第25話 見せる女は愉快、見える女は厄介

 恰幅かっぷくのよい初老の男が、本屋の中を闊歩かっぽしている。

 あたりを舐めるように見渡しながら、気になる本を見つけると棚から取りだし、パラパラとめくると無造作に投げ返した。

 粗暴そぼうを地で行くような男である。

 

「これは、これは……町議会議長の大野様。本日は何かお探しでしょうか?」


 店長が、揉み手をしながら現れた。


「最近、美味い物ばかり喰っているせいか、便秘気味でなぁ」


「…………はい?」


「分からんか? 『本屋に来るとトイレに行きたくなる』と言うだろうが~」


 周りの客が眉をひそめた事など、気にする様子もなく馬鹿笑いしている。


「まぁ、糞が出るまでの暇つぶしじゃから、気にするな」


 そういうと、店長を追い払うように遠ざけて、買いもしない本を取り出しては散らかしている。


「うん? この本は……」


 大野町議は、ある本に手を伸ばした。

 同時に、横から白い手が伸びてきてお互いの手が触れ合った。


「あっ! すいません……」


 慌てて手を引く女性の、可愛い声に思わず顔をのぞき込む町議。

 黒ずくめの服に、長い黒髪を引き立たせる淡い濃紺のサングラス、厚化粧だが端正たんせいな面持ちをした女性を舐めるように観察をすると、ニヤリと薄笑いを浮かべた。


「かまわん! かまわん……あんたのような別嬪べっぴんさんに触れただけでも、このボロ本屋に来た甲斐があったと言うもんじゃ」


 下品な笑い声を店内に響かせながら、立ち去ろうとする町議を女性が呼び止めた。


「あの……すいません。これを……」


 大野町議が取ろうとした本〈占い四柱推命〉を差し出した。


「その本か……いらんよ。あんたが買えばいいじゃろ」


 町議は、本の表紙をしばらく眺めていたが、何度か頭を振ると、きびすを返して立ち去ろうとした。


「あの……すいません!」


「うん? まだ何かあるのか?」


 まんざらでもない笑顔で振り返った。


「初めてお会いした方に、こんな事を言うのは失礼だと承知していますが……気になって」


「気になる? ワシの事が? 何の事か知らんが、言ってみなさい」


 女性は、町議の耳元に唇を近づけると、小声でささやいた。


「……実は、私……見えるんです」


「見える……? 何が……?」


 いぶかしげな顔で、女性を見つめ直す町議。


「……あなたの未来が、見えるんです」


「未来? ワシの……?」


「正確には……あなたが近々遭遇する出来事が、影になって見えるのです」


「…………」


「一週間後に小さな影が、その二週間後に少し大きな影が……」


「お、おまえは……何を言っているんだ……」


 大野町議は、女性を押しのけた。


「本当に、失礼な女じゃ……ワシは気分が悪い……帰る!」


 早足に本屋を出て行くと、駐車場に待たせたある車に乗り込み秘書を恫喝どうかつした。


「家に帰るぞ……早く出さんか! のろま!」


「何かあったのですか? そんなに……」


「うるさい! 早く行け!」


 苛立いらだたしさを隠しきれないでいた。


 大野町議は、本屋に立ち寄る一週間前に病院で検診を受けていた。

 大腸のポリープを内視鏡で除去したのだが、医者が癌を疑い、念のためにと細胞検査に出したのだ。

 その結果が分かるのが一週間後だった。


「あの女……ワシが気にしている事を……影なんぞと……」


「何か言われましたか?」


 秘書が尋ねた。


「何でもない! 前を見て運転せんか!」


【三週間後――】


 大野町議が、本屋をウロウロしている。


「店長! 店長はおらんのか?」


 店内に響き渡る大声で叫んでいる。


「どうされました? 大野議長……」


 店の奥から、み手で店長が走ってきた。


「三週間前……ワシが、黒ずくめの女と話していたじゃろ……覚えておるか?」


「…………」


「覚えとらんのか? 長い黒髪で、サングラスをした、厚化粧の……」


 町議はそこまで言うと、店長の後ろ――店内の奥に黒づくめの女性を見つけた。


「いた! おるじゃないか~」


 店長を押しのけると、女性に向かって足早に近づいた。


「あんたを……あんたを探しておったのじゃ」


 興奮のあまり、女性の両手を握りしめている。


「そのご様子では……あなた様に影が訪れたのですね?」


「そのとおりじゃ……この間の無礼はびるから……頼む! ワシを助けてくれ」


 半ば強引に女性の手を引くと、駐車場に停めている車に乗り込んだ。


「ワシの選挙事務所に行け! 急げ!」


 町議は、選挙事務所奥の個室に女性を招き入れると人払いをした。


「あんたの言うとおりじゃった……」


