第11話 世界との約束

 神の御業を学ぶのが神術だというなら、魔術は、さしずめ世界の力を人間なりに活用する方法だ。

 この国に本部を置く魔術協会は、世界と密接なかかわりを持っている。預言を授かるのもそう珍しくはない。だが、今回のそれは特別なのだ、と、早足で歩きながら少年は言った。


「魔法協会は、カッツェさんみたいに、お金をかせげるひとがほとんどです。でも、研究が仕事の魔術協会はそうはいかない。世界とつながる設備を復活できたのも、つい昨日のことで」

「つまり、復興以来、初めて受ける預言ということね」

「はい。てっきり、魔術体系の復興がまだ不十分だとか、そういうお小言だろうと思っていたので、『勇者と仲間を連れて来い』と開口一番に言われて、みんなびっくりしていました」

「どうしてかについては?」


 彼は首をふった。


「ただ『預言をもたらそう』とだけ」

「そう」


 神ほど悪趣味じゃないけど、世界もたいがい、なにを考えているかわからない。そもそも、ジークを消したのは、やつなのかもしれないわけで--いったい、僕たちになにをもたらすつもりなんだろうか。


「つきましたよ」


 少年は肩で息をしながら振り返った。


                  


「急いで!」


 少年が扉を開くなり、そこそこ年を食ったローブの女性が叫んだ。


「こっちです」


 少年がまた走り始める。それに合わせながら、ジゼルのほうを振り返った。


「さっきの、魔術師だった」

「緊急事態なのよ、本当に。預言どおりにできないと、世界がへそを曲げかねないから」


 人待ちだなんて雑務は、普通なら魔法使いの仕事だ。やはり商人よりも、研究者のほうが位が高い。


 じっと見ている暇がないのは百も承知だけれど、教会に増して魔法のふんだんな内装は、おとなしい調度品もあって趣味がいい。途中に見えるきれいな扉を開けられないのが惜しい。

 だが果たして、少年の開いた扉が一等豪奢なつくりをしていたので、僕の好奇心はおおよそ満足した。


「勇者さまをお連れしました!」

「おお、間に合ったか」


 水晶玉の前から振り向く老婆には、見覚えがあった。


「カネラばあさん!」


「半年ぶりかの。カッツェにはもう会って来たんじゃろ?」

「うん。でも、カッツェが店を始めたのより、カネラばあさんがここにいるほうがびっくりだ」


 カネラはカッツェの祖母であり、ジゼルさえ教えを乞うた、ラナンクルス一の大魔術師だ。そして、魔王の出現を防ごうと、『円環を消す』禁呪に手を出し、協会から追い出されていた……はず、なのだけれど。


「お前さんがたに魔術を教えたのが、魔王討伐の、つまりは敵討ちの役に立ったと、公爵直々の恩赦でな。まあ、勇者という恩寵は、こんなばばあまで降るというわけさ」


 カネラは肩をすくめて、水晶玉に向きなおった。


「世界はどうやら、わしの身体を使うようでな。まあ、妙なことを言いはじめても、ばばあを殴るでないぞ」


 僕も肩をすくめて返した。やつらにいちいち腹を立てていては、勇者なんかやっていられない。


「--地にいなさる、われらが世界よ。勇者は来た。はやく応えてくれんかね」


 カネラの言葉に合わせて、水晶玉の中で、魔力がぐるぐるとまわっている。目に見えるわけではないはずなのは、頭でよく理解しているというのに、不思議とどこか、目でしっかりとらえているような気もする。


