第23話 執着の終点には目玉が落ちていた

 男は緊張でのどがカラカラに乾いていた。

 額には、玉のような脂汗がにじみ出て、息も荒かった。

 両腕に抱えた花束は、男の体から発する熱でしおれかけている。


「もうすぐだ……もうすぐだ……」


 男は、同じ言葉を何度もつぶやいている。

 待ち合わせで有名な、駅前の銅像のかたわらには男の姿しかなかった。

 正確には、異様な雰囲気をかもし出している男に気づいて、周り人達が遠巻きに避けている状況と言ってよかった。


「もうすぐだ……もうすぐだ……」


 額から落ちた汗が、また一つ、足元のコンクリートの舗道に丸いシミを作った。


 男は、総合病院の外科医。四十歳を間近に控え、初めて女に逢うことに緊張をしている。


「彼女は来てくれるだろうか……まさか……また、あの時のように……」


 男の脳裏にある不安がよみがえった。


 【一年前――】


 男は生まれて初めて、狂おしいほどに女性を愛した。女性も男を愛してくれた。二人の未来には幸せしかないと、男は信じて疑わなかった。


 あの日、男は待ち合わせで有名な銅像の前で女性を待っていた。ポケットには、この日の為に買った指輪が入っている。


 男には自信があった。

 男のプロポーズを笑顔で受け入れてくれるだろう、女性の優しさ。そして、その女性を幸せにしてやれる男は自分しかいない事を。

 男は、目の前を過ぎていく人々全員に祝福してもらいたい気持ちだった。


 待ち合わせ時間から、一時間が過ぎた。

 女性は現れない。


 更に五時間が過ぎた。

 夜の冷たい風に翻弄ほんろうされていた雨は、いつしか雪に変わっていた。

 それでも、女性は現れなかった。

 男は、人影まばらな街角の暗闇に肩を落として一人消えて行った。何度も、何度も後ろを振り返りながら。


 次の日も。また、次の日も、女性に連絡が取れない男は、憔悴しょうすいしきっていた。


 一週間後、そんな男に一通の手紙が届いた。


 女性の母親からの手紙だった。


 男は、その手紙を読み終えると、人目もはばからず大声で泣いた。泣き崩れた。


 女性は、あの日、男に逢いに行く途中、車に跳ねられた。打ち所が悪かった女性は脳死と診断された。


 母親は苦渋の想いで、女性の意志に従って臓器ぞうきを提供した。


 ドナーカードには心臓、肺、肝臓、多くの臓器提供を記載されていたが、角膜だけは除外されていた。


 母親は、女性の日記から男の存在を知った。

 愛する人をずっと見つめていたい――だから、角膜だけは提供しなかった理由も知った。

〈娘は心から……あなた様を愛していました……〉

 手紙の最後は、そう結ばれていた。


 男は、手紙を抱きしめた泣いた。

 その日から、幾日泣き続けただろう。もう女性を見る事も、触れる事もかなわない。

 男は、絶望の淵を彷徨さまよった。


 女性に逢いたい。


 諦め切れない男は女性を捜す決心をした。

 男の、深く淀んだ陰鬱いんうつな眼差しに鈍い光が宿った。


 外科医だった男が、女性の移植手術を受けた病院を捜すのに手間取る事は無かった。

 奇跡的に、男は間に合った。女性が荼毘だびされる前に見つけだす事が出来たのだ。


 病院の遺体安置所で、あの日、待ち焦がれた女性に逢うことができた男は、固くなった指に指輪を通すと、押し殺すように泣き続けた。


 その日から、男の姿を見たものはいない。


 女性の遺体と一緒に、忽然こつぜんと姿を消したのだ。


【現在――警察署の取調室】


 老刑事から事情聴取を受ける男。

 その眼差しは遠くを見つめ焦点が合っていなかった。


「おまえ……なぜ四人も殺して平気な顔をしていられるんだ?」


「殺害? 私は取り戻しただけですよ……」


「被害者の体を切り刻んで臓器を取り出しておいて……殺してないと?」


 まったく表情を変えない男に空恐そらおそろしさを感じる老刑事だった。


「もし、あなたが愛する人を、黙って奪われたらどうします?」


 男は、口角を少し上げたが、直ぐに元の無表情に戻った。


「臓器提供は、女性の意志だったんだぞ!」


 老刑事の声が荒いだ。


「私は許可した覚えはありません。妻の体は全て私の物なのです」


「おまえ……」


「妻は私の所有物……だから返してもらったのです」


 老刑事は、怒りを抑える為に大きく深呼吸をした。

 調書を取っている若い刑事の顔も怒りで紅潮している。


「しかし、五人目……彼女の心臓は奪い返せなかったな……」


〈無差別連続殺人事件〉が〈猟奇的計画殺人事件〉に変わる切っ掛けとなったのが、彼女の捜査協力だった。


 老刑事の言葉に、男が初めて反応した。

 男は、膝に置いていた手をきつく握り締め、ズボンに深いシワを作った。


「何故……お前の犯行を彼女が気づいたか分かるか?」


「…………」


「これから先は、調書を取らなくてもいいぞ」


 老刑事は、若い刑事に振り向いて言った。


「ここからは、ワシの独り言じゃと思ってくれ……」


 老刑事は、男に茶を勧めながら続けた。


「お前さん……十年程前、事故で失明しかけていたが、角膜移植をして助かったそうじゃないか……」


「それが何か?」


 確実に男は苛立っている。


「その角膜を提供してくれたのが……同じ心臓病で他界した……彼女の母親じゃとしたら」


「…………え?」


「彼女は、移植された母の角膜を通して見たんじゃと……死体から臓器を取り出しているお前を……な」


「そんな……馬鹿な……」


 立ち上がろうとした男を、若い刑事が押さえ込んだ。


「母親が、子を想う気持ち……それが、理解しがたい奇跡をおこしたのかの……」


「うぉおおお~!」


 男の咆哮ほうこうが署内に響き渡った。


【翌日――】


 若い刑事が、机で茶をすすりながらくつろいでいる老刑事に近寄り、耳元でささやいた。


「……あの野郎……留置所で自分の両目をくり抜いたらしいですよ……『この目のせいで!』と叫びながら……」


「だろうな……それくらいの苦しみは味わさせてやらないと……死んだ者が報われないさ」


「でも、あの話って、本当なんですか……?」


「……それは、どうかな……」


 老刑事の机の上には、被害者の写真が並べられていた。

 その中には、やっと生きる希望を見つけ、天使のような笑顔でポーズをとる十歳の女の子の写真もあった。

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