第26話 念力殺人鬼

我蛭優一は檻の中で不敵な笑みを浮かべた。


弟が留置所に来たのである。

顔を隠していたがバレバレだ。

拘束衣をつけた上、ロープを蓑虫状態に巻かれる犯罪者などは良二以外にいるわけが無い。


良二は優一がいるフロアを通り抜け、別棟へと繋がる扉の奥へ連れて行かれた。

優一はそれを見送りながら脱走の準備に取りかかった。


既に脱走の計画は練り込まれている。

至って簡単な方法だ。

留置所には現在、数十人収容されていた。

牢のカギを次々と開けていき収容者を脱走させて、館内でパニックを起こす。

そして、その混乱に乗じて弟を救出し、2人で真正面から脱走するつもりなのだ。


優一は対面の牢に目をやった。

いかにもな奴が横になって寛いでいる。

監視役の警官がその牢の方を向き、パイプ椅子に腰掛けていた。

いかにもな奴は常連なのだろう。仲良さげに警官とのお喋りに勤しんでいた。

その警官の腰には鍵の束がかけられていた。牢のカギだ。

しかし、優一はその鍵束に一切興味はなかった。


鍵など念力でいつでも開けられるからだ。


かと言って、念力は万能ではない。

その人間の性格や性質、能力に大きく左右されるのである。念力が使える範囲、対象物の重さなど、人によって異なってくる。


優一の念力能力の場合、動かせる物の重さで言えば、実際に自分の腕力で持てる物までしか動かせない。

例えば、自転車は動かせても車やバイクを宙に浮かせることは不可能なのである。

優一は念力を使って少しなら空を飛ぶことが出来た。それはつまり、自分の体重を腕力で持ち上げられるからだ。

念力能力者が空を飛ぶ時、懸垂をしているような感覚であると言えば分かりやすいかも知れない。


念力の持久力についても重さと同じで肉体的体力に比例し、永遠に浮かせ続けることは出来ない。

更に、動かせられる物との距離にも制限があった。目に見えるからと言って、遠くの物を動かせるわけではない。その熟練度で距離が変わってくる。

優一の場合は、半径10メートル程までとなる。

そして、その対象との距離が近い方が力は発揮できる。

重さで言うならば、50㎏の岩を距離0メートルで2㍍の高さまで浮かせることが出来たとしたとき、距離5メートル先では1メートルしか浮かすことが出来ない、と言った感じだ。

そして、もう一つ。

実生活で身体を使って出来る事は、訓練により念力でも出来るようになる。

例えば、念力でペンを使って文字や絵を書くことなど。しかし、それは実際に手で書く物より、優れた物になることはない。

つまり、自分の能力以上の事は出来ないのである。

しかし、逆に言えば、自分の能力以内なら念力を使って何でも出来ると言うことになる。


優一は対面の牢のカギ穴に集中した。


優一は、ヘアピンさえあれば大抵の鍵をピッキングで開けることが出来た。

鍵穴を見るだけで内部の構造が頭に浮かぶ程である。

それはつまり、道具無しでも念力を使って鍵を開けることが出来ると言うことなのだ。


優一は指を鳴らした。


すると、対面の牢のカギが開く金属音が留置場内に響いた。

対面の牢の中の男と警官が驚いた顔のにらめっこをしている。


優一はその隣の牢のカギを見つめ、再び指を鳴らす。金属音が響く。

指を鳴らす事に意味は無く、自分の中のタダの合図でしかない。開けゴマのかけ声みたいなものだ。


収容者達が戸惑いながらも牢の外に出てくるのを待ってから、自分の檻の鍵を開けた。

パニック状態の警官を尻目に、ゆっくりと廊下を歩き次々に指を鳴らしていく。

牢のカギがどんどん開かれていった。


優一は、指を鳴らしながら自分に念力の能力が生まれたときの事を思い出していた。


それは、優一が12才の時である。

あれは大震災の前日の事だった。

母親はいつものように家にはおらず、新しい男とどこかへ消えて数週間経っていた。

兄弟にとって、母親が家にいない方が平和だった。

家にいるときは決まって男に捨てられた後で、虐待がエスカレートするのは分かっていたからである。


兄弟の母親は、家を留守にするからと言って子供の事をを心配する様な人間では無かった。完全にほったらかしで、腹が減ったら自分たちで何とかしなければならない状況だった。基本的にお金がないので、家にある食料を食べ尽くした後は、店で食べ物を万引きをすると言った日々を過ごしていた。