「あまり見られるものじゃないわ。よく見ておきなさい」


 じっと見ているうち、それが水晶玉から出ようとしているのが、頭の奥のほうでわかった。僕は水晶玉へ手を伸ばした、が、触れるまではできなかった。


「邪魔しちゃだめよ」


「違うよ、手伝うんだ」


 ジゼルは何度かまばたいてから、「そう」僕の手を放した。

 どうすればいいか、それとなく知っている感じがしている。僕は水晶玉の少し上で浮いている、カネラのしわくちゃな手をとって、水晶玉にくっつけた。


「――地ではなくて、ここにいるんだろ。僕は忙しいんだ、はやくしてくれないか」


 魔力はもう見えなかった。見る必要もなかった。


「遅かったのはお前のほうだろう」


 カネラの声で、世界は言った。


「僕をわざわざ呼びつけるなんて、よほどたいそうなものなんだろうな」


 世界は笑う。神よりか、接する機会が多くないから忘れていたけれど、こいつも本当に癪に障るやつだ。


「いや、つくづく私も神も、お前にだけは信用されていないな」

「魔王を倒した勇者はみんな、あんたらのことが嫌いさ。わかっているだろ」

「ふん、そう言いながら世界を救うのだ、皮肉なものだな。……さて、勇者、約束だ。預言をもたらそう」


 約束。やつらにしてはめずらしく、どこか殊勝だ。それは少年に、僕を呼ぶよう言いつけたことではない。僕と、世界、たったふたつで交わした約束だ。


 ラナンクルスには、大陸の終わり、はるか先の海辺に、古代の石碑が建っている。そこでカッツェの先祖が、世界と接し、その叡知を分け与えられたのが、この世の魔術のはじまりなのだそうだ。

 以前、僕は石碑に触れて、世界と(不本意ながら)会話をした。世界は、自らを崇めるラナンクルスの復興を望み、それに協力した僕に、なにか褒美をやろうと言った。


『僕はあの国のひとのためにやったんだ。あんたのためじゃない』

『だが、感謝を示さねば、私も満足がいかんでな』


 僕は、褒美、という言い方がいやなのだ、と言った。


『ならば、約束だ。それならいいだろう』


 奇妙な響きだった。人まねというより、鳴きまねのようだ、と思って、おもしろそうだと思って、気がつくと、うなずいていた。


『では、お前が神に困らされたとき、私は一度だけ手を貸してやろう』


「……ジークの居場所でも教えてくれたら、信用を取り戻せるかもしれないぞ」

「そんなもの、私が知るはずないだろう。ひとの力がなければ、こうして話もままならないのだからな」

「クソが」


 肩をすくめる、その見た目はなにひとつ変わらないのに、カネラのやるのとまったく違って、本当に苛立たせてくれる。


「ほかでもない、世界との約束であるぞ。もう起きている問題の解決法など、どこかにあるのだから、私が教えるまでもない。私はな、近い未来、お前が苦しめられることについて、今助けると言っていたのだ」


 世界はそうして真剣な顔になって、それこそ真剣なまなざしで、僕を見た。


「新たな魔王が生まれる。そういう魔力に、私のほうが影響されている」


 それまで黙りこんでいた後ろが、椅子をひっくりかえして立ち上がった。


「新たな勇者は」

「円環は円っている」

「……まだ生まれない、というわけね」


 ジゼルの声が苦々しい。それで僕も、自分の手が、爪の食い込んで血が垂れるほど、ぎゅうぎゅうになっていたのに気づかされた。


「お前にはもはや、魔王を封じる力はない。殺すことなら可能かもしれない、お前は我々から見ても、円環の中でもっとも勇者に向いて生まれた。だが、もはや魂の任は済み、勝利の保証はなく、封印もできない。魔王の円環は永遠につづく。……神はどうやら、お前をその魔王と会わせたいように見えるのだ。その場にジークベルトがいさえすればよいのだから、」

「……ああ、言われなくたって急ぐ」


 ――あんな地獄、味わうのは勇者だけでいい。世界の誰も、巻き込んではいけない。


「ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら」


 ジゼルは世界と面しながら、臆する様子もなく言った。彼女の好奇心には、大書庫で知った仮説の真偽のほうが、よほど重要なのだ。


「あなたは、あなた自身の秩序のために、円環を恣意に円したりはできるの?」

「なんだ、喧嘩腰だな」


 世界は笑った。


「できないな。私さえもが円環の中にいる。ここはそういう世界なのだから」

「あら、そう」


 ジゼルはすこし残念そうに肩をすくめた。僕のほうは、まだいろいろと納得がいかない。つまり、勇者が世界の意思で消されるということはないのだろう。だが、


「お前に無理なら、神は。あいつは、どうなんだ」


 ジゼルが息をのんだのがわかった。

 あいつはなんだかんだ言っても、あくまで根は「シスター」ジゼルであって、まさか神が、自分の仲間に手を出すことなど、考えもつかなかっただろう。--僕だって、昔だったらこんなこと、まさか口にはできなかった。だが、気づいてしまったのだからしかたない。自分は人ではなく勇者で、もうやつが自分を愛する理由は、この世のどこにもないのだと。