 ソファに腰掛ける女性に自らお茶を入れて差し出した。


「あの一週間後……細胞検査の結果が出る予定だったのじゃが……」


「どうだったのですか?」


「『もう一度検査する』と言われて、結果を先延ばしにされた……」


「それが、最初の影だったんですね」


「再検査の理由を聞いても、医者の野郎……教えてくれんのじゃ」


「それは、さぞ心配だったでしょう」


 女性は、うつむき加減でお茶を飲んだ。

 しかし、決して顔をあげる事は無かった。


「そして、二週間たった……今日……『大腸癌のステージ3』と宣告された」


 町議は、力なく肩を落とした。


「やっぱり……そうだったのですね」


「あんたの予言したとおり、二回目の影が現れた……頼む! 助けてくれ!」


 町議は、女性の手を握り詰め寄った。


「あんたは、ワシを助けるすべも見えているんじゃないのか? ワシは……まだ死にたくないんじゃ~」


 今まで多くの人に冷酷無比な仕打ちをしてきた大野町議だが、自分の事となると恥も外聞もなかった。


「…………」考え込む女性。


「頼む! 何でも欲しいものをやるから……ワシを助けてくれ!」


 大野町議は、ソファから降りると土下座して頼んだ。

 女性は、深くため息をついた。


「それでは……私の話を信じる事。そして、この事は誰にも口外しない事……この二つを守れますか?」


 町議は、首が千切れんばかりに、縦に振り続けた。


「実は……あなた様には……生霊がりついています」


「生霊? ワシが霊にりつかれていると?」


 普段なら一笑いっしょうしてしまうだろが、女性の奇跡を見せられた後では疑う余地がなかった。


「誰じゃ? 誰の生霊が……ワシに……ワ……」


 絶望と怒りが入り混じって言葉が詰まった。


 女性は、優しく町議の肩に手を置いた。


「あなた様のお孫さんに、血のつながっていない方が居ませんか?」


「ワシの孫? 血のつながりが無い……孫……」


 しばらく、考え込む町議だったが、何かを思い出したのか、両眼がカッと見開いた。


「いた! 確かに……一人居る! ワシの次女と再婚して養子にした男……あいつに……連れ子がおった!」


「やっぱり……その子の無意識の生霊が、あなた様を不幸に導こうとしています」


「どうしたら……どうしたら、その生霊を除霊できる? 殺すのか?」


「ダメです! 殺すなんて、とんでもない!」


 女性の声が荒いだ。その強さに町議は一瞬ひるんだ。


「それじゃ……どうすれば?」


「その、お孫さんを、あなたのつながりから離せば良いのです」


「離す? それは……?」


「例えば、その子のせきを外してしまうとか……」


「成る程! そういう事か~」


 大野町議は急に立ち上がると、女性に軽く頭を下げて部屋を出て行った。

 しばらくすると、秘書がやって来た。


「もう帰って結構です。これは少々ですが……」


 “お礼”と書かれた封筒を差し出されたが、それを断って女性は事務所を後にした。


【後日 とある、総合病院】


「おはようございます~」


 清楚せいそで真面目そうな女性が、三歳くらいの男の子と手をつないで出勤してきた。


「それじゃ~ママは、お仕事して来るから、お友達と仲良くしていてね」


 女性は、病院の託児所に男の子を預けると、長い黒髪をかき上げながら、彼女の職場である“臨床病理検査室”に入って行った。


「やっと笑顔が戻ったわね」


 女性の上司である女室長が、優しく声をかけてきた。


「ありがとうございます。また息子と一緒に暮らせるようになりました」


「しかし、驚いたわ……よく、あのクズ男が、坊やの親権を手放したわね。それも、多額の養育費を添えて返してきたというじゃない……本当なの?」


「どうでしょ~」


 可愛く舌を出す女性。


「でも……これで、もうあんな失敗はしないわよね?」


「すいません……迷惑をかけました」


「ほんとよ……癌の組織検査の結果データを無くして再検査したり。大腸癌の『ステージ1』を『ステージ3』って報告したり……先生方も困ってらしたわよ」


臨床検査技師りんしょうけんさぎしとして……深く反省しています」


 女性は、深く頭を下げた。


「私たちは、癌や病気を見つけるのが仕事なんだから。間違いは許されないのよ」


 女性の長い黒髪に優しく手を添える室長。


「でも……今回間違えたのが、あのパワハラ町議『大野議員』のだったでしょ……正直言うと、先生方も、私達も、ちょっと楽しかったの。あの狼狽ぶりったら……ね~!」

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