第18話 探し屋エビチリ亭 9

「一体、どこから乗ったのよ!」


左手薬指から垂れ下がった水晶の振り子は、まだ何の反応も示さなかった。

 

蛯名千里はペンジュラム・ダウジングで我蛭の居場所を突き止めようとしていた。

しかし、どうやら我蛭は正式な入口から乗船した訳ではない様だった。入口付近でダウジングの反応が全く無かったのだ。足跡をたどるためにはまず、当人の歩いた場所を見つけなくてはならないのである。

そこで千里達は、我蛭が港からこっそり乗り込んだと仮定し、捜査を再開した。

しかし、手の届く全ての窓は開閉できないタイプのものだった。

どの窓にも割られた痕跡は無く、考えられるのはプロムナードデッキからの進入だけだった。

だが、この客船はデッキまで相当の高さがあり、10㍍は優に超えていた。

梯子やロープを使ったのか、クライマーの様に素手でよじ登ったか。

いずれにせよ、プロムナードデッキでの捜査に取り掛かる事にした。

デッキには、まだ朝の5時だと言うのに乗客がチラホラといた。

早起きして新鮮な朝の空気を吸いに来た夫婦、早朝ウォーキングをしている肥満体の女性、夜更かしが終わらないカップル、デッキチェアで酒瓶片手にうたた寝している老紳士など、様々だった。


千里は乗客をよそに、港側の船首からダウジングを始めた。


その間に警察は船長の出したルールに基づいた、聞き込み捜査を行った。

それは、船員以外に話を聞かないと言うルールだった。つまり、船に犯罪者が乗り込んでいる事を客に知られたくないのだ。

無駄に不安を煽りたくないのだろう。

分からないでもないが、客の安全の方を最優先すべきではないかと千里は思った。


聞き込み捜査の結果、左脚を引き摺って歩く怪しい人を見たと言う情報は得られなかった。

深夜2時過ぎまで船尾のリドデッキで石油王主催のパーティーが開かれており、このプロムナードデッキにも人が溢れていたらしい。その為、酔っ払い客によるデッキからの転落防止などの配慮から、10㍍間隔で手摺り沿いにスタッフを配置していたとのことだ。

パーティーおひらき後も、人集りが少なくなるまでスタッフはその持ち場を離れる事は許されなかった。最長で午前4時まで残ったスタッフもいた。だからもし、誰かが手摺りを乗り超えて来れば気付いたとの事だった。その後、清掃スタッフが後片付けに1時間半程かかったと言っていたので、デッキには常にスタッフが居たと言う事になる。

