第13話 勇者の仲間

「どうしよう、ジゼル……」

「わかんない」


 目に涙をためて、ジゼルは年相応に返した。それが余計に今の状況を示していて、僕まで泣きたくなった。


 どうやら僕たちは、入る酒場を間違えたらしい、と気づいたのは、かなり早かった。そこで出ればよかったのかもしれない。でもそうしたら、目をつけられて云々、と考えると、結局、そもそも間違えなければよかったのだとしか言えない。


「おう、こっち見ろよ、怪しいフードのにいちゃんよお。てめえにそんな美女を連れてこられちゃ、俺らの顔がないってもんさ。なあ?ちょっと女貸せってんだよ。折れた骨を治すよか簡単だろ?」


 もちろん、聖剣を抜かずとも、こんな酔っ払い、僕なら一秒で気絶させられる。だから怖いわけではない。ただ、外交問題を避けたいのだ。一国の勇者が他国の酒場でけんか。しかも、その場には神国最高幹部のシスターも同伴。考えただけで背筋が凍る。ここはなんとか、穏便に切り抜けたい。


「あの、僕ら、来る場所を間違えただけなので、」

「んなのどうでもいいんだよ。帰すわけねえだろうが、こんな上玉」


 酒臭い息はどんどん近づいてくる。それも数を増やして。扉はすぐそこだ。相手はまだ僕らの正体にまでは気づいている様子がない。一瞬足を払ってその隙に走って逃げればなんとか……。


「勇者」


 小声で僕の服をぎゅ、とつかんだジゼルの手が震えているのを見て、僕は頭の考えがすべて抜けて、すっぽり僕ひとりになった。代わりに、冷め切った自己がふくらんでいく。ああ、だめだ。国王には土下座しよう。リゼットにも、不服だけど、しょうがない。今ここで、こいつの顔を殴らなかったら、男じゃない。


「お、なんだ?やんのか?」


 殺るに決まってんだろ。僕は拳を思いきり握りしめ、殴りかかると見せて体勢を低く下げ、足の急所を狙って踏み出し――


 拳を打つ相手が、吹っ飛んでいったのを見て、止まった。


「……は?」


 男が吹っ飛んで行ったのは左側。つまり右側に誰かが、


「今だ!急いで!」


 確認する間もなく、その『誰か』に手を引っ張られる。ジゼルの手を急いで握り、酒場をあとにした。


「怖かったろう。ここまで来ればだいじょうぶだよ」


 走ってしばらく、宿にも近い、比較的明るい通りに出たところで、僕の手を引いていた男が足を止めた。


「魔法協会の酒場と間違えたんだね。あのあたりは治安は悪くないんだけど、今日はちょっと悪い客が多くてさ、念のために見に来たんだけど、なんとか間に合ってよかった」


 灯りの下、振り向いた男に、僕もジゼルも、夜を忘れて大声をあげた。


「「ルドッ!?」」

「……ええっ、もしかして、勇者とジゼル!?」


                   


「いやあ、本当びっくりしたよ。態度が若いのに、なんだか妙に雰囲気のある子たちだなとは思ったんだ」


 朝食は世界共通食、ホットケーキだ。昨日と打って変わってこれはおいしい。とは言っても、宿のものではなくて、ルドのお手製なんだけれど。


 ルドを連れて戻ると、宿の前に立ちぼうけで待っていたらしいヴェンが、ほっとしたのと驚いたのと、見事に半々の顔で、僕らを抱きしめた。それから、もう遅いから、と、話をする時間もなく、ベッドに押し込まれた。


 僕らの寝ている間に、ヴェンもルドから話は聞いているはずだ。絶対にこってり怒られるに違いない、と重苦しい気持ちで目覚めたが、ヴェンはただ、ルドの家に行くから荷物をまとめろ、と言うだけだった。もしかしたら、ルドになにか言われたのかもしれない。


「でも、間違えて入った酒場で、ルドさんが用心棒をやってたなんて。すごい偶然だね」

「本当だよね。おれもほっとしているよ」


 ルドはふんわり笑った。


「カッツェちゃん、それ、おいしい?若い女の子の口にあうか不安で」

「うん、ふわっふわで最高!」

「そっか」


 ジゼルは朝の祈りの最中で、まだ食卓についていない。ルドが空席をちらちら気にしている。彼は、相も変わらず聖なるシスタージゼルを尊んでいるのだ。


 ルドはもともとアウローラの兵士だったが、おひとよしが過ぎて、国王の花瓶を割った同僚の不注意を被り、クビになった。路頭に困っていたところに、僕の仲間として派遣されてきた(逃げ出すつもりだったらしいが)ジゼルに出会い、話を聞いてもらったらしい。

