第14話 化け物はさみしいかもしれない

 魔法協会を出てから、街でそれとなく、ヒラリオンやアルブレヒトについて聞き込みをしたものの、確かな情報はなかった。だが、気になるのは、確かでないほうである。


「そんなことよりジーク様、魔王が封印されても見かけないと思ったら、旅に出たまま行方知れずだって言うんだ」


「俺ァ昔から思っていたけど、やっぱ、生まれついての勇者様にはかなわねえよなあ。いい人だったけどさ」


「国がなんにも言わねえのも、ばれたら格好がつかねえからかもな。軍事大国とか言っといて、その英雄が魔王に負けちまったとか」


 いったいどこから始まったのか、ジークベルトに関する話が好き勝手にささやかれる。


「それで、クレテールの勇者さまが、ジークベルトさまを探しているとか」


「魔王城まで行くつもりで、武具そろえたり、仲間集めたり、親切なことだよ。ここの勇者も、根っからの勇者だったらよかったのになあ」


 魔法協会を出るときに、ジゼルに一声かけたいと押し寄せた構成員の対応に時間を食ったのもあり、不審に思いながらも、僕たちはあまり余裕なく城へ向かった。


「はあ……いやあ、やっぱりお城ってすごいねえ」


 金箔、天井画、アウローラ絨毯。贅のかぎりを尽くしたきらびやかさに、カッツェはきょろきょろしっぱなしだ。


「ラナンクルスにはないもんね」

「うん、まあ公爵さまのお館はあるけど、普通にお金持ちのお家って感じだから。ここは、なんか美術館みたい」


 アウローラは革命の王国だ。人々は幾度となく血を流した末に、五百年前の大革命で、革命が二度と起きないよう、王家に絶対的権力を与えた。王国のたいていが王権神授説を採用する……というか、聖書にそう書いてあるのだから事実なんだけれど、アウローラだけは『王権民授説』だ。民の協力なくして完成できなかったこの王城は、特異な歴史の象徴でもある。


「っていうか、なんか流れでついてきちゃったけど、あたしはさすがに王様に会えないよね?どっか座っとく場所とかあるかなあ」

「なに言っているの。魔法協会の理事も連れてきたからって言ってあるわ」

「はあ!?なに勝手に――」

「あ、ついたよ」

「えっ」

「開けてちょうだい」

「ちょっと、」


「陛下、勇者ご一行をお連れしました!」


 扉が開くと同時に、カッツェは勢いよく、ヴェンのうしろに隠れた。

 ここへは何度も来ているけれど、王の間のこのだだっぴろさだけは、なんともしがたい違和感がある。しかし、意味がないとも言えないのがつらいところだ。


「入るがよい」


 カッツェはもちろんのこと、ルドやヴェンまで、緊張しきっているのが背中越しにわかる。当代のアウローラ王は、革命のない『新時代』の王だとは思えないほど、とにかく迫力がすごい。これくらい玉座まで間があったほうが、近づくまでに気持ちを作れていいのかもしれない。