 黙りこくった世界に、僕は身を乗り出した。


「おい、どうなんだ。円環の中にいるったって、そもそもそれを作ったのはあいつじゃないか」

「それは__」


 世界が眉を寄せる。口元をくすぐる指が、何度かうごめいて、それからするりと降りた。……話すつもりだ!世界の秘密を!世界自身が!ごくりとのどが鳴った。世界は静謐なまなざしで、僕をじっと見つめかえし、


「おっと、時間だ」


 悪びれもせず、時計などしていない腕に視線を落とした。


「テメェ、ふざけんなよ!いま、どう考えても話す流れだったじゃねえか!」

「そう言われても、仕方ないだろう。お前たちと同じように、私も忙しいのだよ。魔王が生まれるからな、魔力が増えて、心身妙なことが多い。まあ、心も身体もないがな。……さて、神の説教でも受けてくるか。いいか、今の話、一言一句無駄にするでないぞ」


 魔力が一挙にどこかへ向かっていったのがわかった。今度こそカネラが、僕のほうを見る。


「ずいぶん不満そうだが……まあ、得たものがないわけではないだろう、気を落とすでないぞ。あのお方は嘘はつかん」

「……知ってる。まあ、急く理由ができたってところだよ。あいつを殴るのは、いつだって遅くないからな」

「そうか。ところでカッツェは、とうとう間に合わなんだか。世界と勇者の交渉を見守るなど、あの凡孫には大役が過ぎるということかのう」


「もう終わっちゃった!?」


 部屋になだれこんできたカッツェは、走ってきたのが丸わかりのぼろぼろ髪で、ベレー帽のリボンもあやうく解けかけている状態で、


「あー……」


 肩を落とした。


「あたしって、どうしてこう、大事なときにすっころんだり、忘れ物したり、いろいろやっちゃうかなあ……」


「「凡人だから」」


「あーもうばあちゃんまでーっ!」


 カッツェはひととおり悔しがったあと、むくれながらも鞄を開けた。


「ちゃんと選んできたのはわかるでしょ、なんてったって遅れてきたんだからっ!……コホン。とにかく、渡していくから、自分の魔法鞄に入れてね。試着はいらないから」


 サイズの自動調整は、魔装具業界でははやりの技術らしい。手渡される装備品は、それ以外にもさまざまな魔法が施されているという。カッツェはひとつひとつに説明をしてくれるのだけど、正直全部聞いていると疲れそうだ。きっとつければわかるだろう。触った感じ、なんとなく、魔力の流れがいい気がするし。


「問題ないよ。ありがとう」


 カッツェはにかっと笑った。


「じゃ、もう行こうか」

「そうね。アウローラへは、なるたけ早く行ったほうがいいわ」


「ちょ、ちょっと待ってよ」


「なに?」


 カッツェはケロッとした顔でそう言うが、いや、おかしいだろう。


「魔法陣の用意があるだろ」


 足りない魔力分の媒体とするため、人間と等しい情報量を書く魔法陣は、その準備に時間がかかるが、役不足な魔法を使うときには必ず必要だ。カッツェの扱える魔力量は、移動魔法にして二人分。ジゼルと僕を連れて各地をまわったときには、毎度一時間かけて魔法陣を用意していたのだから、ヴェンもいる今、魔法陣が必要なのは顕著だ。


「いやいや、やだなあ、勇者」


 カッツェが杖をふるのに合わせて、ヴェンも肩をすくめた。


「そういうときのための魔装具だろう」

「陣の代わりになる魔装具があるとは聞いたけど、移動魔法二人分って、まさかそんな」

「ふふん、あたしって、実は魔装具職人としては非凡ってわけ。ちなみに、二人分じゃなくて、三人分なんだ。ルドさんが加わっても問題なし!あたしってば冴えてる!」


 僕はあらためて、まじまじ彼女の杖を見た。ジゼルのそれとは違って、ずいぶん丈の短く、先に水晶が入っているデザインは、そうめずらしいものでもない。


「まあ、実際に使ってみるのが一番だよね」


 準備はいい、と声をかけてから、カッツェはいよいよ真剣な顔で、杖を構えた。


「――かの地にて待つ。この地にて開く。果ては青。清くは鉛。重きは美徳」


 呪文も、魔法陣より日常的に使われる、補助のひとつだ。僕もジゼルも必要がないので使わないけど、この言葉たちには不思議な力を感じる。まともな人間が、奇跡を手にするための祈り。すなわち、努力。ひどく神聖だ。


「開けよ!すなわち一度、迷いなく、部屋なく。かの地にて待つ。我を我が待つ」

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