第15話 『迷子』VS『指向』

「あっはっは! いいねぇ! この部屋は実に俺好みだよ」


 彼女が足を踏み入れたのは、まるで生き物の口の中のような肉塊で覆われた部屋だった。

 部屋のあちこちで血管のような筋が脈打つと共にぼんやりと発光し、様々な肉の触手が伸びては何かをつかもうとしては力尽きてその場にくたりと倒れるのを繰り返している。

 ほんのりと血生臭い匂いが漂うその部屋を、彼女は鼻歌まじりに先へ進んでいた。


「――おや。お出迎え? ラティじゃあないんだね」


 彼女の言葉に、そのドレスを纏ったスケルトンは優雅に答える。


「総大将を矢面やおもてに出すわけにはいきませんからね。……お久しぶりです、ラウギア」


 スカートのすそを持ち上げるスケルトンに、彼女は首を傾げた。


「……わたし・・・の知り合いか。それとも俺の知り合いか」


わたくしの名はアリーシア。……はるか昔に魔王の名を冠した者。ラウギア、ゆえあってあなたを止めに来ました」


 聞かされたその名前を、反復するように彼女は呟いた。


「『アリーシア』……さて、覚えていないな。俺は零極アカシックレコードを目指す為の存在であり、『指向』の力そのものだ。……瑣末さまつな情報は既に摩耗している」


「……そうですか」


 彼女の言葉にアリーシアはどこか悲しげにうつむいた。

 しかしすぐに顔を上げて、その腰に差した細剣を抜く。


「……ならばやはり、あなたはわたくしが止めなくてはいけない存在ですわ!」


 アリーシアはそう言ってスカートを翻して後ろへと飛んだ。

 細剣を振るい、魔神へとその切っ先を向ける。


「――全隊! 構え!」


 アリーシアの声と共に、足元の肉の地面を切り裂いて、無数の小さな骨人形が姿を現した。

 その人形の数は100を越え、そしてなお増え続ける。


「一番隊突撃! 二番から四番隊、一斉掃射開始!」


 彼女が指揮棒のように細剣を振るうのに合わせて、無数の骨たちが規則正しく並び小さな鉄槍を突き出した。

 後ろの骨たちは弓矢を構え、魔神へと無数の矢を放つ。


「なるほど数で攻めると……。だがそれならば――」


 魔神はその顔に余裕の笑みを浮かべると、人差し指を立てて天井を指し示した。

 それと同時に、魔神の背後に無数の小さな光球が生み出される。


「――こちらも分散すればいいだけさ」


 彼女がそう言ったと同時に、光の球は白い光線となって骨の人形たちへと撃ち出される。

 まるで拡散光のように放たれた無数の光線は、骨や放たれた矢を正確に打ち砕いていった。


「――五番隊! 六番隊! 前へ!」


 アリーシアの言葉に従い、続々と骨人形の大群が押し寄せる。

 それを見て、魔神はつまらなそうにため息をついた。


「ワンパターンだな……。失望したよ」


 彼女はそう言って、人差し指をアリーシアへと向けた。


「――バンっ」


 その指の先端から、一筋の光が放たれアリーシアの眉間を貫く。


「……ぐっ……!」


 彼女の眉間から、頭蓋骨全体へとひび割れが広がった。

 頭を打たれた勢いのまま、彼女は後ろへと倒れる。

 同時に、周囲の人形たちの動きが止まった。


「――頭を潰せば早いっていうのは、真理だね」


 アリーシアが倒れたのを見て、魔神は笑いながら彼女の体に近付く。


「……さて、アンデッドは蘇らないよう粉々にしなきゃ」


 そう言いながら一歩足を踏み出す魔神。

 しかし次の瞬間、彼女は顔を歪めて足元を睨みつけた。


「おや……?」


 そこには彼女の足の甲へと槍を突き刺す骨の兵隊が一人。

 それに続いて、何体もの骨の人形が地面に繋ぎ止めるように彼女の足を突き刺した。

 そしてその部屋の中に、子供のような高笑いが響く。


「――ふはははは!」


 その声と共に、散らばる骨の残骸が一箇所に集まっていった。