 同僚には病気の母がいるのだから、正しいことをした、後悔はしていない。ただ、自分の家族のことを思うと、どうしていいかわからない――そう告白したルドに、ジゼルは教会のステンドグラスの下で、こともなげに言ったそうだ。


『あなたのようなひとがいて、あなたの家族は、よい円環の巡りだったわね』


 そのあと、ジゼルの口車に乗せられて、彼は魔王討伐にまで行くはめになるのだが、彼はそれを、今でもまったく悪いことだと思わないらしい。ルドにとっては、ジゼルは魂の恩人なのだ。


「おはよう」


 ジゼルは眠そうな顔で席についた。


「どうだろう、口に合うかな」


 ルドが大きく口を開けた彼女の顔を、おそるおそるのぞきこむ。しばらく噛んでから、「あら、おいしいじゃない!」ジゼルはきらきら目を輝かせた。


「これ、かかっているの、はちみつじゃなくてメープルシロップでしょう。苦いのがいいって言うひともいるけれど、私はやっぱり甘いほうが好きだわ。ふわふわしてるけど、食感はしっかりしてて、うんうん、そう、とろければいいってものじゃないのよね。変に砂糖が勝っていなくって、ちゃんと卵の甘みがするのもいいわ……んー、この国でまともな食事にありつけるなんて、夢みたい……」


 ジゼルのとろけそうな声に、僕も胸をなでおろした。これでまずいと言われちゃあ、どうしようもない。


 ルドは昨夜のうちに、旅についての大体をもう聞いたらしかった。


「おれももちろんお供するよ。酒場通りの見回りの仕事も、一ヶ月くらい休みをもらって来た。仕事は替えが効くけど、みんなを守るのはおれだけだもの」

「やった!」

「ふふ、楽しみだなあ。よろしくね」


 これで全員がそろったことになる。


「さて、ルドも入ったことだし、今日の予定を整理しよう。午前中は魔法協会支部に行って、昨日うやむやになった、ジーク殿の仲間の魔法使いを探す。それから王に謁見。それが終わったら、飯のあと、魔法馬で神国に出発だ。到着は明日の朝を想定している」

「なら、まずはヴェン、あなたのほうからね」


 ジゼルの言葉で、準備に立とうとしていた僕やカッツェははっと止まった。そうだった、ジークの仲間は、もうひとりいたのだった。


「ナイフ使い。調べてくれたんでしょう?」


 ああ、と皿の次に広げられた書類は、几帳面なヴェンの筆跡だ。どこで見つけてきたか、似顔絵まで貼りつけてある。


「名はヒラリオン。盗賊ギルドに探りを入れたが、現在行方知れずだ。だが、ある程度の情報は得られた。どうやら彼は、アウローラ軍の人間らしい。―つまるところ、訓練を受けた暗殺者だ。砂漠の酒場のご主人は慧眼だな」

「でも、盗賊ギルドに情報があるっていうのは」

「ああ、生まれ育ちは立派な悪党だ。強盗殺人で捕まったときに引き抜かれたらしい」


 ギルドにいたころに描かれたんだろう似顔絵は、まだ成人もしていないように見える。傷んだ黒髪、褐色肌。それだけでは、アウローラ人のほとんどにあてはまってしまうが、軍の人間というのは大きい。僕と違って、ジークベルトはもともと軍の騎士から始まっている。仲間を軍内から選ぶのは自然な流れだ。


「なにも立場だけじゃない。ヒラリオンは二年前、ラナンクルス滅亡直後に、育ての親――まあ、ギルドの世話役なんだが――に、軍に入って以来、初めて会いに来たらしい。『育てるのにかかっただろう金を返す』と言って、明らかに臨時給与としか思えない額を渡しにな」

「……今生の別れ……」

「受け取った本人も、そう見えたと言っていたからな。まあ、信用していいだろう」


 魔王に勝てる保証はあるが、生き残る保証はどこにもない。封印したあとに力尽きた勇者だって、記録には残っている。数十年後に訪れた新たな勇者によって、宝石を握りしめた骸骨が見つけられたこともある。……僕がそうならなかったのは、単に、円環の巡りがよかっただけなのだ。

 重くなった空気の中、ジゼルがフォークを置いた音が響く。


「まあ、ヒラリオンが戻っていないのなら、あては魔法使いのほうね。さっそく行きましょう。今日はいい朝だわ」


 準備に席を立つ途中、ルドがうれしそうに皿を片付けるのが見えた。確かに、いい朝だ。


                  


 魔法協会アウローラ支部は、賢者ジゼルが突然訪ねてきたことで、一時騒然となった。僕たちはすぐに応接室にとおされたのだが、どうやら、誰が応対に出るかでもめていたらしい。末席ながら理事のカッツェはふがいないと言うが、僕はさして、仕方がないだろう、という程度だった。賢者はすべての魔法使いの憧れだ。加えて眉目秀麗、会話もうまい聖人ともなれば、隣でお茶をつぐ機会を逃すほうがおかしい。


