第23話 孤高の飼い犬 2

犬養心助は耳を疑った。


「安藤美玖が生存している可能性があるだと?」



約1時間前。

安藤美玖失踪の手掛かりになると思われる木箱が見つかった。

その木箱には、5ミリ程のサイズの鎖が巻きつけられ南京錠で固定されていた。鎖も南京錠もすっかり錆び付いている。積もった埃がが長い年月放置されていたことを物語っていた。


「開けたことは無いの?」


「ああ。開けるなって言われてたしな。」


「だったら余計に気になるじゃない?」


虻川は肩をすくめた。


「そりゃ気になったさ。でも、バレたときの方が怖いからな。その南京錠を見て見ろよ。鎖は替えが効いたとしても、そんな古い型の奴はそう簡単には手に入らないだろうぜ。きっと我蛭さんは敢えて古い南京錠にしたんだよ。恐ろしい方さ。」


動かすとカタカタと固い物があたる音がした。中には金属製の物がはいってそうだ。

犬養は白手袋をしてから錆びた鎖を強引に引きちぎった。ボロボロと鎖が床に落ちる。

ふたを開けると、中には古いロケットペンダントと錆びた果物ナイフが入っていた。

犬養は慎重に果物ナイフを取り出し、しばらく眺めてから言った。


「この錆は、おそらく血液によるものだ。」


「そのロケットに覚えがある。多分、美玖のものだぜ。」


虻川が呟いた。

手に取ろうとした虻川を犬養が遮る。


「触るな。証拠品だ。」


「だったらアンタ、そのロケットを開けてみてくれ。美玖の母親の写真が入っているはずだ。」


犬養は言われた通りロケットを開けてみた。

セピア色になった女性の顔写真が入っていた。優しい印象を与える顔付きだ。


「やっぱり、見覚えがある。美玖のだよ。でも、なんでナイフとペンダントなんか取ってあるんだ?」


「え?アナタ分からないの?完全に犯罪の証拠品じゃない。」


千里は呆気にとられて言った。


「安藤美玖失踪の答えよ。そのナイフの血は安藤美玖のもの。それと、安藤美玖のペンダント。そして、恐らくその両方にアナタの指紋がベッタリとついてあるはず。これで、安藤美玖の死体が見つかればアンタには言い逃れが出来ない殺人の物的証拠になるって訳よ。」


「安藤美玖が生存している可能性があるだと?」


千里がペンダントと愛行園時代の写真を使い安藤美玖の遺体捜索のトレースを行った所、生きている可能性を示唆してきたのである。


「ええ、だって対象が街なかにいるんだもの。」


流石の犬養もこの展開には、度肝を抜いた。

安藤美玖失踪は我蛭が殺害し遺体をどこかに埋めた線で確信していたからだ。

しかも、我蛭も美玖が生きていると思っていないのである。


「蛯名。これを・・・、どう思う?」


犬養の脳内は終わりかけのパズルを崩された様な感じになり、頭が回らなくなっていた。

自分の思い描いた物と違う絵を見せられ、軽くパニックになっている。

どう捜査すべきか、一時的に判断が出来なくなっていた。

完璧主義者は不意打ちに弱いのである。


「うーん。私もちょっと驚いてるわ。遺体を見つけるつもりでトレースしたから。まさか、ショッピングモールの映像が見えるとは思ってなかったし。」


犬養は頭の中の整理に取りかかった。

我蛭が直接手を下した殺人。証拠も示せるハズだった。

犬養は物的証拠のナイフと美玖の遺体に我蛭の痕跡を見つけ出すつもりだった。

例え痕跡が見つから無くても作り出す覚悟もしていたのだ。指紋や血痕、DNAを不正捏造してでも、殺人犯として捕まえるつもりでいた。

心が読める以上、誤認逮捕など無いのである。

悪を倒すのための不正など、犬養にとって逮捕手段の1つに過ぎなかった。

それ程、自分の正義に絶対の自信があるのである。

その様につけた段取りを崩されてしまうと、修正作業に時間がかかる質なのだった。


「なんかアンタら、さっきからおかしな事ばっか言ってねぇか?死体じゃないことに残念がりやがって。生きてることは良い事だろ?とりあえずさ、その娘見つけたら良いじゃん。会ったら、何か別の視点が見つかるかもよ?」


