第5話 目覚める森の美女 3

有馬如華は鉄の檻の中にいた。


痩せこけた女の隣で爪を噛んで座っていた。

如華は幼い頃から不安になると爪を噛み、頭を真っ白にする癖がある。これが如華の現実逃避の方法だった。

だがそれも、長くは続かなかった。

完全に壊れた女が隣にいる現実が強烈過ぎるのだ。


「ヒャッフィィィ!」


痩せこけた女は数分おきに、この奇声を発していた。

よく見るとこの女には歯が一本も無かった。そのせいで、きちんと発音できないのだろう。

大男は如華を檻に投げ入れた後、小屋を出て行った。それから30分位経つが、まだ帰ってくる気配はない。

兎に角、気をしっかり保つ為、如華は現実を見ることにした。

自分の未来の姿である隣の女を観察するのだ。


まず目についたのは、手の指だった。本来は爪がある部分が肉剥き出しになっていた。足も同じ状態で、全ての指に爪が無かった。恐らく大男に剥がされたのだろう。

次に目がいったのは、女の大きな胸だ。胸元には肋骨が浮き出ていたが、それでも乳房は如華の倍はあった。しかし、その乳房には乳輪だけしかなく、乳首が見当たらなかった。

切り取られたか、噛み切られたか、引き千切られたか。いずれにしろ、悲惨な顛末だったに違いない。

この調子だと、ここからは見えないが陰部にも何かしらの傷手を加えられているのだろう。


 この虐待の極みに如華は、恐怖より激しい怒りと闘志が湧いてきた。


「許さない!」


如華は攻撃の手を考えた。


力で負けるのは解りきっている。だから、何か武器になる物がないか檻の中を探す事にした。


自分の周りには薄汚れた厚手の毛布があるだけで他には何も見当たらない。

次に隣の女の方をよく見てみた。すると、隣の女の奥に陶器の皿とスプーンが見えた。一応、食事が出るみたいで、皿にはよく解らないモノの食べ残しが入ってある。


如華はスプーンが武器になると思い、恐る恐る隣の女に声を掛けてみた。


「あの、ちょっといい?」


隣の女は如華を横目で一瞬チラリと見ただけで返事は無かった。


「あのさ、そのスプーン貸してくれない?」


今度は微動だにしなかった。


「貸してくれたら、ここから出してあげるわ。そのスプーンであの化け物をやっつけるの。アタシ、ケンカは得意なんだ。」


少し興味を示したようだ。

痩せた女が如華の顔をまじまじとのぞき込んでくる。


「作戦は単純。あの化け物を檻に誘い込む。あの巨体じゃ、自由に動き回れないでしょ?油断させておいて、隠し持ったスプーンで眼をくり抜いてやるの!アナタはその隙に外に逃げ出す。どお?」


如華は痩せた女の瞳が一瞬光ったように見えた。好感触だ。死んだ目に希望の光が写ったのかもしれない。


「もう片方の目もくり抜いた後、アタシも外に出るわ。それから一緒に逃げましょ!安全な場所までアタシが連れて行ってあげる。」


痩せた女はゆっくりとスプーンを取り、震える手で如華に差し出した。


「ひょうひょ。」


気持ちが伝わったのだ。共通の敵を前に連帯感が生まれたのだろう。

如華は仲間が出来たみたいで少し気が大きくなった。


「ありがとう!アタシに任せて、絶対うまくいくわ!」


受け取ったスプーンはステンレス製のデザートスプーンだった。

強度を確かめるためスプーンの背に親指を添えて握り、鉄の檻に押し当ててみる。骨ごとすくえそうな堅さだ。

これならじゅうぶん闘える。


 その時、玄関扉の向こうから音が聞こえてきた。南京錠をまさぐる音。大男が戻ってきたのだ。


「良く聞いて。アタシは檻の奥で挑発するから、アンタは入り口付近で逃げ出す準備をしておいて。目にスプーンが刺さったらそれが逃げ出す合図だから。焦って早まったらダメ。いい?」


