第47話 ラスティン17歳(2年目-カトレアの病 最終戦)


「カトレア様治療の為に力を貸してくれないか?」


 そう前振りも無く、エルネストが僕に頼みごとをしてきたのは、あの課外授業から数ヶ月も経ったある日の事でした。エレオノールが学院に入学してきたこともあり、カトレアのことは、エルネストに任せっきりだったので、エルネストがこの台詞を言う事には異存はないのですが、この台詞を僕が聞く事になるとは思ってもみませんでした。


 あの課外授業の時に何か掴んだらしく、エルネストはラ・ヴァリエール公爵を巻き込んで、ここしばらく活発な活動をしていたのは気付いていたのですが、それに僕が関わってくるのは意外でした。僕は水系統でもトライアングルの実力ですし(ある事情から先日学院内でも、水のトライアングルに昇格したと報告しました)、母上直伝の治療魔法の腕もそこそこだとは思っています。ですが、それはそこそこの腕というレベルで、母上を始めとする、治療魔法に特化した水メイジの先輩達には到底及ばないという自覚があったからです。


「エルネスト、君は忘れているかも知れないけど、カトレアの治療を頼んだのは僕の方だよ? 治療に手を貸せと言うなら喜んで貸すけど、何故僕なんだい?」


「僕より優れた水メイジは沢山いるだろう?かい、君の言いたいのは? 僕が、彼らに協力を依頼しなかったと思うか? ラ・ヴァリエール公爵ではないけど、僕はカトレア様治療の為だったら大抵のことはするぞ」


「まさか、母上まで君の依頼を断ったのか?」


「まさか、リリア様は喜んで協力を約束してくれたよ。だけど、それ以外の一流と言われる水メイジのほとんどが、僕みたいな若輩者の言う事は聞けないといって、依頼を断ってきたよ。ラ・ヴァリエール公爵家の名前を出してもだ!」


 エルネストの話を信じるのなら、彼は複数のメイジによる同時治療という危険な賭けに出た事になります。一流と言われるメイジ達がその危険性を知らないはずもないので、彼らが、エルネストの依頼を断った事も理解出来ます。ですが、僕はエルネストの事を彼らよりも良く知っています。エルネストがカトレアの為に危険な賭けに出たとしても、それには十分な勝算があるのでしょう。


「そうか、君がそう決心したなら、僕も喜んで力を貸すよ。だけど、治療方法については十分に説明してもらうぞ」


「ああ、前世の記憶を持っている君の意見も聞きたいんだ。基本的には治療には危険は一切無いはずだけど見落としがあると台無しになってしまうからね」


 エルネストから聞いた治療方法は、随分オーソドックスな物でした。人体を、頭部、右腕、左腕、胴体上部、胴体下部、右脚、左脚の七つに分けてそれぞれを徹底的にクリーニングするというのは、陳腐なアイデアと言っても過言では無いでしょう。


「おい、エルネスト!こんな説明を母上にした訳じゃないだろうな?」


「君は外見は公爵似だけど、中身はリリア様に似ているね。リリア様も同じ様に言ったよ、家族間のコミュニケーションもしっかり取れているみたいだね。それに比べ僕の家族ときたら、うらやましい限りだよ」


 僕はエルネストの話の後半を聞いて、追及の手を緩める事にしました。


「で、肝心の白血病対策はどうするんだ?」


「それは、テティスに任せようよ思うんだ」


「大丈夫なのかい? メイジの魔法と精霊の魔法が干渉したりしないんだろうな?」


「あれ? それについては、問題の無い事を君は体感しているはずなんだけど、スティン?」


「コルネリウスの腕の時だな、あんな非常時になんでそんな事を!」


「非常時だからこそさ、あの時、コルネリウスの腕は彼のものであって彼の物では無かった。それに、魔法の相互干渉で何か起こってもあの状態ならば分からないだろう?」


 その時僕の頭をよぎったのは、マッドサイエンティストならぬ、マッドドクターという言葉でした。”カトレア様治療の為だったら大抵のことはする”という言葉は文字通り本気だった訳です。親友の新たな一面を知って、少し引いてしまいました。


「ま、まあいいよ、済んだ事だし、コルネリウスの腕の方も順調みたいだからね。それで、何時やるんだ?」


「来週の今日かな?」


「随分と急だね、”父上”に急病にでもなってもらうしかないな」


「マーニュ男爵にも迷惑をかけるな」


「なに、カトレアみたいな可愛い娘の為なら、あの人は喜んで何度でも急病になってくれるさ」


「そうだね、今はカトレア様の病気を完治させる事を第一に考えよう」


 こうして、僕達はカトレア治療の為に、英気を養う事にしたのでした。最近は僕や、エレオノールの前でも笑顔を見せる事の減ってしまったカトレアの為に、一頑張りする事にしましょう。


