目覚める森の美女

素手勇

プロローグ

 静まりつつある都会の一角で、遮断機の音が鳴り出した。時計塔の鐘さながら日付が変わった事を知らせるかのように。


遮断桿の降りた踏切に一台の車が引っ掛かる。ヒョウ柄のダッシュボードマットが目立つ5ドアの黒い上級ミニバンだ。

運転席の若い女はシフトレバーをPレンジに入れ、ブレーキから足を離した。


「ちっ、ついてないな。」


女は車の窓を開け、4分の1程しか吸っていないメンソールの煙草を投げ棄てた。この踏切は一度捕まると、かなり待たされる事で有名なのである。

女は溜息交じりに煙を吐き出し、茶色の髪を無造作に掻き上げると、助手席に置いてあった高級ブランドのハンドバックからスマートフォンを取り出した。

待ち合わせ場所までは目と鼻の先なのだが、遅刻が決定的なので詫びをいれるためである。


女は10代の頃から出会い系を活用している出会い系上級者で、数種類のアプリを使い分け素人ぶって金払いの良いヤリモク男を漁っていた。週4フリーターの身で月20万もする家賃を払って優雅に生活出来ているのはそのおかげである。


女には出会い系を利用する上で自分で決めたルールがあった。対象は40代の既婚者で、同じ相手とは2回までしか会わない、必ずホテルを利用、代金はホテルに入る前、値引きは一切せず自分を安売りしない。このルールを徹底して守ってきたお陰で、今まで一度も危険な目にあったことはなかった。


しかし、今回はルール違反を犯してしまっていた。40代既婚者ではなく、30代独身の男を選んでいたのだ。今月は体調を崩して順調に稼ぐ事が出来ず、その上条件の合う相手がなかなか見つからなかった為、支払期限間近でやむを得ずの判断だった。


半分ほど開けた車の窓から2本目のタバコを投げ棄てた時、電車の近づく音が聞こえてきた。


「やっとかよ。」


煙を吐き出しながらそう呟いたその瞬間、車がいきなり前進し始めたのである。


「えっ?」


女は何が起こってるのか分からず、身体が固まってしまった。

それは、駐車中、不意に隣の車が動き出した為に自分の車が動きだしたと錯覚し、瞬間的に思考が止まる現象に似ていた。

直ぐさまシフトレバーを確認すると、なぜかDレンジに入っていたのである。

女は慌ててブレーキを踏み込んだ。

だが、車はすでに遮断桿を押し上げ、車体の半分以上が線路内に侵入してしまっていた。

電車のライトがどんどん眩しくなり、警笛が女の耳を貫く。

今度は床を抜く勢いで、アクセルを目一杯踏み込んだ。


グゥオオオオオオオーーーン!!


しかし、なぜかエンジンが唸るだけで、一向に進まない。


「何でニュートラルになってんだよ!」


と、女が叫んだ次の瞬間、電車が自動車を濁流のごとく飲み込んだ。

凄まじい衝突音が近隣の住宅を劈き、車はまるでボーリングピンのように、勢い良く弾き飛ばされていった。


数秒間の喧騒が終わり、踏切から50メートル程向こうでひっくり返った車の運転席は、跡形もなく綺麗に削り取られていた。


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