「壮健そうだな」

「陛下もお元気そうで」


 お互いの顔をきちんと捉えられるあたりで足を止める。背後では、四人がひざまずいた気配がした。

「本日は、貴国の勇者ジークベルトについて、お聞きしたいことがあります」

「理由は」

「私から説明いたしますわ」


 ジゼルは平素のとおりすっくと背筋を伸ばして、僕の隣に並んだ。まつげまでまっすぐに王を見ている。


「シスタージゼルか。他にも見覚えのある者がほとんどだが」

「それは、ジークベルトさまを見つけることに、どうしても必要だったからです」


 王の眉がピクリと動く。


「……どこまで知っている」

「大魔法戦線招集前の出立。仲間はアルブレヒトとヒラリオン。すべて、いまだ魔王城から戻らず」

「ある程度は調べたらしい。……なにが目的だ」

「ジークベルトさまを見つけ出せとの神託を受けていますの。それを成しえたいだけですわ」

「なにか知っていることがあるのなら、どうか教えていただけませんか」


 王はしばらく考えこんだ。それで、顔を上げるころには眉のしわだけを厳しくして、口のほうはけろっとした感じで、妙に迫力なく言った。


「知っているもなにも、ジークは失踪などしておらん」


「は?」


 この男はなにを言っているのか。


「あの、陛下。我々は旅の中途に、世界から、新たな魔王の出現を予言されたのです。ですから、」

「魔王を倒せなかった勇者がほしいと、そういうことか」

「いえ、そういうわけでは」


「もういいですわ。陛下のお考えは、よくわかりました」


 唖然にとられる僕をよそに、ジゼルはにっこりうなずいた。……にっこり?相当機嫌が悪いじゃないか。


「そういうことでしたら、行方については結構ですわ。でも、ジークさまがいらっしゃるにしたって、不思議なことがありますの。どうして彼の出立を、ご内密になさったの?すばらしいことだもの、もっと世界に言いでもしたら、不安も晴らされたでしょうに」


 聞いている内容は正しい。ジゼルが聞かなくても、僕のほうが聞いただろう。だけれど、この不機嫌な言葉選びは一体全体なんなんだ。いや、僕だって、王が国の威信を守るために、しょうもない嘘でやりすごしたのはわかっている。腹も立つ。だけれど、相手は軍事大国アウローラの王なのだ。僕ならともかく、計算高いジゼルが、こうも敵意をむき出しにすることはない。いったい、なにをそこまで怒っているのだろう。


「公にするとなると、儀式からなにから、費用がかさむ。あのときは、ラナンクルスからの難民を受け入れることに専念するべきであった」

「では、今こそおっしゃっては?」

「ジーク自身の意向だ。魔王を手ずから葬っていない以上、言う必要もあるまい」

「彼らは懸命に戦ったというのに、結果がないなら、そのことも知られなくていいと?」

「感謝はしている」


 あまりの言い草に、僕が声を上げる前に、ジゼルが歩き出すほうが早かった。近衛兵が止めに入ろうとするのを、にらんで止める。それくらいは僕の領分だろう。ジゼルは玉座の前で立ち止まる。


「魔王討伐のおそろしさは、行った者にしかわからないわ。でも、それでも、まともな君主なら、部下の無事くらい祈ったらどうなの」

「目に見えぬものに祈ったところでなんになる」

「力を信奉するより、よほど学問的だわ。あなたは結局、世界で唯一権力を持った自分を信じて、邪魔なものは不浄だと信じているんでしょう。そうして魔王を倒さなかった勇者も、あなたの国のものでない英雄も、不浄という顔で見ているのね。無知がなせる極悪よ!」


「ジゼル!」


 いくらなんでも、熱くなりすぎだ。だが、おかげで、僕のほうはかなり冷静になっていた。ジゼルが足を止めて、こちらへ戻ってくるのと入れ違いに、僕は一歩踏み出した。


「あの、陛下のお考えはわかりました。ジーク殿が無事なら、それでいいんです。でも、それならどうか、魔王城で待っていると伝えてくれませんか。魔王の封印は、すべての勇者の使命です」


 そうだ、結局、僕たち自身はどうでもいい。肝要なのは、生まれつつある魔王の討伐である。祈るように手をあわせると、彼は、ぼそりと僕のほうを見つめた。


「お前、魔王は恐ろしかったか」


 思ってもみなかった言葉に、あっけにとられながら首を振る。


「いいえ。勇者というのが恐ろしいだけでした」

「夢に見るか」

「毎晩」

「お前、それでも、魔王城へ行くのか」

「勇者に生まれたので」

「お前は――」


 じっと見つめる瞳は、見返すと、すこし揺れて、それから二度と、僕のほうを見ない。


「いや、もういい」


 王はそれからなにも言わず、こちらを見送りもせず、ただあえて言えば、壁にかかった勇者たちの絵を見ていた。


「失礼します」


 扉が閉まる間際も、ジゼルはじっと王をにらみつけていたが、彼はついぞ最後まで、玉座を立つことはなかった。

 

