第9話 凡人って言うな!

「喫茶店じゃないだろう、とは思っていたけれど」


 ヒールの鳴る合間に、ジゼルの深いため息が聞こえる。


「そ、そんな風に言うなよな。ヴェンにも、何か考えがあるのかもしれないじゃないか」

「あるにしてもろくなものじゃないわよ」


 まあ、そうだよな。僕はヴェンの擁護を諦めた。

 教会を出たあと、自信満々の足取りで、僕らの前を歩くヴェンが入っていったのは、男ばかりが行きかう鍛冶屋通りだったのだ。


「もう、ジゼル、こわーい」


「はいはい、そうだねえ」


「あら、ひとごと。神に愛されたこの美貌を穢されたら、神はさぞやあなたに八つ当たりよ」

「僕かよ。それに、そういうことを自分で言うと価値が下が……お前の場合はそうじゃないけど、なんかむかつくから、やめろ」


「おい、くだらん話はそれくらいにしろ。ついたぞ」


 ヴェンの足がようやく止まった。


「……あら、意外と趣味のいいお店じゃないの」


 ジゼルの感想どおり、ヴェンの『ちょうどいい』とは、割合印象の違う外装だった。まわりの店と比べても、この店の小さな青い扉や、さわやかな白い壁は、大通りにあっても違和感のない風景だ。


 でも、どうしてヴェンは、僕らをここに連れてきたのだろう。


 ヴェンが扉を開ける。


「いらっしゃい!待ってたよ、勇者ご一行」


「カッツェ!」


 彼女と会うのは、この国の復興を手伝っていたとき以来だ。飾り気の多い魔法使いの制服の袖をすっぱり切っているのは相変わらずだが、晒されている二の腕が、すこしたくましくなっている感じがする。ヴェンは、立派に働く彼女の姿を、僕らに見せたかったのだ。


「町中、あんたらのうわさばかりだからね。元気なのは知っていたけど……ほんとに変わりがなくて、安心したよ」


 まあ、座りなって。狭いけど。カウンターの向こうから椅子を渡して、カッツェははにかんだ。


「鍛冶屋……というか、魔装具屋か。カッツェの店なんだ」

「うん。魔法協会のお偉方から、ラナンクルスの復興祝いにって、元手の資金をもらってね」


「まあ、凡人なりに、国に貢献していたものねえ」

「……シスタージゼルも、お元気そうでなによりデス」

「カッツェ、顔ひきつってるよ」


 ジゼルはカッツェをからかうのが特別すきだ……と、いう気がする。それは、賢者であるジゼルが、魔法使いたちの頂点に等しい才の持ち主で、いっぱしの魔法使いにすぎないカッツェにとっては頭の上がらない存在だから、というのも、当然あるだろう。だけれども、きっと一番は、カッツェの生真面目さにある。


 ラナンクルスが滅んだあと、通りがかった僕らをつかまえて、勇者の威光を貸せと迫ったカッツェは、この国で幸運を象徴する銀髪や金の瞳も、国を動かす魔法の才能も、なにひとつ持ち合わせていなかった。くすんだ灰色のショートカットで、ありふれた黄色の目で、ひとりのたいしたことない魔法使い。それが移動魔法で世界を回り、偉大な魔法使いと魔術師に頭を下げて、ふたたび魔法王国を再建するきっかけを作り出したのだ。これを努力家と呼ばずになんと言おう。


 あらためて店の中を見回すと、壁に所狭しと並べられた武具は、どれもぴかぴかと磨かれていた。僕はやはり、彼女のこういうところが、とても望ましいと思う。


「カッツェには、とても向いた仕事だね」


 僕の言葉に合わせて、ジゼルが小さくうなずいたのを見て、カッツェはうれしそうに目を細めた。


「だけど、どうして魔装具屋なの?あなたの貢献度なら、希望すれば国付きの魔法使いにだってなれたでしょうに」

「うーん、鍛冶仕事にあこがれてたのもちょっとはあるんだけど……一番は、勇者に会ったことかな」


「僕?」


 うん、と、カッツェはうなずく。


「というか、その聖剣だな。美しくて格好いい。あたし、そういうのに、このあとの平和を使いたいと思ったんだ」


 カッツェが指をさした僕の聖剣は、勇者創成以来、クレテールの勇者が代々受け継いできたものだ。憧れるに足りるとはもちろん思うけれど、自分がひとりの人生に影響したのだというのは、そういう理屈抜きで、不思議な感覚がした。


