第25話 孤高の飼い犬 3


 犬養心助は三畳ほどの部屋でベッドに腰掛け、部屋の隅々まで確認していた。

仕事柄注意深く観察するクセがついているのだ。

部屋には小さなベッド、ゴミ箱、カラーボックスがあるだけだった。カラーボックスにはティッシュペーパー、数枚のタオル、脱いだ服を入れるプラスチック製のカゴが収納されていた。

まさに、必要最低限といった感じである。


「お兄さん。もしかして、ちょっと緊張してる?こう言うお店は初めてなん?」 


隣に座った下着姿の美玖を観察する。

このような仕事に携わっている割に、肌や皺の数、目の輝き、髪質などは一般的な年相応の女性に見える。

犬養は愛行園で借りた美玖の顔写真を思い出した。

面影がある。

平べったい顔、横に大きく開いた口。年を重ねても特徴は変わらない。


本人だ。やはり、生きていたのだ。


犬養は股間に手を当ててきた美玖の手を取り上げた。


「安藤美玖だな?」


突然の事に目を丸くする美玖。そして、目をそらし平静を装った。


「お客さん、誰かと勘違いしてません?アタシはビクニって名前です。」

『コイツはなぜ、本名をしってるの?10年以上偽名で生きてきたのに!』


確信に変わる。ならば、話は早い。

犬養は警察手帳を見せた。


「実は、ある事件を捜査していて、君の名前が浮上したのだ。15年前、愛行園から忽然と姿を消した当時14才だった少女、安藤美玖の名前が。」


美玖は明らかに動揺していた。

しかし、動揺しながらも何かしらピンとくるものがあったらしい。


『事件ってまさか、あの、我蛭優一が関係している?冗談じゃ無い!あの男に関わるのは2度とゴメンよ!』

「ちょっと、お客さんじゃないなら帰ってよ!警備を呼ぶから!」


美玖がベッドのしたの隅に設置されている、防犯ブザーに手を伸ばす。


「我蛭優一、良二の兄弟は今、逮捕し、我々警察の監視下にある。そして、それは刑務所行きは確実の罪での逮捕だ。」


美玖の動きが止まる。


『逮捕?あの、狂った男が?』


犬養は正直に事情を話す事にした。

被害者に嘘偽りはタブーなのである。


「まず、君に危害が及ぶことは無い。我蛭は君が生きているとは思っていないのだから。そして、我々もまた、失礼だが、君が生存していると思っていなかった。14才だった時の君が、我蛭にナイフで襲われた事までは把握している。その事についての話を聞かせてくれないか?何があったのか?頼む、我蛭を檻に閉じ込めるため協力して欲しい。」


美玖が振り返り、何かを探るようにジッと犬養の目を見つめる。


『嘘ではなさそうだ。でも、コイツはアタシの話を信じるだろうか?アタシに起きたあの事を。』


美玖が重い口を開いた。


「ねぇ、アタシの事ある程度は調べてあるんだよね?」


「ああ。愛行園での事は大体。」


「だったら、ナイフが飛んで刺さったと証言したアタシの話についてどう思ってるの?」


「あれは、我蛭優一の凶行だと思っている。」


「ええ?」


美玖は驚きを隠せないでいた。あの時もあの後も誰1人信じてくれなかった証言をこういとも簡単に肯定され、思惑が外れたのである。


「どうやって、我蛭がやったのよ!あの時、窓の外に居たのよ!どうやってナイフを刺したのか言ってみてよ!」


「超能力だ。我蛭優一は念力という超能力の持ち主なのだ。」


犬養は美玖が欲しがる答えを用意周到に与えた。


「アッ、アンタは、超能力なんか信じるの?警察なのに?うそでしょ?」


「信じる。警察かどうかなど関係ない。この世には未知の能力がある人間がいるのは事実だ。」


「は、バカバカしい!またまた、そんな冗談言って!証拠でもあるのか?」


「君を見つけたのが、その証拠だ。仲間の超能力で君が生きている事を知り、この居場所を発見したのだよ。」


美玖の身体は雷が落ちたかの様に動きが止まった。


『この男が本心で本当の事を話しているなら、本当に超能力を信じるのなら、これで、アタシもやっと誰かに秘密を打ち明けられる。』


少しの間、静寂があり、美玖が緊張した面持ちで、のどの奥から語り出した。


「何処から話せば良いのか・・・」


美玖は自分の全てを話し出した。生い立ちから、今現在の生き方まで全てを。

犬養は、黙って耳をかたむけ続けた。

それは、30分単位の延長料金を2度支払う羽目になる程、壮絶な安藤美玖の人生の物語だった。



美玖が愛行園に入った理由は、父親の失踪が原因だった。

母親は美玖が6才の時に体調不良で亡くなっていた。

母親は元々身体が弱く、体力的に出産は無理だと言われていたが、子供を持つのが夢だった母親は、夫や家族の反対を押し切り、家出までして美玖を産んだのであった。その後、無理な出産が主な原因で、母親は段々と衰弱していき、入退院を繰り返す事になる。最後の1年間は美玖もほとんど病院で過ごすことになった。

