第17話 目覚める森の美女 9

有馬如華は不敵に笑った。

目の前にかつての天敵が立っていて、自分の手の内には復讐に至れる材料がある。

これは笑わずにはいられない。

あの犬養に対し、初めて優位に立てたのだった。


如華達の乗った車が待ち合わせの横砂港国際客船ターミナルに着くと、犬養が腕を組んで待ち構えていた。

千里が先に車から降り、犬養と何かを話している。

如華は久方振りの天敵をじっくり観察しながら車のドアを閉めた。

それから、しっかり犬養と目を合わせ、自ら近寄っていく。

こちらの10年降りの再会は、挨拶すら無く火花を散らして始まった。


「有馬か。なんだその格好は。年を考えろ。」


如華は犬養のジャブにすかさずカウンターを合わせにいった。


「テメェこそ、ダッセェ頭してんじゃねぇぞ。今時オールバック?昭和か!」


千里の深いため息が聞こえてくる。


「大体、何故お前はあんな山奥にいたんだ?どうせ、ろくな事してなかったんだろ?」


「テメェが警察だなんて、世も末だな!ああ?」


如華は下からえぐるように睨みつけた。

2人の顔は鼻と鼻が触れ合うほどの距離にあったが、どちらも退く気はないようだ。


「ハイハイハイハイ!」


千里ご手を叩きながらバトル終了のゴングを鳴らす。


「再会のキスは後回しにして!早速、仕事に取り掛かるわよ!」


如華達が着くまでに、犬養が国際客船ターミナル、税関、入国管理局、ユナイテッドクルーズ株式会社からの捜査許可を得ていたため、スムーズに停泊エリアのゲートを通過できた。

