第6話 探し屋エビチリ亭 3

 パトカーサイレンが街に鳴り響く。1台のスカイラインが猛スピードで車の隙間を縫って走っている。

その車の助手席に座っている蛯名千里は、けたたましく光るパトランプに目を細めた。点灯させたパトランプを手渡されたのだ。


「窓から屋根の上に着けてくれ。裏が磁石になっている。」


千里は犬養に言われた通りやってみた。刑事の相棒になった気分だ。


スカイラインは我蛭(あびる)のアパートに向かっていた。


先ほど、犬養の部下から緊急の連絡が入ったのだ。第一容疑者の我蛭優一が徒歩で出かけ、パチンコ店を梯子したあと、地下鉄に乗り、駅のホームで見失ってしまったと。その時間は通勤ラッシュで確実に狙った行動だった。

つまり、尾行がバレてたのだ。


「役立たず共め!」


仕事中の犬養に千里は好感を持っていた。

特に、部下を罵る時の犬養は出来る男に見え、頼もしくも思える。

部下と合流した時が見物だと、千里は既にわくわくしてきていた。


 パトランプとサイレンは30分の道程を15分で到着させた。

千里は改めて赤信号が人間からどれだけの時間を奪っているのかを実感した。

自分がもし警察官なら、パトランプとサイレンを私用で使うのは間違いないと確信した。


覆面パトカーが一台、目的の建物の前に止まっているのが見える。先に着いた犬養の部下の車だろう。


 犬養は車から降りると、建物の階段を軽やかに駆け上がって行った。

その建物はどこにでもある4階建ての鉄筋コンクリート製のマンションで、我蛭の部屋は4階の角にあった。

 千里が息を切らして階段を登り切った時、3階建て以上はエレベーターを付けるべきだと訝り、ここの住人の神経を疑った。毎日こんな風に階段を上り下りしなくちゃいけないなんて、ストイック過ぎる。


犬養は我蛭の部屋のドアの前で3人の部下と合流していた。


「今の所、我蛭はまだ帰って来ていません。」


「お前達のお陰でもう帰ってこないだろう。車のパトランプが点きっぱなしだったぞ。」


犬養は斬り捨てるように言った。ハッとして部下の1人がその場を離れた。


「管理人から鍵は借りて来ただろうな?蜂谷。」


「はっ、はい!」


すっかり萎縮してしまった犬養の部下は鍵を差し出した。しかし、犬養は受け取らなかった。眼が開けるよう指示している。

犬養の部下は手が震えてなかなか鍵穴に鍵を刺す事が出来なかった。


「何やってるんだ蜂谷!鍵を開けるぐらい3歳児でもできるぞ!お前は何歳だ?恥さらしも良いとこだ!だから、尾行もバレたんだよ。どうせ尾行中も挙動不審だったんだろ?ええ?ホントによくそんなんで刑事になれたな!」


目に涙が溜まって視界が悪くなり、鍵を刺すのが余計に困難になってきた部下に、別の部下が堪らず近づいた。


「手を貸すな!最後まで蜂谷1人にやらせろ!」


千里は犬養のサディストな部分を見せらて興奮していた。

千里は自分ではサディストだと思っているが、サディストの前じゃマゾヒストになると言うフットワークの軽い体質の持ち主だった。つまり、根っからの変態なのだ。


「いっ、犬養さん!ぼっぼっぼくには、無理です!でっ、できましぇん!」


「甘えるな蜂谷!やるんだ!」


とうとう部下は泣き崩れてしまった。

犬養は嗚咽が止まるのをじっと待ち、屈んで部下の肩を抱き寄せる。


「一度、深呼吸してからやって見ろ。お前なら出来るハズだ。俺の期待に応えてみせろ。」


犬養の飴の言葉に部下は少し元気を取り戻した様に見えた。それから、引き攣るような深呼吸をし、鍵を握りしめた。手の震えは治まっており、今度はすんなり鍵を開けてみせた。


