第14話 侵攻開始

 屈強な男たちに囲まれて、彼女はその洞窟の前へと辿り着く。


「お・待・た・せ」


 彼女はその顔に笑みを浮かべて、ダンジョンの中へ向けて笑いかけた。

 まるで舞踏会へ向かう令嬢のように、その姿は露出度の高い黒のドレスで着飾っている。


「……噂通り、ダンジョンに住んでるんだね。俺が追い出したとはいえ、随分な物好きだ」


 笑顔を浮かべた彼女は、そのままスカートを翻して後ろを振り返った。


「それにしても、覗き見は感心しないな。……いやいや、今の今まで気付かなかったよ。なかなかやるじゃないか。素晴らしい」


 その言葉と共に、彼女の後ろに次々と無数の小さな白球が生まれた。

 数本の光球は矢のようにその形を変えて、まるで森の奥を睨み付けるかのように狙いを定める。


「……さて、死への旅路をプレゼント。チケットの枚数は足りるかな?」


 少女が親指を立てつつ人差し指をその方向に向けると、その数本の矢は光の曲線を描きつつ彼方へと飛び去った。



  §



「――遠見の水晶が……! サニーちゃんは……!?」


 わたしは思わず叫びました。

 ダンジョンの水晶の広間に、その声が響き渡ります。

 しかし中央に設置された大きな水晶からは、それまで表示されていた映像は消え失せており何も映りません。


「……無事であることを祈りましょう」


 横で見ていたアリー先生がそんなことを言います。

 しかしあの数の光の矢を受けて、サニーちゃんが無事とは思えませんでした。

 現に彼女の持っていた水晶球は、一瞬のひび割れの映像を最後に今はもう反応が返ってきません。

 おそらく完全に破損していると思われます。


「――サニーちゃん……!」


 彼女には隠密が得意な狩人として、森の中で斥候をしてもらっていました。

 魔神さんが森に入ったときから遠見の水晶越しに監視できるよう、後をつけてもらっていたのです。

 それによってわかった魔神さんの様子から、急遽練っていた作戦を変更したりもしていますので、もしサニーちゃんがいなければ全ての計画が水の泡になっていたところでした。


「――切り替えなさい、ラティさん。心配したところでサニーさんにわたくしたちがしてあげられることは何もありません。まずは彼を撃退するのが先決です。……それよりも、そろそろ準備を」


 先生の言葉に、わたしは下唇を噛みます。

 頭の中に、傷を負ったサニーちゃんの姿が浮かびました。


「……はい」


 言いたい言葉を呑み込んで、そしてなお気持ちが揺らぐ心をねじ伏せて、わたしはゆっくり頷きます。

 魔神さんが既にダンジョンの中へと足を踏み入れた今の状況において、先生の言ったことが正しいのは明らかです。

 わたしは先生に言われて水晶越しに監視水晶カメラを操作し、投影水晶モニタにいくつかのダンジョン内の景色を映し出しました。

 その一つに、ダンジョンの中を進む魔神さんたち一行の様子が映り込みます。

 この5人の男の人たちは、まったくの想定外です。

 魔神さん一人、もしくはそれに加えて兄が戦った『白い人形』が付随する形かと思っていました。

 しかし実際は5人ものムキムキの男性方をお連れてしています。

 ……そんなの聞いてなかったんですけども、姉さんのお知り合いでしょうか……。


「……おそらく彼らの様子を見るに、魅了チャームのような術をかけられているようですわ。……とはいえ、わたしたちに手加減するほどの余剰戦力はありません」


 ……それはつまり、『殺られる前に殺れ』ということです。

 相手が操られているからと言って、命を取らないよう戦う余裕はありません。

 そんなことをしていたら、逆にこちらが殺されてしまうことでしょう。

 魔神に目を付けられた時点で不幸だったと割り切ってもらうことにします。

 ……まあ、できることなら穏便に済ませたいところですけれども。


「……と、もう少しで到着ですね。――ヨルくん」


 わたしは彼の名を呼びます。

 するとヨルくんはすぐにその体を変形して、モニタを作りました。


「ダンジョン強制変動の準備は完了しているよ」


 それは魔神さんが森に入ったときから準備を進めてもらっていたものです。


「ただしいつもと違って急激な変動だから、魔力の消費は莫大な量になるよ。新たな魔力の供給が来るまではラティに協力することはおろか、クリエイトすらもしばらくできなくなると思ってね」