「構成員たちが醜態を見せまして、本当に申し訳ありませんでした……っ!」

「いえ、いつものことですから」


 結局、出勤してきたばかりの支部長を代表とすることで、一応の決着を見たらしい。今は建物全体がひんやり静まっている。氷魔法の応用だろう。


「それで、えーっと、ご用件は、軍のほうに派遣した魔法使いのことでしたか。ええ、みなさまのおっしゃるとおり、こちらの支部の所属です」


 支部長のめくる名簿は、人を殺せそうな分厚さだ。そのわりに、似顔絵が出るまでは早かった。つまり、やはりと言うべきか、その魔法使いは、なかなかに高位だ。


「本人が本部からそのまま持って来たものなので、少し古いんです。肌はすっかり焼けていました」


 男は灰色の髪に金の目で、見事整ったラナンクルス人の顔立ちだ。これで褐色肌というなら、国の入り混じった、不思議な雰囲気の男前だろう。


「アルブレヒトという、ラナンクルス出身の男です。氷魔法で室温を下げる方法を庶民に浸透させたいと、六年前にアウローラ支部に」

「うげっ、本部時代に大公賞とってるじゃん……このひと、本部に残っていたら、間違いなく理事ルートだったのに」

「魔法の好きな魔法使いだったんですよ。ひとの役に立つ実用性が、彼の目標だった」


 まるで親友のことを懐かしむようなまなざしだ。支部長ははっとして、それから苦笑いした。


「……彼が来たとき、私も昇進したばかりで。年は違いますが、おたがい、慣れない環境への不安や愚痴、そして我が魔法界への期待を語り合ったものです。もう、昔の話になってしまいましたが」

「と、言うと?」

「彼は三年前、アウローラ軍に引き抜かれたのです。それからは、忙しかったようで、こちらには。本当に優秀な男でしたから、国の予算がつくなら、もっとやりたいことができるだろうと、私も送り出して……」


 支部長の顔から、笑顔がすっと抜けていく。


「だが、まさか、魔王討伐に行っていたなんて……」

「ご存知なかったんですか?」

「お恥ずかしながら、寝耳に水でした。私はてっきり、魔法の軍事転用だとか、氷魔法の民間普及だとか、そういった研究をやっているのだとばかり……」


 支部長は悔しげに眉を寄せる。


「最終的には魔王討伐にまで行ったのだから、みなさんは驚かれるかもしれないが、私の知っているうちでは、アルブレヒトに実戦経験はまったくありませんでした。落ち着いた町中で灯りをともすのと、血が飛ぶ中で仲間を避けて火の玉を打つのでは、難易度はもちろん、必要な能力自体が違います」

「あれ、でも、ジゼルは」

「こいつを人間の尺度にするなといつも言っているだろう。生まれて初めて魔物を見て、次の瞬間燃やしている化け物は、世界にこいつだけで十分だ」

「言い方が苛立つけれど、まあ、そうね。……でも、だからって、研究畑の人間を引っ張り出して、軍事訓練って」


 ジゼルも不快そうな顔をした。


「アルブレヒトのような魔法使いに、きっと、魔王討伐はすばらしく感じるでしょうね。魔法で直接的にひとを救えるもの。……本当、いやなやりかた」

「彼は……彼は、本当に、ただ、誰もに心地のいい世界を、魔法で作ろうとしていたんです」


 それが、どうして……。顔を覆った支部長に、僕は、なんと言えばいいのかわからなかった。


「ねえ、ヴェン」

「なんだ」


 小声でささやくと、彼のほうも、耳を寄せてくれる。


「ヴェンはラナンクルスの仇を討つために、僕についてきたんだよね」

「ああ」

「つらくなかった?やめようと思ったことあった?」

「……まあ、そういうときがなかったとは言わないが」


 肩をすくめる様子は、僕の言いたいこと――ひとにとって、魔王討伐とはいかなるものか、というのを、正確に、真摯にすくおうとしているように見えた。


「ただ、勇者に出会ったとき、世界を救うということは、神がお与えになった、この器の役目に違いないと思ったんだ。自分なりに、毎日教会で教えを請うて祈っていたが、あんな感覚は初めてだった。……アルブレヒトも、おそらくはそうだったんだろう。なにか、あらがえない運命として、なにをしてでも世界を救いたかったんじゃないか」

「……そうです、そういう男でした、そうでした……」


 何度もうなずいてから、支部長は僕のほうをじっと見つめた。


「彼はまだ帰っていません。いつのまにか姿を消しました。でも、私は待っています。アウローラの民も待っています。もし彼に会えたら、きっとそう伝えてください」

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