第5話 ダンジョンはあれこれ入り用です

「……えーと、ヨルくんヨルくん」


 わたしがそれに気付いたのは、お風呂で着る水着をクリエイトルームで作っていたときのことでした。

 個室のお風呂を作っても良いのですけど、せっかくなら大浴場で広いお風呂に入りたいですからね。

 ついでに言うと、みんな一緒に入るのも楽しいものです。

 そう思って、わたしはみんなの分の水着を作っていたのでした。


「なんだいラティ」


 水着を作る手を止めて、わたしはヨルくんの画面に表示された文字を読みます。

 それは操作を誤って表示させた、わたしの能力値でした。


「……あの、ヨルくん。見覚えのないスキルがあるんですけど……」


「何かわからないスキルがあるのかい」


「はい、この……『狂気』っていったい……?」


 そこには、今までのわたしのスキルには存在していなかった物がありました。

 ……狂気。

 ちょっと自分の人格を疑ってしまいます。

 わたしはいつの間にか、二重人格にでもなってしまっていたのでしょうか?

 もしやお腹のお肉が取れないのは、夜な夜なわたしの中のもう一人の人格が夜食を食べているせいなのでは……!?

 そんなふうに自身の不摂生の責任を架空のわたしに押し付けていると、ヨルくんはその画面を切り替えて別の文字列を表示しました。


「『狂気』。これはスキルの中でも特殊で、実績に近い物だよ」


「実績……?」


 わたしが首を傾げると、ヨルくんはその体にいくつかの画面を同時に開きました。


「そもそもスキルというのは、アカシックレコードにアクセスしてその個体の情報を読み取った結果なんだ」


「んっ……? ちょっと待ってもらっていいですか? アカシックレコードとはいったい……?」


 聞いたことはありません。


原初の記憶アカシックレコード。それは創造からこれまでの情報が書かれた世界の記録さ」


 わたしの質問にヨルくんは次々と説明画面を開いてくれますが、何やら小難しいことが書かれていて理解できません。

 魔術理論かなにかでしょうか……。


「ええっと……歴史書みたいなものですかね」


「だいたいそんなものだよ。ラティのこともそこには書かれている」


「えっ。それはプライバシーの侵害じゃないですか?」


「そうとも言うね。アカシックレコードには全ての情報が記されているよ」


「いくらわたしに興味があっても、覗き見はダメですよ。ヨルくん」


「一部の情報だけしか読み取ってないから安心してね、ラティ。ラティがいつものように夜間こっそり糖分を摂取したところで、ボクにはわからないよ」


「食べてませんよ!? いつもそんなことしてませんよ!」


 ヨルくんに冤罪の嫌疑をかけられました。

 それにしてもヨルくん、最近なかなか言うようになってきましたね。


「そんなアカシックレコードから読み出した情報には、その個体の能力が書かれているよ。とは言っても、べつに共通語に言語化されているわけではないから、あくまでも意訳になるけどね」


 ……正しく翻訳しているわけではない、ということでしょうか。

 つまりこの『狂気』とは『狂気っぽいもの』という曖昧な意味合いなんですかね……?

 どちらにせよ『狂気』という単語が自身の能力値として表示されているというのは、少し恐ろしいものがあります。


「それはつまり、わたしが狂っている……ということでしょうか……?」


 わたしの疑問に、ヨルくんは答えます。


「そうとも言えないよ、ラティ。そもそも何が正常で何が異常なのかだなんて、視点や環境により異なる物だからね。例えば殺人は、街中ですると殺人鬼になるけれど、戦場でするなら英雄になれるよ」


「さらっと怖い例えを持ち出しますね、ヨルくん……」


 わたしの言葉にヨルくんは少し考えるように体を上下にぽよんぽよんと動かしました。


「――例えば全裸は、街中でなると変態になるけれど、戦場でなるなら英雄だよ」


「それはどっちも変態だと思います! 言い換えるならせめて後半はお風呂場とかに変えましょう!」


 ヨルくんはわたしのツッコミをスルーして言葉を続けます。


「それはともかく、ラティの『狂気』は経験のようなものなんだ。『狂気に浸かる体験をした』、『一瞬でも狂気に染まった』、『狂気を迎えるきっかけを得た』。そんな『狂気』の体験をしたことが、そのスキルが表示されることになった理由だね。スキルというよりは、指標パラメーターに近い物かもしれないよ」