「……はい。大丈夫です」


 ……あ、ダンジョンの魔力を使い切ってしまったら、レベルはどうなるんでしょう……。

 ――まあいいか。

 とりあえずは眼の前の魔神さんに集中です。

 見れば水晶に映る魔神さんは、男の人たちに囲まれつつ坂を歩いています。

 そろそろその中腹へと到達するはず。

 のんびりと歩く魔神さんの様子からして、未だ警戒はしていないようでした。

 ……やるなら今です。


「……では、ミアちゃん! お願いしまーす!」


 わたしが虚空へ向かって声をかけます。

 その声は、洞窟内を反響して、遠くにいる彼女の耳に届いたはずです。

 そして手はず通りなら、この後――。


「――よし! 来た!」


 水晶に映る画面に、濁流が迫ります。

 事前に作った水門をミアちゃんに開いてもらい、『地下水路』エリアから引いた水で鉄砲水を作りました。

 逃げ場の無い通路に水流を流し、そのタイミングに合わせて地下の消化槽までの直通路をヨルくんに作ってもらう。そしてその水圧で消化槽へと魔神さんをぶち込む……そんな作戦です。

 不死身と噂の魔神さんですが、さすがに消化槽に肩まで浸かってもらえば行動ぐらいは阻害できるのではないでしょうか。


「名付けて水洗トイレ作戦!」


「……優雅ではありませんわ」


 アリー先生の言葉はさておき、大量の水で押し流すアイデアは我ながら悪くないものだと思っています。

 ダンジョンの通路を完全に塞いでしまうと魔力の流れがとどこおってしまうらしいのですが、水を流して一方通行にするなら問題ありません。

 緩やかについた坂を流れる多量の水に、普通の人なら前に進むことはおろかその場に立っていることすら出来ないでしょう。

 ――そう、普通の人なら。


「……うえええ。どういう仕組みなんでしょうか……」


 モニタに映る魔神さんの姿。

 リビス姉さんの格好をしたそれは、その顔に笑みを浮かべながら何でもない様子で押し寄せる水の中を闊歩していたのでした。


「……さすがラウギア。その歩く姿は女性の物になっても優雅ですわね」


「言っている場合ですか!」


 どうやって水の勢いに逆らっているのかはわかりませんが、こうなれば別の手段を考える必要があります。


「……ヨルくん、こうなったらプランBです!」


 わたしの言葉にヨルくんはぷるぷると震えました。


「……ラティ、プランBについて説明をお願い」


「今から考えるってことです! 何かいい案はありませんか!?」


「そんなこと言われても」


 モニタ水晶に映し出された様子を見ながら、わたしは頭を抱えるのでした。



  §



「……おや、水浴びはもう終わりかな」


 体から水を滴らせつつ、彼女は涼しげな笑みを浮かべた。


「俺の力は『指向』だ。零極アカシックレコードへと真っ直ぐに進むという現象。それが俺を構成する魂の素材」


 彼女はそう言いながら、地面に矢印のような形の影を這わせた。

 それはまるで正解のルートが最初からわかっているかのように、洞窟の奥を指し示す。


「……よってこの程度の奔流では俺は止められない。君を殺すその時まで、最短距離の道を前へと進み続ける」


 彼女はそう言って、後ろを振り返った。

 はるか後ろには押し流された男たちの姿がある。


「……まあ木偶でくまではそうはいかないが――」


 そう彼女が言いかけたとき、洞窟の中を激しい振動が襲った。

 彼女は驚いた様子もなく、天井を見上げる。


「――地震。……ダンジョンが姿を変えているのか」


 彼女の周囲の壁が蠢き、激しい轟音と共に左右から徐々に岩盤がり上がる。


「――ああ、なるほど。これが目的か」


 その岩盤は後ろの通路を完全に塞ぎ、ついてきた男たちと彼女を二つに分断した。