つまり我蛭は、何処か人目のつかない場所を狙って侵入したと言う事になるのだ。


15分後、千里は港側の船尾リドデッキまでダウジングを終え、落胆した。

港側のデッキには我蛭の痕跡が何も無かったのだ。そこで、普通では有り得ない海側からの侵入を想定し、再び15分かけて海側のデッキでダウジングを行った。

しかし、これもまた無駄足に終わってしまった。


捜査を始めて既に30分以上経っていた。


「一体、どこから乗ったのよ!」


流石にこれ以上の高さからの侵入になると、協力者が必要だろう。だが、協力者の線は、千里も犬養も無いと考えていた。

したがって、侵入はここより下の場所からに違いないと言う意見で一致した。


「もう一度、調べてみましょう。何か見過ごしたのかもしれないわ。」


 千里は少し焦り始めていた。船という限られた場所なら、直ぐに追い詰める事が出来ると思っていたのだ。


「豪華客船を舐めてたわ。」


千里のダウジングには読み取れる範囲が決まっていた。

自分を中心に半径5㍍が限度だった。それに対し、この客船は、長さ約300㍍、横幅約50㍍、そして高さは約40㍍もあるのだ。

こんな広範囲を真剣に捜索したことがなかったので、千里の顔には疲れが見え始めていた。

その前に、昨夜から一睡もせず捜査しているのだ。限界が近づいているのだろう。


「蛯名。少し休むか?」


グランドセイコーのクォーツ腕時計を見ながら犬養が声を掛ける。


「大丈夫。まだまだいけるわ!疲れと寝不足は美容に悪いけどね。」


本心はこの船のスイートのツインベッドに、パンプスを脱いで飛び込みたかった。


しかし、ここまで来て引き下がるつもりは毛頭無かった。

必ず見つけ出し、監獄にぶち込んでやると言う気持ちにブレはない。

実際、監獄に入れるためには立証出来る証拠を掴まなければならなかったが、それは犬養の仕事だ。

陸上競技のリレー競争での勝敗はバトンパスで決まると言う。

千里は手を抜かず最高の形で犬養にバトンを渡すつもりでいたのだ。


「そうか、分かった。だが、無理するな。まだ、出港まで1時間半はある。」


「ええ、ありがとう。」


無理するしかないじゃない!と千里は思った。

何も発見できないまま30分も経ってしまったのだ。

まさか、乗っていないって事は無いわよね。

千里は少し不安になり、トレースで確認してみる事にした。大丈夫、まだ最終滞在地はこの客船のようだ。

逃げ場の無い船という状況なら、周りを囲み、人を大量投入して片っ端から虱潰しに探せば、必ず見つかる話しだった。

つまり、人海戦術だ。

しかし、それも出来ない状況下にあるのだ。


この船で捜査を行うに至って、客船側から出された条件は事を荒立てないことだった。

船長に幾つか約束をさせられていた。

第一に乗客に迷惑を掛けない事。

第二に警察が乗り込んできていると乗客に知られない事。

そして、最後に出港時間は1秒たりとも遅らさせない事だった。


この船は海外に船籍があるクルーズ船で、日本の法律が一切通用しないのである。

ただし、入港中はその沿岸国の法律を尊重し、これに従うことが国際法上求められており、この条約に加盟していない国の船の寄港は、認めていないのが一般的だった。つまり、入港中は日本の法律が適用されますよと言う事になる。

しかし、これは表向きの話しでしかなかった。

大抵、政治がからむ場合のケースが多く、日本の警察が自由に捜査できる権限など無いに等しかった。

その為、この件で犬養はかなり苦労したようだった。

あっちこっちに電話を掛け、船長が出す絶対条件を丸呑みにする事と引き替えに、やっと捜査にこぎ着けたのだ。


だからこそ、千里は焦っていた。

かと言ってダウジングのペースを上げると精度に問題が生じてしまう。ならば、我蛭の足跡に一刻も早く辿り着けるよう祈るしか無かった。とどのつまり、運任せになってきているのだった。

千里は無力感に襲われた。

これでは、普通の捜査官の方が遙かに役に立つのでは無いかと思った。

その時、携帯の着信音が鳴り響く。どうやら、犬養の電話らしい。


「俺だ。」


犬養は電話しながら千里から離れていった。聞かれたくない内容なのだろうか?しかし、今の千里にはそんな事など、どうでも良かった。


無反応の振り子を見つめながら2周目のプロムナードデッキをゆっくりと進む。

デッキには更に乗客が増えてきていた。朝日を見ようと部屋から出てきているのだ。


ふと、空を見上げた時、1羽のウミネコが飛んでいるのが見えた。

何となく気になり、手摺りから顔を出し上を覗いてみる。最上階のオープンデッキ上空をウミネコが数匹、旋回しているのが見えた。誰かが餌でもやっているのだろうか?


「鳥なら幾らでも侵入場所があるわね。」


千里は自分の呟きに、ハッとした。

施設にいた時、とあることを聞いたのを思い出したのだ。


念力の上級者は空を飛ぶ事が出来ると。


要は物を浮かして動かす原理と一緒で、念力で自分を動かすと言う仕組みだとか。

どの程度の力があるかは知らないが、我蛭は念力が使える超能力者だった。

そう、我蛭にはその手があったのだ!

空を飛べるとしたら、誰かに目撃されにくい最上階からの侵入がベストではないか。誰も空から人が飛んで来るなんて思いもしないのだから。

これで、捜査範囲が広がったと、千里は犬養に駆け寄った。

犬養はちょうど、電話を終えたところだった。千里は今の推理を犬養に説明した。


「確かに、有り得なくは無いな。良く思いついた、蛯名。」


「でしょ?」


千里は少し元気を取り戻した。


「じゃ早速、上のオープンデッキに行くわよ!」


「悪いが、先に行っててくれ。別件が入った。後で追いかける。」


千里はさっきの電話で何かあったのだと思った。


「問題?」


犬養は少し考えた後、答えた。


「いや。大した問題ではない。少し確認すべき事ができただけだ。」


犬養が白黒ハッキリしない事は口に出さないタイプだと知っていたので、千里はこれ以上追求しなかった。大事なことなら明確になり次第、報告があるはずだ。


「オッケー。またあとでね。」


千里は犬養と別れ、意気揚々とエレベーターで最上階を目指した。


千里はオープンデッキにあった広大なプール、ミニゴルフコース、テニスコート、ジョギングコースなどの施設に度肝を抜かれた。千里は豪華客船に一切の興味が無かったため、何の情報も持ち合わせていなかったのだ。


「何なのこれは。何故、船にこんなのがあるのよ。」


千里は少し戸惑いながらも仕事に取り掛かった。深夜に空から降りてきても気付かれない場所を探した。

否、探すまでも無かった。

まず、深夜にスポーツするわけが無い。つまり、この広いオープンデッキならどこにでも降りられたのだ。

千里は深いため息をついた。


「片っ端から調べろって事なのね。」


千里は紺のパンプスを脱ぎ捨て、綺麗に手入れされた人工芝の上で裸足になった。歩きすぎてむくんだ足にもうひと頑張りして貰うためだ。幾分楽になった気がする。

それから、1度深呼吸をして、左手薬指から水晶の振り子を垂らした。


その5秒後、水晶が反応を示す。そして、ゆっくりと振り子が回り出したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る