だからその日も優一は、腹を空かせた弟の為に万引きをしに隣町のスーパーへ出張していた。

近所のスーパーでは顔が割れていたからだ。

慣れた手つきでパンとジュースとお菓子をカバンに詰め込んでいく。弟の好物ばかりを選んで。

その行動にはまるで悪意は無かった。

優一にとって万引きは生きる手段なのである。

生きるために食べる、食べるために盗む。

一仕事を終え、鼻歌交じりに平然と出口に向かった。


自動ドアから一歩足を踏み出したその時である。


変な服装の男にがっしりと腕を掴まれてしまった。

万引きGメンに捕まったと、油断を悔やんだ。


駄目元で男に家庭の事情を話すと、予想外に同情を表し、食糧を色々買いこんだ上、車で家まで送ってくれる事となった。

しかしこの時の優一は、なぜ知らない子供に親切にするのか、何か裏があるのではないかと懐疑的だった。

なぜなら、まず、格好が怪しすぎたからだ。


ヒラヒラとした白い布を纏い、胸まである長髪は真っ白だった。そして、口と顎にひげを蓄えており、まるで中世からタイムスリップしてきた様な格好で、一見、浮浪者の様な男だった。

老人にも見えたが、肌に張りがあり若くも見える、年齢不詳の男。そんな男に親切にされて疑わない方が無理な話である。


それでも優一にとって、弟の腹を満たすのが最優先だったので、油断せずに事と成りを静観する事にした。

家に上がり込んだその男は、買ってきた材料で手早くご馳走を作ってくれた。

兄弟にとって何ヶ月ぶりかの温かいご飯だった。

一口食べた優一の目からは、なぜだか涙が溢れ出た。

食事の後片づけまでした後、その男は家に来た本当の目的を語りだした。

やはり、理由があったのだ。

男は兄弟を並んで座らせ、幸運が訪れるようにおまじないがしたいと言いだした。

やり方は、少しの間、額に手をあてるだけだと説明した。

奇妙な感じはしたが恩に報いたいと気持ちが強く、それくらいならと、優一は了承した。

男はにっこりと笑い、兄弟の額に掌をあてた。それから、得体の知れない何か呪文のような言葉を呟き手に力を込めた。


優一は眉間が少しづつ熱くなっていくのを感じた。それから、次第に頭がボーッとし始め、意識が朦朧とする中、男が静かに語りかけてきた。


君達の幼虫時代は終わる。これからは、蛹の期間に入る事となる。明日、君達にとんでもない不幸な出来事が起こるだろう。もし、君達が選ばれた人間であるならば、それを乗り越える事の出来る能力が目を覚ますかも知れない。その時は蝶のように飛ぶといい。新しく生まれ変わる時なのだから。


そう言い残して、家を出て行った。

この時、優一には男が言ったことについて全く意味が分からず、気違いの戯言と気にもとめなかった。


そして、次の日の夜明けに、あの大地震が起きたのだった。

あばら屋は簡単に崩壊し、屋根が家を押し潰した形になってしまった。崩れた梁と柱が三角の形で天井を支えており、その小さなテントの様な空間に兄弟はいた。丁度、寝ていた場所が屋根の棟の真下だったから助かったのだ。