如華が後部座席で退屈そうに風船ガムを膨らましながら言った。


「そうね。確かに。ナイス助言だわ!流石は私の助手ね。」


犬養は少し面白くない顔をする。


「ふん。そんなこと言われなくても当然やるつもりでいた。蛯名、追跡を頼む。」


「あっそ。『蛯名。これを・・・、どう思う?』なんて、パニックになってたクセによ。笑わせやがる。」


「五月蝿い。捜査の邪魔だ。車から降ろすぞ。」


犬養は冷静さを失っていた。いつもなら、軽く受け流す対応をとるはずなのだが、理性のコントロールが上手く出来ていない。

見かねて、千里が口を挟む。


「シーーーッ!2人とも静かにしてくれる?もう1度トレースするんだから!」


犬養は、叱られた飼い犬の様に鼻を鳴らし、大人しくする事にした。

中立の立場の千里に叱られた事によって気持ちが少し落ち着きを取り戻した。

ハンドルをしっかり握り、口をつぐむ。

犬養はいつもの冷静さを取り戻すまで運転手に徹することにしたのである。


 トレースの結果、安藤美玖は東海方面にて潜伏している事が分かった。

社会的な情報は行方不明の時から一切無かったため、警察のデータベースでは何も引っかからなかった。

千里のトレースを疑う訳ではないが、犬養は生存説を未だに信じる事ができずにいた。

兎に角、美玖を探し出し、真偽を確かめる他ならない。

交通手段は検討の結果、新幹線を使うことになった。




「アタシ、新幹線ヴァージンなんだ。」


犬養は喫煙車両に乗り、如華と千里は禁煙車両に席をとった。

犬養は内心、ホッとしていた。

遠足気分の女達のテンションにウンザリしていたからだ。

煙草に火をつけ一息入れる。


安藤美玖は本当に生きているのだろうか?

ならば、どうやって生き延びた?

失踪当時、14才。ナイフで刺された状態で助かる可能性は?助けがあったとか?

我蛭は殺したと思っている。つまり、死を確認したか、または死に到る状態で放置したか。

例えば、ナイフで瀕死の状態にまで追い詰め、生き埋めにしたとかだ。

その直後、誰かに助けられ、一命を取り留めた?

そんな、話があるのか?


自分で立てた仮説には余りにも信憑性が無いため、直ぐに取り下げた。

犬養は鼻の付け根をギュッと摘まんだ。

頭が回らなくなってきている。まともに寝ていないせいだ。

一旦思考を停止し、脳を休めることにする。

目的地までは3時間もかかる。

犬養は少し仮眠をとることにした。



「ちょっと、お姉さん!そこの良いケツしているお姉さん!」


如華がパーサーに声をかける。


「ちょっと如華ちん!良いケツって!失礼よ!…確かに美味しそうだけど。」


千里はパーサーの尻に目が釘付けになった。スカートの上からでもぷりっと引き締まった形の良い小尻だとわかる。


「お客様、お呼びでしょうか?」


パーサーは酔っ払い相手で鍛えられているか、平然と営業スマイルで近づいてきた。えくぼが特徴的な笑顔だ。


「アタシ、肉づくし弁当とビール。エビチリはなんにする?」


「えーっと、サンドイッチとかあります?」


「はい。ございます。ビーフカツサンドにきんぴらカツサンド。プレミアムミックスサンド、ハムチーズ&タマゴサンドの4種類からお選びになれます。」


「オススメとかはあります?」


「そうですね。お勧めはきんぴらカツサンドです。和のカツサンドで、ロースカツを醤油だれと味噌だれで調味したものと、七味唐辛子で調味した人参のきんぴら、蓮根のきんぴらを一緒に挟んだサンドイッチです。醤油感で包まれた肉の旨みと野菜の食感。食べ応え満点のカツサンドになっております。それとも、こちらのプレミアムミックスサンドなどはいかがでしょうか?5切れのサンドイッチ全て違う味がお楽しみいただけます。野菜だけではなく、蒸鶏サラダや照焼きチキンなどの肉系も加えたバラエティ豊かな充実の1品になっております。」