===


 そして、運命の当日になりました。僕は前日から、ラ・ヴァリエール公爵家入りしていました。昨晩は母上から家のことを色々聞いて、十分リラックスする事が出来ました。今朝起きてみると、この屋敷に充満する緊張感で、気持ちが引き締められた気がします。

 エルネストは数日前から、ラ・ヴァリエール公爵家入りして治療を担当する水メイジ達と入念な打ち合わせを行っていました。そのエルネストも今日会うと、緊張感ではち切れそうでした。今この屋敷で緊張していないのは、僕の隣にいる母上位かも知れません。


「母上は緊張しないのですか?」


「どうして緊張する必要があるのかしら? エルネスト君が考えた治療法は完璧よ。水の精霊が力を貸してくれると言うのには驚いたけど、あの子なら問題ないし、もう治療は成功を約束された様な物よ。緊張するだけ損ってものでしょう」


 母上がはっきりとこう言うと、エルネストや水メイジ達から必要以上の緊張感が抜けた気がします。この辺りの気遣いが、エルネストにリリア様には敵わないと言わせる、要素なのかもしれません。(ちなみに母上の気遣いは方向を間違うと、簡単にレーネンベルク家の男達を混乱の渦に巻き込む事があるので、要注意なんですよね)


 僕達は、良い雰囲気のまま、治療が行われる部屋に移動しました。そこには奇妙な格好をしたカトレアが文字通り大の字になって横たわっていました。奇妙な格好と言ったのは、誇張でも何でもありません。カトレアはいつも身につけているドレスやネグリジェではなく、僕が知っている限り見たことも無い、無粋なズボンとシャツを身に着けているのです。しかも、そのシャツやズボンには、知らない人が見れば、落書きにしか見えない記号や矢印等が6色で描かれているのです。

 事情を知っている僕にも奇妙に見える服装ですが、これは治療の順番を記した大事な服だったりします。この辺りは、エルネストが前世で医師だったことを如実に示しています。こちらの世界の人間や、僕などの一般人ではちょっと思いつかない物だと感心しました。

 感心したといえば、カトレアが横になっている、治療台です。別に過剰な装飾がされている訳ではないのですが、明らかに、カトレアの体型に合わせて、しかも大の字に寝る事を前提にして、治療台も大の字になっています。確かに治療はしやすいでしょうが、今回しか使い道は無さそうです。多分エルネストの入れ知恵で、ラ・ヴァリエール公爵が特別生産させた物なのでしょう。この辺りの金銭感覚に関しては、レーネンベルク家とラ・ヴァリエール家は、永遠に分かり合えない気がします。


 余談になりますが、レーネンベルク領はラ・ヴァリエール領よりかなり領土としては狭いのです。領土内の経済活動規模としては、ここ数年のワーンベルの発展もあり、レーネンベルク領の方がかなり大きいです。しかし、税収と言う面では、レーネンベルク領もラ・ヴァリエール領もあまり変わらないそうです。もちろん、ワーンベルの工業品にごく普通の税をかけるだけでも、レーネンベルク領はかなりの税収を得る事になりますが、こんな事をしても誰も喜ばないという事で、多分他の貴族が耳を疑うほどの税金しか徴収していません。

 ワーンベルの工業品の売り上げは基本的に、魔法兵団内で運用される事になっています。正確には1度、レーネンベルク領の収入になるのですが、家臣の兵団員達にそのまま分配される形になっています。こう書いてしまうと、ワーンベルの錬金隊の平民メイジ達の士気を維持するのは難しそうですが、意外とそうではありません。ワーンベルの人々の笑顔が気力の源という団員もいるのですが、錬金隊のメイジ達の士気を支えているのは、特別注文や臨時注文などの時に得られる臨時収入のせいだと思っています。

 臨時注文というのは、言葉通り割り込みで大量の注文を受ける時に、特別料金を徴収する物で当然対応してくれたメイジ達に分配されます。一方、特別注文というのは、工業品を作るラインを指定して、生産を依頼された時に特別料金を徴収するのです。どういう訳か、商人達はどのラインで作られたか突き止めて、そのラインを指定して生産を依頼することがあるのです。以前は、メイジ個人を指定してきたこともあるそうです。こうしてワーンベルでは、今日も高品質な工業品を日々送り出しているのです。(何故か宣伝になってしまいましたね)


 実はこんな事を考えながらでも、カトレアの治療は順調に進んでいたりします。今回の治療は、手順も使う魔法も決まっているので、思考の一部を割いて、他事を考える事も可能だったりします。複雑な頭部や腹部を担当しているエルネストや母上は、真剣そのものですが、僕が任されているのは左足だったので、治療自体も難しくないと言うのが実際の所です。おっと、母上に睨まれてしまいました、もう少し気合を入れて治療に臨む事にしましょう。