                   


「あーっ!ほんっとうに苛々したっ!」


 いつものジゼルなら、食事にまで怒りを持ちこむことはまずないのだが、そこはまずいアウローラ料理と、ジゼルの本心からの怒りとがなせる技である。


「おれは本当にひやひやしたよ……うう、胃が痛い」

「だいじょうぶ?ルドさん」


 娘と言って問題ない年のカッツェに背中をさすられ、よりいっそう情けなさが際立っている。


「……まあ、おれも正直、イラッとはしたけど」

「あたしも。なんかさ、国のために、いろんなこと隠してる感じ。そういうのって必要かもしれないけど、でも、命賭けてるひとのことなんだよ?なんか、納得いかない」


 魔王は僕の手で倒された。それは紛れもない事実だ。クレテールの勇者が世界を救った。これも。だけれど、それでアウローラの勇者が弱いとか、恥ずかしいとか、そういうふうに決められるだろうか。たぶん、そこに認識の齟齬があるのだ。


「勇者は、どう思う」


 ヴェンは渋い顔で、僕のほうを見た。……さて、どう返せばいいものか。

 勇者は外交手段であり、国の象徴だ。だが、ジークベルトは。ジークベルトはかつて人間だった。僕だって、やはりひとのようなふりをして生きている。勇者は、人間とは確かに違うけれど、それでも、人間と大差なく生きている。


「……さみしい、かな」


 そうだ、アウローラ王の考えは、とてもさみしい。彼はいのちからがら逃げてきた僕に、武具一式と、緊急時だったとはいえ、軍隊ひとつを預けてくれた。本来は炯眼けいがんであるはずの男だ。だが彼は、もしかしたら、魔王軍を迎え撃つ計略を練る間も、僕と言葉を交わすときはいつだって、敵と変わりない化け物として、懐刀を気にしていたのだろうか。


「『勇者は、人間が神と世界に並び立つための機関にすぎない』とは、勇者、お前自身の弁だが、それでもさみしいのか?」


 そうだ、勇者が人間でないのは、僕自身がずっと主張していることである。称えられるものでもなければ、素晴らしいものでもない、生まれついて苦痛だけを与えられた、なる意味も価値もない魂。だが、


「僕が言うのと、ひとが言うのは違うだろ」


 事実はときに刃である。そして、ひとには、すべての魂には、神の与えた自らの器の役割をまっとうして、世界を円す義務がある。僕は神も世界も好きではないが、そのことに背を向けるのはまちがいなく罪だと思っていたし、傷つけるのはもってのほかだ。


「勇者をひと扱いしたほうが、どう考えても都合がいいだろう。お互い、言わなくてもなんとなしにわかっていた契約が、勝手になかったことにされたのが、さみしいんだ」


 王はきっと、わかっていて背信に踏み入っている。それは確かだった。どう考えても、彼は僕から勇者というものを知ろうとしていたし、それはまぎれもなく、ひとに対しての理解を示す姿勢だ。


(最後、なにを言いかけたんだろう)


 彼の目は、静かに濁って、水のようだった。砂漠の男なのに。知らないものを、知らないものと思っているような。


「……王なんて、みんな打算づくめよ。すぐ裏切るんだから、最初から信じちゃいないわ」


 ジゼルは深くため息をついた。


「いないひとの考えを、自分の利益のために、勝手につくっているのが許せないのよ。もっとも恥ずべき罪だわ」

「確かに!そんなことしてるなら、無事を祈ってろって感じ!」

「あら、わかっているじゃない」


 それに比べてあのクソ男は、と吐き捨てたあと、ジゼルはようやく気持ちにひと段落ついたのか、少しだけ落ち着いた声で言った。


「とにかく、この国で得られることはもうないわ。とっととおさらばしましょう。クソ王とも、この料理とも」

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