第26話 蹴る男がアキレスを切る確率は思ったより低い

 公園の紅葉が、恥ずかしくも無いのに赤く染まってきた。

 男は、毎朝の日課であるウォーキングをしながら秋の到来を感じていた。


「ひんやりとして気持ちがいい朝だ」


 額に薄くにじみ出た汗をぬぐいながら、ドリンクホルダーからペットボトルを取り出すと、喉を鳴らして飲み干した。


「冬も、直ぐにやって来るんだろうな」


 男は、目の前を気持ちよさそうに滑空する赤トンボを眺めながらつぶやいた。

 年齢を重ねるごとに、時間が早く流れ始めているような気がしていた。


「うん? また、あんなところにゴミが……」


 赤トンボが輪を描いて止まったのは、公園の隅に無造作に捨てられたペットボトルの底だった。


「こんな綺麗な公園に、どうしてゴミを捨てるのかな……精神を疑うよ」


 愚痴ぐちりながら、周りを見渡した。

 よく見ると、ペットボトルだけでなく、コンビニの袋に入った空の弁当箱、ビールの空き缶、焼酎の紙パックなども、散乱している。

 この公園にはゴミ箱が設置されていない。

 個々の美意識で、ゴミの持ち帰りを頼んでいるのだが、いつの世も心無い奴は、その気持ちをむ事は無いようだ。


「まったく……ゴミを捨てる奴に天罰が下ったらいいのによ~」


 男は潔癖症だった。他人が捨てたゴミを自ら拾う行為はしなかった。

 ペットボトルに近づくと「クソ!」一声発して、右足で大きく蹴り上げた。

 いや、蹴り上げた――はずだった――。


「え! え~? 消えた……まさか?」


 男が蹴り上げたペットボトルは、大きく弧を描くこと無く、靴先から一メート程先で、突然消えてしまった。


「ウソだろ? 目が……おかしくなったのか……」


 どんなに目を凝らして探しても、ペットボトルは何処にもなかった。


「こんなバカな事が……他にも……?」


 半信半疑の男は、近くに捨ててある、ビールの空き缶に近づくと、躊躇ちゅうちょしながら蹴り上げた。

〈パッコン!〉飲み口から空気が漏れる鈍い音を残して、空き缶は弧を描いて――飛んで行かなかった。


「消えた……また……消えた……」


 目の前に起きている状況を理解するには、あまりに不可解すぎた。

 ただ、蹴った後の妙な爽快感が、つま先から伝わってきた。

 男は、その気持ちに押されるように、空の弁当箱、焼酎の紙パック、チョコレートの空き箱、時期外れの花火の燃えカスまで、次々と蹴り上げては、消していった。

 男が、我に返ったとき辺りのゴミはすっかり無くなり、綺麗な公園に姿を変えていた。


「いったい……俺は、何をしたのだ? あのゴミは……何処に?」


 答えの出ない自問自答を繰り返しながら、男は公園を後にした。

 次の日、男が朝刊を開いたとき、不思議な記事が目に入った。


【胃の中にゴミ? 突然の腹痛者続出】


 記事に目を通す男。

 その内容は、突然腹痛を訴える患者が救急搬送で運ばれてきた。異常な腹の突起に驚いた医者がレントゲンを撮ると、缶のような影が映っていた。半信半疑で開腹手術した医者が取り出したものは、ビールの空き缶だった。

 どうしてこんなものが腹の中から? 

 当然、患者に缶を飲み込んだ記憶なんか無い。だいいち、缶を丸ごと飲み込むなんて不可能だと、医者の談話も添えられていた。

 奇怪な事に、その日だけでも同じような症例が至る病院から報告された。

 胃から取り出された物は、空き缶だけでなく、弁当箱やらペットボトル、花火の燃えカスまであった。

 更なる不思議は、運ばれた患者が一応に「自分が捨てたゴミかもしれない」と証言している事である――記事は、最後にそうくくられていた。


 男は、何度も新聞を読み返した。

 記事に書かれていたゴミは、全て自分が蹴り上げたゴミと一致している。


「まさか……俺が蹴ったゴミが、捨てた本人の胃の中に飛んだのか……」


 にわかに信じ難い推理である。

 思案した挙句、男はとりあえず確かめる決心をした。


 早速、昨日と同じ格好に着替えると、公園のベンチに座り、ゴミをポイ捨てする奴を待った。

 しばらくすると、チンピラ風の若者が、飲み干したコーヒー缶を砂場の中に投げ込んだ。


「あんな奴なら、天罰が下ってもしかたないな……」


 チンピラが立ち去ったのを確認すると、砂場に転がる缶を、めいっぱい蹴り上げた。


〈ペコン!〉


 小さな音と共に――缶が消えた。


 男は踵を返すと、足早に若者を追いかけた。


 相変わらずエラそうに肩で風を切りながら歩くチンピラ風の若者。急に立ち止まると腹を抱えてうずくまってしまった。

 道行く人は、彼の格好に気後れして誰も声をかけない。

 男は木の影で、その様子を眺めていた。

 のた打ち回る若者。さすがに見かねた数人が駆け寄り、救急車を呼んだ。


「なにかあったのですか?」


 男は、さりげなく野次馬の一人に尋ねた。


「さあ……よくわからないけど。腹に何かが入って来たらしいよ。薬でも打ってんじゃないの」


 冷ややかな答えが返ってきた。


 男は、自分が手に入れた力を確信した。


「そうだ! 世の中の大掃除をしてやろう」


 潔癖症の性格である。公共の場に散乱するゴミにずっと怒りを覚えていた。

 男は、その日から日本中の観光地を巡って、ゴミを蹴り上げた。

 神社仏閣も、河川敷も海岸も歩き回り、捨てられたゴミを蹴り続けた。


 新聞やテレビは、この事件で連日盛り上がっている。

 コメンテーターや、NSNのユーザー達の中には“世直しミステリー”として、賛美する者も出てきた。


【一年後――】


 日本中でゴミをポイ捨てする者は誰もいなくなった。

 それどころか、過去にポイ捨てをした者は、自分が捨てたであろう場所に赴き、必死でゴミを回収している。明日は我が身を恐れて。


 日本中が綺麗になった。


 男は、ゴミ一つ落ちていない公園を、退屈そうに散歩している。


「こうも綺麗になると……」


 その時――男の目の前を、風に運ばれてきた新聞紙が、踊るように舞い降りてきた。


「あ! 久々のゴミだ……」


 男は、新聞紙に駆け寄ると、蹴り上げようと足を後ろに振り上げた。


〈ビュッ!〉


小さなつむじ風が吹いた。

一陣の風は、新聞紙を巻き込みながら男の股間をすり抜けた。


「あっ!」


 目標を失った男は、バランスを崩しながら、力いっぱい大地を蹴ってしまった。


〈ぺッコ~ン~~! ゴッオ~〉


 腹を裂くような地鳴りが、日本中に響き渡った。


 次の瞬間――。


〈ポン……シュッ……パッ!〉


 ガスが抜けるような音と共に、日本列島が跡形も無く――消えた!


 日本は、太古の昔から火山国である。

 この国の大地は、火口から噴き出された大量の泥や火山灰が堆積されて出来たものだ。

 そう――地球から吐き出された「ゴミ」が積み重なって生まれた国なのだ。


【日本が消えた五分後――】


〈ゲップ~ハァ~!〉


 ハワイのキラウエア火山の火口から、地球のゲップのような――奇妙な音が漏れ出た事は、さしたる話題にはならなかった。

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