第12話 砂漠の王国アウローラ
「……本当についた」
砂漠の向こうに、日が沈もうとして赤く燃え盛っている。見間違えようもない。ここは、太陽の国アウローラだ。
「ね!すごいでしょ!」
カッツェはくるくるまわって自慢げだ。
「これの開発には、まず古今東西の魔法陣をすべて重ねて魔力媒体としての構成を変化させるっていう新たな視点での世界干渉が――」
「おええ……」
「……ジゼル、大丈夫?吐いときなよ、ほら」
「美人は人前で吐かない……うえ」
「あー、勇者、お前はカッツェの話でも聞いておけ」
ヴェンはジゼルの背中をさすりながら、言外に僕を追い払おうとする。大きな手からは回復魔法の気配。僕がさすっていたときより、ジゼルがちゃんと吐いている。その、いつもは頼りがいのある兄貴ぶりが、なんともわからないが、いまは納得がいかない。
「なんで」
「なんでって、お前……」
ヴェンはなにか言いたげに口を開けたが、結局、「とにかく、いいから」背を向けさせられた。
それで、聞こえてくる苦しそうな声に、あたふた涙を浮かべるカッツェと目が合って、まあ、しょうがないかな、と納得した。そもそも、ジゼルを看病するのが僕である必要もないし。……だったら僕、なんで一瞬、ヴェンにイラッとしたんだろう。
「……あの、わかってるだろうけど、誰の魔法でも、あいつ、ああなるから。カッツェのせいじゃないから」
「う、うん……」
しばらくして、嗚咽がやんだ。姿を見せたジゼルは、顔色もよく、もう大丈夫そうだった。
「ごめんなさいね。それで、なんの話をしていたんだったかしら」
「あ、えっと、だから、魔法陣は単一っていう常識自体を根本的に見直して、古今東西の長所を掛け合わせた、まったく新たな世界干渉が――」
「あ、凡人の話か。じゃあ、それはまあ、置いておいて」
「ちょっと!置いておかないで!誉めて!」
「あら、私はあなたの魔装具を信頼して、あなたの扉でここへ来たのよ。それでも賛辞は足りないかしら?」
世界一の夕陽さえ演出に、ジゼルの金髪がきらめいている。星だ、と、思った。太陽より、よほど品がいい。カッツェも黙りこくって、ぼうっとそのほほえみを眺めている。
「……こういうとき、あれがあくまで聖人であって、聖女でないのがよくわかる」
しみじみ言ったヴェンに、僕もうなずいた。聖女はあんな顔をしない。
「ほら、いいから早く。関門はすぐそこよ」
アウローラの城下町はすでに閉門時間を迎えているし、そのことには僕もヴェンも、もちろんジゼルも気がついている。だけれど、僕たちには、なんとかなる自信があった。
「ねえ、どうしてもだめ?」
「いやあ、その、勇者さま一行とはいえ……」
「そんな固いことを言わないでちょうだいよ、ね、いいでしょ?だってまだ、日もそんなに落ちてないわ。あなたの格好いい顔を照らしてる。私の顔は見える?ねえ、きれい?」
「ああ、うん、きれいです、もちろん」
「うれしい!やっぱりまだ明るいわ。よかった、そうじゃなかったら、私とあなた、こうして見つめ合えなかったもの。ほら、いいでしょ?運命の出会いに免じてちょうだい」
「しょうがないなあ、秘密ですよ」
でれでれにゆるんだ顔で、衛視は緊急用の出入り口を開けた。
ジゼルは聖女ではない。だからこそ、こういうときにはとても助けになる。
「いいのかなあ」
「なにが?」
「あのひと、もう一生、シスターのことを忘れられなさそう」
「「ああ……」」
そして美人の基準が上がって、人生が楽しくなくなると。僕もヴェンも、残念ながら心当たりがある。
「誰だって、お願いするときには相手をほめたり言葉を凝ったりするじゃない。私はなにも変なことしてないわ」
「いや、そうだけど……」
「カッツェ、良心は捨てたほうがいいよ」
「遺憾だが、俺たちはジゼルの色仕掛けに数えきれないほど世話になったからな。遺憾だが」
「色仕掛けなんて失礼な。本当の美人は、息をしなくてもうつくしいものよ」
日が落ちたばかりの街は、まだ酒のにおいもせず、しゃべりながらでも歩くことができた。半年前と変わらず、区画の整った石畳では、道に迷う心配もない。王城へも、そう時間はかからなかった。
「明日の謁見許可をもらってくるわ。宿屋の見当をつけて、ここでしばらく待っていて」
「僕は行かなくていいの?」
「あなたが行くと、今すぐ通さないと、って城中がパニックになって、色々面倒そうなんだもの。疲れている勇者の代理、って言うほうが、都合がいいわ」
ジゼルを見送って、僕らは少し離れたところに腰を下ろした。
「宿は魔法馬の手配をしてくれるところだね。神国は移動魔法で行けないし」
「それなら心当たりがある」
