第一部 再会 第1話 目覚める森の美女 1

 有馬如華(ありまじょか)は退屈してきていた。


助手席から目に映る景色が山ばかりで、それがもう1時間は続いていたのだ。

随分、山を登ってきたが、夜景が見えることもなく、灯りと言えば頻繁に通過するトンネルの照明くらいしかない。

そのたび如華は、光の反射で車の窓ガラスに映る自分の姿を見て驚いていた。

先日、長かった髪の毛をベリーショートに刈り上げ、カラーも金髪から真っ赤に染めたばかりなのである。だが、その驚きにももう飽きていた。


しかし、退屈の理由はそれだけじゃなかった。

ダラダラと続く運転席の男の武勇伝のせいでもあったのだ。

そのモヒカン男によると、高校時代はかなり荒れていて、地元の悪共に恐れられていたとか、愚連隊の隊長と女を取り合ってケンカになり根性認められてスカウトされたとか、それがきっかけでヤクザの知り合いがいるだとか。


高校時代の無かった如華には、何の興味も感心も湧かない事だらけだった。


「まだ着かない?」


「もうすぐだ。」


モヒカン男が卑しい笑顔で応える。


「マジ、絶景だぜ?葉っぱヤって夜空を見上げるとさ、満天の星が降り注いでくるみたいなんだ!宇宙の神秘が分かる気がするぜ?」


 如華とモヒカン男はライブハウスでほんの数時間前に出会ったばかりだった。

モヒカン男は無名のパンクバンドのギタリストで、小遣い稼ぎの為にドラッグの売り子をやっていた所へ、如華が客として声をかけたのだった。

彼女は感受性を高めるため、必ず大麻を吸ってからライブにのぞんでいた。

そして気持ち良く興奮できたライブの後は、決まって誰かとセックスがしたくなるのだった。

ライブ後、モヒカン男が大麻を餌に誘ってきた時、それに乗らない手はなかった。

つまり今夜のドライブは、互いに身体目的という利害が一致した上のものなのである。


 不意に革ジャケットの胸ポケットがブルブル震える。スマホのバイブレーション機能だ。実は、数時間前から何度も如華の平らな胸をくすぐっていた。しつこいんだよ、と如華は思った。今日は出勤出来ないと前々から断りを入れていたのに、こっちの事情はお構いなしに何度も電話してくるとは。


如華はフリーの縛り屋として、何軒かのSM倶楽部に在籍していた。縛り屋と言っても調教などは一切行わず、顧客の要望通りに縄で肉体を縛りあげるのみの仕事だった。如華の縛りの早さと芸術性の高さには定評があり、店側から高額な専属契約の打診がある程なのだが、それに対して如華の首が縦に振られることは無かった。誰にも何にも縛られる事の無い、自由な生き方を体現すると言うモットーを自重していたからだ。


『この店とはお別れだな。』


如華はそっとスマホの電源を落とすと、ホットパンツのポケットにねじ込んだ。




「お疲れ様、着きましたぜお姫様。」


 そこは標高600メートルはある山の頂上で、休憩用の駐車場があるだけの場所だった。駐車場には人の気配は無く、如華達が乗ってきた黒塗りのRV車のみだった。


「ここは昔、走り屋達の溜まり場だったらしいんだけど、何か事故とか事件とかがあってさぁ。ニュースになるほど結構ヤバイ問題になってたんだってよ。それで、誰も寄り付かなくなって今じゃこの有様さ。」


車を降りると辺りに人工的な音は一切なく、大自然の声が耳に届いた。

暖かい季節になったとは言え、夜の山頂は肌寒く、如華は革ジャンのジッパーを首まで絞り上げた。

 ふと、夜空を見上げる。

開放された夜空に無数の星が強く光り輝いており、如華は思わず見とれてしまった。


「な。凄いだろ?」


「ホント。こんな星空って何年ぶりだろ?」


「こっちにいい場所があるんだ。」


モヒカン男は車から幾つか荷物を取り出し、ランタン片手に山の方へ向かって歩き出した。行く手には高台に続く階段が見えた。


「楽しむにはうってつけの場所さ。」


地面を削り造作した土の階段を登って行くと、そこには駐車場や道路からは完全に死角となっている木製の展望台があった。

その展望台は地面から2メートルほど高くに設置されており、景色を望むのに視界を遮るものは無い様に設計されていた。展望台に上がると、そこには左右対称に丸太で出来たベンチが据え付けられているだけだった。前方には転落防止用の柵が張られており、覗き込むくと下は深い崖となっていて、まさに奈落の底と言った感じである。



モヒカン男は慣れた手つきでレジャーシートを広げると、クーラーボックスと水パイプの入ったケースをセットした。


「何か飲む?」


「ビールある?」


「いいね!ビールいける派か!」


「アタシ、甘い酒は頭が痛くなるんだ。」


如華は丸太のベンチに腰掛けプルトップを開けた。


「カンパーイ。」


「お疲れー!」


モヒカン男は缶ビールを一気に飲み干し、缶を握り潰した。

それから、得意げに水パイプを取り出し大麻を吸う準備に取り掛かった。水パイプのベースガラス部に水を入れ、本体上部の陶器ボウルに乾燥大麻を詰めた。それからチャコールにライターで火を付け、それを大麻の上に載せ、如華に手渡した。