 それからしばらくすると、僕の受け持ちの左足の治療は完了しました。両腕を担当したメイジ達も治療を終えていますし、右足も直ぐに終わりそうです。胸部が次に終わりそうで、母上の受け持ちの腹部がその次、そして意外ですが、頭部を担当しているエルネストの治療が一番時間がかかりそうです。エルネストの場合は他の治療の進み方を確認しながらだったので、仕方が無かったのかも知れません。

 後、気になるのは、テティスによる白血病自体の治療の進み具合ですが、今は不用意に話しかける場合ではないので、僕は残りの治療の邪魔にならないように、そっと部屋を出る事にしました。用意されていた、控え室に入ると、そこにはラ・ヴァリエール公爵一家が待っていました。


「ラスティン、治療の進み具合はどうだね?」


 それを代表して、ラ・ヴァリエール公爵が僕に、心配そうに尋ねて来ました。治療自体に危険は無いし、万が一成功しなくても何度でも再挑戦出来るし、最悪治療が不出来に終わっても今まで通りの治療を受ければ命の心配は無いと、エルネストが何度も公爵に説明したのですが、公爵の心配を解消する事は出来ませんでした。僕もここでは、


「順調ですよ、何の問題もありません」


としか答える事が出来ませんでした。一方、公爵夫人や、エレオノールは比較的に落ち着いた様子でしたが、僕の報告を聞いてほっとした事は隠そうとしませんでした。ちっちゃなルイズに関しては、事情が分かっていないながらも真剣な表情を崩しませんでした。

 それからしばらくは、僕とエレオノールが学院での生活を、ラ・ヴァリエール公爵に紹介することで時間が費やされる事になりました。当然、夜の密会の事は秘密なのですが、幾つか学院で出会った面白い事件を公開すると、公爵や夫人も話を聞き、質問をしてくれるまでになりました。丁度良く控え室の緊張がほぐれた所で、治療を続けていた母上たちが戻って来ました。


 ラ・ヴァリエール公爵が真っ先に立ち上がり、母上に治療の結果を聞きました。母上は、そんな公爵の様子に苦笑しながらも、エルネストを促しました。エルネストは、努めて冷静を装いながら、


「公爵様、カトレア様の治療は、皆さんの協力で、無事に終えることが出来ました。治療自体は思った通りに終える事が出来ました。ですが、”がん”という病気は転移や再発の危険を常に伴います。後1年程は、慎重に経過を診て行く必要があると思います。ですが、僕の感触では、カトレア様の白血病は完治したと、思います」


 エルネストの慎重ではありますが、最後に自信を滲ませた報告を聞いて、ラ・ヴァリエール公爵は感動を抑え切れなかった様です。


「そうか、そうか、良くやってくれた、エルネスト君! そうだ、君には何かお礼をしなくてはいけないな。良かったら、カトレアを君がもらってやってくれないか?」


 いささか急な提案でしたが、公爵としてもカトレアの幸せを考えて、エルネストなら信頼出来ると判断しての事だったのでしょう。僕としても、エルネストの気持ちを知っていたので、うまく行き過ぎだとは思いましたが、全く異論の無い提案でした。


「カトレア様は、物ではありません。公爵と言えども勝手にその将来を決めないで頂きたい!」


 ですが、こう声を荒立たせたのは、エルネスト自身でした。僕を始めとした一堂はその声に呆気にとられてしまいました。


「カトレア様は、僕の患者です。再発の事が心配であれば、水メイジとして何度でも治療します。ですから、公爵の口からそんな言葉は仰らないで下さい! そして、お礼が頂けるのなら、もし私がカトレア様の心を射止める事が出来たなら、その時は快く結婚を許して頂きたいと思います」


「そうか、そこまで言ってくれるか! 良かろう、その時は君たちの結婚を祝福させてもらおう」


 一連のやり取りを聞いていて感じたのは、上手くやったなという少し不謹慎な物でした。これで、エルネストはラ・ヴァリエール公爵から全面的な支援を得る事が出来るでしょう。カトレアの病気が治った事を知って、急にアタックを始める様な貴族の子弟など、公爵はカトレアの傍にさえ寄らせないはずです。エルネスト自身は、経過観察と言う事で、カトレアに近付き放題です。後はカトレア次第ですが、エルネストにとって万事有利に事が運ぶ事になります。

 エルネストが狙って、ああいう発言をしたとは思えませんが、僕がエレオノールを散々苦労して再婚約まで持っていった苦労に比べると、見事と言うしかありません。


 そんな時、母上がこっそり僕に話しかけて来ました。


「エルネスト君、男を見せたわね。貴方も見習った方が良いんじゃない?」


 ちなみに、これが、母上の気遣いが間違った方向に発揮された良い例です。何を見習えば良いんでしょうか?


 この様子を、眠りから目覚めたカトレアがこっそり覗いていたのには、話について行けずに余所見をしていたルイズ以外気が付きませんでした。

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