第4話 リフレッシュは必要です

「さあラティさん! あと3分! あと3分だけ止まらずに走ってみなさーい!」


「はぁ……はひ……」


 もう満足に手足を上げる気力すらないものの、わたしはとにかく止まらないように足を上げ続けました。

 とうにその速度は、普通に歩くよりも遅くなっています。

 しかし走るという姿勢は崩さず、とにかく一歩でも多く前に進むことを考え足を動かします。


「新記録は目前です! これを乗り越えれば必ずやあなたは新たなステージへと立つことができますわ!」


 並走するアリー先生がわたしを励まします。

 わたしは円形に変形させたダンジョンの土壁エリアの壁際を走っていました。

 単純な長距離走です。

 本来は面白いとも言えないような物な気はしますが――。


「ラティー! がんばれー!」


「ラティさん! あとちょっとッスよー!」


 ミアちゃんとグラニさんが声をかけてくれます。

 あそこまで……あそこまでは頑張る……!


「ラティさん! 新記録ですわ! これで1時間! 毎日のように新記録を更新するだなんて、やっぱりあなたは才能の塊ですわね!」


 アリー先生が褒めてくれます。

 それは大したことのない数字なのかもしれませんが、30分も走れなかったはじめに比べれば確実に体力は付いてきている……そんな気がします。

 ちなみに、毎日とは言うものの実際は一日置きぐらいです。

 なんでも筋肉は休ませながら鍛えないとダメだとか……?

 心なしか、体が引き締まったような気がしています。


「……ゴールっ……!」


「わわっ!?」


 わたしは体を投げ出して、グラニさんへと抱きつきました。

 慌ててグラニさんがわたしを抱えてくれます。ふくよか。


「ラティさん、大丈夫ッスか……?」


「わたしはもうだめです……最後に……グラニさんの胸に挟まれて眠りたかった……」


「ラティさん? 余裕ありそうなんで放り投げてもいいッスか?」


「駄目ですごめんなさい」


 わたしはなんとか立ち上がって、息を整えます。

 アリー先生の特訓は、面倒くさがりやのわたしでもギリギリ何とか続けられるものでした。

 基礎体力作りに模造刀を使った剣技の練習。

 それも得点方式のゲームルールが敷かれていて、みんなとポイントを競いつつ。

 そして極めつけが……。


「……それじゃあラティさん、頑張ったご褒美ですわ」


「はい! 頑張りましたー!」


 アリー先生が渡してくれたのは、布で包んだビスケットでした。

 それはさきほど、わたしが自分で作っておいたものです。

 まずはクリエイトルームで石窯を作るところから始め、ミアちゃんの炎で焼き上げた至極の一品。

 でんぷん粉と砂糖に油、謎のミルクをふんだんに使ったそれは美味しいながらも、一口サイズの物が4枚だけと極わずかな量ではありました。

 しかしこれは理想のプロポーションを得るために必要なこと……!


「……間食をすることは、たしかにゴールに対して遠くはなります。しかし、それでゴールまで走り抜けるモチベーションを得られるなら、それは必要悪なのです!」


 アリー先生はそう力説してくれます。

 まるで餌付けされているかのようですが、本当にアリー先生は人を扱うのがお上手な方です。

 わたしはさっそくそれを口に放り込みました。


「おいひい……!」


 甘い……!

 口の中に広がった甘さが体へと染み渡ります。

 芳ばしい香りと、ミルクの香りがふんわりと優しくて――。


「ああ、これはそう……芸術……美学……この世の真理……」


 わたしが異世界へと意識を飛ばしていると、余分に作った分をミアちゃんやグラニさんたちが食べていきます。


「ラティの作るお菓子はおいしいなぁ。これならいくらでも食べられそうだ」


「はー、本当にそうッスねー。このダンジョンで一番幸せな時間もしれないッス」


 二人の言葉にわたしは笑います。


「そう言っていただけると、わたしも作りがいがあります」


 砂糖やお塩なんかが好きなだけ使えるのは、たしかにこのダンジョンに住む大きな利点です。

 外で買うには結構お高いものですからねぇ。


「さて、ラティさん。クールダウンも忘れませんように。準備運動が必要なように、運動終わりもまたストレッチなど軽い運動をしましょうね」


「はーい、先生」


 わたしはアリー先生に言われるまま、体を伸ばします。

 トレーニングをし始めた頃は毎日筋肉痛に襲われていましたが、運動後にストレッチやマッサージを行うようにしていることもあってか、今では翌日にやってくる筋肉痛はそんなに強い痛みを伴う物ではなくなっているのでした。

