第7話 英雄譚は始まっていた

 想像以上に熱かった鶏肉が、口の中のありとあらゆるところにぶつかっては、しびれるような熱の痕を残して、跳ねる。ジゼルが立ち上がった衝撃でだ。僕はこれ以上の被害を防ぐために、慎重に奥歯で噛み潰しながら、彼女の方を睨んだ。


「あ、ごめんなさい、勇者。でもしょうがないじゃない、有力な情報よ、足取りよ!」


 目を輝かせてマスターに「全部吐け」とばかりに詰め寄るジゼルの、ポーズ自体は彼女の曲線美を際立たせる艶っぽさだが、迫力はさながら腕利きの探偵じみている。


「それにしても、私たちに対してもそうだけれど、天下の勇者様が来たのに、ずいぶん当たり前みたいに言うのね」

「ジーク様は、国の任務で時折砂漠の視察にここを訪れる。わりとしょっちゅうな。だから俺は、そのときもそうなんだとばかり思っていたんだ。それからすっかり来なくなって、どうしたのかとは思っていたが……」


 マスターは腕を組んだ。


「あの日は客が多かった。ラナンクルスが滅ぼされてすぐ、大魔法戦線も発案すらされていなかったときだ。だれもかれもが焦っていたし、それに勇者様ほどじゃあないが、ジーク様も変装をしていたから、俺以外に気付いた奴はいなかったろうな。世界に何が起こっていたのか理解できない客の中で、じっとコップのふちを見つめるジーク様には、何か行く先が見えているような感じがしたよ。彼は両隣に座った、ナイフ使いと魔法使いに何か言われると、じっとまた考えて、それから少し返していた……そうだ、男が二人いた。ジーク様は仲間を連れていた!」


「仲間……」


「おお、思い出してきた!ジーク様は真紅のマントをしていた。そうだ、そうだ……彼らはあからさまな旅装束だった。鎧と剣、盾も背負っていた。靴は『靴』だったし、そういえば、かなりの量の保存食も買っていかれたな。確か、三人で話し合いながら、時折、手元の地図に何か書いていた。旅路だろうが……ああ、悪いな。詳しいところまでは覚えてねえ。なにしろ忙しかったし、店中そんな客ばかりだったからな」


「いいえ、ありがとう……すごく貴重な情報だわ」

「一つだけいいかな。ジークベルトが連れていたという仲間たちの風貌は、何か覚えていないか?」


「ああ、大体なら。ナイフ使いの方は傷んだ黒髪に褐色肌で、いかにもアウローラ人だったな。いくつもナイフを下げていて、だからナイフ使いと俺は呼んでいるわけだが、どちらかというと、暗殺者とか、諜報とか、そういう雰囲気をしていた。魔法使いも焼けた肌はしているんだが、あれは元々白いのが、砂漠の国で生活するようになって焼けてしまったって風な赤だった。灰色の髪を長く伸ばして、その合間から、きらきらした金色の目が、地図を見ていた。あれはラナンクルス人だろう。……悪いな、行き先が分かった方がいいんだろう?こんなことなら、もっと耳を澄ませばよかった」


「そんなことはないさ。あなたは今、僕たちの話に向き合って答えてくれた。勇者としてジークベルトの代わりに言おう、それだけで世界を救うには十分だ」

「そうよ、本当にありがとう。どう恩を返したらいいかしら」


 僕とジゼルは、マスターの方をじっと見つめた。彼が困ったように頬をかくのに、僕は少し申し訳なく思う。お酒が得意なら、とびきり高いのを注文してみせるんだけど。


「……それなら、一つ頼みがあるんだが」

「なんなりと言ってよ」


 マスターの目が、少し遠くを向く。


「ジーク様を見つけたら、俺が一等いい酒を用意して待ちぼうけていると、伝えてくれないか」


 僕はその言葉に思わず、返す言葉を忘れて、すっかり冷めてしまったソテーを口に運んだ。うまみは変わらない。


「あんまり待たせるものだから、料理の腕が上がりすぎて困っている、と付け足していいかな」


 僕の呟きにマスターは、噛みしめるように微笑んで答えた。


                   


「ん、すごいわ、勇者。このパニーニ、パンがとても香り高い!それに、魔王討伐ベーコンなんて、ふざけたコンセプトのわりに、重厚感のある味。野菜だって、砂漠とは思えないほど新鮮さがあって、前歯の方で噛み千切る、その瞬間にパズルのピースのように具材が繋がって……あ、あげないわよ」

「う、うらやましくなんかないし!明日の朝に頼んでおいたから、別にいいし!……じゃ、なくて!今後の話をしよう、って言ったのはジゼルだろ!」

「あら、ごめんなさい。続けて、続けて……んふ、この小麦、魔法で栄養価を高めた水で栽培されているという高級品、ラナンクルス種ね、本当においしい」


 だめだ、これは。僕はため息を吐いた。前の旅のときは、僕たちのほかにもう二人仲間がいて、彼らは僕たちほど食事に全神経を向けるような男ではなかったので、こういうときでも話し合いが進んだのだけれど。

