第16話 永遠の迷宮

「はっ、はっ……ぐっ……!」


 わたしは洞窟の中を走ります。


「『ラティ、お待ちなさい』……ははは。逃げても絶望が続くだけだよ」


 リビス姉さんの喋り方で話す魔神さんの声に、わたしは振り返りました。


「……っるさいですねっ!」


 金属音が響きます。

 こちらに向かってきていた『矢』を振り向きざまに短剣で弾きました。

 白い光は霧散して、そこには何も残りません。

 ……もう少しズレていたら、体に刺さっていたかも。

 っていうかよく受け止められましたね、わたし……。

 生命の危険に晒され続けていることで、感覚が研ぎ澄まされている気はします。

 しかしそれ以上に、相手の『矢』の精度も上がっているように感じました。


「も、もうちょっと頑張って……! わたしの『迷子』さん……!」


 藁にもすがる思いで、自身の『迷子』の力にお願いをします。

 もっと魔神さんの『矢』を迷わせて欲しい……!


「そろそろ観念したらどうかな?」


 声と共に、『矢』がわたしの髪にかすりつつ地面へと突き刺さります。

 恐怖に声をあげそうになりますが、それでも絶対に足は止めません。

 とはいえ、このまま逃げ続けても先が無いのはたしかです。

 わたしは内心の焦りを大きくしつつ、ゆっくりと歩く彼女と距離を取るべく全力で走り続けました。

 そうして走り続けたわたしは、水晶の部屋へとたどり着きます。

 この奥には生活空間がありますが、それはすなわち行き止まり。

 追いつかれれば逃げ場はありません。


「……何か、何か手は――!」


 クリエイトルームは使えません。

 そこでは今はヨルくんが眠っており、新たな魔力が得られるまではヨルくんもダンジョンも起動しないはずです。

 わたしは頭の中で状況を整理しつつ、中央に設置されたモニタの水晶に手を触れます。

 表示されたダンジョンの中の映像が次々と切り替わっていきます。

 ……作戦は失敗、魔神さんの体は既に再生してしまいました。

 たしかに彼女が言う通り、絶望しかないのかも……。

 ――いやいや、まだ諦めませんよ!

 わたしは顔をあげます。

 ……王都での生活は、楽しいとは言えないようなものでした。

 でもこのダンジョンに来て、みんなと暮らして、初めて守りたい暮らしが出来たんです。

 わたしはダンジョンに来てからの思い出を振り返ります。

 ミアちゃんにグラニさん、アリー先生やコボルトさんたちの為にも――。


「――あっ」


 ……一つだけ。

 一つだけ、ある可能性に思いあたりました。

 しかしそれは希望というにはあまりにも小さな、一筋の糸。

 ――でも、迷っている時間はありません。

 協力してくれたみんなの為にも。

 細い糸なら紡いで束ねればいいんです。

 ……わたしには、その奇跡を手繰り寄せる責任がある。

 水晶に触れます。

 ダンジョンの中の景色が次々と切り替わりました。

 ――せめてあと一つ。あと一つ何か――。


「――やあ、待たせたね」


 その声にわたしは振り向きます。

 そこにはまるで下着のように矢印を体にまとって局部を隠した、魔神さんの姿がありました。

 ……意外と、羞恥心とかあるのでしょうか。


「最後のお別れは済ませた? 済んでなくても時間切れだけど」


 彼女の後ろに幾本もの光の球が生じました。

 ……いえ、まだです。

 まだ魔神さんは迷っている・・・・・

 わたしは心を落ち着かせます。

 魔神さんのいる場所からでは、わたしには当たらない可能性が高いです。

 確実に殺そうとするなら、それこそ手の届く距離まで近付くはず。

 つまり彼女は今……怯えている?

 ――それなら。


「――そこからじゃ、当たりませんよ」


 わたしはにっこりと笑みを浮かべました。

 内心はドキドキですが、平静を装います。

 ……こんな腹芸、街に住んでた頃は日常茶飯事だったはず――!