母親とはすごせたのは6年間だけで、その内のほとんどが病院だったが、その期間が美玖の人生で1番良い時間となる。

そして、その病院での生活が美玖の人格に大きく関わりを持つようになる。生死が蔓延る場所で、美玖は色んな病人や怪我人に出会い、人体の再生能力の不思議や、死の理不尽さなどにふれた。

死が母親に近づいているのを知ったとき、涙の中、医者になることを決意する。理不尽な死に対抗するために。

母親の最後の言葉は「美玖が生まれて本当に良かった。」だった。この、深い愛情がなければ生きてこれなかっただろうと美玖は語った。

その後、残された美玖に父親と2人での生活がスタートする。美玖の人生の転落が始まったのだった。

元々、父親が自分に興味が無いように感じていたが、

2人きりになり父親の敵意をひしひしと感じる様になっていく。


「母親が死んだのは美玖、お前のせいだ。お前を産んだから死んだのだ。お前なんかは生まれてこなくてよかったんだよ。母親にずっと生きていて欲しかったから。」


必要最低限の衣食住を与えられるだけで、愛情は一切与えられなかった。

学校にも行きたければ勝手に行けと言った感じで、完全にほったらかし状態になる。

俗に言うネグレクトだ。


そして、父親は徐々に家に寄りつかなくなる。

たまに帰ってきては冷蔵庫や、戸棚に食料を詰め、出て行った。さらに、時が経つと机にお金が置かれるだけになった。

そして、美玖が8歳のある日から、お金も渡される事がなくなった。その事に気付いたのは、最後のお金で買った5食入りの袋インスタントラーメンを食べきり、数日経った後だった。

何処にも行けず、水道水を飲む毎日。

骨と皮だけの身体になって、水を飲む力もなくなっていった。死を覚悟する。

しかし、恐怖より、母親の元へ行ける安堵の方が大きかった。

だが、救いの手が差し伸べられる事になる。

意識が朦朧とする中、誰かが家に入って来るのに気づく。父親か?

否、全く見知らぬ男だった。

餓死寸前の美玖を救った男。

今思えば、児童相談所の職員や、ケースワーカーにしてはおかしな男だったと美玖は語る。

ヒラヒラとした白い布を纏い、胸まである長髪は真っ白だった。そして、口と顎にひげを蓄えており、まるで中世からタイムスリップしてきた様な格好で、一見、浮浪者の様だった。

老人にも見え、肌に張りがあり若くも見える、年齢不詳の怪しい風体の男だったが、終始優しく接してくれた。

男は手作りのお粥をあっという間に平らげた美玖の額に手を当て優しい口調で語りはじめた。


「君の幼虫時代は終わる。これからは、蛹の期間に入る事となる。6年後、君には今よりも、もっと非道い出来事が起こるだろう。もし、君が選ばれた人間であれば、それを乗り越えるられるかも知れない。その時は蝶のように飛び立つといい。新しく生まれ変わる時なのだから。」


美玖の額はだんだんと熱くなって行き、男が語り終わる頃には気を失ってしまっていた。

その次の朝、福祉の職員に保護され、やがて、愛行園に流れ着くことになるのである。


愛行園では、同じなような境遇の子供達が大勢いた。美玖は何の抵抗もなく、その中に溶け込んでいった。特に仲の良い友達を作るでもなく、敵を作るでもなく。

愛行園の生活にも慣れ、美玖なりに普通の女の子として育った10才の時、施設であの事件が起こった。

園の不良グループのリーダーがナイフで刺殺されたあの事件だ。

その凶行は、偶然通り掛かった美玖の目の前で行われた。ナイフがふわふわと飛んできて、昼寝をしているリーダーの胸に勢い良く突き刺さったのだ。

その光景を目撃し唖然としている美玖の他に、熱い視線を送る人物がいた。


我蛭優一だった。


窓の外にいて、指揮者のように手を動かしていた。美玖にはその動作がまるで、ナイフをコントロールしているように見えたのである。

しかし、美玖の目撃証言は却下され、結局事故死として処理されることになる。

その後も美玖は、ことある毎に我蛭が不思議な力を使ってナイフを刺したのだと、この目で見たと訴えたのだが、大人は誰も信じてくれず、逆に頭のオカシイ娘というような扱いをされた。