 そうしてストレッチを行うわたしの手足を、グラニさんが揉みほぐしてくれます。


「あー……きくきくー」


 思わず声が出るわたしを見て、アリー先生が首を横に振りました。


「……優雅ではありませんわ、ラティさん」


「うっ……! ……いやしかし、これはしょうがないんです。グラニさんのマッサージが気持ち良過ぎるせいでして」


 わたしの言葉にグラニさんは笑顔を浮かべ、筋肉を揉むほぐす手に力を入れてくれます。


「自分は人体を研究してるッスからね! そう言っていただけると嬉しいッスよ!」


 グラニさんの言葉を受けつつ、わたしはぐでんと体を倒します。

 ちなみに柔軟性は結構ある方なんですよ、わたし。


「ぐへへー。女の子にマッサージしてもらうのはたまらんですなー」


「おっさんくさいですわ、ラティさん」


「よいではないか、よいではないかー」


 わたしの冗談にアリー先生はため息をつきました。

 そんなアリー先生の言葉に、グラニさんは笑います。


「おっさんくさいかどうかは知らないッスけど、汗臭くはあるッスね」


「うわ、そっちの方はちょっと普通に傷つきます」


 いや、運動した直後なのでしょうがないんですけれども。

 たしかに今着ている運動着は、しぼると汗がびちゃびちゃと溢れてきそうなほどには汗だくでした。


「ううう、終わったら水浴びしてきます」


 以前『地下水路』エリアには水浴びできるお風呂場を作っています。

 そこでは常時水が流れていて、綺麗な水で体を洗うことが――。


「……あ、そうだ」


 わたしはこの瞬間、ビビッとあるアイデアを思いつきました。


「――ヨルくん! ヨルくーん! かむひあヨルくーん!」


 わたしは彼の名を呼び、それを実行に移そうとします。

 ヨルくんはぽよぽよと跳ねながら、わたしのもとへ来てくれました。

 素直でよろしい。


「どうしたんだい、ラティ」


「ヨルくん、一つ質問なんですけど……」


 わたしは思いついたアイデアが実行可能かどうか、ヨルくんに確認を取ります。


「『溶岩』のエリアは、周囲のエリアに影響を与えるんでしたよね?」


「うん、そうだよ。接したエリアに約1000度ほどの溶岩の熱が伝わってしまうよ」


 それなら、きっと――。


「エリアを変更します!」


 わたしは期待を胸に、ヨルくんのエリア編集画面を操作しました。



  §



「完成ー! ひゃっほー!」


 思わずテンションが上がります。

 その翌日、地下水路エリアの真横にわたしは溶岩エリアを作りました。

 少々調整は必要でしたのでまずはお試しのつもりだったんですが、これがなかなか上手くいきまして。

 溶岩エリアに接した地下水路からは、温められた熱湯が流れてきます。

 そこから流れ出るお湯と、元から流れる水の量を調整しつつ混ぜ合わせるようにして――。


「――ここに完成! 地下ダンジョン温泉でーす!」


 ダンジョンの中にこんな素敵な温泉が作れるなんて!!

 わたしはさっそく衣服を脱ぎ捨ててそこに入ります。


「ふわぁぁぁぁー!」


 温泉です! 紛れもなく温泉ですよこれは!

 人肌よりもやや熱い温度!

 体の芯から温まることができる、スーパーダンジョン温泉です!


「おおー! さすがラティさんッス! こんなことも出来るんッスね、このダンジョンは」


「うへへー! もっと褒めたたえてください! 我ながらこんなに上手くいくとは思ってもみませんでした!」


 その広く作った岩風呂に、グラニさんも飛び込むように入ります。

 バシャーンとお湯が溢れました。

 危ないので飛び込まないでくださーい。


「うぉぉ……! なるほど良い温度ッスねぇ……。自分はまだ火傷が治ってないので、体中がちょっとばかりしみるのでありますけど」


「あらら……もうちょっとぬるま湯とかの方がいいんでしょうか」


 グラニさんは以前の怪我がまだ癒えていないようです。

 ちなみにわたしの鼻の怪我は、ヨルくんが余剰魔力を回してくれたとかで1日か2日ぐらいで綺麗に治ってしまったんですけれども。

 たぶんあれ骨折してましたねぇ。

 わたしの言葉に、グラニさんはお風呂に浸かったまま首を横に振ります。


「いやいや、これはこれでなんだか治癒効果でもあるんじゃないかと思うッスよ。それに自分、熱いお湯の方が好きッス」


 ふむふむ。グラニさんはちょっと熱めのお湯が好きと。

 おじいちゃんおばあちゃんとかによくいるタイプです。

 わたしとグラニさんの横で、アリー先生も骨だけの体でお風呂に浸かります。


「……なるほど、温泉ですか。わたしに温度感覚はありませんが、お湯の方が汚れは落ちやすいので清潔を保つのにお湯は欠かせませんからね。さすがですわ、ラティさん」


「いえいえ、お褒めいただき恐縮です」


 鼻高々です。

 そんなわたしたちの様子をお湯の外から、ミアちゃんが見つめていました。


「な、なぜみんな茹でられているのだ……?」


 彼女は恐ろしげな表情を浮かべながら、そんなことを言いました。


「どうぞどうぞミアちゃんもこちらへ」


「い、いや……ミアは水でいい……遠慮しておく……」


 ……これは。

 わたしはグラニさんと顔を見合わせます。

 目と目で通じ合い、わたしたちは同時に頷いてお風呂を出ました。

 わたしたちはミアちゃんに近付きます。


「な、なんだ……お前たち……何をする……! おい! やめろ! 離せ! ミアはいいから!」


「まあまあ、きっと入ってみたら気持ち良いですよ」


「そうッスよ! 大丈夫大丈夫!」


「やめろ!!! うわーーー!」


 ちゃぽん。


「ふわあああ……」


 グラニさんと二人がかりでミアちゃんをお風呂に入れると、その瞬間に彼女は恍惚の表情を浮かべました。


「だめだ……! これは……! だめになる……!」


 快感に震えつつ、ミアちゃんはそんな声を漏らします。


「へっへっへ。口ではそう言っても体は正直じゃないかー」


 わたしは肩まで浸かるよう、ミアちゃんの体を沈めます。


「ああああ……! 暖かい……! ミアは……ミアはこんな……こんなものに負けない……!」


 はわー、と大きく息を吐くミアちゃんですが、すぐに力を抜いて温泉の中にゆったりと腰掛けました。


「でもこれ、きもっちいいー……」


 ぐでん、とリラックスして茹でミアちゃんが完成です。

 即堕ちでした。


「いやー……のんびり出来ますねー……」


「ミア……ここでくらす……」


「それはダメですね……ダメ……」


「そうかぁ……ダメかぁ……」


 そんな胡乱うろんな会話を交わしつつ、わたしたちは新しくダンジョンに作った温泉施設で体を休めるのでした。

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