痩せた女が頷くと同時に扉が開いた。

大男が中に入ってくると、汗と土の臭いが部屋中に漂った。大男の服は畑仕事でもしてきたかのように土まみれになっていた。

大男は南京錠の鍵を柱に打ち付けてある釘に吊し、隣の釘に吊してあった檻の鍵を手に取った。

無くさないように柱の釘で鍵を管理しているのだろう。

大男は檻の真正面に立ち、如華を眼で撫で回す。


如華はその視線でハッキリと理解した。

まずはレイプされるのだと。ならば、絶好の機会は簡単に巡ってくる。


如華は作戦通り、檻の入り口から1番遠い角に身を移した。


大男が不気味な笑みを浮かべ檻の鍵を開ける。


すかさず如華はタンクトップをブラジャーごと捲り上げ、小さく尖った乳首を露わにして大男に見せつけた。


鼻の穴を大きくし、少し興奮した面持ちの大男が檻の中へ入って来る。


如華はスプーンが見えないよう、手の平の下に隠し持ち、片足を立てて座り、いつでも戦闘できる体制をとった。


ところが、大男が予想外の行動をとりだす。

大男の狙いは痩せた女だったのだ。大男は痩せた女の髪を掴み、引っ張り出そうとした。


作戦が狂ったので、如華は慌てて股を開き、下着の隙間から性器を見せつけた。


「ねぇ、見てよ。触ってくれないの?」


大男の鼻息が荒くなったのを如華は見逃さなかった。


「ほら、早く。自分でしちゃうわよ。」


如華は片手で器用に性器を拡げ、人差し指を少しだけ中に入れてみせる。


大男は痩せた女を放し、膝歩きで如華に近寄ってきた。

手の届くとこまであと少し。如華はスプーンを攻撃用に持ち直し臨戦態勢をとる。


性器に釘付けの大男が食らいつく勢いで、顔を股へと滑り降ろしてきた。


攻撃に出る絶好の機会はもう目と鼻の先。如華はスプーンを強く、硬く、握り締める。


大男の口から涎が長い舌を伝い如華の陰部に滴り落ちた瞬間、如華は大男を逃がさぬよう膝で顔をがっしり挟み込み左手で髪の毛を鷲掴みにし、しっかりと固定させた。

そして、それとほぼ同時に、死角から大男の目に目掛けてスプーンを発射した。


「ヒャッフィィ!!」


その時だ。痩せた女が目一杯の奇声をあげたのだった。


驚きのあまり、如華の動きが止まってしまう。


我に返った大男の目は如華の手のスプーンを捕らえていた。


奇襲でないと意味が無いのは解っていたが、もう戦るしかない。

如華はそのまま眼を狙ってスプーンを突き出した。


案の定、大男にスプーンを奪われ作戦は失敗に終わってしまった。


「クソ!」


次の瞬間、大男の強烈な平手打ちが如華の顔の左半分を容赦なく捉えた。

その勢いで鉄格子まで吹き飛ばされ、頭を強く打つ。


「ぐぅっ!」


今の一撃で聴覚と視覚が正常に機能しなくなる。

高音の耳鳴りが鳴り続け、鉄格子がワカメのように揺れて見えた。

次に強い吐き気が襲ってきた。気分は最悪ですぐに動く事は出来そうにない。

 

しばらくして焦点が戻ってくると、大男が痩せた女を檻の外に連れ出した事が分かった。


痩せた女は大男に何かを伝えている様だった。

如華は酷い耳鳴りのせいで何も聞こえなかったが、痩せた女の発声はどうせ聞こえていたとしても何を喋っているか解らないだろうと思った。

だから、身振りで内容を推測する事にする。

痩せた女は大男の股間を愛撫し、何かを必死に懇願していた。それはまるで別れ話の際、捨てられまいと縋りつく情けない女の最期の足掻きの様に見えた。

それから、命乞いの表情に変わり大男の足に纏わり付く。

しかし、大男に取り付く島は無いと悟った女は、踵を返し、檻の鉄格子にしがみついたのだった。

あの痩せた女のどこにそんな力が残っていたのか、大男に引っ張られても頑として鉄格子を離さなかったのである。


如華は人間の生への執着を目の当たりにした様に感じた。


如華は理解した。

痩せた女は殺されるのだと。


新しい玩具が手に入ったから古い玩具は棄てるのだ。大男の棄てるは殺すと同じでなのだ。


痩せた女は如華がここに来たときから解っていたのだろう。

新しい女を連れて来ると古い女は殺されることを。

恐らく、痩せた女がここに連れて来られた時、今の逆の立場で同じ光景を目の当たりにしたのだろう。


だとすると、さっきのタイミングの良すぎる奇声は大男に如華の企みを知らせる為のものだったといえる。

痩せた女は如華の計画ではなく、逆上した大男が如華を殴り殺すことに賭けたのだ。

何故なら、如華が死ねば痩せた女は生き長らえる事が出来るから。

つまり、如華からの申し出は、痩せた女にとって自分だけが助かる希望の光だったのだ。


冷めた顔の大男は痩せた女の腕の関節を逆の方向に折り曲げた。痩せた女は苦悶の表情を浮かべた後、気を失ってしまった。


大男は子供が興味を失った玩具を扱うように無表情で痩せた女を引き摺り、小屋を出て行った。


如華は思い出した。大男の汗と土の臭いを。

如華は気づいてしまった。さっきの外出は痩せた女を埋める穴を掘りに行っていたのだと。

そして今回の外出は。


如華は人を一人埋めるのにどのくらいの時間を要するのかの考えを巡らした。

上から土を被せていくだけ。穴を掘るよりは確実に早いはずだ。早くて15分位だろうか。


酷い耳鳴りの中、如華には地獄へのカウントダウンが聞こえ始めていた。



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