 魔法鞄に手を突っ込む。(ペンと、紙。それと地図)念じて取り出して、カウンターの上に広げた。


「ジークベルトは二年前、ラナンクルスが滅ぼされてまだ日の経たないうちに、この店に来ていた。旅装束、武装、仲間を連れて、地図には書き込み。保存食の買い込み」


 自分の言ったことを、一つ一つ手帖に書いていく。


「旅に出たのは間違いないな」


 矢印をつないで、その先に「旅」と書き留める。そしてそこから、もう一つ、矢印を伸ばす。


「おそらくは」

「魔王討伐、でしょうね」


 ジゼルの手が僕からペンをかっさらい、矢印の先に大きく『目的地:魔王城』と、ご丁寧に城の絵まで書き添えた。


「僕たちより、一年近くも早くに魔王城へ向かったことになるね。……だというのに、魔王は僕たちに倒されるまで息をしていた、つまりは、ジークベルトのパーティに倒されることはなかった」

「この世界で、勇者が魔王を倒せなかった、なんてことはあり得ない。魔王城への道中か、それか魔王城についたとしても魔王のもとに行き着くまでに、何かあったのでしょうね」


 紙の上の魔王城の下に道が追加され、ジゼルはそこに大きな×をつける。


「道中なら、世界を回って情報を集めていくしかないな。魔王城なら、行くしかない」


 どこかかわいらしい絵の旅路を見つめる。魔王城の城内は魔力が世界で一番強く、そのため、魔王のいない今なお、魔物が出現する、危険な場所だ。危険なら、準備がいる。なんていったって、僕らはそのために、ベーコンが出来上がるのと同じ半年間を費やしたのだから。


「魔王城へ行くことを前提として動こう。能率が良い」

「そうね。準備のために世界を回ることになるから、そこで道中になにかあった可能性も探っていきましょう。今必要なのは……仲間と武装かしら」

「いや、アウローラ王に会うことも必要だよ。だって、おかしいと思わないか。どうして国の勇者が魔王討伐の旅に出ていたことを公表しない?僕のように国が滅んでいたなら例外だけれど、アウローラはなんの被害もなかったはずだ。あの国はなにか、ほの暗いことを隠しているのかも」

 ジークベルトの英雄譚は「何か」によって阻止された。それは世界の意志かもしれないし、腐りきった人間かもしれない。まだ何も分からないけれど、真実を知りたいと思う。マスターのためにも、僕のためにも。

「アウローラとラナンクルスに行かないといけないな」

「軍事大国と魔法大国……」


 ジゼルが呟く。


「ここからはどっちも距離はそう変わらない。けど、どちらかからもう片方へとなると、『靴』でも遠すぎる」


 僕は地図の上、二国の間に広がる山脈を指でなぞった。


「移動魔法屋を雇わなきゃならないな」


 げ、とジゼルが眉を顰める。彼女はシスタージゼルと呼ばれてはいるが、本来は魔法と神術の両方を扱う、世界に数えるほどしかいない「賢者」の部類だ。移動魔法の浮遊感が嫌なのは分かるが、魔法屋を雇うのにはそれなりにお金がかかるのだから、克服して自分で移動魔法を使ってほしい。僕は前の旅のときからその不満を彼女に対して持っているので、彼女の反応はあえて無視した。


「魔法使いを雇うんだから、本家のほうがいいな。よし、最初に行くのはラナンクルスにしよう。ヴェンに会って、それで、魔装具を四人分買う。それでいいかい」

「……よくはないわ。妥協よ、妥協」

「じゃあ、決まりだね」


 僕は新品の地図の上、砂漠から小さな城まで矢印を引いた。前の旅では、今回とは逆に、アウローラから移動魔法でラナンクルスへ向かったので、このルートは初めてだ。少し不安がある。道はきちんと整備し直されているだろうか、なにより、きちんと復興しているだろうか?あの国は二年前、確かに滅亡したのだ。僕自身、旅の間に、世界中に散らばったあの国の魔術師や魔法使いたちを集める手伝いをした。魔王討伐が本当の目的だったから、中途半端なところまで手を出して終わったので、ずっと気にかけていた。僕のクレテールと、立場は同じだから。


「勇者が仏頂面でなにを考えているのかは分かるけど、そんなに心配しなくても、平気だと私は思うわよ。だって、私とあなたと旅をした、仲間がいるんだから」

「……それもそうだな」


 ヴェンは僕らのパーティで一番の常識人で、僕にとっては兄のような人だった。国を追われた境遇が同じで、故郷が燃える夢を見た夜には、いつも話を聞いてくれた。彼がいるなら、そうだ、絶望から起き上がれないはずがない。

 ヴェンは本当にすごい人だ。久しぶりに会える。一度だけ僕のほうへ顔を見せてくれたことがあったから、四か月ぶりくらいだろうか。あのときも別れが惜しかった。僕はもう一度地図の上のラナンクルスを見た。ここからは少し距離がある、だけど、とてもわくわくする。


「三日。三日あればつくな」

「ずいぶん急くわね」

「楽しみだから。もう魔物も出ないし、それでいいだろ」

「まあ、それもそうね。じゃあ、保存食は四日分もあれば十分かしら。他には何かいる?野宿用のものは、ひととおり持ってきてあるけど」

「いや、大丈夫だろう。保存食って、宿屋の受付どなりに座っていた道具屋が売っているのかな」

「そうだと思うわ。……あー、おいしかったあ。じゃあ、部屋に戻る前に買い出しね。マスター、お会計!」

「あいよ」


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