その時の我蛭の勝ち誇ったような目を見て、美玖は確信したらしい。

やはり、あれは我蛭がやったことなのだと。


美玖はその件がきっかけで、我蛭の事を観察し始めた。我蛭に不思議な能力がある事を暴くために。


しかし、その後の我蛭は、特別怪しい行動も、何の問題行動も起こさず、模範的な青少年としての月日を過ごしていった。

美玖は、段々とあの目撃は、勘違いか、夢か幻だったのではないかと自己不信に陥ったらしい。


我蛭を観察して唯一分かったことは、弟を心の底から愛している事だけだった。常に弟の事を気にしており、優しく接し、頭の弱い弟を馬鹿にする輩を陰で粛清していた。

だが、その時に超能力を駆使することはなく、ごく普通の暴力を使っていた。

それにより、我蛭兄弟の施設での地位は確立され、兄弟に平穏な日々が訪れたのだった。

何も行動を起こさない我蛭優一の観察に飽きてきた頃、突然、兄弟が施設を出て行くことになった。

母親が迎えに来たのである。

これで、美玖の我蛭観察も呆気なく打ち切りになってしまった。

我蛭観察がほとんど趣味と化していた美玖にとって、大事な玩具を取り上げられた気分で、しばらく心ここにあらずの状態が続いたらしい。

そんな時に虻川が入所してきた。

人間観察が趣味になっていたので新入りは自然とその対象になった。

美玖から見た虻川は馬鹿丸出しで、おしゃべりな粋がったつまらない奴だった。


そんな中、我蛭が再び施設に戻ってきたのである。

理由は家族の事故死。旅行途中、車ごとダム湖に突っ込んでしまい、我蛭優一以外全員亡くなってしまったとのことだった。

施設の大人達は我蛭の様子を憔悴しきった少年として捉えたが、美玖にはそれが芝居だと分かった。

長年観察してきた目が違和感を覚えたのだ。

あんなに愛していた弟が死んで、その程度の落ち込み方では腑に落ちなかった。

そこで、より深く探るため行動を起こす決意をする。


再入園した我蛭は、新入りの虻川と同じ部屋を与えられた。

虻川は我蛭と同部屋になって数日後、口を自分で切り裂くと言う自傷事件を犯した。

誰の目から見ても明らかに我蛭がやった傷害事件だったが、虻川はバットマンのジョーカーに憧れて自分で切り裂いたと証言した。

その後の虻川は我蛭の従順なしもべとなる。

美玖はそれをチャンスと捉え、虻川に近づき交際を迫るよう促した。それは、我蛭を深く観察するためだった。

口を裂かれても、虻川の馬鹿なおしゃべりは変わらなかった。セックスと言う欲望が、恐怖に打ち勝つ年頃なのだ。

裂かれた口からは、どんどん我蛭の秘密が漏れてきた。

その中の1つに、とても重大な秘密があった。


それは、弟が生きている事だった。


我蛭は何故か、弟を事故死した事にして、施設の部屋にこっそり匿っていた。

その理由は、このままだと弟が精神病棟に隔離され兼ねないからだと、虻川には言ったそうだ。

美玖は新たな我蛭の秘密を知り、興奮したらしい。真実を追究できると。

今思えば、そこまでで、やめておけばよかったと言う。

事もあろうか美玖は、弟ネタで我蛭に脅しをかけたのである。

理由は、どうしてもあのリーダー格の事件の真相を知るためだった。

自分が目撃した事が事実だと証明したかったのだ。愚かにも、その行き過ぎた行動が自身の失踪に繋がるとは、その時は思ってもみなかった。


美玖の追求に我蛭は激昂した。

我蛭優一に冷静さはみじんもなく、その場で美玖の胸に果物ナイフを突き立てた。

それは、衝動的で見境がない行動だった。

何故なら、殺害現場は施設の自分の部屋で、良二がいる目の前で行われた殺人だったのだから。


当時、虻川が美玖とのデートの待ち合わせで居なかったことは、虻川にとって幸いだったと言える。

恐らく、その場にいたら今を生きていないだろう。


その後、瀕死の美玖は施設の裏山へ運ばれた。

穴が掘られ、そこに埋められたのだった。

しかし、この時、美玖はまだ死んでいなかった。


ここまでの話は、犬養にとって想像に難くなかった。

おおよそ、見当通りである。

しかし、ここから予想以上の展開を見せる。

それは、美玖が死の淵から這い出せた理由だった。


