第10話 「勇者」にはふたつある

「……世界の秩序のための失踪、ねえ」


「ええ。魔法使いとしては、いかがかしら?」

「確かに、それは僕も興味があるな」


 魔法使いと魔術師は世界の力を、神官は神の力を借りて、ありとあらゆる奇跡を起こす。この世界では、創世記があまりに正しいために、宗教はただのひとつしかないが、神と世界のどちらにつくかで、解釈の仕方は大きく変わる。ジゼルも僕も、神に加護を受ける側なので、その仮説に偏りがあったとして、何もおかしくはないのだ。そして僕は、それをおもいっきり期待している。


「うーん……理論的なことは、魔術師じゃないから分からないけど……うん、正直、ありえる話だと思う」

「え、本当?」


 僕の気を知りもしないで、カッツェはさっくりうなずいた。


「魔王が魔力を増やす力を持ってる、っていうのは有名っていうか、もう定義そのものなんだけどさ。魔王誕生以外にも、理由不明の局地的魔力増加とか、逆に減っちゃったりとかっていうのは観測例があるんだ。そんなに多くはないし、解明も進んでないんだけど。ただ、これまでの調査で、どの事例でも、起こったあとには世界的に安定と停滞の時代がやってきているのはわかってる。たとえば事件数は明らかに減るし、経済も微妙な不況が続くんだ。……いや、経済のはなしはあたしよくわかんないから、細かい数字でって言われると困るんだけど……とにかく、世界の秩序のために、人間を超えた力がはたらいている可能性は、ずいぶん前からあたしたちの界隈だと証明済み扱い。勇者の件は聞いたこともなかったけど、同じこととして考えることはできると思うよ」


「相変わらず話が長いわね、凡人」

「だから凡人って言うなー!」


 冗談を言いながら、ジゼルも満足げにうなずく。


「神はおつくりになり、世界はそれを受け入れた。神が勇者をつくり、世界が秩序のために使う。つじつまが合うわ」

「い、いや、でも、よく考えてみてよ。もっと考えたら、違うことも……」


「うーん、そう言われてもなあ……人間と比べて、勇者については分かってないことも多いけど、話を聞いてる感じだと、その論文にはなかなか説得力があるんだよ。それに、もし勇者が、秩序には関係がなくて、単に魔王を倒しつづけるための存在だったとしても、円るタイミングを世界が判断するなら、そのほうが魔王を倒すには効率がいいんだから。うん、やっぱりあたしは、その仮説は問題がないと思う」


 なんかごめんね、と肩をたたかれても、なんのなぐさめにもならない。こうなると、頼みの綱は……


「ヴェンは?ヴェンは、どう思う?」

「俺か」


 ヴェンは教会育ちで神への信仰心が厚いけれど、僕やジゼルと違って、あくまでも一般人だ。その常識に期待するしかない。


「……俺も、その仮説が間違えているとは思わないが」

「え」

「いや、だが……だが、それ以外にも可能性はあるんじゃないのか」

「あら、興味深いわね」


 身を乗り出したジゼルから、ヴェンは困ったように目をそらす。


「……お前らはジーク殿を、勇者を基準にして考えすぎなんだ」

「え、僕?」


 身に覚えがないが、ヴェンは僕にしっかりうなずいた。


「お前は生まれついての勇者だが、彼はそうではないだろう」

「だからって、考えに入れなきゃならないような違いがある?」

「……ああ、そういうことね。ヴェン、あなたって冴えてるわ」


 いいこと、とジゼルは人差し指を立てる。


「聖戦の確証よ」


「なんですか、それ?」

「まあ、聖書用語の通じない凡人にも分かるように説明すると、」

「ちょっと待ってよ」

「聖戦では必ず勇者が勝つ、というのは知っているわよね。そのことよ。そう決まっているからこそ、勇者たちは聖戦に心置きなく挑めるわけだけれど、さて、カッツェ。いったいどうして、そんなことが決まっているのでしょう?」


「え、あたし?んー……」

「はい、時間切れ」

「早くない!?」


 カッツェは怒っているが、この時間は、僕には十分だった。ジゼルの問いの言わんとすることも、ヴェンの意見も見えている。まったくもって、望んでいないものが。


「……勇者の魂が、『魔王を倒しつづけるもの』という性質を持っているから……」


「はい、正解。まあ、これも一種の円環ね。この世界の根本だからこそ、あらゆる不条理を踏みにじることが許されているわけだし……さて、もう分かったようね、勇者」

「ジークベルトの魂は、ただの人間だ。そういうことだろ」

「そういうことって、どういうこと?」


「ジーク殿が、魔王に倒されたやも知れぬ、ということだ」


 ヴェンの言うとおり、これはすぐにも思いつくべき考えだ。僕も納得がいくし、ジゼルだって珍しく人を褒めた。だけれど、話と記憶でたどったジークベルトがあまりに「勇者」そのものだからか、どうしても、彼が魔王に勝てなかったとは思えなかった。