「やりました!僕、鍵を開けることが出来ましたよ犬養さん!」


部下はすっかり晴れた笑顔で言った。


「良く出来たな。」


犬養は部下の肩をポンと叩きドアを開けて中に入っていった。


「蛯名。面白がってないで着いて来い。お前達は外で見張っていろ。」


千里の存在を知らなかった部下は顔を真っ赤にし、下を向いた。千里はご満悦の笑顔で部下の横を通り過ぎた。


「わんちゃん、調教が上手ね。アタシ思わず濡れちゃったわ。」


 我蛭の部屋は特筆する事も無い、ごく普通の有り触れた部屋だった。


千里は超能力連続殺人鬼のこの部屋に幾分がっかりした。もっと、殺人鬼らしい狂った部屋を期待していたのだ。

一方、犬養の反応は違っていた。

この部屋から住人の人柄が一切見えなかったのだ。普通なら、本や音楽、映画、写真、ポスターなど、その人の趣味嗜好が分かるものが何かあるはずなのだ。

しかし、この部屋にあるものは、家具や電化製品などの生活に必要最低限の物だけで、それも大量生産された量販店ブランド物で、何のこだわりは見えなかったのである。

我蛭にとって家はただ寝るだけの場所なのだろう。

犬養は住人の思い入れが何も無いこの部屋から、いつでも姿をくらませられる身軽さを見て取った。

この我蛭と言う男は根っからの犯罪者気質なのだ。


「どうやら、この部屋からは犯罪に繋がる重要な手掛かりは何も出そうにないな。」


犬養は腕を組み、ため息をついた。


「そうね。でも警察にとっては我蛭の逃亡はラッキーだったんじゃない?とりあえず、捜査する理由が出来たんだから。」


「まあな。我蛭が殺しを再開しないことを祈らなきゃ成らないが。」


千里は立ったまま頬杖をつくポーズをとり、少し考え込んだ。


「でも、なぜ我蛭は逃げたの?超能力者だとバレたとでも思ったのかしら?」


「否、それはないな。心を読んだ時に確認している。我蛭はリモコンで車を遠隔操作した説を心の底から嘲笑っていた。」


「だったら余計分からないわね。今は容疑がかかってるだけで物証が何もないのよ。少しの間、我慢すれば警察のマークは外れたのに。」


犬養はポケットから手を出し、人指し指を立てた。


「逃亡の理由は一つ、警察にうろつかれると不都合な事があるという事だ。超能力しかり、何か知られたくない事があるに違いない。それで、姿を眩ましたんだろう。」


千里は同意するように頷いた。


「容疑がかかってる中で逃げ出したんだから、警察を舐めてるのか、よっぽど見つからない自信があるのね。」


千里は不敵な笑みを浮かべ、ベッドの上にえる丁寧に畳まれたTシャツを摘まみ上げた。


「わんちゃん、どうする?あと写真があれば私はいつでも我蛭をトレース出来るけど?」


「そうだな。直ぐに追跡を頼めるか?写真は部下から貰ってくれ。俺は我蛭の過去を詳しく調べてみる。子供の頃まで遡ってな。」


「昔の犯罪を調べるのね。でも確か、逮捕歴は無かったのよね?苦労しそう。」


犬養はカーテンを開け、窓から外を眺めた。

まだ日は落ちてないのに、空は薄暗かった。


「どんな殺人鬼にも最初の殺人がある。それは、衝動的で雑なものだ。完成された殺人でなければ、例え念力でも立証出来る材料がそこにあるはずだ。」


前代未聞の事件を前に千里は少し緊張し、心臓が高鳴っていた。念力殺人の捜査が本格的に始まろうとしている。


「オッケー。じゃ、ここから別行動ね。だけど、あたし一人じゃ心細いな。まさか、殺人鬼を一人で追いかけろなんて言わないわよね?」


「当たり前だ。お前には蜂谷を付ける。あいつでも盾と車の運転手くらいには成るだろう。あれでも柔道の有段者で全国警察柔道選手権大会73㎏級で優勝したことがあるんだ。扱き使って構わん。我蛭に辿り着いたら連絡をくれ。その時は優秀な部下に尾行を任せる。それから合流だ。」


「わかったわ。」


千里はあの蜂谷と言う男と一緒に捜査する事になり、愉快な気持ちになった。

あの男はからかい甲斐がありそうだ。

楽しい旅の予感がした。

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