美玖は我蛭にナイフで刺されたあと、ずっと傷口を手で塞ぎ続けていた。痛みで歯が砕けるほど食いしばり、死にたくない死にたくないと、心の奥底で叫んでいた。

裏山へ引きずられる間も、穴に埋められる間も、ずっと。

土が顔を覆い、息がし辛くなる。それでも、美玖はまだ、生きる希望を捨てなかった。なぜだか、このまま死ぬと思えなかったのである。

土をかける音がしなくなり、辺りが静まりかえる。

血液が身体を駆け巡る音だけが聞こえる。

傷口を押さえた右手に血が集まるイメージ。手のひらがどんどん熱くなっていった。

押さえた傷口までも段々と熱くなり、徐々に痛みが和らいでいった。

刺された事による死が遠退いていく感じがした。

痛みが消え、身体を動かせる気がした。

美玖は傷口から手を離し、土の中をもがき泳いだ。

手が空気に触れ、その方向へ一心不乱に身体を動かす。

穴は浅く掘られた様で、簡単に身体が自由になった。

穴から抜け出して、とにかく美玖は、施設とは反対方向へ向かった。我蛭に見付からないためだ。

土まみれで山を駆け下り、やっとの思いで道路に辿り着く。

そこから、街灯のある所まで行き、ナイフで刺された傷口を確認した。

血の跡はあるが、傷口が見当たらない。

驚いたことに、傷がキレイに塞がっていたのだった。

美玖に、怪我を治す事の出来るヒーラーとしての能力が開花したのであった。


その後、美玖は今までの自分は死んだことにし、新しい人生を歩むことにする。

名前を変え、生きるための仕事を探し、街を転々とした。その後、性風俗を天職として、今の居場所に落ち着く。


20歳からこの歳まで、ラブヒーリングの指名No.1に君臨しているのは、決して、サービスが上手い訳ではなかった。更に言うと、容姿が良い訳でもなかった。

実はヒーラーの能力で勃起不全症を治していたからだ。

手のサービスでヒーリングを行い、血流を改善させ、勃起を促す。


しかし、超能力の事は伏せており、誰にも口外したことはないと言う。


美玖が評判になったのは、ある顧客のお陰だった。

その客は長年EDに悩まされ、薬も効かなくなった初老の男だった。勃起するまで何時間も奉仕させ、顎の外れる風俗嬢もでる始末の要注意人物だった。出入り禁止にも出来ない権力者だったので、その客が来ると皆嫌がり、辞めていく風俗嬢もいたほどである。

その客を美玖が制圧したのである。

三擦り半で勃起させ、皆の度肝を抜かせた。

大したテクニックはないのに。

その初老の権力者に気に入られ、次々と同じ様な悩みの男性が紹介され、指名No.1に君臨する事になったのである。

EDは不治の病の様で美玖の能力をしても完治に至らず、月1には再び美玖の元にやってくると言う。または、彼女と夜を過ごす前に、まるで精力剤を飲むかのように訪れる客もいるらしい。


美玖は今の生き方に満足している様で、自分の元にやってくる人がいる限り風俗嬢を辞めるつもりはないと言った。

能力を生かし誰かの役に立つのが嬉しいようだ。

もっと他にありそうだが、目立ちたくない事を考えれば、ベストなのかも知れない。


犬養は帰りの新幹線内で思案にふけっていた。

結局、美玖を使って我蛭の罪を加算する目論見は失敗に終わった。ヒーラーの能力で傷跡も綺麗に無くなっていたからだ。

だが、詳細を知ることは出来た。

さらに、ある男の存在を知ることになった。

ネグレクトで餓死寸前だった美玖を助けた男だ。

予言めいた事を言い残し、美玖の覚醒を促した男。

犬養は何故か、我蛭兄弟にもその男が関わっている気がした。

そして、行きの新幹線でのあの声とも。

刑事としてのカンがそう言っている。

犬養は少し背筋が寒くなった。


何者だろうか?

全てを知った、途轍もなく大きな存在に思える。


犬養はこのような得体の知れないストレスを感じたのは初めてだった。

気付けば再び煙草に火をつけていた。

1時間も経たないのに、吸い殻が溢れている。

こんな調子では仕事にならない。


腕時計を確認した。到着予定時刻まで2時間ほどある。仮眠にはじゅうぶんだ。


犬養は煙草をもみ消し、考えるのを辞めた。

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