 それは次第にまとまっていき、巨大な人形を作る。


「油断したな魔神! 我がボーンゴーレムの骨の一部となるがよい!」


 人間の二倍はあるかとも思えるような大きさのゴーレムは、魔神の胴に手を回してそれを握りしめた。

 みしりと魔神の骨がきしむ中、彼女はさしたる抵抗もせずにゴーレムへ向けた笑いかける。


「……数の次は質量か。でも残念ながら、俺はどっちもイケるくちなんだ」


 彼女は人差し指をゴーレムの腹部に向けた。

 その人差し指の先に、人の頭ほどもある白い光球が生じる。


「さて、現在可能な最大魔力を濃縮しよう。俺も使ったことはないが……跡形ぐらいは残るかな?」


 白い光が小さく圧縮される。

 それが発射される直前、ゴーレムの眼前に炎の球が発生した。


「――エクスプロージョン!」


 少女の声と共に火球が撃ち出されるのと、魔神の生み出した白球が動き出すのは同時だった。

 オレンジ色の火球と白色の光が宙でぶつかり合う。

 まばゆい光と共に激しい衝撃が周囲へと炸裂して、それは部屋全体を焼き付かせた。

 風圧がゴーレムの骨をバラバラに吹き飛ばし、中に潜んでいた金髪の少女は壁に叩きつけられる。

 それと同じくして、魔神はその表皮を熱に焼かれ爛れさせた。

 デロリと顔や腕の皮が剥がれ落ち、その焼け焦げた肉と筋繊維が露出する。


「――ああ、思ったより弱かったな。それにしても痛い。これは死ぬほど痛いな」


 ゴーレムから解放された魔神は、全身に火傷を負いつつその右腕をゴーレムの中から出てきた少女の方へと向けた。


「……治るのには数秒かかりそうだ。ああ、なんてひどいことをするんだろうね、この子は――」


 魔神の皮膚がせり上がり、高速で修復されていく。

 まるで周囲の肉塊たちと同じように魔神の体が再生される中、その人差し指の先には白い光が灯った。


「――殺しちゃお」


 魔神がそう言うのと、その声は同時だった。


「――たぁぁぁ!」


 魔神は思わず声のした頭上を仰ぎ見る。

 その肉塊の天井には、頭だけがいびつに大きいドラゴンが逆しまに張り付いていた。

 ドラゴンの頭から下は、周囲の肉に溶け込むような色をしている。

 そしてその大きな口の中から唾液まみれで出てくる、大剣バスタードソードを持った女性。

 それに反応する間もなく、魔神の右腕は彼女に切り落とされた。



  §



「――はぁっ!」


 気合と共に地面へと着地。

 その際に切り落とした相手の腕は、部屋の端まで飛んでいきました。

 着地の衝撃がじーんと足に響きます。

 結構な高さを落ちましたが、地面のお肉がクッションになってくれたのか足もくじいてはいません。

 日頃からアリー先生に足腰を鍛えさせられていた成果かもしれませんね。

 わたしは膝に力を入れてみます。

 ……よし、問題なく動く。

 しゃがんだ状態の着地姿勢から、重い大剣を両手で大きく回して遠心力を付けます。

 ……大剣なんて使うのは初めてですし、今まで練習してきた短剣とは使い勝手がまったく違います。

 付け焼き刃と言ってもいいぐらいの練習量の扱いしかできませんが、しかしこの魔神相手にはそれで十分です。

 ――なぜならリビス姉さんは、普段からこんな肉弾戦の訓練はしていないのだから。

 破格な力の『矢』がある以上、そんなことはしなくても良い。

 だからこそ、近接戦闘に持ち込めさえすればこちらが有利のはずです。


「――てやぁぁー!」


 我ながら力が抜けるような声をあげつつ、ブンッと両手剣を振り回します。

 足を狙って振り回したその鉄の剣は、リビス姉さんの姿をした魔神さんの両膝から下を切り離しました。


「――ラティーッ!」


 彼女は地面へと身を投げ出しながら、その眼を見開き満面の笑みを浮かべます。

 ――うわっ、気持ち悪ぅい……!