「――ははは。そうだね……そうかもしれない。……怖いな、ラティ」


 魔神さんは覗き込むように、まっすぐとこちらを睨みつけました。

 ……おそらく、その『怖い』――本音です。

 わたしは『封印の因子』とやらの全貌を知りません。

 ちょっと迷子になったり、迷子にしたりする能力……なんだとは思いますけど。

 ですが――それは魔神さんも同じです。

 魔神さんにしても、わたしが何をしてくるかわからないというのがあるのだと思います。

 ならば、それを逆手に取りましょう。

 わたしは短剣を手に持って構えます。


「……では、あなたの『矢』とわたしの短剣……どちらが早いか、試してみませんか?」


 わたしの提案に、魔神さんは眉をひそめました。

 ……その表情から、着実に彼女にプレッシャーを与えられているという印象を受けます。いぇーい。


「……へえ。面白いことを言うね、ラティ」


 普通に考えて、もしわたしが最強の短剣の達人だとしても不死身の相手には何もできません。

 たとえ1秒間に100回刺せたところで、さほど意味はないでしょう。

 それはさきほど、彼女に溶岩を浴びせたことで嫌というほどわかっています。

 そして逆に一発でも彼女の『矢』を受ければ、わたしは死んでしまうのです。

 ……だからこそ、彼女はそんな無駄な提案をしてきたわたしのことが怖い。

 彼女は今、内心では『未知』という恐怖と戦っているはずです。


「……ここから当たるまで打ち続けるというのもいいかな?」


 彼女はそんなことを言いますが、それは対応を決め兼ねわたしの反応を見にきた……といったところでしょうか。

 わたしは満面の笑みを浮かべたまま、黙って彼女に視線を返します。

 ――さあ、存分に『迷って』ください。

 心の中でわたしはそうつぶやきました。

 彼女がそこから『矢』を撃つというなら、わたしが死ぬ確率は下がります。

 近付いてくるというなら、わたしの作戦が成功する確率が上がります。

 そして迷い続けてくれるなら、わたしの目的が達成される。

 彼女がどれを選んでも、わたしにとって有利です。

 ――そしてその時は、思ったよりも早くやってきました。


「……わたしは、こちらに来てくれた方が嬉しいんですよ」


 わたしの声が部屋に響き渡ります。


「なのでこっちに来てください……。こっちです」


 わたしはそう言いながら、挑発するように手招きしました。

 そんなわたしの様子に、彼女は笑います。


「……ふふ。怖いからここから撃とうかな。当たるまで打ち続ければ――」


 しかしそんな彼女の言葉を遮って、ダンジョンの中に激しい咆哮が響き渡りました。


「グォォオオオ!!」


 その声にあわてて魔神さんが振り返ると同時に、彼女は後ろから巨大な口に噛みつかれます。


「――ドラゴン!」


 その胴を噛み砕かれつつ、彼女はその突進を受けてわたしの方へとその位置を動かされました。

 ……そう、わたしが話しかけていたのは、魔神さんではなく。


「グラニさん! こっちです!」


 わたしは手を振って彼女を誘導します。

 グラニさんは獲物を口にくわえたまま、中央の巨大な水晶に向かって走ります。

 しかしそれと同時に、彼女の周囲を無数の光球が覆いました。


「止まれ! ドラゴン!」


 拳ほどに大きな光線が、グラニさんの体にいくつもの穴を開けます。

 10や20の穴が胸を、腹を、足を穿ち、その中身を撒き散らしました。


「――グラニさん!」


 思わず悲鳴のような声をあげてしまいますが、グラニさんはそれでも止まりません。

 彼女は口に彼女をくわえながら、魔神さんを運びました。


「このっ……!」


 魔神さんは無数の光の矢を宙に出現させ、それをグラニさんの顔面に叩き込みます。

 肉がはぎ落ち骨が削れ、元がドラゴンであったとわからない程にグラニさんはバラバラに弾け飛びました。

 繋ぎ止める牙も失い、グラニさんは魔神さんを放り出します。

 しかしその勢いは殺されず、魔神さんは水晶球へと叩きつけられました。


「がっ……!」


 背骨を強打したのか、魔神さんは声を上げます。

 まるではりつけのような彼女の姿目掛けて、わたしは短剣を振り上げて近付きました。


「この――!」


 魔神さんは声と共に、巨大な水晶球の周りに無数の小さな白球を出現させます。

 わたしはそれに構わず、彼女の胸に短剣を突き立てました。


「夢見の神霊、彼方より光をもたらし――!」


 わたしは呪文を早口で唱えます。

 しかしそれと同時に、彼女の『矢』がわたしを貫きました。

 胸、腹、足。

 幾本もの矢が体を貫通し、声を上げたいほどの激痛が体を駆け抜けます。

 しかし、この時、このタイミング、この状況を、逃すわけにはいきません――!