ヴェンが挙げた宿は、僕もよい聞き覚えのあるところだった。そこでいいだろう、というと、それきり、ジゼルの言っていた用が済んでしまった。
「ねえ、そういえばさ」
ジゼルのいるほうを見て、つまらなさそうに足をぷらぷらさせながら、カッツェはなんとはなしに呟いた。
「シスターは、なんで仲間を集めようとしたのかな」
「え?」
「だってさ、いくら魔王城にはまだ魔物が出るって言ったって、正直、勇者とシスターだけで十分じゃん。仲間と武装がいる、って言い出したのは、シスターなんでしょ?だから、なんでだろう、って思って」
「それは――なんでだろう」
言われてみると確かにそうだ。ジゼルが言うから、僕も当たり前のように、ラナンクルスでヴェンに会おうと決めたけれど、魔王城へ行くには必要がない。もちろんいれば心強いけど、なるたけ早くこの神託の旅から解放されたいはずなのに、とるような行動ではない。
「ヴェンはわかる?」
「まあ、ジゼルの考えていることくらいはな」
「ねえ、教えてよ、気になる」
「ううん……」
彼は苦笑しながら首を横に振った。
「ええ、なんでさ」
「いずれは本人が言うだろうからな。俺が勝手に言うのはルール違反、というか……いや、空気が読めないと言うべきか」
ヴェンは変わらず愉快そうだった。僕もそれ以上は『空気が読めない』に入るんだろう、と思って、カッツェと目を合わせた。彼女のほうは、ジゼルの考えていることを理解する方法が気になっているのかもしれない。
「あ、ジゼル」
兵士に渡されたのか、蝋燭をともして走ってくる彼女の顔からは、ひとから逸脱したうつくしさ以外、特に問題は感じない。さっきまでの話は、とりあえず忘れることにした。
「明日のお昼前くらいに来なさいって」
宿が決まったことを伝えると、先導しようと立っていたヴェンに、灯りが手渡された。
「あー、お腹すいた。どうせどこでもご飯は美味しくないのよ。はやく連れて行ってちょうだい」
ため息をひとつ吐いただけで、ヴェンはすぐに歩き始めた。この時間は、もう灯りがないと心もとない。僕も急いで立ち上がった。
チェックインが遅かったせいか、食事は簡素なものだった。そもそも、アウローラ料理自体がよくない。やたらと悪趣味に味が濃い。盛り付けという概念も欠けている。結局、生きにくい環境のわりに、中途半端に娯楽はあるものだから、食事は喉を通りさえすればいい、という発想が蔓延しているのだ。砂漠料理は、多国籍に技法を取り入れ、味の濃さをうまく活かしているというのに。
カッツェはやはり魔法で疲れていたのか、すぐに寝てしまった。僕とジゼルは、明日の魔法馬の手配をしているヴェンを、ホールの椅子に座って待っている。
「明日、ルドを探して、謁見して、お昼を食べたらすぐに出発……できるかしら?正直不安だわ。そうできると、あさってには神国に着けるのだけれど」
「ルドだからねえ」
ジゼルも苦笑いした。
「まあ、ルドの話は、今はいいわ。ジークの話をしましょう」
「彼の仲間の話、だね。正確に言うと」
ええ、と彼女はうなずいた。
「この街でジークの話を聞いて回るのは、正直、あまりにあからさまでよくないわ。みんな、ジークがいないことに気がついていないなら、それに越したこともないし。だからここは欲を出さずに、仲間に絞りましょう」
アウローラ人のナイフ使いと、日焼けしたラナンクルス人の魔法使い。あのマスターの言うとおりなら、彼らはどちらとも、この国に住んでいたはずだ。
「あ、ヴェン」
「なんだ、まだ起きていたのか。手配は済んだぞ。明日からは馬で移動なんだ、こどもは早く寝たほうがいい」
「いえ、酒場へ情報収集に行こうかと思って。あなたも行く?」
ヴェンは驚いた顔で僕たちを見下ろした。
「……アウローラの酒場はやめておけ。まだお前たちにははやい」
「でも、必要な情報なのよ。ジークの仲間が見つかれば、なにか知っているに違いないじゃない。……それにそもそも、私たち、もう成人よ!」
ジゼルが食い下がる。僕もその意見には同意だ。ふたりしてヴェンを見つめていると、彼はしばらくして、はあ、とため息をついた。
「……ナイフ使いと魔法使いだったか」
「え、うん」
「なら、ナイフ使いは俺が酒場で調べよう。お前たちはふたりで、魔法協会の支部のとなりにある、構成員向けの酒場に行け。あそこなら治安はいい。いいか、絶対にそこ以外には入るなよ」
「だいじょうぶだよ、僕だって勇者なんだから」
宿を出るときまで、ヴェンは何度も「気をつけろ」と繰り返した。年下とはいえ、もう成人したふたりをつかまえて、なにを心配しているのかと思ったのだ、そのときは。
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