「パラメーター……」


 状態……というよりは、この『狂気』は称号みたいな感じですかね。

 おそらく以前、侵入者を撃退したときのことが基因となっているのだろうとは思います。


「……こんなパラメーター、いったい何の役に立つんでしょう」


 わたしの言葉に、ヨルくんは画面を閉じてその場にぽよんと跳ねました。


「『狂気』は特殊概念シンボリックスキルの一つでもあるよ。『迷子』と同じく、魔術の行使条件や魔道具の使用条件になってたりするね」


「まじゅつ……」


 つまり『狂気』を得たことで、使える魔法やマジックアイテムが増えるとか、そういうお話なのでしょうか。


「……だとしたら、このスキルを持っているのはお得なんです?」


 わたしの質問に、ヨルくんはぽよぽよと震えました。


「狂気に呑み込まれなければね」


 ヨルくんは簡素にそう答えました。

 しかしそれは逆説的に言えば、どんどん『狂気』が深化していくことでわたしの頭が狂ってしまうこともあるということでしょうか。

 途端に少し、怖くなります。


「……これ、消すことはできないんでしょうか」


「表示したくないなら見ないようにもできるよ」


「いや、それは根本的な解決になってませんから……。そうではなくて、出来れば治療とか解消とかをお願いしたいんですけど……」


 わたしの言葉に、ヨルくんは左右にその体を揺らしました。


「先程も言った通り、それは実績のような物だからね。記憶を消すことが出来たとしても、アカシックレコードに刻まれた記録を消すことまではできないよ」


 ヨルくんは冷徹にそう言い放ちます。

 つまりは、わたしはこの先ずっと『狂気』と付き合っていかなくてはいけないということでしょうか。

 そんな心の準備はまだ出来ておりませんでした。

 いや、いつまで経っても準備が出来るとは思えませんけども。


「それに、さきほども言った通り狂気というのは環境によって大きく意味合いが変わってくる事柄でもあるからね。無理にでも精神を治療したいとなると、それは洗脳に等しいことにもなってしまうよ」


 洗脳……。

 頭の中をいじられるのは、ちょっと御遠慮したいですね。

 例えもう一人のラティちゃんがわたしの頭に住む日が来たとしても、何とか共存を申し込みたいです。

 先んじてはお菓子を食べるのは双方合意の上でということで、一つ。

 とはいえ、そんな『狂気』に侵食されない方法も知りたいわけでして。


「……それならこれ以上、『狂気』のレベルを上げないようにすることはできるんですか?」


 実績とは言うものの、この『狂気』のレベルが10も20も上がったときには、わたしは正気では無いのでしょう。

 わたしがヨルくんにそう尋ねると、ヨルくんは体を伸ばして画面に映像を表示させました。


「これを見て、ラティ」


 そこに映し出されたのは、色黒のマッチョメン。

 筋肉質の男の人がパンツ一枚で筋肉を強調するポーズを取っています。

 ……えっと。

 ヨルくん、これをわたしに見せて何が言いたいのでしょうか。

 セクハラですか? これセクハラ? 訴えます?

 わたしが頭に疑問符を浮かべていると、ヨルくんが言葉を放ちます。


「筋肉は全てを解決するよ」


「嘘でしょ……」


 思わず唖然としてそんな言葉を漏らすと、ヨルくんは表示されたページを切替えました。

 次に映ったのはベッドと太陽、そしてパンのイラストです。


「運動、食事、睡眠。これらが規則正しく整っているとき、人間は狂気に侵されないとされているよ」


「それ鬱病気落ちしたときとかの対処ですよね。『狂気』ってそういうものなんですか」


 そういうものだとしても、これはわたしが心の病を患っているという話になっちゃいませんか?

