第2話 探し屋エビチリ亭 1 

「やっと見つけたわ。この、いたずらっ子!」


土砂降りの雨の中、黒いレインコートを着た蛯名千里子(えびなちりこ)が排水溝にある横穴の奥に向かって声を荒げた。


「あと少し私が遅かったらアナタ溺れ死んでたわ!」


その排水溝は今朝からの大雨のせいで氾濫寸前まで水位が上がっていたのだ。排水溝の少し上に、人の顔程の大きさの排水管があり、その横穴の暗闇の中で2つの小さな瞳が弱々しく光っていた。

千里子は濡れて顔に纏わりついた長い黒髪を払いのけ、排水管の中を覗き込み、薄汚れた猫を直接目で捕捉した。ブルーとイエローの瞳が不安げな視線を投げてくる。この猫で間違いないと千里子は確信した。

両目の色が違うオッドアイと呼ばれる猫だ。

写真での見た目は、真っ白で艶やかな毛並みに丸々と肥った体付きだったが、2週間の逃亡生活により、まるで別の猫のように見える。

毛の色は汚れで灰色に染まり、肋が浮きでて骨張った体付きになっていた。

この変わり様では、例え飼い主であろうと見分けがつかないだろう。

この猫は千里子だからこそ発見出来たと言っても過言では無い。


「さぁ、おいでキウイ、アンタのママが発狂寸前よ。」


と声をかけながら、猫餌の入ったパウチの袋を振ってその音を聞かせた。猫の耳がピクリと反応し、一瞬、目に光が宿って見える。千里子は飼い主から好物の餌を与えるときの仕草を抜かりなく聞いて来ていたのである。怯えた猫が穴の奥へ逃げ込まないように餌で釣り、自ら出て来るのをじっと待つ作戦だ。

最初は警戒していたがウェットタイプの餌の匂いに鼻をひくつかせ、ゆっくりと腰を上げた。恐る恐る近づいてくると、千里子の顔を上目遣いに牽制しつつ、餌の匂いを何度か嗅いだ後、ペロペロと舐め始めた。

逃亡中、全く餌に有り付けなかったのだろう。食欲に火がついた様で、千里子を尻目に夢中で餌を頬張りだした。

経験上、千里子はここまで待ってからターゲット確保に移ることにしていた。


「つっかまえた!」


「びみゃー」


首の皮を摘み上げられた猫が、断末魔の様な声を上げる。

千里はその猫を布袋に素早く放り込み口を縛ると、そそくさとその場を退散した。


『サイコメトリーの一種。』


蛯名千里子は捜索対象の写真と身に着けていた物で、生き物の足跡を辿る事が出来る超能力の持ち主だった。


「猫の命が危なかった事を話して追加料金をぶん取るでしょ?それから雨の中探し回った割増料金もふんだくってやろおっと!」


千里は今回の仕事の金勘定をしながらご機嫌で帰路についた。


 50分後、千里子が自宅兼事務所のマンションに戻ると、50代中頃のオールドミスが玄関先で待ち構えていた。キウイの飼い主だ。


「もう来て下さってたんですね、広瀬さん。」


「当たり前じゃ無い!電話を頂いて着の身着のまま飛んで来たんですから!」


千里子はオールドミスの格好を見て思わず吹き出しそうになった。飼い猫の写真を全面にプリントしたTシャツ姿だったからだ。

仕事の依頼に来た時は高級感漂うブラウスにプリーツスカートと言った上品を絵に描いた格好だったのに。


「蛯名さん、私のキウイちゃんは?キウイちゃんに会わせて頂戴!」


「落ち着いて下さい広瀬さん。そんなに焦らなくても。この袋の中に保護してありますから。」


「この中なのね!キウイちゃん!ママよ!あなたのママよ!」


オールドミスが千里子から布袋を無理矢理奪おうとする。


「やめてください、広瀬さん!」


千里子はオールドミスを制し、意地でも布袋を渡さなかった。


「ここで開けて、また逃げられたりしたらどうするんです?中で引き渡しますから、どうか落ち着いて下さい!」


千里子は『探し屋・干焼蝦仁(カンシャオシャーレン)』と書かれた看板がぶら下がったドアの鍵を開けると、笑顔でオールドミスを室内へ促した。


たかが猫一匹にここまで取り乱す人間を目の前にして、千里子は心底驚いていた。猫に対する愛情が常軌を逸していると。

千里子が手に入れた情報によると、このオールドミスは猫のために猫ドアだらけの家を建て、猫が自由に遊んだり日向ぼっこが出来るよう庭に芝生を敷き詰め、間違ってどこかに行ってしまわないように塀の上をフェンスでぐるりと囲っていたらしい。それは3メートル程の高さがあったみたいだが、今回の件でさらに高さが増すだろうなと千里子は思った。



「さぁ、どうぞ。こちらにお掛け下さい。」


リビングが事務所になっており、革の一人掛けソファーと二人掛けソファーがリビングテーブルを挟んで向かい合っている。

千里子はオールドミスに二人掛けソファーを勧め、自分は一人掛けソファーの方に座った。それから、猫の入ったバッグをウォールナット材で出来たテーブルの上に置き、皮袋のヒモをそっと解きほぐした。