しかし、優一は倒れたタンスに足を挟まれており身動きがとれないでいた。少し身体を動かすだけで左脚に激痛が走る。どうやら、脚は折れているようだ。

兄弟には何が起きたのかさっぱりわからなかった。

助けを叫んだが、全く反応が無かった。

優一は弟を励ましながら、救助を待った。きっとすぐに誰か大人が助けに来ると。

しかし、待てど暮らせど一向に誰も来る気配が無かった。

それもそのはずで、街中が大混乱で暫くは他人に構ってられる状態ではなかったのだ。


数時間、救助を待ったのち、空腹が行動を決意させた。

幸いにも、食糧を手に入れたばかりで、隣の部屋だった場所にあるはずなのだ。

暗がりの中、優一はその方向に目をこらした。

瓦礫の下にスーパーのビニール袋がかすかに見える。あの袋にパンやお茶があったはずだ。

動けない優一は弟に袋を取りに行くよう促した。

だが、あと少しのところで手が届かない。

そこで、優一は弟に壊れた家具の棒切れを使って引き寄せるように指示を出した。

しかし、幼く知恵の遅れた弟には難しく、逆に、奥へと押しやってしまう始末。

目の前にあるのに諦めるしかなかった。

のどの渇きと空腹が、疲労感を増幅させていく。

弟が尿意を訴え、優一はのどの渇きを潤す方法を思いついた。近くに転がっていたコップを弟に渡し、それにオシッコをするように命じた。

兎に角、弟を助けるためには自分が生き抜かなければならない。

優一にとってこの信念は、物心着いた頃から身についていたモノだった。

口の中に尿の悪臭が漂う。それでも、弟を死なせるよりマシだ。

それから、優一は自分の尿も弟に無理矢理飲ませた。


どれ位経ったか、弟の泣き声で優一は目を覚ました。

いつの間にか寝てしまっていたようで、周りは真っ暗になっていた。

昼間にタンスの近くで見つけていた懐中電灯を点灯し、恐怖で泣きじゃくる弟をなだめた。



少し身体を動かすだけであんなに痛かった左脚からは何も感じなくなっていた。余り良くないことと感じつつも、そのお陰で身体を動かすことが出来た。

これで、パンをとることが出来るかも知れない。

体をゆっくりとパンのある方へ動かしていく。足が逆方向に曲がったが痛みは感じなかった。

優一は弟に棒切れをとって貰い、ビニール袋の取っ手に何とか引っ掛けた。

よし!と引っ張る。しかし、何かに引っかかっていて、簡単に引き寄せられない。

さっきより強い力で引っ張ってみた。

すると、袋の取っ手が破れてしまった。

優一は、焦って棒を突いてしまい、袋を奥へ奥へと押し込んでしまった。

絶望感が襲ってきた。

疲労と精神的ストレスで気を失ってしまう。

次に優一が目を覚ますと周りは明るくなっていた。

夢ではなく未だに瓦礫の下敷き状態だった。

隣で横たわる弟に声をかけるが返事がない。

目は開けるが、意識が朦朧としている様だ。もう、時間が無い。

漏らしっぱなしの糞尿の匂いすら気にならないくらいで、優一も限界を感じていた。

目の前にパンが転がっているのに取れないもどかしさ。

クソッ、このまま弟を死なせてたまるか!


優一はパンに向けて手を伸ばした。


たかがパンの分際で、人間様が食べに来るのを待ちやがって!何様のつもりだ!てめえらから、口に飛び込んで来やがれ!



声にに出したか分からないが優一の感情が爆発した。


その時、パンの袋がガサガサと小刻みに動き出したのだった。

念力が目覚めた瞬間だった。

こっちに動いてこいと強く念じると、凄い勢いで飛んできたのだった。

最初、驚いたが、これが昨日、男の言っていたことだと理解し、怪現象をすんなり受け入れた。

優一は数分でコツを掴み、目に見えている食べ物を全て手の届く所に引っ張りだした。

その後、弟が笑顔でパンをかじる姿を見届けて優一は力尽きた。


弟は満腹になると兄にもパンを勧めたが、寝ているようなので自分も隣に寄り添って一眠りした。

数時間の後、目が覚めた弟は、兄の様子が変なことに流石に気が付いた。揺すっても反応がないのだ。

兄は昏睡状態に陥っていた。

このままじゃ、兄が壊れて動かなくなる事に気が付いた。弟は叫んだが、未だに救助は見込めなかった。

瓦礫から自力で脱出するしか手はなかった。

まず弟は兄の足を挟んでいるタンスから手を付けた。しかし、10才の子供に動かせるハズはなく、ぴくりともしなかった。

弟はそれでも諦めなかった。

兄の胸に耳をあて、かすかにしか聞こえない弱った鼓動で、時間がないのが本能で理解した。

弟はもう一度タンスに手をかけた。

額が熱くなるのを感じた。どんどん力を込めていった。

目は白眼を剥き、顔を紅潮させ、歯が砕けるほど食いしばると、全身に血管が浮き上がっていった。


弟の借力が目覚めた瞬間だった。


優一は、廊下の突き当たりの扉の前で指を鳴らした。

けたたましく鳴る緊急警報音の中、カギの開く鈍い音がする。

留置所内は警官と犯罪者が押し合いへし合いの大混乱に陥りつつある。暴力団事務所への手入れで見られる、丸暴とヤクザのあれに似ていた。


優一は予想通りの展開に満足した面持ちで、良二のいる別棟へと続く扉のノブを回した。



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