第6話 酒場とシスター

 大書庫を出て、僕たちはとりあえず、先へ先へと歩きつづけていた。関所を抜けて、もうどれほど経ったのか。少しずつ空が赤く染まっていく。


(……火事みたいだ)


 僕はじっと空を見た。歩く足は止めない。考えてはいけない。あの日、身一つで逃げ出した日、あの森が燃え尽きた夜。今はまだ、まだあくまで昼だから。歩くことは止めない。


「わあ、砂漠に来るなんて久しぶり。綺麗ねえ」


 周りはすでに、隣国アウローラの砂漠らしい様相をなし始めている。何もないこの場所は、考え事をするのにあつらえ向きだ。「靴」のおかげで勝手に動く足とは別に、僕はぼんやりと、これからの行き先のことを考える。


 ジークベルトが世界に消されたのなら、僕たちにはもう、彼を見つけることはできない。できるとしたら、それは神、そのひとだけだ。だから神国に向かって、神にそのことを告げ、何とかしてくれと頼めばいいのかというと、そうではない。神はあくまで神「さま」だ。奴はこの世界に魂をつくった自分の力に、それはもう誇りを持っていて、そんな自分のつくった人間や勇者に不可能なことなどそうそうない、と考えている。神さまに何かを望むのならば、こちらは駆けずり回って、その「何か」が自分たちの範疇にないことを証明して見せなければならない。この世界では、祈りはもっとも高尚で、もっとも難しい労働なのだ。


「……せめて失踪までの足取りとか、もっと言うなら行き先とかが分かれば、そこへ向かって、発見できないことを証明できそうなんだけど」


 そんなにうまくはいかないよな。面倒だけれど、世界中、街だろうが大陸の果てだろうが歩き回って、聞き込みや彼の魔法の痕跡を探すしかないだろう。


「あら、まるで無理みたいに言うのね」

「そう言うジゼルは、まるでできるみたいな口ぶりだね」

「だって、できるもの」

「は?」


 僕は足を止めて、彼女の方を振り向いた。


「できるわよ」


                  


「……で、ここはなんなんだ」

「酒場だけど?」


 ワイングラス(中身はぶどうジュースだ)を傾けながら、ジゼルは悪びれもせずにほほえんだ。その造形のうつくしさに、周囲から男臭い視線を感じて、僕は憂鬱になる。目元まで、フードを深くかぶりなおした。勇者だとばれたら、(他人嫌いの僕にとって)色々と面倒くさいことになる。僕の見目は、自分で考えることではないけれど、昔から目を引くから、こういう盛り場では気を使うのだ。ジゼルは気にしないで、その美貌を臆面もなくさらしているが。


「悪くない趣味だわ、聞いていたとおりね。……ここ、さっきチェックインしたけど、宿屋も併設されていたでしょう?クレテールから神国に巡礼に来る人は、みんなここを使うそうなの。このあたりには、他にも数軒宿屋があるけれど、ここが一番サービスがいいんですって」

「嘘言え、酒場があるからってだけだろ」

「まあ、そうでしょうね」


 巡礼とか偉そうに言って、なまぐさどもめ。


「……ちょっと待ってくれ。このあたりの酒場は、もしかしてここだけだってことなのか」

「あら、気付いたみたいね。そうよ、私はそもそもお酒を飲めないし、あなたも飲まないのに、遊び目的で酒場に来るわけないじゃない」


 最初の旅のときは、宿屋を選ぶような心の猶予などなくて、とにかく目についた宿屋に泊まった。二度目、『まぶたのほしから』を、魔王討伐に使えないかと取りに来たときは、今度は時間の猶予がなくて、同行していた魔法使いの移動魔法でクレテールへ向かったため、そもそも宿屋になど泊まらなかった。

 知らなかった。この砂漠は旅人も少なくないから、僕はてっきり、酒場がたくさんあるものだと思っていた。そして、旅人たちはほうぼうへと散らばって、情報は霧散して、何も得られないのではないかと。しかし、一か所に集まっていると言うなら、話は変わる。一人の酔いどれの話は参考にならないが、同じことを十人が話せば、それはあながち間違いでもなくなってくる。


 僕はようやくしっかりと、店の中を見渡した。情報を持っていそうな旅慣れた雰囲気の客や、店に溶け込んでいるなじみ客を目で選別する。ジゼルの「悪くない趣味」という感想が、今ならなんとなく分かる気がした。酒場にしては落ち着いていて、だけども話は盛り上がっている。お酒より食事の割合が高いのもそうだ。飲んで騒ぐというより、旅人どうしの情報交換の場になっているのだろう。これは好都合だ。


「誰からいこう、ジゼル」


 僕は彼女の方に少し身を乗り出した。


「とりあえず、何か食べてからにしましょうよ」


 はい、と手渡されたメニューを、しぶしぶ受け取って、席に着く。僕が他人と話をする気になっているうちに済ませたいのだけれど。ため息が自然に出る。しかし、メニューを開くと、自然に口角が上がるのが抑えられなかった。


「……僕、満月絞めの胡椒鶏のソテー」

「言うと思った。私はパニーニにしようかしら。魔王討伐記念に、勇者様の旅と同じ日数熟成させたベーコンを挟んでおります……ですって」

「ようは半年ってことじゃないか、それ。たいして寝かせてないのに、なんでそういう風に言うと、大仰に聞こえるんだろう」

「まあ、おめでたくっていいじゃない。……マスター!」

「はいはい、ただいま」


 ジゼルと僕が座るのはカウンター席で、必然的に店員との距離も近くなる。僕は用心深くフードを深くした。


「よし、胡椒鶏とパニーニだな。……それにしてもお客さん、別嬪だねえ。神国のシスターがみんなそうなら、俺もここのお客さんたちと同じように、巡礼にでも行くんだが」

「あら、ありがとう。でも、マスターもすごいわ。どうして、私が神国のシスターとお気づきに?」

「……僕も思った」


 神国はこの世界の聖地であり、そこに在籍する聖職者はもっとも徳が高い(というか、給料とプライドが高い)。とはいっても、制服である黒衣のデザインが違ったりはしないのだ。もちろん、ジゼルを含め、若いシスターたちは、自分の好みに合わせて多少いじっていることはざらにあるが、個人ごとでちがうのだから、分かりにくさはなおのことだろう。