「にゃー。」


と小さく鳴いてから、恐る恐る袋から顔を出した。


「はっ、キウイちゃん!キウイちゃんなのね!どんなに心配したか!」


オールドミスは汚れて臭くなった猫を抱き寄せ、頬ずりしながら叫んだ。


「こんなになってしまって!よっぽど恐かったでしょう。ああ!こんなに痩せて!でも、ホント生きてて良かったわ!」


「再会できて本当に良かったですね。こんな喜びに溢れた光景を見られて、私も苦労して探し出した甲斐があります。」


千里子は再会を喜ぶオールドミスを冷ややかな笑顔で見守り、料金の話を切り出す機会を伺

っていた。


「さぁ、キウイちゃん。病院に寄って帰りましょうね?蛯名さん、お代は現金だったわね?」


と、オールドミスはバッグから分厚い封筒を取り出した。


「あの、広瀬さん今回の料金の事ですが、依頼された時の見積もりより少々高くなっております。電話でお話しした通り危険を伴う救助でしたので割り増し料金を頂く事になりますが。」


「いくらか言って頂戴。キウイちゃんの命はお金じゃ変えられないのよ。遠慮なく言って。それに、貴女には本当に感謝してるの!」


「では。基本捜査料10万円、超能力捜査料50万円、雨天捜査料5万円、危険を伴う救助料15万円、成功報酬料20万円、締めて100万円となります。」


千里子は満面の笑顔で、各金額を口に出した。


「切りが善くて宜しいわね!はい、これをどうぞ。」


千里子は帯封された札束を目の前で数えて確認すると、オールドミスを玄関まで送った。


「では、領収書と捜査用にお借りしていたキウイちゃんの写真と首輪をお返しします。ご利用ありがとうございました。探し物でお困りの際は是非いらして下さい。また、宜しければ、ご親戚、お友達にもこの名刺をお配り下さいませ。」


 今回の件はお互いに大満足で幕を閉じた。

探す対象が動物の場合はたいてい円満解決なのだ。しかし、対象が人となると話は違ってきた。

尋ね人となると警察がお手上げのモノか、警察には頼めない事件性の高いモノと相場が決まっているからだ。ほとんどは良い結果を望めず、例え生存していても身体や精神が病んでいたりして、後味の悪いモノなのである。


千里子は玄関の鍵を閉めチェーンをかけた。それから、事務所の奥にある寝室へと向かった。

寝室の中央にはダブルベッドがあり、右に推理小説の並んだ小さな本棚とベッドサイドランプ、窓側に鏡台と洋服掛けがあった。

千里子はベッドに向かって進みながら、黒いワンピースをスルリと床に落とした。黒いレースのショーツも脱ぎ落とすと、Fカップのブラジャーを壁際に投げ捨てた。

それから、ベッドに飛び込むと、仰向けになって札束を真上に放り投げた。一万円札がヒラヒラと舞い千里子の裸体を覆い隠していく。千里子はお札のシャワーを浴びる事で、精神の安定を図っていた。


「もっともっと、稼がなきゃ。」


彼女はお札をバスタブ一杯にして、一万円札のお風呂に入ると言う野望をもっていたのだ。


そのまま悦に浸ること数十分の後、電話の鳴る音で千里子は正気に引き戻されてしまった。


「もう!」


千里子は全裸のまま事務所に向かった。不機嫌な態度でキッチンカウンターの上のハンドバッグからスマホを取り出す。

しかし、着信相手の名前を見て少し頬が緩む。昔馴染みからだったのだ。


「俺だ。犬養だ。」


「ヤッホー、わんちゃん。久しぶり!」


「ああ。とろこで蛯名、今、電話大丈夫か?」


千里子はソファーに飛び込みニヤリと悪巧みの顔を作った。


「うーん、そうねぇ。大丈夫と言われれば微妙かも-。だってぇー、アタシいまぁ、裸なのぉー。何も身に着けてない生まれたての状態でソファーに寝転んでいてぇ、アナタと話してるから。は・だ・か・でね!」


「そうか、それなら問題なさそうだな。」


「ねぇ、わんちゃん。今、私の裸、想像したでしょ?私の張りのある巨乳を。このスケベェ!」


千里子は誰も居ない部屋で、胸を寄せて上げて見せた。


「何を言っているんだ?お前はレズビアンだろ?」


「そうね。でも、アタシがレズビアンだからって関係なくない?男は女の裸なら何でも御座れじゃないの?」


「知るか。そんな事よりちょっと協力してくれないか?」


「えー。言っとくけどアタシの能力使いたいなら、相当高いわよ?公務員とは言え、わんちゃんの月給じゃあ厳しくない?」


「確かお前、俺に借りがあったはずだが?忘れたとは言わせないぞ。」


犬養は警視庁捜査一課の警部で、一年ほど前、ヤクザ絡みの失踪者の件で危ない橋を渡っていたところを助けて貰っていたのだ。


「・・・分かったわよ。まったく。相変わらず強引なんだから。」


「よし。では、30分後そっちへ迎えに行く。きちんと支度しとくんだぞ。」


「ハイ、ハーイ。」


千里子は通話を切ると、天井を見上げ不適に笑った。

それからぱっと立ち上がり、玄関前まで歩いて行き、ドアへ向かって仁王立ちのポーズをとった。

どうやら彼女は、裸のままで待ち構えるつもりの様であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る