうときはわざとゆっくり行くんだよ。今回は非公式だけど、まあ、慣例だからね」


「へえー」


「あれが大変だったなあ、小さな街なんだけど、名士みたいなじいさんが仕切ってて、そのじいさんの腰が悪いもんだから、あの手この手で寄り道してさ……」


「道に出ていた屋台はほとんど制覇したわねえ。ケーキのスポンジみたいなやわらかい生地を、ころころした丸い形にして焼いてあって、中にはちみつとか、ジャムとか、チョコレートなんかが入っているお菓子があったんだけれど、それがもう、卵のやさしい甘みが、どの中身とも調和していてね、本当においしかったわ」


「そんなのあったっけ……って、それ、おまえと僕で半分ずつって約束したのに、ちょっと目を離したすきに、おまえが全部食べたやつの話じゃないか!」


 たわいもないことを話しながら行くうち、カッツェも慣れてきたらしく、徐々にスピードは上がっていった。そう言っても、魔法馬の本気にはほど足りない。本番は外へ出てからだ。


「あっ、見えてきた!……あれ?」


 カッツェの声に、みんな顔を上げる。そして同じように、首をかしげた。

 隊長どころか、検閲の兵士さえも見えない。もぬけのからだ。


「どうしてかな?」


「さあ……」


 ジゼルは眉をひそめた。魔法馬のおかげでにわかに明るくなっていた空気が、王城の中のときのように重くなっていく。

 僕は、つとめて明るい声を出した。


「単純に、気づいていないだけじゃない?非公式な訪問だし、僕も、もう武装を解いて、フードまでかぶっているし」


「それでも、気づかなくてはいけないでしょう」


「たまたまだって。きっと深い意味はないよ。考えすぎさ」


「そうかしら」


「そうだよ」


 じっと見てくるジゼルに、僕は目を逸らしたくなりながらも、見つめ返した。

 ここで引いたら負けだ。また王の話になるのは避けたかった。僕は王を信じていた。神や世界や魔王以外に信用ならないものなんて、おもしろくないほど秩序だったこの世界に、いるはずがない。

 知らなきゃいけないことがある。だから、自分が尻込みしないように、勇者でいられるように、時が来るまではあたたかな旅をしたかった。


「……まあ、時間的にはまだお昼時だし、少し当番に穴が開いているのかしら。平和な世の中なんだもの、確かに、勇者の言うとおり、考えすぎかもしれないわね」


 ジゼルの雰囲気がやわらかくなる。僕はほっと息を吐いた。


「じゃあ、みんな、出発だ!」


「おー!」

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どうか勇者を殺してね 阪本 菊花 @kikuka

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