如華は巨大な船に向かって歩いて行く2人の後について行った。船を見上げると側面に(Buena Vista)と名前が書かれているのが見えた。


「ブエナビスタ、スペイン語で絶景か。」


こんな豪華な船からなら、どんな場所でも絶景に見えるだろうなと如華は思った。


如華には1つ、野望にも似た夢があった。


豪華客船で世界一周の旅という夢が。

値段はピンキリだったが、如華の中の条件はどうせなら最低でも1500万円クラスの旅費のものだった。

その夢の実現に向けて、実はお金を貯めていた。

貯蓄を始めて2年足らず、今現在100万円近く貯まっている。この計算で行くと50才位にで金が貯まる予定になっていた。

だが、一つ問題があった。身分証明が出来ないからパスポートを作れないのだった。

しかし、いざとなれば金で何とかなるだろうと思っていた。偽造屋の知り合いがいるからだ。

兎に角、今から捜査で船の中に入ると言うことで、如華の心は躍っていた。

やはり、テレビやパンフレットで見たものと実際の船とは全然違うだろう。


「おい有馬、何故ついて来ているんだ?お前は関係ないだろ。車で大人しくしていろ。」


犬養が最悪のタイミングで如華の浮かれ気分を害する。


如華は直ぐに気が付いた。

心を読まれたのだと。その上での、この発言なのだ。

如華は犬養を睨みつけた。


「テメェ、相変わらず嫌な奴だな。勝手に人の心を覗きやがって。この変態クズ野郎!」


しかし、如華は冷静だった。今の如華には犬養を操る切り札があったからだ。

それは、犬養が自分の能力を同僚に隠している事だった。


「言って良いの?」


如華は犬養のポーカーフェイスが崩れたのを見逃さなかった。目に少し焦りが現れたのだ。


「アタシもついてくからね。それと、今からアタシの心を読むのは禁止。その時点でバラすから。」


犬養は苦虫を噛み潰したような顔をして、千里を睨んだ。


「ごめんね、わんちゃん。悪気は無かったの。ついうっかりだったのよ。」


千里はさほど悪いと思って無い様に見える。それどころか、少し面白がっているみたいだ。


「ねぇ、心助。アタシまだ返事聞いてないんだけど?どうすんの?」


犬養は背中を向けて歩き出した。


「勝手にしろ。」


そして、3歩ほど歩いた後に一言付け加えた。


「言っとくが、これは遊びじゃ無いからな。」


如華はスキップしながら後に続いた。

それを見て、千里も懐かしさに誘惑されスキップした。そして、2人は左腕同士を組んで、笑いながらスキップでくるくる回り出したのだった。

犬養のストレスメーターは振り切って、爆発寸前だった。

犬養に最初に出会う部下は運が悪かったとしか言えないだろう。災難が襲うのは目に見えていたのだから。


 船内は驚きの連続だった。


内装が演出の鍵なのだ。場面場面のテーマに合わせた内装は圧巻の一言だった。そこは、日常とは余りにも懸け離れていて、ただ立っているだけで特別な気分にさせてくれる。

それは、リピート率90%の某有名テーマパークに似ていると如華は思った。

そして、パンフレットに書かれてある船内施設の豊富さに度肝をぬかれた。全てを回るだけで数日はかかりそうだ。

流石、世界一周約100日間の旅の為の船だ。

これなら、退屈しそうにない。否、それ以上だ。

一生退屈しないだけの施設が完備されていると言っても過言では無いだろう。

船が1つの街になっているのだ。庶民の人生を満足させる全てが揃っていると如華は思えた。

豪華客船を体感し、如華は夢を少しでも若い内に実現させる為に、もっと節約しようと前向きな気持ちになった。


 今如華は、船内パンフレットを片手に、千里達とは別行動をとっている。

千里達が我蛭の捜査をしている間、船内を見学してくると言って、犬養の反対を押し切り一人で行動していた。

時間の許す限り、探索するつもりだった。

午前7時の出港まで後約2時間ある。

如華は探せるだけ探そうと思った。


大男の兄、つまり我蛭優一の事を。


如華が千里達についてきた理由は、実は他にあったのだ。


もう一度、大男の兄に会いたくてついてきたのだった。

山小屋で如華の中に燃え上がった恋心が、まだ燻っていたのだ。

相手が凶悪な犯罪者と分かった今でも、鎮火されていなかった。

だからもう一度、凶悪犯としての彼に会ってみて、自分の気持ちを確かめるつもりでついて来たのだ。否、どちらかと言うと恋心が間違いだったと安心したくて来たのかもしれない。


本名、我蛭優一。33才。無職。パチンコで生計。恐らく、念力で小細工をして、儲けていたのだろう。


客室2000室、収容人数は乗客・乗組員を合わせて約6000名のこの船の中に彼がいる。

犯罪者の彼が何故こんな豪華客船に乗れたのだろう?

普通にお金を払って乗ったんじゃない事は如華でも分かった。恐らくは、うまく潜り込み、乗客のふりをしているか、何処か目立たない所に潜んできるかだろう。


 如華は人気の無い船内ショッピングアーケードデッキを歩いていった。

通路を挟んで両サイドに向かい合って配置された様々な店舗内は薄暗く、ドアにはクローズドの看板が掛けられていた。朝の5時過ぎなのだ。開いている店は、バーラウンジ、24時間カフェレストくらいだろう。


如華はパンフレットでカジノの場所を確認した。


実は如華には我蛭の潜伏先に心当たりがあったのだ。

多分、我蛭はカジノにいる。だからまず、如華はそこから当たるつもりだった。


その時、ふと不安が過ぎる。


もし、出会って気持ちが高ぶった時、自分はどんなふうになってしまうのだろうと。

先の事は何も考えていなかったのだ。


もしかしたらその場合は、一緒に…。


如華は我に返り、頭を振った。良からぬ考えを追い出すために。

それから直ぐに周囲に鋭い視線を飛ばした。

どうやら、近くに犬養はいない様だ。

パーソナルスペースで言うところの遠方相以内、つまり3.5㍍以内でないと犬養は心が読めなかったはずだ。

如華はひとまずホッとした。

だが、油断ならない。あの男は自分の信念のためなら、約束など簡単に破る奴なのだ。


如華は長かったショッピングアーケードを後にし、やっとカジノに続く階段に差し掛かった。

階段を一段降りた時、後頭部に強い視線を感じた。

誰かが見ている。

立ち止まって振り返り、辺りを確認したが、酔っぱらいが何人かいるだけで、特に自分を見ている者はいなかった。

如華は気のせいかと、そのまま階段を降りてクローズドの看板が掛けられているカジノへ向かった。

1段1段近づくにつれ、徐々に早くなる心臓の鼓動を、如華は止めることが出来なかった。


そう。答えは会う前から出ているのだ。


如華は期待と緊張の面持ちでカジノの扉を開き、中へと入っていった。それは、コウカイへと続く第一歩だった。

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