 片腕両足を切断されながら笑顔を向けてくる人、一言で言って恐怖です。


「ようやく会えたね! 死ね!」


 どんな再開の挨拶ですかー!

 彼女は残った左手をこちらに向けました。

 それと同時に、彼女の背後に二十ほどの光球が出現します。


「――ガァァァーッ!」


 しかしそれが放たれる前に、そこにドラゴンの姿のグラニさんが頭上から彼女を押しつぶしました。

 出ていた光の矢は全てグラニさんに刺さり、その体を貫きます。


「グラニさん!」


 わたしの声と共に、グラニさんはそのドラゴンの体を跳ねさせます。

 その場を離れて、ゴロゴロと『肉』の地面に転がりました。

 胸や足に矢が貫通した穴が出来ており、かなりの重症です。

 もう立ち上がることもできないでしょう。

 ――しかし、ここで迷っていてはみんなの苦労を無駄にしてしまいます!

 地面に倒れた魔神さんの体目掛けて、わたしは大剣を振り上げました。


「――だぁぁぁー!」


 彼女の胸に思い切り大剣を突き立てます。

 大剣は貫通し、まるで杭のように彼女の体を肉の地面へとつなぎ留めました。


「ぐぅっ……! ……再生がっ!」


 彼女は剣を突き立てられた胸を押さえ、顔を歪めます。

 さきほど焼け焦げた彼女の表皮は既に再生しており、その再生力の強さを物語っていました。

 しかしその再生力は、その胸の中央に大剣が突き刺された今となってはあだとなっているのでしょう。


「よし、これで……!」


 わたしはポケットから短剣を取り出します。

 事前に仕掛けていた罠を発動させる為です。

 しかし魔神さんもそれを黙って見ていてくれはしません。

 彼女は寝転んだまま、空中に光の矢を生み出しました。

 そして迷わず、それを自分自身へと打ち込みます。


「あああっ! あぁっ!」


 叫び声を上げつつ、白い矢を受けて彼女の腹部が引き裂かれます。

 彼女は内蔵をはみ出させながら引き裂いた腹部を横にスライドさせて、地面に突き刺さった剣から体を解き放ちました。

 大変な力技です。

 ――しかし、これで更に再生に時間はかかるはず。

 そのわずかな再生までの時間タイムラグを作るために、わたしたちは攻撃を積み重ねたのです。


「さよなら、リビス姉さんっ……!」


 わたしはそう言いながら、罠を発動するためのロープを断ち切りました。

 そのロープは天井に仕掛けられた鉄板につながっています。

 肉塊の影に偽装されたその仕掛けは、それを切ることで逆側の重しに引かれて鉄板がスライドするようになっていました。

 ――つまりどういうことかというと、ロープを切ると天井の一部が開くのです。

 ゴガン、と金属音が頭上に響きました。

 ……地面に寝転がる魔神さんには、何がやってくるかが見えるはず。


「――素晴らしい」


 彼女は一言、そうつぶやきました。

 ――ダンジョンの構造は、様々なエリアをつなぎ合わせて作っています。

 当然、横だけではなく上下に階層をつなげることも可能です。

 この前に大浴場を作り直した際は、上の階に『地下水路』を作り、下に『溶岩』エリアを作りました。

 ……今回は、その逆です。


「――ははははは!」


 上の階から注ぎ込まれる溶岩に体を焼かれつつ、彼女の狂気をはらんだ笑い声が部屋の中へと響き渡ります。

 溶岩は彼女と、肉の地面を焼き焦がしました。

 ――この部屋の床は、わざと薄く作っています。

 その為、溶岩が注ぎ込まれ続けば、組織が焼けただれて崩れていくはずです。

 だいたい5分ほどで床が抜けることは、事前に実験し確認していました。