マニュアルを完璧に覚えているようだ。

千里はプロフェッショナルな仕事ぶりに感心した。


「そうね。プレミアムミックスサンドが美味しそう。それにしようかしら?」


「えー!きんぴらのやつにしろよ。」


如華がちゃちゃを入れる。


「嫌よ。変化球すぎるのは私の趣味じゃないの。」


「つまんねーな。ちょっとは冒険しろよ、冒険。そんなんだから、男っ気がねぇんだよ。」


隣のサラリーマンが迷惑そうに視線を飛ばす。

如華がそれに応えるように睨みをきかせると、サラリーマンは黙って下を向いた。


景気のいい音がする。缶ビールを開ける音だ。

ゴクュゴクュゴクュゴクュゴクュ。


「プハーッ!んもうサイコー、いきかえるぅぅー!この肉弁もデリシャス!」


千里はご機嫌の如華をいさめるタイミングを伺っていた。


「ねぇ、如華ちん?念の為言っとくけど移動中とは言え、今は仕事中だからね?」


「あ?わかってるって。息抜きだよ、息抜き!缶ビール1本くらいじゃ酔いやしねぇって!まじめかよ!」


「でもね、ケジメってあるじゃない?仕事中はプロらしく振る舞って貰わないと。」


千里の真面目な顔つきに如華は溜息をもらす。


「イエッサー、ボス。次から気をつけるよ。」


と、缶ビールを飲み干し、缶を握り潰した。



『美玖は風俗嬢。源氏名はビクニ。』


犬養は飛び起き、車両内を見渡した。

急に声が聞こえてきたのだ。男の声だった。

しかし、周囲に怪しげな者はいない様にみえる。

聞き間違いか?いや、しかし…それにしては。

犬養は時計を確認した。

PM5時10分。目的の駅まで20分ほどだ。

犬養は結構寝いってしまっていたことに驚いた。


『美玖は風俗嬢。源氏名はビクニ。』


しっかりと、耳に残っている。

誰だ?偶然か?

犬養は立ち上がり、デッキに移動した。

出入口に身を潜め、窓ガラス越しに喫煙車両を覗うが、特に妖しい動きはない。

何者かに尾行されているわけではなさそうだ。

兎に角犬養は、今の情報が何なのか確かめるべく、千里のいる車両へと向かった。


千里達は2人とも爆睡中だった。

片方は大きなイビキをかき、片方はアイマスクと耳栓をし、静かな寝息をたてている。

犬養は、アイマスクと耳栓を外した。


「蛯名、起きろ。」


眩しそうな顔で千里が寝ぼけている。


「んー?…もう着いたの?」


「違う。もう一度、安藤美玖のトレースをしてみてくれないか?」


犬養の真剣な眼差しに、脳が目覚める。


千里は言われた通りトレースを始めた。

前回のトレースでみた自宅と思われる場所から、数百メートル移動していた。

繁華街を抜け歓楽街に着く。~分~円や、いかがわしい写真や絵等の看板の多い通りだ。俗に言う風俗街である。その中の1つのビルで映像が途切れた。色んなタイプの風俗店が入居している風俗ビルだ。


「視えました。どうやら、美玖ちゃんは風俗嬢になってるみたいね。」


「!?・・・・・・」


犬養の顔つきが変わる。悪い流れを引かされた気分だ。

さっきの声は、偶然では無いのか?意図的に発せられた可能性がある。だとすると、俺のテレパスの能力を知っている者の仕業となる。若しくは、テレパシーだったのかも知れない。どちらにせよ、俺が追っている事件も知った上での言葉。安藤美玖を探しているのを知っているのは俺達3人だけだ。

いや、その前に俺達が安藤美玖の生存を知ったのはつい先程のこと。声は、偶然では無いかも知れない。

犬養は柄にもなく冷や汗をかいた。


周囲を見渡し、心を読む。下世話な思考が入り乱れ

る。あの声の主はいない。


俺の行動を把握している、何か得体の知れない者からの接触。

何者で、なんのために?

もし協力者なら、なぜ直接接触してこないのだ?

敵か、若しくは俺達を利用しようと企んでいるのか?


犬養は予期せぬ出来事に対し、途轍もない不安に襲われた。


「ねぇ。わんちゃん?怖い顔してどうしたの?」


千里が心配そうに犬養の肩に手を添える。


「ああ・・・。悪い。用事が出来た。後でまた説明する。」


ハテナ顔の千里を放置し、犬養は喫煙車両へ急いで戻っていった。

次の停車まで10数分しかない。

犬養は全ての乗客の心を片っ端から読み、あの声の人物を見つけ出すつもりなのだ。

それは、ある種のプライバシーの侵害行為にあたるのだが、今の犬養にはそれが最も正しい捜査方法にみえていた。


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