「なに、簡単なことさ。……おたくら、ときの勇者様と、お仲間のシスタージゼルだろ?」


「……あら、私たちって、意外に有名人?」


 さすがのジゼルも、心底驚いたとばかりの顔をしている。僕なんて、せっかくのフードが功をなさず、悔しいやら先行きが不安やらで胸がいっぱいだ。


「安心してくれよ。他のお客は気付いていないし、俺だって騒ぎ立てるつもりはないさ。それに、今日はなじみ客が多いんだ。あの人らは勇者だからって飛びつくような子供じゃない。フードを取った方が楽だろう、勇者様。俺が保証するからさ」


 確かにこの状態では相手の顔が見えなくて喋りにくいし、おそらく食事にも集中できないだろう。このマスターはなんとなく信用できそうな気もするし、僕はフードを取った。

 マスターは荒っぽそうに見えて丁寧な口調と変わらず、見た目も一見厳ついのに、どこか優しい印象の、髭の手入れの行き届いた男だった。細い三白眼が、くわりと僕を見ている。


「……なんというか、こりゃあ……男に言う言葉じゃねえが、綺麗っつーか、別嬪さんだなあ。まさに美男美女、こっちから見るとずいぶん華やかだ」

「どうも」


 噛みしめるような物言いに、僕は言われ慣れた「綺麗」だとかいうような形容にも、どうにも気恥ずかしくなってそっぽを向いた。向いた先のジゼルはむかつく笑顔で、だけどもやっぱり美貌そのものだ。僕はこれと同じ形容をされたのか。なんだかむずがゆい。


「しかし、話には聞いていたが、本当に水色の髪なんだな」

「ああ。こんな色じゃなければ、フードもいらないんだけど」


 僕の髪の色は生まれついてのものだ。おそらくこの世界に二人といないものだろう。どうしてこんな色なのか、神に聞いてみたことがあるが、「すべてに意味はある」とか曖昧にかわされて終わった。恐らく意味はない。


「その反応だと、僕をどこかで見かけたことがあるって感じじゃないね。マスターはどうして僕たちが分かったんだ?」


「ああ、そりゃ、シスタージゼルの方を見たことがあったのさ。勇者様がクレテールに戻ったとき、三日三晩の宴をやっていただろう。城はまだ建設途中だし、人手も足りないってんで、ここらの宿屋の料理人がみんな手伝いに行ったんだ。まだ仮造りの教会に、えらく美人のシスターがいたのが、不釣合いで面白くてな。あとで聞いたら、それがシスタージゼルだって言うから、驚いたぜ。あれは確か、胡椒鶏を運んでいたときだったか……そら、ちょうど焼き上がったぜ」


 話をする口は止めないながら、その腕はさすがと言うべきか、僕の前に出された皿は、見事な盛り付けだった。満月の夜に絞めた鶏は、味は平素とさほど変わりないのだが、この照りが違うのだ。保存食中心の砂漠らしく、胡椒が大量に使われている、その目で見て感じられる香り高さも、この料理の特徴だ。僕はこれが大好きなのだが、胡椒を練りこんだりする仕込みの面倒さや、そもそも満月鶏を手に入れること自体が料理屋以外には難しいこともあって、実はマスターの言っていた宴以来、一度も食べていない。


「い、いただきます」


 この完璧な形のソテーを切り開くのには、教会の扉を開くときのような緊張感がある。僕はじっと考える。どこの筋に沿ってナイフを突き立てようか。


「……決戦を前にした勇者って顔だな」

「ご馳走って決戦よ」


 決めた。足の方から、慎重に刃を沈ませると、さくりと下まで落ちて、みっちりとした肉が姿を見せる。全部を完璧に切り分けてから食べる、という僕の主義に違うけれど、これは熱いうちに一口食べておかないとならない気がする。そう、絶対にそうだ。手が勝手に、四角形にうまいこと切り出す。


「それにしても、勇者様とシスターは、なんだってお二人でまた旅に出ているんだ?」

「神様からのお告げがあって、人探しをしているのよ。マスターも当然知っているだろう人なんだけれど、よかったら協力してくれない?一番高いぶどうジュースを開けるから」

「シスタージゼル、禁欲は素晴らしいと思うけどよ。ここ、酒場だからな。……で、誰を?」


「勇者ジークベルト。ラナンクルスが魔王軍に滅ぼされた二年前あたりから、消息を絶っているのよ。足取りが全くつかめていなくて。何か心当たりはないかしら?」


 フォークの先で輝く鶏を、頭上に掲げる。照明を照り返して、さながら聖火を持っているような気になる。さあ、でも火は口の中では燃えられないのだろうさ。僕は口を開けて、ソテーを招き入れる。触れた舌がぴりりとざわめく、この胡椒の量!でも本番は次だ。舌から奥歯へ、ころり、と転がす。さあ、思いっきり、肉汁をあびられるよう、顎を閉じて、


「ジークベルト様なら、二年前にうちに来たぞ」


「ちょっと、それ本当っ!?」

「あっっつ!?」

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