「――星雲の導きを示せ!」


 それは『遠見』の呪術。

 アリー先生に教わった、水晶を通して遠くの景色を見るだけの魔術です。

 ――しかし、便利なその魔術には致命的な欠陥がありました。

 精神集中を乱してその魔術を失敗した場合、術者に襲いかかってしまう反作用。

 それは――。


「――異次元に『迷い込め』!」


 ずるり、と。

 魔神さんの体が水晶球に沈みました。

 それは大人の力で引っ張られるぐらいの引力でしょうか。

 まるで泥に沈むように、徐々に魔神さんはその水晶球に呑み込まれていきます。


「――何をした、ラティ!」


 魔神さんは焦りの声をあげます。

 支えのない彼女は慌てて手を伸ばし、わたしの腕を掴みました。

 わたしは彼女の胸に刺さった短剣を抜くと、その腕に突き刺します。

 筋肉を切り裂くことで、彼女の腕は弛緩しかんします


「この――!」


 半身を既に水晶球へ沈ませつつ、彼女はもう一方の手でわたしに爪を突き立てました。

 ――痛いなんていう感情は、既にどこかにいってしまったかのようです。

 わたしはそんなことを考えながら、どこか冷静に彼女の手首を短剣で切り落とします。

 不死身といえど、物理的に離れてしまえばどうしようもありません。


「――させるか!」


 魔神さんはそう叫ぶと、白い光を生み出しました。

 それは細長く触手のような形を取り、彼女の肩へと絡みつきます。


「――ラティィイイ!」


 何本にも分かれた無数の触手が、わたしを捕らえようとまるで投網とあみ大きくその姿を広げました。

 その影がわたしを覆って――。


「ラティさん」


 トン、と。

 それは優雅に、わたしの体を横に押し倒しました。

 魔神さんから出た触手は、わたしの代わりに彼女の体に絡みつきます。


「いいですかラティさん。――悪役はどんな時でも優雅に、美しく。こんな生き汚い姿を晒してはいけないのです」


「……アリー先生!?」


 頭蓋を半分崩壊させたアリー先生が、魔神さんを抱きしめました。


「――ラウギア。あなたが綺麗にこの世界から退場する為に、わたくしがお付き合いしてさしあげますわ」


 そう言って、アリー先生はそのまま彼女と共に水晶球の中へと沈み込みます。


「邪魔だ、スケルトン! 俺は、零極アカシックレコードへと――!」


「……そんな望み、生前のあなたは持っていませんでした。術式に存在ごと書き換えられただけですのよ」


 魔神さんはそれを聞いて、一瞬眼を見開きます。

 その瞬間、彼女は何かを『迷った』ようでした。

 そしてそのままズプンと音を立てて、魔神さんは頭を水晶球の中へと沈み込ませました。


「アリー先生!」


 わたしは触手に全身を捕らえられたアリー先生の手を慌てて掴みます。

 彼女はその空洞の眼窩をこちらへ向けました。


「――さようなら、ラティさん。あなたのおかげですわ……ありがとう」


 アリー先生はそれだけ言うと、わたしの手を強く振り払って水晶球の中へと自ら沈んでいきました。


「先生!」


 水晶球に触れます。

 しかしそれは既に粘性を失っており、硬質な触感をわたしの手に返しました。

 次の瞬間、ピシリと水晶球にヒビが入ります。

 それを起点にして、水晶球は真っ二つに割れました。


「……ああ」


 ――行ってしまった。

 二つに割れた水晶の残骸を見ながら、わたしはその場に座り込みました。


「痛っ……」


 じくり、と痛みが体を駆け抜けます。

 見れば腹部や足に大きな穴が空いていました。

 まともに『矢』を受けたのですから、それは当然のことでしょう。

 到底助かるような怪我には見えません。


「……なんだか、疲れちゃったな」


 頭がぼんやりとします。

 わたしはその場に体を寝かせて、横になりました。

 血がとめどなく流れているのが見えましたが、今更どうしようもありません。


「――少し、寒いな」


 わたしはそうつぶやいて、その眠気に体を任せるのでした。

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