「まあ、どのみち魔王城へ行かねば、分からんが」

「大きな方針は変えないでも平気そうだね」


 僕の取り出した手帖をみんなものぞきこむ。


「アウローラでルドをつかまえて、陛下に謁見して……それから、一度神国に寄ってもいいかしら。私のほうの仮説について、神や教皇からなにかしらのヒントはもらえるかもしれない」

「とにかく、まずはアウローラだね……王に謁見するために、その約束を取り付けなきゃならないから、今日のうちに向こうへ行きたいな」


 紙がひととおり埋まったのをのぞきこんで、それまで黙りこんでいたカッツェが身を乗り出す。


「決まった?じゃあじゃあ、そろそろあたしの面目躍如といかせてよ!王様に会っても十分恥ずかしくないような、もうすっごい装備を選ぶからさ!」

「……偉いひとと会うときには、武装を解くのが基本の礼儀なんだけど……」

「へっ!?」

「凡人には期待していないから、そう気張らなくていいのよ」

「う、うるさいなあ!こうなったら、絶対あっと言わせてみせるから!」


 カッツェが、右耳にはさんだ鉛筆を手に取る。


「とりあえず、聖戦のときのもので、そのまま使える装備をあげてみてもらえる?」

「って言われても、ほとんど壊れたからなあ……。えっと、とりあえず僕は、聖剣だけかな」

「手袋とナイフは、馴染みのものが残っている」

「私は、杖が一応無事よ。でも、せっかくだし、カッツェのものに変えてあげてもいいわね。うん、そうね、全部新調するわ」

「……それはその……えっと、光栄、デス」


 ジゼルは時たま、こうして手放しでカッツェを褒めたたえる。もうそろそろ慣れてもいいのではないかと思うけれど、彼女は今回も、耳の先まで真っ赤になった。


「えっと、じゃあ、ひととおり選ぶから。ちょっと待ってて」


 紙を見ながら、壁づたいに装備へ目をやるカッツェの後ろ姿は、確かに頼もしい。これなら安心して任せられそうだ。


「ルドは今、どこで何しているのかしらねえ」

「あの人は、……お人よしだからな」

「あなたには言われたくないと思うけれど」


 まあ、そうね、とジゼルがほほえんだのに合わせて、ヴェンも穏やかに目を閉じた。


 もちろん、ルドも一応自宅というものは持っているのだけれど、そこに戻ることがめったにない、というのは、出した手紙への返事が、彼の家族から送られてくることから、僕もだいたい知っている。アウローラの軍隊に剣術の指南をしているとか、砂漠の宿屋で傭兵をやっているとか書いてあったけれど、今はどこで人助けに勤しんでいるんだろうか。


「不謹慎だとは思うけど、あたし、ルドさんを探すついでに、アウローラを見て回れたらラッキー、とか思っちゃうなあ」


 鎧をコツコツ叩きながら、カッツェが声をはずませる。


「確かに、あの国は観光向きだよね。遺産も多いしさ」

「そうそう!城下町から馬でしばらく行ったところに、いろいろ昔の建築があるって、お客から聞いたんだ」

「ああ、内戦の砦跡かな。あそこは確かに――」


「カッツェさん!」


 扉を大きく開いた少年は、やけに焦ったような顔で、僕は思わず口を閉じた。魔法使いの制服だ。彼はカッツェになにかつづけようとして、その前にいた僕と目が合ったと思うと、


「勇者さま、やっぱりここでしたか!」


 そして彼はこうも言った。


「預言のとおりだ」


 僕はまさか、と思って、身を乗り出した。


「君、魔法……いや、魔術協会のおつかいかな」

「はい。勇者さまのご一行を、本部までお連れするよう言われています」


 カッツェはカウンターから出てきて、少年の頭をポンと撫でた。


「ごくろうさま。その様子だと、本番の預言はこれからってことなんだね」


 少年はうなずく。


「分かった。――勇者たちはこの子といっしょに、先に行ってあげてくれないかな。あたしも武具選びを終えたら向かうけど、はやく勇者を連れていかないと、お前が怒られるもんなあ」


 カッツェににっこり笑ってから、「案内します」と、彼は扉を開いた。

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