「戦力の分散か。さすがわたし・・・の妹。俺は俺で、最短距離で目指すという性質を曲げることはできないから合流に動くこともできない」


 彼女は自分と談笑するように、楽しそうに言葉を続ける。


「いいだろう。のんびり君の心臓を目指そうじゃないか。――さあ、ラティ。はやく俺と殺し合いをしよう」


 歌うようにそう言って、彼女はダンジョンの奥へ向けて歩き出した。



  §


 エンシスが待ち構える中、それらは現れた。

 魔神とはぐれた男たちが、別のルートを通ってダンジョンの奥地へと歩みを進めてきている。

 その侵攻を止めるのが、彼が自身に課した役目だった。


「……見た記憶がある顔もいるな。街のゴロツキか何かか。お前たちに恨みはないが、この先へと通すわけにはいかない」


 そこは『町』エリアで作った路地裏のような地形。

 エンシスはラティが『鉄』と『革』で作った急造の甲冑に身を包み、ダンジョンの奥へと繋がる通路を背にして男たちへと対峙した。

 抜き身の片手剣と盾を構える彼に対し、男たちは無言で剣を抜く。

 一拍の後、彼らはいっせいにエンシスへと襲いかかった。


「――甘い!」


 一人ずつ迎え撃つために作られた、狭まったその地形。

 家々の壁の間、取り囲むことができない路地でエンシスは踊るように剣を振るい、男たちをいなしていく。

 普段から街の治安を守る為に戦うエンシスにとって、それは造作もないことだった。

 男たちの剣撃を盾でそらし剣で打払い、そして返す刃で切りつけていく。

 誰もいない町並みの中、幾重もの剣戟の音が響いた。

 一人、また一人と男たちは腕や足に傷を負ってその場に倒れていく。


「――ラスト!」


 エンシスは最後に襲いかかってきた男の剣を切払って弾く。

 そして腹を蹴り打ち倒し、頭を蹴って昏倒させた。


「……ふぅ。素人の動きで助かったな……」


 エンシスはダンジョンの奥を見つめる。

 若干の傾斜がかかった町並み。

 それは攻める側の勢いを殺し、守る側に優位に働く。

 高所の位置へ陣取るのは、彼が知る軍略の基本だった。

 ――無策に切りかかってくるのではなく、地形の有利を無くするような作戦を取られたら危なかったな。

 彼は胸を撫で下ろしつつ、そう考える。

 いくら鎧を着込んだ騎士とはいえ、1対5では素人相手だろうが油断は出来ない。

 過去には満足な武器も持たない野盗相手に、集団で殴られて殺された仲間もいた。

 それが戦いというものだと、彼は認識している。


「大した思考能力は無い、か。……まあいい。ダンジョンの構成が変わったようだが、これでラティを――」


 ――助けに行ける。

 そう口にする前に彼はいち早く異変に気付き、大きくその体を跳ねさせた。

 視界の端に移った白い『矢』が、彼の盾を打ち砕く。


「――くっ!」


 エンシスはその表情を歪めながら、ひしゃげた盾を捨ててすぐにそれ・・から距離を取った。

 矢が放たれた地面の方向に視線を向けると、倒した男の口の中から白く太い軟体がデロリと這い出てくるのが見える。

 その姿に、彼は見覚えがあった。


「……なるほど。『魅了』というよりは、『寄生』だったか」


 5人の倒れた男の口から白い人形がずるずると出てくる中、エンシスは頬に汗を浮かべながら笑う。

 それらは明らかに彼を意識しているようで、まるで目でも付いているかのようにその太い触手の先端をエンシスへと向けた。


「……すまん、ラティ。そちらには行けないようだ」


 五体の白い人形の視線を感じつつ、彼は腰に差した片手剣をもう一本抜く。

 二刀の構えを取りながら、エンシスはダンジョンの奥にいる妹の無事を祈るのだった。

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