 ……そして更にこの地下にあるのは『氷』の部屋。

 溶岩はそこで冷やされ、魔神さんを岩盤の中に閉じ込めるはずです。


「岩盤に閉じ込めても脱出されるようなら、いったいどうしたものでしょうかね……」


 そんなことを考えながら魔神さんを包む溶岩流を見つめていると、一瞬、その流れの一部が蠢いたのが見えました。


「――ははは、さすが、だ……ラティ……」


 男女の区別もつかないほどにしゃがれた声が、その場に響きました。

 ――どうやら、岩盤に閉じ込めたあとのことを心配する必要はなかったようです。

 非常に喋りにくそうにしながらもしっかりと話すその声を聞いて、自身の頬が自然と引きつるのを感じます。


「……だが、ダメだ。これじゃあ、俺は、……止められない」


 岩盤に閉じ込めるどころか、溶岩ですら彼女を止めることは出来ない様子。

 肉が削ぎ落ちた白い頭蓋骨が、溶岩の中から出てきてわたしを見つめます。


「言った、ろう……? 俺、は、『指向』の、力を、持つ。……だから――」


 続けて溶岩の中から、ずるりと焼け焦げた彼女の腕が出てきました。

 それはわたしをまっすぐと指差します。


「こういう、ことも、できる」


 ズズズ、と溶岩がその形を変えていきました。

 さきほどまで彼女が使っていた白い矢のように、その溶岩は無数の赤い矢となってこちらを向きます。


「『突き進め』……!」


 100以上もの溶岩の矢が、こちらへ向けて撃ち出されます。


「――『迷って』!」


 わたしはとっさにそう叫びました。

 こちらに向かって迫りくる矢は、その進路を途中でずらしてわたしの周囲に無数の弾痕を作ります。

 あたりに溶岩と肉壁が焼けた煙が広がり、それは周囲の空気を温めました。


「――ほう。なるほど、それが『封印の因子』」


 既に声帯は復活したのか元の綺麗な声と共に、その頭蓋骨に表情筋を再生しながら彼女は溶岩の中から姿を現しました。

 全身の焼け焦げた筋繊維が、まるで触手が伸びるかのように相互に繋がり再生していきます。

 ……夢に出てきそうな風景です。


零極アカシックレコードに進む俺を阻害し、迷わせ続ける属性を付与させたというわけか……。小賢しいが、有効な手だ」


 そう言いながら魔神さんはその体を徐々に元の状態へと戻していきます。

 溶岩すらも、彼女は止められない……。


「何にせよ、そろそろゲームセットだ」


 魔神さんが、再生したその右腕の人差し指をわたしへと向けました。

 彼女の後ろに注ぎ込んでいた溶岩流が、まるで蛇のようにうねりこちらへその矛先を向けました。


「『突き進め』!」


 彼女の言葉と共に、溶岩で出来た蛇はわたしへ向かって地面を這います。


「『迷え』!」


 わたしが叫びつつ地面に短剣を突き立てると、そこを起点にするように溶岩は真っ二つに割れて左右へと流れていきました。

 心臓が早鐘を打ちます。

 ……ぶっつけ本番なのに上手くいきました。

 我ながら凄いですね、『迷子』の力……。

 そんな様子を見て、彼女は笑います。


「なるほど。俺の力と君の力、さすがに相性は最悪だな」


 彼女はそう言いながら一歩一歩わたしへと近付いてきます。


「――なら、外さない距離で打ち込もうか。いったいどこまで近付けば、君の心臓に迷わず辿り着ける?」


 服が焼き失せ全裸となった彼女は、笑みを浮かべつつゆっくりこちらへと歩みを進めて来るのでした。

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