第24話 神様とお前と……花火

 ホスピスの窓から見える景色は、冬から春、そして日差しが眩しい夏に変わっていった。

 車椅子に座り景色を眺める父の肩は、季節を追うごとに細くなっていった。


「なんとか、夏が迎えられたな……」


 何かを胸に秘めたような父の言葉だった。

 余命三ヵ月、もって半年と診断された父だったが、もう八ヵ月持ちこたえている。苦労人の父だったが、いつも笑顔の人でもあった。他人に優しく、疑うことを絶対にしなかった。


「父さん……この分じゃ正月だって迎えられそうじゃないか?」


「あはは。お前には世話になったが、さすがにそこまでは……望まんよ」


「そういうなよ。母さんが逝ってまだ一年しか経っていないのに……」


 一年前、このホスピスで母は最期の時を迎えた。

 花火大会最大の見せ場である四尺玉が轟音ごうおんと共に、窓いっぱいに花を咲かせた時、母はそれを確かめるように静かに逝った。

 この貧しい街でも自慢できる事が一つあった。それは「火祭り」と呼ばれる夏祭りの最終日に打ち上げられる花火大会である。


「……今年も火祭りが始まったね。子供の頃、父さんの自転車の荷台に乗って花火を見に行ったよな……覚えているだろう?」


 自転車をぐ父の背中は大きく、波打ちながらもたくましい巨木のようだった。


「うちが貧乏で、遊園地なんか連れて行ってやれなかったからな……」


「あはは。確かに……花火はタダだしね」


 昔を懐かしむ父の肩が小さく揺れた。


「でもな……お前に花火を見せるのは……ワシと母さんの想いだったんだよ」

 遠くを懐かしむように――父が言った。


「想い?」


 思いがけない父の言葉に戸惑った。普段から寡黙かつもくな人である。心の全てを語る人ではなかった。


「そう……神様とお前と……花火。それがワシ等の……想いだったんだよ……」


 自分の死期を悟っている父は車椅子に深く座り直した。


 四十年前、母が私を身ごもった。病弱の母だった。出産に耐えられる体では無かった。それでも父の喜ぶ顔が見たい――その一心での決断だった。

 父は毎日、母のお腹に向かって語りかけた。


「早く出ておいで。早くワシらに顔を見せておくれ……」


 少しずつ大きくなるお腹をさすりながら、父は幸せを噛みしめていた。

 あの日は、火祭りの初日だった。祭りに出かけた父の帰りを、ひとり待つ母。


〈ヨッサ! ヨッサ!〉


 家の前を駆け抜けていく神輿。母は、男たちのかけ声を、父が帰ってきたと勘違いしてしまった。階段を駆けおりる母がバランスを失った――。


「お子様が無事に生まれる確率は……二割以下です……覚悟を……」


 病院のベッドに横たわる母の手を握り、流れる涙を拭おうともせず祈り続ける父に、お医者さんが――そう告げた。


「この子に……花火を見せてやりたかったわね……」


 母は申し訳なさそうに身をすくめている。


「火祭りの花火は日本一だからな。そうだ! 明日の花火……この子に見せてやろう」


「この子って? ……まだお腹の中ですよ」


「お前の目を通して、この子に花火を見せてやるんだよ!」


 そう言うと父は病室の窓を開けた。


「ダメですよ……ここからだと、神社の御神木ごしんぼくにふさがれて見えませんよ……」


 火祭り神社の御神木ごしんぼくは、樹齢三百年を越える杉の大木。そのてっぺんと、打ちあがった花火が重なってしまうのだ。


「大丈夫……何とかするから……お前はここで寝ときや!」


 母の伸ばす手を振りきり、病室を飛び出していった父。

 一刻の時が流れた。朝日がカーテンの隙間から、真っ白な光の筋でベッドを照らし始めた頃、父は帰ってきた。

 父は一片の木片を握っていた。


「これを見いや……」


 父は、朝日で淡く光るカーテンを開けた。母の目に御神木ごしんぼくの変わり果てた姿が映った。


「あんた……まさか……御神木を切ったのかい? なんてことを……」


「これなら……花火がみえるだろ。日本一の花火を見たら、この子は絶対に産れたくなるはずだ……」


 あの信心深かった父の行動に母は驚いたが、何故か嬉しくて涙が止まらなかった。

 御神木が祭りの日に切られた事は、今でもこの街の語り草になっている。誰が何の目的で御神木を切ったのかは――未だに謎のままだった。


「そうだね。父さんのおかげで俺はこうして……」


 何か言おうとしたが、父の笑顔にさえぎられた。


「あっはは。でも、しっかりと罰を受けたさ。母さんは……花火を見た翌日……」


 父は大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「おまえが……流産してしまったからな……」


 父は、懐からあの一片の木片を取り出すと、手のひらで優しく包み込んだ。


「御神木には魂が宿る。私達の想いはこの木に宿り、おまえという子供が、夏になるとワシらの許に来てくれる」


「…………」


「毎年、毎年……火祭りの三日間だけ。ワシらはそれで十分幸せだったよ……本当に、今までありがとう……な」


 父の頭、肩、腕と――ゆっくり力が抜けていった。


〈コトン!〉


 小さな木片が父の手から床に滑り落ちた。父の魂は打ちあがった後の花火のように、ゆっくりと漆黒の夜に消えていった。

 木片に刻まれた年輪が、まるで笑顔のように優しく浮き上がっていた。


「これからは、ずっと……三人一緒だよ……父さん」

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