「レディーファーストって奴さ。」


「アタシ、水パイプ初めてなんだけど。」


「紙といっしょ。要は吸うだけ。これ空気調整弁無いタイプだから吹き戻しはご法度さ。水が逆流して大変なことになるから。それだけ注意すれば何も心配無いさ。」


如華は少し興奮気味に水パイプを手に取ると、ホースの先端にあるプラスチックのマウスピースをくわえ込んだ。

思い切って吸い込むと、水がブクブクと音を立て始めた。水を通って冷やされた大麻の煙が如華の体内に流れ込んで来る。


「ちょっとヒンヤリするだけで紙と変わんないね。」


「まぁね。他人と回して愉しむ時に向いてるのさ。雰囲気も大袈裟でいいだろ?」


「何かの儀式みたいで面白い。」


如華はもう一度煙を吸い込んでからモヒカン男に水パイプを渡した。

それからベンチに寝転び、ゆっくり煙を吐きながら酔いがまわってくる感覚を楽しんだ。


「星が眩しい。宝石みたいにキラキラしてる。星がどんどん迫ってくる。凄い、宇宙を旅してるみたい。」


如華は何時になく饒舌になっていた。


「あっ流れ星だ!」


モヒカン男が指さして言った。


「え?あっホントだ!スゴーい!」


神秘的な出来事に如華の気分は高揚すると共に、欲情していった。

モヒカン男は水パイプを如華に渡した。

如華は目一杯煙を吸い込むと、モヒカン男の膝に跨がった。それからモヒカン男の口を指でこじ開け、煙を口移しで吹き込んだ。

そのまま2人は貪るような口吻を交わしながら、服を剥ぎ取り合った。

如華がモヒカン男をレジャーシートの上に押し倒し、筋肉質の胸板に噛み付く。

モヒカン男の感じる声が如華を更に興奮させた。

乳首を舌で弄んだり、歯を立てたりと、男の悶える反応を楽しんだ。それから、舌先で割れた腹筋を滑降し下腹部へと這わせていった。

モヒカン男の期待と興奮が、一部分を充血させる。

如華がヘソの周りを舐めながらのモヒカン男のスキニーパンツをずらそうとした、その時だった。


「あーそーぼ。」


背後から男の声が聞こえてきたのだった。

驚いて振り向くと、ロウソクを持った大男が展望台の入り口に立っていた。


「うわっ!」


「あーそーぼ。」


モヒカン男が素早く立ち上がり、如華の前に歩み出る。


「何だテメー!」


向かい合う事で、この大男がモヒカン男より頭2つ分は大きいと分かったが、モヒカン男が怯むことは無かった。

ケンカで自分より大きい相手に渡り合ってきた自負があったからだ。


「あーそーぼ。」


「はぁ?ふざけんなテメー!殺されてーのか?」


「あーそーぼ。」


如華は馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返すこの大男に、得体の知れない恐怖を感じた。


「キモイ。早く追い払ってよ。」


「ほら、どっか行けよ!このイカレ野郎!」


モヒカン男が大男の顔面めがけて殴りかかった。

だが、野球のグローブの様な大きな掌で、軽々と拳を受け止めらてしまう。


「ぎゃあああああー!」


モヒカン男の悲痛な叫びが、深夜の山中に響き渡る。

大男はモヒカン男の拳を、トマトを潰すかの様に握り潰してしまったのだ。

砕かれた骨が皮膚からあちこちへ飛び出し、血が止めどなく滴り落ちる。

モヒカン男はその場でうずくまり、奇声をあげ続けた。


大男が如華を見てニヤリと笑う。


「あーそーぼ。」


戦慄が走る。如華は生命の危機を感じ、直ぐにその場から逃げださなければならない事を悟った。

しかし、出口は大男に塞がれている。

逃げるには柵を乗り越えるしかなかった。地面までは高さ2メートル強、着地を失敗すると軽傷では済まないだろう。如華はピンヒールブーツで来たことを呪った。


大男は、悶え苦しむモヒカン男を小枝のように踏みつけ、如華の方へ一歩近づいた。

それを受け、如華の足が反射的に柵の方へ走り出す。

丸太のベンチを踏み台にし、木の柵へ飛び移ると、後先考えず闇の中へ身を投げ出した。


次の瞬間、腕が抜けそうな衝撃を感じ、直後に視界がぐるぐるぐると回った。如華は軽い脳震盪を起こしていた。少しして焦点が定まってくると、まだ自分が展望台の上にいることに気付かされた。

柵から飛び出した時、大男に腕を掴まれ、無理矢理引き戻されたのである。


如華は今、両腕を一纏めに掴まれた状態でつるし上げられていた。


目の前には値踏みするかのように、まじまじと見つめてくる大男の顔があった。

間近で見た大男の顔は非常に醜く歪んでおり、誰もが見て見ぬふりをする類いのモノだった。

さらに、嫌悪感を増長させるものが1つ。

ニオイだ。

大男からは酷い匂いが発せられていた。

体臭のせいか口臭のせいなのか、いや、恐らく両方であろう。


如華の不快な表情を見て、大男が不適な笑みを浮かべる。

それはトラウマになる程に、気味の悪い笑顔であった。


「ハッピーかい?」


「離せ!この化け物!」


如華は大男の顔に唾を吐きかけた。

大男の表情がみるみるうちに怒りへ変わっていく。 

 

その直後、如華の腹部に強烈な一撃がねじ込まれ、声を上げる間もなく気を失ってしまったのである。

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