「って、あたしの話はいいんだよ。だいたい、どうして聖剣持ってるの?ただの旅にしちゃ、結構変だよね」

「アウローラの勇者が行方知れずで、彼を探しに魔王城へ行くんだそうだ。この国には、俺を探しに来たらしい」

「そりゃまた、冒険だね」


 カッツェは愉快そうに身を乗り出す。


「なら、次にはきっと、アウローラへ行くんだね。あのガタイのいいおじさん探しに」

「そうだよ」

「いいなあ、楽しそう。あの人……ルドヴェデクさんだっけ、気は弱いみたいだったけど、すごく優しそうなおじさんだったよね」


 そういえば、カッツェが僕を連れて世界をまわっている間、ルドはラナンクルスに残っていたので、ふたりにはあまり接点がないのだった。


「とにかく、前のご一行が再結成ってわけだよね!」


 カッツェは手を叩いた。


「こんなめでたいことはないよ!あたしからも、景気づけと行こう。ご一行四人の装備でどうかな?」

「それはありがたいよ!ぜひおねが--」

「あら、店主さん。人数が間違えているわ。五人よ」

「はい?」


 ジゼルがきゃらりと笑う。……ああ、五人って、そういう。ヴェンも肩をすくめた。

 つまり、僕、ジゼル、ヴェン、ルド、それから、


「カッツェ、あなたも行きましょう」


「はあ!?」


 カッツェは身を乗り出す。


「あんた、何言ってんですか!?」


「あら、私、何か変なこと言った?」

「今しがた言ったよ!」

「カッツェ、やめたほうがいいって」

「なんでよ!どう考えても横暴でしょうが!」

「いや、でもさあ……」


 ジゼルが笑っているんだもんな。僕は哀れみでもって、カッツェを見上げた。


 ヴェンを誘うときは、なんだかすごく、いやな気分だった。それは確かだ。でも、僕をそうした、夢を叶えて平和に暮らす彼らの輝きが、あまりに神秘なのだ。僕には、いっときの別れを泣いて悲しむような相手は国にいない。自分の時間をすべて捧げたい職もない。僕は身軽だった。だが少しも心地よくはなかった。

 宝石の中の魔王をそっと指の腹で撫でた。みんなといれば、僕にも背負うべきものが、小さくなってしまったこいつ以外にも、見つかるかもしれない。いや、見つけたい。

 だから僕は、ジゼルを言い訳に、その願いにあらがわないことにした。


「なによ、行きたくないの?冒険譚をその目で見る、またとない機会よ」

「いや、そういうことじゃなくて、なんというか、順番が……やっぱりなんか、納得いかない」

「まあまあ。僕も、カッツェが来てくれたらうれしいなあ」

「ね、そうよね、勇者」


 黄色い目がじとりと細まる。


「その心は」


「「移動魔法屋を雇う手間が省けてラッキー」」


「やっぱりそこかーっ!」


 ひとしきり叫んだあと、カッツェは大きくため息を吐いた。


「……まあ、勇者たちには借りがあるから、別にいいけどさ。むしろ、恩返しの手段をもらえて、ありがたいくらいだよ」


 からっとした苦笑いの前で、僕とジゼルは顔を見合わせる。ああ、やはり彼女の、こういうところが好ましい。


「装備選びはあとにして、それならそれで、もっとくわしく事情を聞かせてもらいたいな」


 黄色い目が、ぎらりと笑った。

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