 わたしの質問をスルーしつつヨルくんは言葉を続けます。


「太陽の光を浴びることも重要なので、本ダンジョンには自動調光機能がついているよ。よってこのダンジョンには使用者の精神状態について、責任が発生しないものとするね」


「あからさまな責任逃れ!」


「利用規約に同意してから管理者になってね」


「もうなってますよ! っていうか利用規約ってなんですか!? そういうのは契約前に見せてくれるべきなのでは!?」


 わたしの非難の声を受けつつ、ヨルくんはその姿を変形させて画面を表示させました。


「そんなことより水着を作らないと、ラティ」


「話の逸らし方が下手ー!」


 わたしはヨルくんを握りつぶすかのように両手で圧迫します。


「痛い、イタイよラティ」


 ぐににに、と力を込めていると、クリエイトルームの入り口から声がかけられました。


「……ラティさん。ちょっとお願いしたいことがあったのですけども、お取り込み中……?」


「あっ。いえいえ、そんなことは全然ないですよアリー先生。ちょっとヨルくんの感触を楽しんでいただけで」


 ヨルくんから手を放すと、彼は慌てるようにしてぽよぽよと部屋の端へと逃げだしました。

 その様子は少しだけ可愛らしいです。

 アリー先生はコホン、と咳払いをします。


「そうですか? それなら、水晶球をいくつか作って欲しいんですけれども……」


「水晶球?」


 そういえば、『石英』がクリエイト素材に追加されていたんでした。

 えーと、たしかそれは――。


「呪術の触媒に使おうと思いますの。わたしはこの体なので魔力を扱えませんが……簡単な魔術なので、ミアちゃんか、もしくはラティさんならきっと」


 そう言ってアリー先生はカタカタと骨を鳴らしました。


「……魔術、わたしも使えるようになりますかね?」


 以前の変成魔術はどうやっても使えるようにはなりませんでした。

 グラニさんは結構簡単に習得したというのに。

 わたしの質問に、アリー先生はコクリと頷きます。


「断言はできませんけれど、魔術には相性もありますの。あなたに合っている種類であれば、可能性はありますわ。なにせラティさんは努力の天才ですもの」


「ええー? 本当ですかー……?」


 思わずアリー先生の言葉に口元が緩んでしまいます。

 アリー先生はおだて上手ですね。


「ええそうですとも! 根拠はまったく全然ありませんが」


 ……少し投げやりなのが玉にキズです。

 持ち上げるなら最後まで貫き通していただきたーい。


「……まあ、それじゃあ作ってみましょう。……ヨルくん、酷いことしないからおいでおいでー」


 わたしがヨルくんを手招きすると、彼は素直に近寄ってきてくれます。

 かわいい。

 そうして体を伸ばしたヨルくんにクリエイト画面を出してもらいました。


「水晶を使った魔術って、いったいどんな魔術なんですか?」


 わたしがアリー先生に尋ねると、彼女は指の骨で輪っかを作って、その眼窩に当てました。


「遠見の魔術、ですわ。遠くの物を見ることが出来ますの」


「遠見……」


 それはプライバシーの侵害案件なのでは。


「どこでも見通すことが出来る千里眼……みたいな感じなんですかね?」


 わたしの質問に、アリー先生は首を横に振りました。


「いいえ。見れるのはあくまでも、水晶球を設置した場所のみですわね。カメラ眼となる水晶を作り出し、それをモニタ固定された水晶球で監視する。そんな呪術ですわ」


「ほほう……。お風呂場に設置すれば覗き放題ですね……!?」


「発想が下世話ですわね、ラティさん。評価を改めなければいけませんわ」


「すみません冗談です……」


 わたしはアリー先生に謝りました。

 それにしても、もしそんな魔術が使えるようになれば、ダンジョンの侵入者の姿を逐一確認することができるようになりますね。

 それはとても便利そうです。


「……アリー先生はやっぱり、その魔術を使うことはできないんですか?」


 わたしの言葉に、先生はどこか寂しげに頷きました。


「……この体は最低限の魔力で動いているだけですから、出力するような魔力はありませんわ。痛覚も触覚もなく、わずかな視力と聴力で周りをぼんやり認識しているだけの存在アンデッドですからね……わたくしは」


 ……アリー先生は生前は天才だったと聞きますし、少なくとも先生が持つその知識量は膨大で、本物です。

 そんな生前の能力がまったく使えなくなるというのは、どれほど辛いものなのでしょうか。

 わたしは少し落ち込んでしまったように見える先生に、なんと声をかけていいのかわかりません。

 ……うう、少しデリカシーが無かったかも。

 そんな思い悩むわたしの視線に気付いたのか、アリー先生はまるで暗くなった雰囲気を打ち払うかのように笑いました。


「……といっても、誰かが遠見の魔術を作り上げれば、わたくしもそれを利用することはできますわ。だからラティさん、わたくしの代わりに頑張って習得してくださいな!」


「……はい。わかりました! 先生のためにも、必ずや習得してみせます!」


 わたしは決意を胸に、拳を握りしめました。


「……ふふ。ありがとう、ラティさん。期待してますわよ」


 元気に答えたわたしの様子に先生は笑います。

 そうしてわたしとアリー先生は遠見の魔術を作り上げるべく、二人で透き通った水晶球をたくさん量産するのでした。

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